第7話 幼女になった意味を教える大怪盗

「あのクソ怪盗がぁぁぁッ!」



 苛立ちが収まらないまま家に帰ったゲヴェイアは、自室に入るや否や傍にあった花瓶を壁に投げつけた。破片と水が血しぶきのように広がり、生けられていた花は張り付くように床へ放り出される。



 「クソッ! クソッ! クソッ! クソッ!」



 ゲヴェイアは床に投げ出された花を何度も踏みつけるが、それでも苛立ちは収まらない。物に八つ当たりした程度では、この侮辱(幼女化)は全くスッキリしなかった。



 「絶対に捕まえてやる! あのクソ怪盗は私が必ず逮捕するッ! 殺してやるッ!」



 ゲヴェイアはあの後も大変だった。あの場にいた面々はゲヴェイアが幼女になったのを目の当たりにしたが、大半の人間はゲヴェイアの変化など知らない。玉座の間から出てきた幼女を見て不審がる者達がいたり、ゲヴェイア・ダンデライ・シュトラルガと言っても中々信じない者もいて大変だった。


 その他にも勝手に城内に入った迷子と思われたり、頭を撫でられたり、高い高いされたり、「げへへ、お菓子をあげるからおじさんについてきて」と言われたり、やたら髪やら頭やら頬やらを触られたりと、昨日までならあり得ない兵士や貴族達の態度を何度も味わってしまった。本当に散々な一日だった。



 「ぐうううううううううう」



 だが、ゲヴェイアの受難は終わらない。この幼女姿は明日になっても明後日になっても続くのだ。


 おそらく、死ぬまで永遠に。



 「あああああああああああああッ!」



 ゲヴェイアはレイダークを八つ裂きにしたい気持ちが収まらない。あの怪盗が何処かであざ笑っているかと思うと、自我が狂いそうなくらい苦しくなるのだ。


 いくら花瓶を割ろうと叫ぼうと気は晴れない。わかっている。それらの行為に意味はないとわかっている。でもやってしまう。この苦しみはレイダークを殺さなければ永遠に続くだろう。



 「はあっはあっはあっはあっ……い、いかん……とにかく落ち着かなければ」



 ゲヴェイアは何度も深呼吸して落ち着きを取り戻す。



 「血が上った頭のままでは捕まるモノも捕まらん」



 さっきまでとはうって変わった足取りで机に向かい、備え付けの椅子に座る。今のゲヴェイアにとって椅子がやたら高い位置にあるのだが、意地でも高さはいじらない。どうでもいいし拘る所でもないが、幼女になったゲヴェイアのせめてもの抵抗だった。



 「ふう……とりあえず今日までに処理しなければならんモノが……」



 ゲヴェイアが机に置いてある書類(仕事)に手をつけようとした時だった。


 目の前に湯気を立てるマグカップが目に入った。



 「……………………」



 湯気を立てているのは、マグカップに入っているミルクだ。程良い感じで、子供が飲んでも火傷しない程度に暖められている。


 つまり、コレが誰の為に用意されたのか一目瞭然だ。



 「おいッ!」



 ゲヴェイアが叫ぶとすぐに扉が開いた。



 「はいッ! なんでしょうかご主人様ッ!」



 現れたのは大声で返事をするニコニコした給仕(女性)だった。外見からして若く、給仕服が新品だ。このシュトラルガ邸で仕事を始めて日が浅いと解る恰好だった。



 「お前新人か」



 「はいっ! 三十分前から働かせていただいております!」



 「そうか。まさに今からアルバイトというワケだ」



 「いえいえ! 不肖、このアルマイミ! アルバイトと言わず、死ぬまでゲヴェイア様に仕えていきたいと思っております!」



 「何故だ?」



 「そりゃアレです! 王都はずっと物騒で働き先も少ないですからね! おっ母と四人の妹と五人の弟を食わせるにはシュトラルガ邸の給金が必要なんです! いやー、よかった! 倍率百倍で合格するとは思わなかった! これで我が家は安泰です!」



 「そうかそうかよかったな。で、このミルクはお前が用意したのか?」



 ゲヴェイアはマグカップを睨み付ける。



 「はいっ! 私、初めてゲヴェイア様見ましたけど、まさかこんな可愛い方とは思いませんで!」



 「――可愛い?」



 ピクリとゲヴェイアの眉が動く。



 「ゲヴェイア様ってば、荒野といいますか雪原っていいますかバルキザブ大監獄周囲っていいますか、そんな所に咲く一輪の花みたいに際立って可愛いです! しかも小さい娘さん! 幼女! これは是が非でも暖かいミルクを用意しなきゃと思い、そこの机に置いておきました!」



