6stake ひとつの決着

「まずはベルさん、これを」


 いつも通り『close』の札が掛けられた、木村さんが経営するバーに着き、店内に入るや否や花守くんが僕に近寄り、そう言いながら封筒を手渡してきた。


「これはなんすか?」


「まぁいいから開けて受け取ってください」


 とりあえず僕は言われた通りにする。


「……え?」


 中に入っていたのは、現金五万円だった。


「花守くん、これは?」


「ベルさんの今日の損失の半額です。遠慮なく受け取ってください」


「ぇ、え? ええ!?」


 彼のその言葉に僕は目を丸くした。


「ベルさん、シーカーで失敗しましたよね。これはその失敗分の半額です」


「そ、そんな。受け取れないっすよ。それに、その、花守くん知ってたんですか……」


「誰もが通る道です。技を覚えれば使ってみたくなる。たまたまベルさんを見かけたのであとを追いかけたらバカラ屋に入って行ったので、すぐ察しました」


「約束破ってすみません……」


「いや、いいんです。ベルさんの代わりに佐藤さんが勝ってくれましたからね」


「佐藤……ってまさか」


「そうです。ボクが頼んだんです。ベルさんの反対にベットしたおじさんです。あの人、ボクの知り合いなんですよ。まだ未完成のシーカーなので、念のためお願いしておいてよかった」


 詳しく聞いたところ、もし僕のシーカーが当たっていれば、外れた分を花守くんが、その佐藤さんという方にまるごと補填する予定だったらしい。


「……すみません。もうやらないっす」


「いや、謝らんといてくださいベルさん。こういう経験も大切ですし、なによりボクの為に頑張ろうとしてくれてたんですから」


 その花守くんの言葉に少しだけ胸が痛んだ。


「さ、失敗は忘れずに糧にして、シーカーの練習しましょうか」


 全く、花守くんには頭があがらない。


「……頑張ります!」




        ●○●○●




 それから十日余りの日が過ぎた。


 暇さえあればカードを弄り、厚みを手触りの感覚だけで何枚あるかを把握出来る訓練を毎日毎日、ひたすらに重ねた。


 まさに修行だ。


 そして僕のシーカーは、花守くんの指導と過去にマジックの練習をしていた経験も活きたおかげで、花守くんの想像よりも遥かに早いスピードでめきめきと上達した。


「……やはりベルさんは凄い。麻雀をやっていたから器用なんでしょうけど、その集中力は狂気すら覚えますね……。ボクがシーカーをこのレベルで扱えるようになるまで、二ヶ月近く掛かったって言うのに……」


 その言葉を素直に僕は受け止めた。ついに認めてもらえたのだ。


 あとはこのチカラを花守くんに返すだけだ。


 あの厄介な女の目を欺く為に。


「うん……これなら……。今日からまた、バカラ屋に行ってみましょうか」


「もういいんすか?」


「今のベルさんの実力なら、ボクと遜色ないレベルです。そろそろ実践していきましょう」




        ●○●○●




 夜。


 数日ぶりのバカラ屋は、僕にとても懐かしい雰囲気を感じさせつつ、同時にこれから戦うバカラに対して、武者振るいすらしていた。


 あと、僕に足りないのは実践経験だ。


 それを今日から花守くんと共に養っていく。


「……いますね、やはり」


 花守くんが顔を動かさず、視線だけで周囲を見るようにして呟いた。


「静留って女っすか?」


「いや、その取り巻きでしょう。見たことのない人間が数人、大した金額も賭けずにバカラやブラックジャックをやっている人らがいます」


 さすがは花守くんだ。


 シーカーズベットで鍛えているだけあって、洞察力は相変わらず優れている。


「やはりこれではボクは下手に動けませんね」


 危惧していた通りだった。


 だからこそ、僕がやらねばならない。


「さて、ではボクはサブシーカーをやりますね」


 そう言うと、花守くんはバカラテーブルで僕の席の隣に着いた。


 シーカーを行うには、着席する席の場所も重要だ。基本的には端の席がやりやすい。


 花守くんが言っている『サブシーカー』とは、補佐するように隣で一緒にシーカーをしてくれるものだ。サブシーカーの席はメインシーカーの席よりも、かなりカードを見抜きづらい。だからあくまで補佐なのだ。


