3stake プロの真骨頂

 バカラ、という名のギャンブルがある。


 このギャンブルの古くは、十三世紀頃にその始まりが見られており、発祥はイタリア、はたまたフランスとも言われ、タロットカードの前身として生まれたカードゲームが進化し、さまざまな国に広まり、そして遊びやすいものとなった。


 何より特筆すべきなのは、バカラはゲームルールを理解していても、していなくても、実はさほど問題がないことだ。なぜなら実際にプレイする際は、バンカーかプレイヤーのどちらが勝つかを予想し、ただそこにお金を賭けるだけだからだ。


 一応ゲームの流れはこうだ。


 よくある普通の52枚組のトランプを八つ用意(当然ジョーカーは含まない)し、それらを混ぜ込んでひとかたまりのデッキにする。


 その中に一枚だけ、カットカードと呼ばれるトランプと同じ大きさくらいの、ゲームの終わりを示す為のカードを一枚混入させる。


 そしてそこからカードを取り出し、一枚ずつ交互にプレイヤーとバンカーと呼ばれる陣営場所へ置き、二枚ずつ、計四枚が配られたら、それぞれの陣営のカードの数字を合計し、数字の高さで競いあう。


 その合計値の下一桁の数値が9に近いほど強く、勝者となる。カードの合計が15なら、5と判定するわけだ。ちなみに絵札は別名ピクチャーとも呼ばれ、その全てを10として数える。つまりジャック、クイーン、キングは全て10ということだ。


 例えば、バンカー側に置かれたカードの二枚が、数字の6と7なら、その合計は3。そしてプレイヤー側に置かれたカードの二枚が、数字の2とキングなら、その合計は2。


 この段階だとバンカーの方が数字が高いが、プレイヤーとバンカーの数値次第では、バカラはお互いに三枚目のカードを引く権利が発生したりもする。


 この場合だとプレイヤーは三枚目のカードを引く。三枚目のカードが数字の5だった場合、プレイヤーの合計値は7となりバンカーを上回る。更に負けじとバンカー側も三枚目のカードを引くも、それが数字の1だった場合、バンカーの合計値4だ。


 それぞれの合計値は、プレイヤー下一桁が7、バンカー下一桁が4となり、結果プレイヤーの逆転勝利、となる。


 ここでプレイヤーに賭けていれば、チップが2倍になって返ってくるわけだ。


 そして、こうやってプレイに使用されたカードは、使用済みカード置き場に貯められる。つまり今回の例で使われた六枚のカードはデッキには戻されず、別の置き場に貯められていくのだ。そうすると、デッキはみるみる絞られていき、最終的にデッキからカットカードが出るまで使用されると、そこでひと区切りとなる。ここまでを『ワンシューター』と言う。


 ……と、道すがら花守くんが、簡単にバカラの歴史とルールを教えてくれた。


「ルールは実際にやりながら、見て覚える方がわかりやすいです。それにほとんどの所作はディーラーが行なうので、ボクたちはその結果、どちらが勝つのかをベットし、見守るだけですけどね」


