4stake プロの技巧『シーカーズ・ベット』

「じゃあベルさん、また明日」


「いつもありがとうっす! また明日ー!」


 朝の日の出が見え始めた明け方。


 僕と花守くんは遊びに遊んだのち、そう言って各々帰路に着く。


 バカラ屋付近にあるキャバクラ店から僕の住むアパートまでは、車でおよそ三十分くらいのところにある。帰る頃には、テレビから朝のニュースが流れている。


「車は駐車場に預けっぱなしでええか。酒も飲んどるし、またタクシーで帰ろ」


 僕は酔っ払いながら、そんなことをひとりごちた。


 夕方の五時くらいまではきちんと雀荘でオーナーの仕事をした後、店はバイトに任せ、僕ら通いつけの喫茶店『リノ』で花守くんと合流してバカラを打ちに行き、終わったら居酒屋とキャバクラで豪遊。そしてタクシーで帰宅し、昼くらいまでだらだら寝て過ごす。


 これが僕のここ最近のルーティーンになっていた。


「いやぁ、ほんまに花守くんサマサマやわ」


 思ったことが、ついつい言葉に出る。酒のチカラというやつだ。


 ――僕が花守くんとつるむようになって、すでに一ヶ月近くの時が経とうとしていた。


 あの夜。


 僕が初めてバカラを打った日。


 十万円のオールインでの大勝負をし、見事にプレイヤーのナチュラルナインで完封勝ちをしたその後。


 僕はストレートに彼へ尋ねてみた。


「花守くん。アレはプレイヤーが9になるってわかってたんすか?」


 その問いに彼は笑顔で、


「はい、わかってました」


 と、答えた。


 というかそうでなければ、納得できない。


「本当なら凄すぎっすよ! 一体どうやったんすか!?」


 僕が食い気味にまた尋ねると今度は打って変わって、


「……なんてね。嘘です。ただの勘ですよ、勘」


 と、はぐらかされてしまった。


 そんなわけがない。


 花守くんはアレがバカラにおける最強の数値、9になることがわかっていたのだ。そして彼はそれを見抜く技術を持っているのだ。


 そもそもそうでなければ雀荘にいる時点から、あんなに自信に満ち溢れた回答はしないはず。


 しかしその後は、幾度尋ねても種明かしはしてもらえなかった。


「……でも、毎回ボクが強く張るところに同じように賭けてくれていいですよ。必ず毎回勝つ、とまでは保証できませんが、勝率はかなりのもののはずですから」


 その代わりとして、彼からそんな提案を出され、僕としてはそれでも充分美味しい話だったので、ひとまずはそれで納得した。


 そんなわけで彼と一ヶ月近く共にバカラをして、色々わかってきたことがある。


 まず、彼が強く張るまでにある程度の準備がいること。そして、彼の狙い定めたポイントでも100%当たるわけではないということ。


 というのは、大張りの時、彼でも外すことがあるのだ。


 しかしそれは、どうやら彼の中ではわかっていることなのだろう。外れても「まぁしょうがないか」という表情をするだけだ。反面、僕は大慌てだ。なにせ大勝負の時はだいたい五万から十万は張る。失敗すればそれがパーなわけだから当然だ。