「今はちょうどデッキの半分くらいのようですね。のんびりと賭けつつ準備しましょうか」


 小声で花守くんが僕にそう言った。


 シーカーの自信は以前よりもハッキリあるが、それでもやはりお金を賭ける本番は緊張が伴う。次第に唇が乾いてきているのがわかる。


「さて、お手並み拝見です」


 ゲームはいつものように、淡々と進む。


 僕にとったらこれはある意味卒業試験とも言える。


 静留の取り巻きを欺いて、そして花守くんにいいところを見せなくては――。




        ●○●○●




 今日はおよそ五シューターほどバカラをプレイした。


 結果から言うと、四回に渡るシーカー、その全てに僕は成功した。


 ただしオールインで賭けたのは二回目の時だけだ。何度もやっては僕たちのルール違反になる。なので、あとのシーカーをやったところは少しだけベット単位を上げただけにした。


「……素晴らしかったです、ベルさん!」


 バカラ屋を出て、居酒屋で花守くんが喜んでくれていた。


「ボクがそのレベルまで育つまで、本当に二ヶ月以上掛かりました。それをわずか二週間足らずでこなしてしまうなんて、やはりベルさんは秀才です!」


「そ、そんなことはないっすわ。花守くんの指導がめちゃめちゃ良かったんすよ!」


 僕たちは笑い合い、そしてお互いを讃え合いながらお酒とコーラで乾杯をした。


「この調子でしばらくはベルさんがメインシーカーとして、活動していきましょう。それと、ボクは時折り、ベルさんのオールインの真逆に賭けます」


「うんうん、わかるっすわ。やつらに花守くんはダメなやつ、って思わせるためっすよね?」


「その通りです。なので、その時のお金は、お願いしますね?」


「もちろんっすよ! 前にも花守くんにはめちゃくちゃお世話になってるんすから、きっちり補填しますわ!」


「ベルさん、ありがとう。ボクは嬉しいです。ベルさんみたいな友達が出来て……」


「な、何言ってんすか! そんな感動エンディングみたいなセリフは、静留とかいうクソねーちゃんを騙し切ってからにしましょう!」


 そうなのだ、まだ何も始まっていない。


 静留らは、花守くんに対してどんなアプローチを仕掛けてくるのか、全く予想もつかないのだから。


 願わくば、花守くんのことを単純に諦めて、バカラ屋からいなくなってくれれば良いのだが……。


「あ、そういえばキドケンさんってどうしたんですか? 僕がシーカーの勉強始めて、バカラ屋に行かなくなってから連絡してませんが……」


「それなら大丈夫です。ボクが用があるからしばらく行けないと伝えておいたので。でも明日あたりからまた呼び戻しましょうか。仲間はずれみたいになってしまってはかわいそうですし」


 つまり明日は三人で、僕がメインシーカーなわけか。責任重大だな、と思いつつ僕は頷いた。


「さて……あとは彼女がどう動くか、ですね」


 このまま何事もなく、フェードアウトしてくれるとは到底思えない。


 それにしてもあの水上静留という女は何故、これほどまでに花守くんに粘着してくるのだろうか。


「花守くん。ずっとシーカーのことばっかりだったんで、彼女のこと、少し教えてもろてええですか?」


「……水上さんのご両親は大手旅館の経営者なんです。そして一族には政界の大御所にも顔が効く人間もいます。そのせいかはわかりませんが、とにかく彼女は傲慢で、我が儘なんです」