 アルマイミは身体を震わせているゲヴェイアに気づかず、真っ直ぐにマグカップを指さした。



 「なるほどなるほど。そういうワケだったのか。よーくわかった。なぜこんな所にホットミルクが用意されているのかよーーーーーーーくわかった」



 ゲヴェイアはアルマイミを見て、親指で首を横一線に引っ掻く真似をした。



 「死刑(八つ裂きだ)」



 その時ゲヴェイア自室のドアが勢いよく開いた。黒服を着た恰幅のいい二人の男達が現れ、無言でアルマイミを引きずって連れ出す。



 「な、なんですかぁぁぁぁぁぁぁ!? これは一体なんでしょうかぁぁぁぁぁ!? あ、配置転換ですね!? つまり可愛いゲヴェイア様はミルクを用意した私に出世の道を用意してくれたんですねぇぇぇぇぇッ!? やったぁぁぁぁ! これでおっ母と四人の妹と五人の弟に豪邸を建ててあげられますぅぅぅぅぅぅ!」



 バタン。


 扉が閉まり、途端に静かになる。



 「あんなクソバカを雇った採用者も重罰だッ!」



 ゲヴェイアはマグカップを手に取り、窓の方へと歩いて行った。中のミルクを投げ捨てようと、マグカップを握った手を窓の外に出す。



 「………………」



 後は手を半回転させれば庭の土がミルクを吸う。それで終わりだ。空になったマグカップは別の給仕を呼んで片付けさせればいい――――のだが。



 「……うううう」



 今、ゲヴェイアはおかしな行動をしていた。



 「な、なぜ……」



 別の給仕を呼ぶというなら、庭にミルクを捨てる必要が無いのだ。最初からマグカップごと片付けてもらえば、それでいいのである。


 なのに、ゲヴェイアはマグカップを持って庭にミルクを捨てようとしている。



 「ど、どうしてっ……」



 必要のない行動だ。だというのに、こんな行動をしているのは――つまり、ゲヴェイアはこのミルクに興味があるのだ。


 だからマグカップを手に持っている。


 だからミルクを庭に撒けず固まっているのだ。



 「何故捨てられないッ!? いや、それよりもッ!?」



 異常だった。ゲヴァイアはホットミルクに興味も愛着も無い。飲むなら砂糖も何も入ってないブラックコーヒーだし、そもそも普段飲んでいるのは度数の高いウィスキーだ。ミルクなど子供の飲み物とバカにしている。



 「ば、バカなッ! まさかそんな事がッ!?」



 そう、ミルクは子供の飲み物だ。



 「バカなバカなバカなバカなバカなバカなぁッ!?」



 今のゲヴェイアは幼女になっている。


 ミルクが大好きな子供になっているのだ。



 「ぐぐぐぐぐ……く、くそッ!」



 レイダークは「お前の身体と心の時間」を奪ったと言っていた。


 それはつまりゲヴァイアの姿だけでなく、好みといったモノまで幼女化させてしまったのだ。


 事実、今のゲヴェイアはこの適度に暖められたミルクを飲みたくて飲みたくてたまらない。



 「くそぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」



 誘惑に逆らえず、ゲヴェイアはマグカップに口元に持ってくる。そして、即座に口をつけると、涙を流しながらホットミルクを一気飲みした。



 「おいしい~」



 ホットミルクの味が口いっぱいに広がり、飲みこむとホッとする喉越しにクラクラしそうになる。砂漠の遭難者が水を欲するように飲むのを止められない。思考はミルクでいっぱいになり、ミルクしか考えられない。ミルクへの渇望が収まらず、飲み終えてもマグカップを舐めてしまう程だった。



 「はぁ~、ミルクとってもおいしいの~」



 そう呟く姿は、完全に見た目通りの幼女だった。悪魔的なミルクの味に溺れており、自分が何者なのか完全に忘れている顔だった。



  「ふええ~ もっともっとのみたいよ~ ミルクちょうだい~! あったかいミルクのみたいの~!」



 ミルクを飲み干してしまい、空になったマグカップを見ると、途端に心が寂しくなった。溢れる涙を抑えられず、ただただ美味しいミルクを求めるよう泣き叫んだ。



 「ミルク~ ふええ~ ミルクのみたいよ~ ええーん! ええーん!」



 外見も中身も全くゲヴェイアの面影が消えてしまっている。泣く姿は完全に見た目通りの幼女であり、ここにいるのはレイダークのオモチャにされてしまった哀れな秩序警(イールミリ)の警正総統だった。 



 「ミルクのみたいよ~ ふええ~ っがああ違うッ! 私が好きなのは酒だッ! 大男が一発で潰れるような酒をかっくらうのが最高――ミルクおしかったよぉ~ のみたいよぉ~ ふええ~ 違あああああああああうッ! 私はそんなモノ飲みたくな――ミルク~~~ふええ~」



 強固な意志でどうにか抗ってみるも幼女の自分を抑えられはしない。


 受け入れるしかないと本能は悟っているが、それを安易に認められるゲヴェイアではなく、この悪戦苦闘が朝まで続くのは仕方の無い事だった。

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