 だが、これがあるからこそ、彼はプロとしてバカラでしっかり稼ぎを出しているのに、出入り禁止にならない絶妙なシノギができるのだ。


 闇カジノも馬鹿ではないので、明らかに勝ちすぎてしまう客は当然出禁になる。


 しかし花守くんは大張りをしても、毎回必ず勝つわけではなく外すこともある。それが良いカムフラージュとなるわけだ。


 加えてどうやら一日に勝つ上限みたいなものも設定してあるようだ。


 初めて僕と一緒にバカラ屋へ行った時もふたりして十万近くずつプラスになったのち、少しプレイしてわざとお金を若干減らしてから店を出ていた。


 平均するとだいたい五万円程度のプラスで帰るようにしているのだな、と最近理解していた。


 トータルでは充分すぎるほどに稼げている、今のバランスがちょうど良いのだと彼は言う。これには僕も大賛成だ。


 彼の技術の正体までは明かしてくれないが、何かをやっていてそれで勝っている、という僕の推察まではなんとなく認めてくれている。


「ふぅ。しかし、実際何をやってるんやろなぁ」


 贅沢にタクシーを使い、自宅のアパートについた僕は、すぐに風呂を沸かし、湯船の中で毎回そんなことを呟いている。


 色々思案はするのだが、やはり何をやっているかまではよくわからなかったからだ。


「でも、楽して稼がせてもらえとるし、なんでもええか」


 毎日副収入として得るお金としては、充分すぎる。不労所得の極みとも言える。


 もちろん僕は僕で、彼にしっかり麻雀の指導もしているし持ちつ持たれつ、というわけだ。まぁ麻雀の指導料としては破格だが。


 しかし、こんな順風満帆な日々は、とある出会いで大きな波乱を呼ぶことになる……。




        ●○●○●




「お、花守さんやないですか! こんな時間に会うなんて珍しいですやん」


 土日の繁華街。スーツ姿や私服や着物姿などさまざまな人々が往来する人混みの中、偶然出会った男に、僕の隣で歩く彼、花守くんが唐突に声を掛けられていた。


「こんにちは。キドケンさんこそ、どうしたんですか? こんな真っ昼間から」


 キドケン、と呼ばれた彼は、金髪のロン毛に黄色いサングラス。派手な柄シャツの上にスーツを着こなし、更にピアスや派手なアクセサリーを身につけた、一見ホストのような風貌をしている。


「私はちぃっと女の子と野暮用ですわ。花守さん、バカラまだ頑張ってますかい?」


 どうやらこのホスト風の男は花守くんのことを、ある程度知っているようだ。


 お互いに敬語だが、年齢は僕や花守くんと大差はなさそうに見える。


「はい、やってますよ。最近は隣の彼とよく一緒に行っています」


 と、言いつつ、花守くんは僕を紹介する。


「お初です。私、キドケン言います。花守さんとはちょくちょく遊ばせてもろてます」


「あ、どもっす。僕はベル言います。よろしくっす」


 キドケンと名乗った彼は、会釈しながらそう言いつつ、握手を求めてきた。見た目とは裏腹に、思いのほか礼儀正しく僕に挨拶を交わしてきたことに正直驚かされつつも、僕は初対面の彼の印象に悪い気はしなかった。


「ベルさんもバカラ、やらはるんですかい?」


「あー、えっと」


 彼の問いになんと答えるべきか、チラリと花守くんを見やる。


「はい。ベルさんはなかなかの頭脳派ですよ」


 すると、代わりに花守くんがキドケンの問いに応えてくれた。


「い、いやぁ。花守くんにはまだまだ及びませんて」


 と、彼の言葉になんとなく適当に合わせておいた。


「じゃあやっぱりやらはるんですね! なら今晩は三人で行きません!? ここ最近バカラ離れとったんで、久々に勘を取り戻したいんすわ」


「そうでしたか。ええですよ、今晩は三人で行きましょう」


 突如、キドケンからの想定外な提案にどう答えるか迷った僕だったが、すぐに花守くんは二つ返事で許可を出していたので、僕も笑顔で頷き、合わせる。


 ほなまた喫茶店で! と彼は言いながら去っていった。


 どうやら彼も僕ら通いつけの喫茶店『リノ』のことをよく知っているようだ。


「彼はね、かなり綿密な脳内カウンターを持っているんです」


 キドケンと別れたのち、花守くんが右手の人差し指でこめかみあたりをトントン、とジェスチャーしつつ、彼のことについて少し話してくれた。


「カウンター……ってなんすか?」


「カウンティング技術です。バカラにおいて、もっとも正攻法で戦う技、と言えるかもしれないです」


 ――カウンティング技術。


 それはカジノのテーブルゲームにおける、とあるひとつの攻略法だ。


 本場のカジノでも同じだが、バカラやブラックジャックなどの定番ゲームは、トランプ束、8デッキ分を混ぜ込んで使用する。


 そして一度使ったカードはデッキに戻すのではなく、別の場所にサプライ(新しいデッキの山)を作る。


 そうしていくと、ゲームが進むごとにデッキは絞られ、カード残数は少なくなっていく。コレを数学的見地から利用することだ、と花守くんが教えてくれた。


「トランプの枚数は誰でも知っていますよね。52枚です。それが8デッキ分なので、ワンシューターは416枚となります。で、わかると思いますが、その中のおよそ三割が10のカードになりますよね?」