 彼女の身なりの良さや、態度の大きさからは容易に想像のつく背景だ。


「まあそんな雰囲気はあったすね」


「彼女とは大学時代のテニサーで知り合いました。それから話が盛り上がり付き合うことになりましたが、彼女は異様なほどに金使いが荒かったんです」


「そういや、なんかええもん、着てましたなあ」


「そのうち、大金がガッツリ稼げる方法を教える、と言われそしてバカラを教えられました。そこからがボクの人生の失敗の始まりでした――」


 水上静留からバカラを教わった花守くんは、はじめのうちは運よく勝ったり、負けたりしていた。


 そのうち静留も花守くんの金でバカラを一緒にやり始める。


 大きく勝った時は、静留にアレコレとねだられ、買わされるが、負けたら知らんぷり、を繰り返され気づけば花守くんの借金が膨らんだ。


 花守くんがいよいよお金が苦しくなってきたことを告げ、これまでのようにバカラ屋に行くのはやめようと言ったら、静留は花守くんを切ったのだ。


 良い金づるがいなくなってからは、その八つ当たりのように大学では馬鹿にされ、蔑まれ、そしてとどめにギャンブル場に立ち入っていたことを教員にチクられて退学となった。


 どちらにせよ、借金をなんとかしなければならなかった花守くんは、そのままフリーターとなってバイトで生活していたのだが、その折に木村さんと出会い、シーカーを覚え、借金を完済したそうだ。


「……うん、クソっすわ! 話聞いてるだけでぶち殺したいっすわ!」


「はは。いや、ボクも借金までして彼女と一緒にバカラをやっていたから悪いんです。まあ、ある意味おかげで今はこうしてバカラで稼げているのでヨシとしてます」


「でもなるほど、そんな花守くんにヤツはまた目をつけてきたってわけすね。ヘビみたいに鬱陶しいやっちゃな」


「……まぁそうですね。そんなわけでベルさん、頑張ってなんとかボクをダメな花守ゆずる、というレッテルを貼ってください」


「わかったっす! 花守くんはめっちゃくちゃ、バカラへったくそなキャラにしていくっすよ! たまに煽りますが、演技なんで!」


「はは、よろしくお願いします」


 世の中には、人の生き血だけを啜って生きるようなヒルみたいなクズやろうが腐るほどいる。


 僕はそういう奴らに一泡吐かせたい、という思いがますます強くなって、もはやお金を稼ぐというより、水上静留を倒す、という少し方向性の違う目標で頑張ろうと思った。


「あ、ちなみにキドケンさんには、ある程度事情を話しておきます」


「そうっすね。キドケンさんはこのこと知らんですし、いつもみたいに花守くんに乗っかってましたから、もし僕と花守くんのベットが割れたら、僕の方に乗ってくれって言っといた方がいいすもんね」


「はい。それを繰り返していけば、水上さんの取り巻きも次第にボクへの興味がなくなるでしょう」


 早く厄介ごとを片付けて、のんびりシーカーしつつ花守くんと気兼ねなく遊びまわるためにも、僕は僕のシーカーに磨きを掛け続けねば、と気合を入れるのだった。




        ●○●○●




 さらに数日が過ぎた。


 キドケンさんとも一緒に、また三人でバカラをやるようになり、その際は事前に話していた通り、僕と花守くんが割れた時、しっかり僕に乗ってもらっていた。


「ベルさんも花守さんの技、使えるようになったんですね」


 と、キドケンさんはストレートに聞いてきたので、花守くんに相談したところ、そこは隠さずにある程度話すことに決めた。


 ただし、この技術の難しさ、広めてはいけないこと、諸費用に百万円支払うこと(実際は僕は対価に麻雀を教えるだけになっているが)を話すと、キドケンさんはシーカーを教わるつもりはないと言っていたので、これまで通り、ただ乗っかるだけのツレとなった。