 それなら詳しくルールを覚えずとも大丈夫そうか、と思う僕だったが、同時に不安感もあった。


 バカラのルールが彼の説明通りだとしたなら、一体どこに勝てる要素があると言うのだろうか。


「っと、もう着いちゃいましたね。ここです」


 バカラの説明を聞きつつ、深夜の繁華街を進んでいると、いつもよく見る薄暗い雑居ビルの一角にたどり着いていた。


 辺りを見回すと僕が普段からよく行く喫茶店が、ちょうど僕らの背中側にある。


「あれ、ここリノの目の前なんすね?」


 この『リノ』というお店はコーヒーのこだわり方が良いだけではなく、パスタやサンドウィッチもとても美味しく、更にボリュームもあってこの界隈では結構人気の喫茶店だ。


「おや、ベルさんもリノご存じだったんですね。ボクもここにはよく食べに来るんですよ」


 まさか花守くんもこの喫茶店を愛用していたとは知らなかった。もしかしたら今までも、店内では気づかずにすれ違っていたのかもしれないな。


 それよりも本当にまさか、なのはこの雑居ビルの方だ。


 喫茶店リノで食事をしながら、窓越しにこの雑居ビルを眺めることはよくあった。とは言っても、一階はテナント募集の張り紙がなされ、中はカーテンで見えなくなっている。


 そのビルの看板に、地下はラウンジ、二階は和食レストラン、三階は洒落たバー、四階は和風居酒屋、五階はサロン、みたいなことが書かれていた。


「さて、行きましょうか。このエレベーターです」


 雑居ビルの奥にあるエレベーターに乗るよう僕は促される。


「……ここにはバーの類いとレストランしかないみたいっすけど?」


「ですね。まぁカムフラージュですよ。答えはこの階です」


 と、言いながら、花守くんはエレベーターに乗り込むと三階行きのボタンを押した。


「三階は確か、モンテカルロって名前のバーっすよね」


「はい。ちょっとあからさまですよね。わかる人にはすぐわかってしまいます」


「……?」


 この時の僕には、その『モンテカルロ』の意味がいまいちわからなかった。しかし彼の言動や雰囲気で、ここが闇カジノの入り口なのだな、とは悟った。


 目的の三階に到着し、扉が開かれエレベーターから降りると、すぐそこにはまた扉があった。


 普通の家の玄関にあるようなドアと、その横の壁にはインターホンが取り付けられている。


 ひとつ気になったのは、ドアの右上の隅に取り付けられた、物々しさを感じさせる監視カメラの存在。一体アレはなんのためのものだろうか。


 花守くんは慣れた手つきでインターホンのチャイムボタンを押す。そして黙ってカメラの方を見上げた。


 僕も花守くんにならって、カメラの方を見やる。


 ……カチャン。


 と、ドアのオートロックが解錠された音が響いた。


「さあ、入りましょうベルさん」


「あ、はい……」


 僕は冷静さを装ったが、内心では心臓が飛び出しそうなくらい緊張していた。


 この先は闇カジノの本場。


 このドアの向こうには、未知の世界が待っているが、そこは間違いなくアングラ中のアングラ。自分の今までの経験では、予想もつかない何かが待ち受けている。一体どんな世界が僕を待っているのだろうか。


 その好奇心と恐怖心の入り混じった不思議な感情で、頭の中はいっぱいだった――。




        ●○●○●




 闇カジノ(裏カジノとも言う)というものは、実は日本国内に信じられないくらい実在している。


 日本で公営ギャンブルとして認められているのは三競オートと言われる、競輪、競馬、競艇とオートレースの四種。それに公営くじと言われる宝くじやTOTOなどだ。


 パチンコやスロットなどは正確には遊技場であり、法的に賭博場として認めらているわけではないが、三点方式という形を取り、グレーなギャンブル場とし黙認されていると言える。


 それらに反して闇カジノという賭博場は、完全に違法な場所だ。しかし、その実態は意外かもしれないが、物々しい雰囲気とは打って変わって想像以上に紳士的な場であり、かつルールやマナーにもシビアなところでもある。


「う、わぁ……!」


 エレベーターを抜けた先、オートロックで解錠されたドアを通り抜け、更にその先の小部屋で黒服のガードマンらしき人物と、更なるカメラチェックをクリアした先の、二つ目のドアを抜けたところで、僕は思わず声をあげた。


「ここが本当の闇カジノ。バー、モンテカルロの正体です。この店はルーレットやスロットもありますが、主にバカラテーブルが多いんでここをバカラ屋、ともボクらは呼びます」


 笑顔で花守くんがそう言った。


 バーという名目によるカムフラージュ。厳重な二重扉に加え、カメラとガードマンによる強固なセキュリティ。そんな息が詰まるほどの出入り口の雰囲気からは打って変わって、店内はとても綺麗で、華やかで、美しく、そしてやはり別世界であった。


「あっちに見える奥のテーブルが、バカラテーブルです」


 内部は想像よりも照明が明るく、そしてサッパリとしている。入り口付近右手には大きめのソファーとテーブルが置かれ、奥にはカジノ用テーブルがいくつか並び、そして左手方向にはバーカウンターと食事や飲み物のメニュー表などがある。


「疲れたらここで好きなドリンクを飲んだり、食事したり、一服したりできます。オマケにここで遊んでいるプレイヤーは、全て無料なんですよ」


 そんな風に、花守くんが簡単に店の案内をしてくれた。


 驚かされたのは、ここで何かしらのギャンブルをプレイさえしていれば、好きなソフトドリンク、アルコールが無料で飲み放題なだけではなく、簡単な食事や外部に頼む出前、更には好きな銘柄のタバコ。そのどれもが全て無料で頼めるということ。