 バカラにおいてピクチャーと呼ばれるジャック、クイーン、キング。そして数字の10は、全て10として考えるから、当然だ。要は数字の1から9以外は全て10なので、ワンデックあたりおよそ30%は10となる。


「ベルさん、10というカードはどう思いますか?」


「最弱のカードじゃないすか?」


「その通りです。最弱です。では逆に強いカードはなんだと思いますか?」


「そりゃあ6から9やないすか?」


「そうですね。三枚目のドロー条件から見ても6から9は強い。でもカードの組み合わせによっては弱くなってしまうこともありますよね」


 それは当然だ。


 一枚目が9であっても二枚目が3とかなら、合計は2になってしまい、かなり弱くなる。


「ですが、この二枚目の数値が10なら、9はそのままナチュラルとして勝てる最強の組み合わせになりますよね」


「そうっすね」


「つまりデッキに残されたカード残量によっては、期待値が変動してるってことなんですよ。わかりますか?」


 ――花守くんの言いたいことは、こうだ。


 プレイヤーとバンカーに置かれたカードの一枚目(フェイスカード)が、仮に4と9とする。


 ここで二枚目のカードが何になるかで勝負は大きく変わる。のだが、現段階ですでに九が置かれたサイドは強い。なぜならデッキからは、およそ三割の確率で数字を変化させない10のカードが排出されやすいからだ。


 で、単純な考え方として、もしデッキ内部の残りカードが10やピクチャーのカードが大量に残っていると仮定する。


 するとこの二枚目のカードが10になっている可能性が、三割より大幅に上昇しているわけだ。


 つまり、ワンシューターの後半までに使われた10やピクチャーのカードの量を記憶しておけば、デッキに残り何枚の10やピクチャーのカードがあるかわかるので、優勢な方がわかりやすいということだ。


 しかし、これだけでは結局一枚目のカード次第となり、やはりゲームは完全に運次第のように思えるが、実は三枚目条件というものがあり、そこにカード残数からの勝率変化が密接してくる。


「僕、まだ三枚目条件よくわかってないんすよ」


「ちょっと複雑ですからね。まぁでもわからなくても全く問題はないですよ。それはディーラーの仕事なので」


 三枚目条件というのは、ナチュラルウィンを除き、バンカーとプレイヤーがどのような合計値になった時、三枚目を引かなければならない、というもの。


 しかしこれは少し複雑なので詳細は割愛するが、それはカジノ側がバカラのルールに則りプレイするので気にする必要はあまりない。


 それよりも上記を踏まえ、カウンティングをするうえでの簡単な見方として、ローカード(数字の1から4くらいまで)のデッキ残数が多いとプレイヤーが有利。ハイカード(数字の7から9)が多いとバンカー有利、と一般的には言われている。