 しかし、水上静留の件にはキドケンさんもそれなりに憤怒しており、僕らに協力してくれる運びとなっていた。


 ――そんなとある日。


「さすがベルさん! 相変わらず強いですね! ごっそさんっす!」


 バカラ屋にて。同テーブルで騒ぐキドケンさんと、


「うーん、今回の罫線ならボクはバンカーだと思ったのになぁ」


 と、白々しくホラを吹いて大きく負ける花守くんの三人で今宵もバカラを嗜んでいた。


 これは全て水上静留を誤魔化すためのエンターテイメントだ。わざと大袈裟に祭り上げて、花守くんに『ダメなやつと』いうレッテルを貼らなければいけないからだ。


 そんな中、今日も水上静留の仲間と思われる客の他、前々からよく見かける男が同テーブルにいた。


 その男は体躯が良く、何故かおでこにいつも冷えピタを貼っていて、一目でガテン系の仕事をしているんだな、というような風貌をしていた。


 見ている感じでは小細工など一切ない、ただの平打ちなのだが、それにしても賭ける金額が派手なのだ。


 大きく張っては大勝ち大負けを繰り返し、そのたびに一喜一憂して、結果、相当に負け込んで帰る、というお店にとったら非常にありがたい、いわゆるクジラ、と呼ばれる上客であった。


 この日も僕は、またいるなぁ、ぐらいにしか思わなかったのだが、何故か珍しく花守くんから彼に声を掛けたのだ。


「こんばんは。今夜はどうですか?」


「いやぁ、全然ダメっすわ。おたくさんはどうですか?」


「ボクも今日はイマイチで」


「はは。さっきも大張り、外しとりましたもんねぇ」


 そんな会話で、花守くんとガタイの良い上客は意気投合し始めていた。


 ガタイの良い常連は、名をユウシ、と言った。


 ユウシはとても気さくな人間で、僕やキドケンさんともすぐに打ち解けていった。


 花守くんに後日、なぜ急にこのユウシという男と接触したのか尋ねてみたところ、二つ理由があったそうだ。


 まず第一に常連のクジラとは出来る限り良好な関係を築いておきたいこと。


 そして次にこの男が水上静留の関係者かどうかを探ることだった。


 話の端から探ってみたが、水上静留とは全く関係性もなさそうなので、こういうクジラとは仲良くしておけば店側からも僕らのことを邪険にできなくなる。


 もしも店内で水上静留の仲間らしき人間らと揉めた時のための、ひとつの保険のようなものだと花守くんは言った。


 どちらにしても、そんな損得勘定は抜きにしてユウシという男はとても良い奴だ。


 次第に僕、花守くん、キドケンさん、ユウシの四人でつるむ機会が増え、四人で飲み屋やクラブで遊び回るようになった。


「いやぁ! ベルさんはほんま面白いわ! 俺、腹痛いわ!」


「ユウシこそ、あの顔芸はやばいって! 僕もあんなに笑ったのは初めてやわ!」


 声を最初に掛けたのは花守くんだったが、僕らの仲間内の中で、僕は正直、このユウシとの会話が一番盛り上がった。いわゆる、馬が合う、というやつだと思う。とにかくユウシとは暇さえあれば、ずっとくだらない話で笑い合っていた。


 もちろん夜はバカラ屋で、水上静留の仲間らしき者らを欺くために、僕はきっちりシーカーを仕上げ続けている。


「……にしても、ほんまにベルさんのバカラの強さは半端ないわな。俺、こんなに強い人初めて見ましたわ」


 とある日、不意にユウシが僕にそう言ってきた。


 ユウシには水上静留の件は全く話していない。


 そのユウシが、同じテーブルでバカラをしていた時に、そう言ってきたのだ。


 そこで僕はユウシに尋ねた。


「なぁ、ユウシ。ひとつ聞きたいんやけど、花守くんはどう見える?」


「んー、普通やないかな? でもここ一番って時にはよく外してるみたいで、正直かわいそやわ……ってそれは俺もやけど」


 と言ってユウシは豪快に笑った。


 しかしなるほど、これなら良いぞ。


 事情を知らない人間の素直な感想を聞けて、僕らの計画通りにことは進んでいると言えた。


 そして今日も最後のシーカー。


 この日はキドケンさんはおらず、僕と花守くんとユウシの三人でバカラを打っていた。


 シーカーズベットでいざオールインをするところが訪れる。


 僕と花守くんはいつものようにワザと割れて賭ける。


「……今日もベルさんに乗っとくっすわ」

 

