すぷりんぐ・うぉー ー裏六甲温泉大戦争ー
湾多珠巳
第0章 すべてはタキダオのために
0−1
はじめに
*本作品はすべて架空の話です。それが証拠に、
現在の日本の法観念や科学常識を全く無視した現象が、
かなりの頻度で出現します。
*作品中には現実の日本と同一の、あるいはよく似た名前の
地名、温泉名、交通機関名、観光エリア名が登場しますが、
本作品はこれらの土地・会社・関係者について、
貶め、中傷するものではありません。
逆に、本作品がこれらの観光地などへ興味を持つ
きっかけとなってもらえるなら、それは作者として
たいへん喜ばしいことであり、むしろそれこそが
本作品のめざすところであると申し上げておきます。
0−1
画面全体が、湯気でうっすら霞んでいた。
それでも、獲物はクリアに映っている。画面真ん中、柔らかな肌色の二つの塊。女のセミヌードだ。
モニターの先は、男が経営している旅館の脱衣場。まだ女児と言っていい入浴客が二名、黙々と服を脱いでいる。平日の昼下がり、他に客はおらず、部屋はがらんとしていた。悪いことではない。下手に混みあって半端な裸が互いを隠し合うより、一人二人のストリップを丸映しできる方が断然いい。
とは言え、二人の少女はまるで色っぽいとは言えない。体の起伏もおよそ発達以前の段階だ。正直趣味の範囲外だったが、まあいい、と彼は思った。昨今、この手のロリ映像を喜ぶ手合いはいくらでもいる。いつものOLやら若妻よりか、よっぽど儲けになるだろう。
「へっへっへっへっへ」
自然と下卑た笑いが漏れ出てしまう。万事絶好調だ。売り上げは天井知らずで、リスクも少ない。ごく最近まで真面目に努力を積んでいたことが、心底バカバカしく思える。
この頃では表の旅館業の評判も上々だ。当然だろう。稼ぎの一部を改装や広告に回せば、ますます客の流れは拡大する。若い女もたくさん来る。後はそれを盗撮しまくるだけでいい。映像を売れば、また儲かる。儲かれば、女を呼び込む手がますます多く打てる。それが当たれば――。
「ひっひっひっ。ひゃーひゃっひゃっひゃっひゃ」
まさに笑いが止まらない。
くしゃくしゃになった顔のまま、いくらか薄くなってきた頭髪を片手でかき上げつつ、デスクのモニター横に置いてある鉱物標本にもう片手を伸ばす。一抱えもある縞メノウの一種で、最近、神戸のある店の通販で手に入れたものだ。手に取るとずっしりした重みがまた心地よかった。
別段、鉱物が好きなわけでもなかったが、小金が出来たところで、何気なくいろいろ調べているうちに目に止まり、ぜひ欲しくなった。買ってみると、水晶のような半透明の岩体の中に、不思議な模様が面白い形にはまり込んでいて、眺めていて飽きない。金があれば、こういった衝動買いだって気楽にできるということだ。
まさに人生最良の時と呼ぶべきだろう。
間抜けな盗撮犯の記事は、毎日のように目にしている。全く、世間の男はどいつもこいつも能なし揃いだ。水道管の陰につけたカメラ、置き忘れを装ったカバンの中のビデオ、そんな方法じゃ、バレるに決まってるじゃないか。
女の部屋にレンズを持ち込むから失敗するんだ。レンズの部屋に女を連れ込めばいいと、どうしてみんな気づかないんだろうな!
いやはや、俺は天才だなっ!
新館二階リネン室裏の隠し部屋で、男は一人悦に入っていた。その四畳半ほどの空間を知る者は、従業員達を含め、他に誰もいない。この悪徳経営者のバカ笑いを咎める者もまた、地上に存在しなかった。
ふと、男の笑いがやんだ。モニターの中の子供――せいぜい中一ぐらいの童顔少女達――の挙動が、どうもおかしい。まだハーフトップブラもパンツも身につけたままなのに、下着姿すら恥ずかしくて仕方ないというように、そそくさとバスタオルを体に巻き付けている。それが済むと、やおら二人してきょろきょろと視線を動かした。手元でメモか何かも確認しているようだ。
不意に、二人の視線が男の視線と真っ向からぶつかった。むろん、少女達が男の存在に気づくはずはない。カメラは脱衣所の全身鏡の裏に、巧妙な形で設置してある。ガキどもがたまたま鏡を凝視しただけだ。そのはずだ。
だが、画面の少女たちは丸まったサランラップみたいなものを取り出し、妙に楽しそうな顔で鏡ににじり寄ってきた。どうやら鏡面にポスターみたいなものを貼ろうとしているらしい。手際よく二本の腕が動き、画面がややにじんだようなピントになる。まるで薄手のビニールで覆いをかけたような。
(……何をしている?……)
やや小太りな一人が後ろを振り返り、おかっぱ髪のもう一人がOKするように頷いた。小太りがとことこと脱衣場の片隅に行き、足元から何かを持ち上げた。ヘルスメーターだ。家庭用の、シンプルな平型タイプである。足の下に踏みつけるべきその金属製の健康器具を、少女は重そうに抱え上げ、よたよたとカメラの――鏡の前に寄ってくる。男が目を瞠っていると、あろうことか頭上に大きく振りかぶったではないか。
「げっ!?」
反射的に、男はモニターの前で片手を差し上げた。
ぐごん。
ばきべきっ、ばりりっ。
ぴきっ、ぴきっ、ちりっ。
重々しい衝撃とひび割れの走る音が、拡大された電気信号の形で鼓膜を打った。その時になってようやく、男は最前の疑問の答えを見出した。
フィルムだ。あの巨大なシートは、飛散防止フィルムだったのだ。こいつらは周到な準備の上で、脱衣場の鏡をぶち割りやがった。
だが、何のために?
すぐさま、異様に間延びした、ものすごーく平板な対話が聞こえてきた。
『あー、手が滑っちゃった。困ったなあ』
『まあリンちゃん、だめじゃない、旅館の人達に怒られるわよ』
『うん、ごめんごめん。あれ? 妙だな、この鏡は、どうやらマジックミラーになってるみたいだよ』
語尾でいちいち念を押すような、くっきりはっきりした発声だ。幼い日に視たNHK教育のある種の児童番組を、漠然と男は連想した。
『ええっ、マジックミラー? お下劣なおじさん達が覗きに利用するっていう、あのマジックミラーですって?』
『あっ、これは何? うわあ、これはびっくり。マジックミラーの裏に、ビデオカメラが仕込んであるよ』
『うっそー、やだ、さいてー、信じらんなーい』
それはもう会話ではなく、”聞き手”を挑発するための悪意まみれの演技だった。それは頭の隅で意識できている。がそれ以上に、あっさり鉄壁の秘密が看破されて、ただ半口開け続けることしかできない。
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