「とにかく、そういった諸々を理解したうえで、必要なカードを頭で記憶し、今はバンカーとプレイヤーどちらが優勢なのかを判断するやり方がカウンティング技術です」


 頭の中で記憶しなければならない理由が、カジノの中でメモや記録を取る行為の禁止、というものがある。


 これはランドカジノ(海外にある本場のカジノのこと)でもほぼ共通事項だ。


 逆を返せば、カウンティングはそれほどに強いということでもある。


「そうなんすねぇ、凄え人やわ。じゃああの人もバカラで食ってるんすか?」


「いや、彼の本懐は確かパチンコ、パチスロです」


「パチンコ? パチプロなんすか?」


「専業らしいので、トータルではえらい稼いでるはずですよ。ボクもそこは詳しくわかりませんが」


 以前の僕ならば、パチンコなど負け組のくだらないギャンブルだと馬鹿にしていたが今は、安易にそうは思わない。


 どの世界にもやはり強者というのは存在するのだ。


「ま、なんにしてもキドケンさんが来てくれるなら心強いです。あ、ちなみにですが、『シーカーズベット』については彼には内緒でお願いします」


 花守くんが突然、妙なフレーズを口走る。


「……え? シー、カーズ?」


「はい。シーカーズベット。ボクがやっている技名です。もうベルさんには隠しておいても仕方ないかな、と思いまして」


 これまで頑なに技のことについては話さなかった花守くんが、ついに僕にそのことを打ち明け始めた。


「この一ヶ月、ベルさんも気付いていたと思いますがボクはとあることをやった結果、カードの条件を見据えて大張りをしてます。それはディーラーの隙を突いた技とも言えるものです。安易に教えることはできませんし、簡単な技術でもないですが、その技名をボクらは『シーカーズ・ベット』と呼んでいます」


 ついに花守くんの口から、明確に秘密を打ち明けてくれた。


 ディーラーの隙を突く、ということはやはりあのカットカードを混ぜるタイミングで何かをしているのだろうか。


「ベルさんにも、今はまだココまでしか言えません。ですが、そういう技を使って勝っているのが事実ということです」


「そうだったんすね。何かをやってる、というのは僕も勘づいてはいました」


「もちろん内緒ですよ。シーカーのことも、何かをやっていることも。ベルさんにしか話していないので」


「わかってるっすよ。しかしなんで僕に話してくれたんすか?」


 僕のその問いに、彼はうーん、と考え込む。


 言いにくいことなんだろうか。


「……もしかしたら、ベルさんにはいつか教えるかもしれないから、ですかね。普通の人には色んな条件的に言えないんですが、ベルさんなら話せそうなんです」


「どういう意味っすか?」


「口が硬そうって言うのもありますが、ベルさんはで戦う人のような気がしたので」


 久しぶりにその言葉を聞いた。


 僕の麻雀の師でもある美作みまさかさんの口癖だった『ギャンブルの外側』という言葉。


「花守くん、まさか美作さんを知ってるんすか!?」


 僕は思わず尋ねる。


「いえ……? 知りませんが……」


 本当に知らなそうな素振りだ。偶然の一致だろうか。


 ともあれ、美作さんにしろ花守くんにしろ、やはり彼らは運否天賦で戦っていないのは確かだ。


「とりあえずそんなわけで、もし今後、キドケンさんや他の方と一緒にバカラをやることになっても、絶対に他言無用でお願いしますね」


「わかったっす。いつか教えてください!」


 花守くんはニコっと笑い頷いてくれた。


 それにしてもシーカーズベット、か。


 名前だけで考えると、何かを探す、って感じだろうか。カードを探す……? もしかしてカードの傷、とか?