 そしてその結果、僕とユウシは大勝ちし、花守くんは惨敗する形となって終わった。


「いやぁ、やっぱベルさんはさすがやわ。花守くんもいい加減逆らわんと、素直にベルさんに乗っかったらええですのに」


「……ははは」


 事情の知らないユウシは悪気なくそう言い、花守くんは愛想笑いをしていた。


 しかしこの雰囲気も、見張りをカムフラージュするにはうってつけの状況になっていってると僕らは思った。


「あ、せや! 俺、今日ちょっと用事あるんで先帰るわ。おふたりさん、また次んとき飲み行きましょう! ほんなら!」


 ユウシは足速にバカラ屋から出て帰っていき、僕と花守くんは二人、バカラ屋の外で今日はどこに遊びに行こうかと話していた。


 問題はこの直後に起きた――。




        ●○●○●




「なぁ兄ちゃん、ちょっとツラ貸せや」


 僕と花守くんがバカラ屋を出て、夜の繁華街の少し人通りの少ない路地に差し掛かった時、不意に目の前で見知らぬチンピラ風の男が立ち塞がった。


「な、なんやねん、お前? 僕らになんか用があるんか?」


「ああ、お前らに用がある。俺やなくて、こちらの方がな」


 その男の背後から、線の細い女が近寄ってくる。


「……久しぶりやね、ゆずる」


「水上さん、ですか……」


 突如、深夜。


 ついに僕らの前に直接現れた水上静留。


 痺れを切らしたのだろうか。


「ボクに何か用ですか?」


 その花守くんの問い掛けをまるで嘲笑うように無視し、水上静留は僕の方へと視線を向けてくる。


「ゆずるになんて興味ないねん。私が今、興味があるのはあなたよ、ベルさん」


「なんやと……?」


 僕はすっとぼけるように答えるが、内心、これは上手くいったのではないか、と思った。


「ベルさん、私と付き合わへん?」


「は、はぁ? なんだお前、どういうつもりやねん?」


 少し、予想外の言葉を突きつけられ、思わず僕は狼狽する。


「あなたのこと、あれからずっと見てたの。あなたは凄いわ! ギャンブラーの中のギャンブラーよ。それにイケメンだし、頭も良い。私、馬鹿は嫌いなのよね」


「……お前、面白いこと言うなあ? なんで僕がお前なんかと付き合わなくちゃならんねん」


「私、見た目はそれなりに可愛いつもりやけど? それに、あなたは知らないかもしれへんけど、私はこの辺じゃそれなりに有名人なんよ。私の言うことに逆らうなんて愚行、あなたの首を絞めるだけやで?」


 それについては少し話に聞き及んでいる。


 確かにこの女は、この近辺の資産家の娘らしい。色々なコネを武器に我儘し放題だというのも聞いている。


「……僕が断る、って言うたらどうすんねん?」


「さぁ? 明日から色んな意味で満足にお金が稼げなくなるかもしれへんね?」


 静留がそう言うと、チンピラ風の取り巻き男の二人が、首や腕をコキコキと鳴らし始めた。


 なるほど、暴力と権力で訴えてくるつもりか。


 しかしこれは困ったぞ。まさか花守くんから僕の方にターゲットが変わっていたとは。


「やめてください、水上さん。ベルさんは関係ないでしょう?」


 そこに花守くんが割って入る。


「あんたこそ関係ないやろ? ゆずるはどきなさい。それともなんや? また私の邪魔する気? あんたって本当に邪魔なんよね。だいたい今もベルさんの金魚のフンみたいな感じやし。ダサいねん」