 などと、深読みしてみるも現時点では、やはり何もわからないのと同意義だ。わからないことを考えていても時間の無駄、か。


 そう思い、僕はひとまずシーカーズベットの詮索についてはやめた。




        ●○●○●




 その晩。


 約束通り、喫茶店『リノ』で、花守くんとキドケンさんと落ち合い、バカラ屋へ行き、三人でバカラをプレイした。


 今回も花守くんからの合図がくるまでは適当にプレイをしていたが、いつもより調子が良いのは、きっとキドケンさんのフォローアップがあったからだろう。


 と言っても彼も、当然自分の技を僕に話すようなことはしなかった。


 だが、彼が張り方を変えたらそちらが優勢なのだと花守くんから事前に聞いていたので、今回は花守くんからの指示が来るまでは、ほぼキドケンさんに乗る形でベットしていた。


「さすがっすねぇ。キドケンさん」


 僕は彼のこともまた、卓越した技術の持ち主と認め、率直に尊敬の意を評した。


「いやいや、たまたま今日はツイてるだけですわぁ」


 そんな僕の言葉に、キドケンさんは苦笑いして誤魔化していた。


 そしてゲームが進み、肝心の花守くんからのサインが訪れる。


 と言っても、もはや言葉や態度に出す必要もない。毎回、突然花守くんが大張りしてきたら、それが合図と同意義なのだ。


 今回は僕だけでなく、キドケンも黙ってそれに乗る。


 そして今晩も、安定の大勝利を収めた。


「ふぅ」


 僕たち三人は半分わかりきっているとはいえ、ホッと胸を撫で下ろす。


 花守くんのシーカーズベットの的中率は驚異的だ。しかしそれでもたまには外す。確率で言うと十回中一回から二回程度と言ったところか。当然長い目で見れば全然プラスなのだが、それでも負けた日は、ショックもでかい。なので、これを乗り越えた時、その日のひと仕事を終えたように安堵するのだ。(と言っても僕はただベットしているだけだが)


「いやぁ、さすがですわ。花守くんの読みは相変わらずエグいですねぇ。今日はごっそさんでした。そんじゃ、これから女んところ行かなアカンので、私はこれで!」


 バカラ屋を出たのち、すぐにキドケンさんがそう言ってお礼をしていた。


 キドケンさんも花守くんが何をしているかはわからないらしいが、とにかく強く張る時には、問答無用で乗る、というのは知っているとのことだった。


 こうしてみると僕だけ何もしておらず、なんだか申し訳ない気持ちになるのだが、そんな空気を察した花守くんは「ベルさんには麻雀のこと、たくさん教わってますから」と、キドケンさんにも説明してくれて、少し救われた気分だった。


「あ、そうや。私、明日からもまたちょくちょくバカラやりたいんすわ。だからまたリノから二人に混ぜてもろて、そこから一緒させてもろてもええですか?」


「ボクは構いませんよ」


「僕も平気っす。キドケンさんいると僕も心強いっすよ」


 そんなわけでキドケン、という新たな僕の仲間が増えたのだった。




        ●○●○●




 それから更に数週間の日々が流れた。


 僕、花守くん、キドケンさんの三人は、すっかり溜まり場となった喫茶店『リノ』で集まったのち、バカラ屋へ赴き、キドケンさんのカウンティングに合わせベットを決め、とどめに花守くんのシーカーズベットで大きく張って勝ち、三人で遊びまわってから朝帰りする。……というルーティーンが出来上がり始めていた。


 そんなある日のこと。


「よーう、ベルちゃん。今日もバカラかい?」


「ちっす、柿沼かきぬまさん。いつもタダで車停めさせてもろて、すんません。ほんま助かります」


「なーに、気にすんな。他ならぬ、花守ちゃんやベルちゃんのためやからな。駐車場ひとつ貸し切る程度、安いもんよ」


 いつも世話になっている駐車場のオーナーさんに声を掛けられた。


 僕は花守くんらと集まる喫茶店の近くにある、この貸し駐車場に自分の車を停めさせてもらっている。


 この駐車場は繁華街のど真ん中にある。規模は小さくても利用料金は当然高い。それをこの柿沼さん、という駐車場のオーナーに融通を効かせてもらい、毎回無料で借りさせてもらっている。


「駐車場代なんて野暮なことは言わんわ。代わりに今晩は俺も遊び行こ思てんねん。そんときゃよろしゅー頼むで」


 彼はそう言いつつ、ニヤリと笑いながら僕に肩にポンっと手を掛けた。


「もちろんっすよ。いつもの通り乗っかってくださいよ」


 僕もそれに親指をグッと立てて返す。


 彼、柿沼さんは表の顔はただの駐車場のオーナー兼管理人みたいな人だが、その裏の顔はとあるヤクザの組長の息子だ。裏の顔、と言ってもここいら一帯の界隈ではとても有名な話なので、もしそれを知らない人は他所の土地からここに来た、と言っているようなものだった。


 歳は三十後半くらいで、パッと見スーツにスラックス、そして手提げ鞄をいつも手に持つ至って普通のサラリーマン風。しかしそんな見た目とは裏腹に、彼の横柄な態度は有名だ。


 気に入ってる相手などには、今の僕同様にとても爽やか、かつ気さくな雰囲気で話しかけてくれるが、それが自分より立場が下の人間や、見知らぬ人間相手には恐ろしいほどに一変する。


 そんなわけで彼には敵も多い、と花守くんからよく聞かされていた。


「ほんなら、また夜になぁ」


 会話の流れの通り、この柿沼さんも僕らのバカラに乗って稼いでいる一人だ。当然柿沼さんもキドケンさん同様、シーカーズベットについては何も知らないが、花守くんが大張りする時は何かある、くらいは察している。


 元々は花守くんの知り合いだったのだが、僕が車をよく使うと花守くんに話した時に、柿沼さんを紹介された。


 シーカーズベットのことだけは秘密厳守とし、代わりにバカラで勝たせる話をしたら、柿沼さんはあっさりと駐車場を貸してくれるようになった、というわけだ。


 雀荘の管理を午後からはバイトの一人に任せ、柿沼さんの駐車場に愛車を停めて、喫茶店『リノ』へ向かい、そこで花守くんたちを待ちながらスパゲティなりサンドウィッチなりを食べて時間を潰す。


 というのが、ここ最近のルーティーン。


「ちょっとええかしら?」


 そのいつもの流れを崩したのは、聞き慣れない女性の一声だった。


「……?」


 車から数十メートルほど歩き、駐車場から出ようとしたところで僕は突如声を掛けられた。


「ん、僕ですか?」


「うん、あなたよ」


 鈴のように涼しげな声の中に、鋭い意志を含めた口調で、長い髪を右手でかきあげながら謎の女はそう言った。


「あなたよね、ベルって人」


「……なんの用っすか?」


 整った顔立ちに、蝶を模した髪留めで、その長く艶やかな茶色がかった髪を後ろでまとめ、やや派手目なメイクと、カラフルなマニキュア、そしてフリルのついたワンピースを着こなす彼女は、一言で言えば美人そのものだった。


「私ちょっと、あなたに聞きたいことがあるの」


「その前にあんたは誰なんすか?」


「私のことはあとで話すわ。花守ゆずる、知ってるわよね?」


 しかし得体の知れない薄暗さを陰に潜ませていることも、同時に感じさせる冷たい瞳。


 危なそうな女だと直感した僕は、深く関わるべきではないと思った。


「……いや、知らへん。それじゃ」


 会話を無理やり途切らせて、踵を返し、この場から立ち去ろうとした時。


「あらぁ、ええのぉ? あなたたちがいけない所に出入りしていること、サツにチクッてもええんよ?」


 その言葉を聞いて背後から聞いて、思わず僕は足を止めた。


「……お前、なんやねん。僕を脅しとんか?」


「違うわよぉ。ちょっとだけ聞きたいことがあるの」


 僕は敵意を剥き出しにした表情で、この女狐を睨みつけながら語尾を荒げる。


「花守ゆずる、知ってるわよね。彼についてちょっと教えて欲しいんやわ」


「……ああ!?」


「なんであんな奴と組んでるの? あんな能無しと」


 花守くんを能無し、だと?


「冴えない見た目。だっさい服のセンス。運動神経ゼロ。良いところなんて皆無やない?」


「……ッ!」


 このアマ、黙っといたら僕の相棒のことを言いたい放題言いやがって。


 口から飛び出しそうなそんな怒りの言葉たちを、かろうじて飲み込む。


 挑発に乗せられてはダメだ。


「で、さらにはギャンブル狂い。おまけにどんなギャンブルをやらせても才能ゼロで、負けまくり。まさに負け組の人生そのものやんな?」


「ふざけんな! 花守くんはそんな奴やないで! 彼の実力も知らんと偉そげなこと抜かすなや!」


 しまった、と思ったがすでに時遅し。


 謎の女狐はニヤリと笑いながら、


「……ホラァ、やっぱり知ってるんやないのぉ」


 と、呟きつつ僕に迫る。


 僕は花守くんに感謝してる。彼のおかげで新しく世界を知り、そしてお金も稼げている。それは彼が優れたプロバカラプレイヤーだからだ。


 そんな彼のことを侮辱するのは、どうしても我慢がならなかった。


「ね、ベルさん。教えてちょーだい。なんで花守と毎晩バカラ屋に行くの?」


「……っく」


 僕は二の句を飲んだ。


「……わかったわ。私のこと少しだけ話すわよ。私は花守の元カノで、名前は静留しずる。アイツはギャンブル狂いだし、いつも金欠で私に金の無心ばかりする、とんでもないクズやったから別れたの」