 水上静留は小馬鹿にするように、花守くんを嘲笑った。


「お前、いい加減にしとけや! 花守くんはなぁ!」


「待てや! それ以上お嬢に近づくなら、俺らが相手やわ」


 僕は思わず水上静留に掴み掛かろうとするや否や、取り巻きのチンピラ風の男二人が前に出てきて、僕の腕を掴んだ。


「いったたた! な、なんやねん、この、離せや!」


 僕は可能な限り虚勢を張るが、正直喧嘩が強いわけでもない。


 このチンピラ風の男二人組には、どうやっても勝てる要素はない。


 このまま殴り合いになってしまうのか、という緊張感が高まった時。


「おう、待つのはてめーや、クソガキ」


 ドスの効いた声でそう言って、僕の腕を掴んでいるチンピラ風の男の腕を掴み、捻り上げたガタイの良い男が現れた。


「い、いでででッ! は、離せや!」


「ぁあ? 俺ぁまだ軽く掴んどっただけやぞ?」


 ガタイの良い男は、チンピラ風の男に言われる通り手を離してやる。


「ユウシ!!」


 僕と花守くんが同時に名を呼んだ。


「ちっす! なんかたまたま、そこの通りを歩いとったらベルさんらの声が聞こえた気がしたんや。そしたらなんや絡まれとったみたいで、思わずこのクソガキの手ぇ掴んじまったわ!」


 先に用があると言って帰ったハズのユウシがそこに居た。


「いやぁ、実はキャバのねーちゃんとデートの約束やったんすけど、すっぽかされてしもたんですわ! かっかっか!」


 ユウシはそう言って豪快に笑った。


「なんやあんたは!? カンケーないやつはすっこんどきや!」


「ぁあ? そりゃこっちのセリフやねん。てめぇこそ、どこのクソアマや? 俺のダチに悪さしとったら、例え女子供でも俺ぁ容赦せぇへんぞ?」


「アホやないの!? あんたたち、この脳筋馬鹿を黙らせてぇや!」


 水上静留はヒステリック気味に取り巻きの男たちにそう指示を出す。


 だがしかし。


「……や、やばいっすお嬢。コイツは……この男は……」


「なんや!? こんな脳筋野郎、多少力が強いからってあんたら二人居ればなんとかなるやろ!?」


「い、いや、お嬢、この人には手は出せないっす……こ、この人は……」


 ユウシがニヤリ、と笑う。


「ほぅ? 俺のこと知っとるみたいやな? じゃあわかるよな? 俺とやり合うんなら、戦争や言うこと」


「い、いえ、俺らはあなたとやり合う気は全然ない……です……」


 取り巻きのチンピラ風の男たちは、突然物腰を低くする。


「あ、あんたたち!? なんやの? コイツは一体なんやって言うんや!?」


「お、お嬢……この人は関西最大級の族、シャドウジャックズのヘッド、加山勇志かやまゆうしさんっす!!」


 ゾクのヘッド?


 そんな話は今、僕らも初めて聞いた。


「よう知っとんなお前? ほんなら俺とやり合う意味もようわかっとるよなぁ?」


「お、お嬢……」


 チンピラ風の男たちは困り果てた表情で水上静留を見る。


「……黙って聞いてりゃ、ただのガキが調子こきやがって。何が族のヘッドや。そんなんどないしたっちゅーねん! 私の方こそ誰だと思ってんのや? 水上家を知らないっちゅーなら、徹底的にやりあったってええんやで!?」