 そんな馬鹿な。あの花守くんがそんな愚行を犯すなんて信じられない。


「でも最近聞いた話じゃ、花守のやつ、凄い金回りがええらしいやない? せやからね、私は彼にお金を返してもらいたいねん」


「……ほんなら直接そう言うたらええやろ!」


「直接言ってもお金がないって言われたらそれまででしょ? せやからベルさんに聞いたのよ。もし金回りが良くなってるならお金を返してもらえそうでしょ?」


 どうにもこの静留という女の言うことは胡散臭すぎる。全てを信じるわけにはいかないが、下手に反感を買って、警察に通報されるのも厄介だ。


「困ってるわね。ま、ええわ。あなたの反応でなんとなくわかったし。ベルさん、ほなまたねー」


 僕が返答に困り果てていると、静留はそう言ってその場を去っていった。

 

「……なんやねん、あの女」


 呆気に取られながらも、内心余計なことを言ったかもしれないと焦燥感に駆られた僕は、急ぎ、花守くんに事の顛末を伝えるべく喫茶店に向かった。




        ●○●○●




「……水上みなかみさん、ですね」


 喫茶店に着いて、花守くんにこれまでの流れを話すと、彼はすぐに事情を察したのか、とても神妙な面持ちでそう呟いた。


「水上? あの嫌らしい女は水上静留みなかみしずる言うんすか?」


「はい。彼女の言う通り、ボクは彼女の元カレということになります。大学時代の話です」


 少しだけ残念だった。


 花守くんはとても知的だ。元とはいえ、その彼女があんな人を舐め腐ったような態度を取る女だったことが非常に嘆かわしかった。


「……花守くん、あんな女になんで金なんか借りたんすか!?」


「それは語弊、ですね。逆です。ボクが彼女にお金を貸すことはあっても、借りたことなんてただの一度もありません」


「ほんなら、あの女が言ってることはまるでデタラメやないっすか!」


「それが……全くそうでもないのが厄介なところです」


「どういうことっすか?」


「……彼女にお金を借りたことはないですが、食べ物をご馳走してもらったことは幾度かありました。別れる際に、それまで奢ったご飯代を利子つけて返せ、と言ってきたんです。と、いってもせいぜい総額三万円も奢られてはいなかったと思います」


「そんなはした金、さっさと返してしまえばええんやないですか?」


「三万円なら、ね……。彼女は三百万返せと言ってきたんですよ」


「はぁ!? なんすかそりゃあ?」


「利子と慰謝料込み、だそうです。無茶苦茶ですよね。今とは違い当時のボクにはそこまでのお金は持ち合わせていなかったし、払えないと一蹴しました」


「そうしたら……どうなったんすか?」


「始まりました。陰湿な嫌がらせです」


 花守くんが静留という女の要求を断った次の日から、大学内での彼への嫌がらせが始まった。


 静留の友人らしき集団でよってたかって言葉で責めたり、持ち物を盗まれたり、掲示板に嫌味を書かれたり、挙句は直接的な暴力に訴えてくる者もいたという。


 それがきっかけで花守くんは大学中退を余儀なくされてしまった。


 静留はこの付近に住む、とある資産家の娘だ。色々なコネもあり、大学側も静留の言うことには大々的に逆らわなかったらしい。


「まあボクも自業自得なところもあるんです」


「花守くん、そもそもなんであんな女と付き合ったんすか……?」


 彼は少し目を細めて、そう呟く。


「……その話はあとでおいおい話しますね。それより、ベルさんにひとつお願いがあります」


「……なんすか?」


 花守くんは、いつものようにまたニコっと笑顔に戻すと、ひと呼吸置き、




「シーカーズベット、覚えませんか?」




 と、唐突に僕へとそう告げたのだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る