 ユウシの威嚇に対し、思いのほか怖じけずにそう言い返す水上静留の態度は、その言葉通り自分の権力に絶対の自信を持っているように感じられた。


「へぇ? お前さん、女のくせに案外度胸すわってんなぁ? 俺ぁええけどな? やるか、戦争?」


「上等や、ゾクやろうが。私を舐めたこと、吠え面かかしてやるわ!」


 まさに一触即発。


 今にもユウシは、この水上静留に殴りかかろうかという寸前であった。


 僕も花守くんも、固唾を飲んで見守る。


「はいはーい。そこまでにしよかー」


 そんな空気を壊すように、大通りの方から僕らの方に向かって声を掛けてきた人物がいた。


 僕らは一斉にそちらに振り向く。


「やーっぱりベルちゃんに花守ちゃんやったか、こんな夜中に何してんのや?」


 気さくな声で僕らの名を呼んだのは、いつも僕がお世話になっている、貸し駐車場のオーナーの柿沼さんだった。


「あれ? 柿沼さんなんでこんなところに?」


「なんや今日はええ娘がおらんから帰ろか思ったんよ。そしたら聞き覚えのある声がしてなあ」


 そんな僕らのやりとりを見ていた水上静留が、痺れを切らし会話に割り込む。


「おいコラおっさん! 私ら今話し合いしとる最中やねん、ちょい邪魔やからすっこんどきや!」


「おーおー、威勢のええネエちゃんやなあ」


 柿沼さんはケラケラと笑って水上静留の挑発を受け流していた。


「ま、不味いすよ、本格的に不味いっすお嬢。この方だけは……!」


 取り巻きの男の一人がそこまで言うと、水上静留にボソボソっと耳打ちした。


「俺もなあ、こんなちっさいことで色んなとこに話通すんは面倒なんや。水上のお父さんにはまだまだ頑張ってもらわなアカンしなあ。お嬢ちゃんもまだ路頭に迷いとうないやろ?」


 取り巻きの耳打ちを聞き、更には柿沼さんの言葉を聞いた水上静留は徐々にその顔を青ざめさせていく。


「……う、うそ。まさかあんたが……」


「うん? なんやお嬢ちゃん。俺がどうかしたんか? んん?」


「……ッ」


 水上静留は先程までとは打って変わって、その態度を変化させる。強気な口調で言葉を出さなくなった。


「……わ、わかりました。私の、その……勘違いみたいなもんやったの。あんたたちにはもう絡まへんから。ほ、ほんなら」


 そう言い残すと、まるで脱兎の如く水上静留と取り巻きの二人は逃げるように夜の闇へと消えていった。


 そんな様子を見て、僕、花守くん、ユウシの三人は拍子抜けされたと同時に、皆、笑い出した。


「……ぶ、はっはっは! なんやねん、あの女のマヌケづらは!」


 ユウシが豪快に笑う。


「ははは! ホンマやわ! 柿沼さん、ホンマにええタイミングで来てくれて助かりました。ありがとうございます!」


 僕がそう言うと、柿沼さんはニコっと笑い、


「ええんや、ベルちゃんらには散々世話になっとるんやしな。それにしても水上んとこのお嬢ちゃんはちょっと説教しとかなアカンな」


「柿沼さん、あの女のこと知っとるんですか?」


「おお。知っとるも何も、アイツの親父や親戚のタニマチはうちの組やからな。政治資金も手助けしてやってるんや、そら知っとるわ」


 まさかの繋がりがあったことに、正直僕は助けられたと思った。


 あのままユウシたちと揉めて大ごとになってしまえば、僕や花守くんがバカラで稼ぐこの生活に間違いなく支障をきたしていたはずだ。


「……ユウシ、柿沼さん、二人ともあざっした!」


 僕と花守くんは改めて二人に頭を下げてお礼をした。


 こうして花守くんの厄介な女問題は、柿沼さんとユウシのおかげで無事、円満に解決となった。


 その後も、水上静留が僕らに絡みに来るようなことは一切無くなり、僕らはようやくのんびりとバカラで稼ぐ生活が始められるのだった。


 そしてそれは。


 また別の始まりでもあった。




 ――そう、終わりの始まりが。

 

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