 店内にいて、勝っていようが負けていようがカジノで遊んでいる、というだけでそれらの自由がすでに与えられているのだから、本当に驚かされざるを得ない。


「さて、ベルさん。あのテーブルにしましょう」


 僕がさまざまなことに呆気に取られていると、花守くんは左奥にあるテーブルを指差し、そちらへと案内してくれた。


「ちょうど隅の二席が空いてましたね。ボクは端に座るので、ベルさんもボクの隣に座ってくださいね」


「う、うん」


 僕は言われるがまま、花守くんの隣の席に座る。


 目の前では、テレビドラマでしか見たことがない本物のカジノの様子が展開されている。


 カジノでしか使えないチップの束。高級さと品のあるグリーンのフェルトで作られたテーブル。そしてそのテーブルで、綺麗な女性ディーラーさんが華麗な手つきでカードの束を捌く。


 まるで本場のカジノの縮小版の世界が、ここに実現されていた。


「お願いします」


 席に着くと、花守くんはすぐにディーラーへ現金十万円を手渡した。チップにするのだろう。


 僕は初めてだし、とりあえずは三万円くらいで様子見しようと現金を財布から取り出し、ディーラーへ渡そうとした。しかし直後、それを花守くんに制止される。


「ベルさん、十、渡してください」


 なぜチップ交換が十万円が良いのか、その理由を小声で耳打ちしてくれた。


「ここは十万以上チップにすると、ボーナスチップを一万円分くれるんです」


 ほとんどの闇カジノでは、ボーナスチップというものがつく。ボーナスの量はカジノによって様々だが、ここでは十万円を渡せば、十一万円のチップで勝負ができるわけだ。最初からアドバンテージを得れるので、これをもらわない手はない、ということなのだと花守くんが教えてくれた。


「この枠が赤いのが現金チップで、青いのがボーナスチップです」


 しかし当然だが、ボーナスチップに関してはとある条件がある。


 まず第一に、ボーナスをくれるバカラ屋ではだいたいワンシューターはプレイしないと換金に応じてくれない。


 そのくらい遊べば、赤い枠の現金チップは現金化することが可能となる。しかし青い枠のボーナスチップはいつまでも現金化はできない。


 ボーナスチップは現金チップのように普通にベットに利用することができる。そしてボーナスチップを使って当たれば『ボーナスチップと現金チップ』がバックされる。


 そしてボーナスチップは負けて失うまでは、なくなることはない。つまり勝った分だけ得をして、負けても損害は実質ゼロということだ。


 現金として使うことができ、失うまでは現金同様に扱える、まさにサービスマネーというわけだと、花守くんが説明してくれた。


「ま、特に気にせず普通に使えばええってことっすね……」


 僕は青いチップを眺めながらそう呟く。


 そして同時にこの時、花守くんの勝ち方と、彼の腹黒さが垣間見えてしまった。


 このゲームは、50%で当たるものを運良く当ててチップを2倍にするだけのゲーム。普通にやればコミッションでじわじわ負ける。


 それを、このボーナスチップで補おうというのだな、と僕は思った。


 そしてこのために。


 僕を利用するために、僕をわざわざここに連れてきたのだ。


 僕を勝たせる、というのは単なるお膳立てに過ぎなかったのだ。


 ――つまりこうだ。


 僕と花守くんが、それぞれ同じタイミングでバンカーとプレイヤーにボーナスチップを賭ける。すると、必ずどちらかは勝って、どちらかは負ける。仮にバンカー側で勝った場合は、少しリターンが減って戻ってくるとはいえ、それでも最初から一万円のアドバンテージがある。バンカーで勝っても九千五百円が戻るわけだ。


 あとはボーナスチップを失うまで同じことを両者が繰り返せばいい。コミッション分があるとはいえ些細なものだ。これなら当然、二人の合算マネーはほぼボーナスの分だけ、勝てるだろう。


 最後は二人の合計資金を均等に分割すればいいだけだ。これなら間違いなく、負けはない。


 これは僕がこの瞬間に思いついたわけだが、このことをギャンブルの世界では『オポジットベット』という名前があることは後日、花守くんから教えてもらうことになる。


 しかしガッカリさせられた。


 この技は確かに負けないだろうが、勝つ額も知れているだろうし、何よりこれはコンビでやらなければ絶対に成立しない。


 つまりこれに利用するために、彼は僕を口車に乗せて利用したのだ。


「……どうしましたベルさん?」


「あ、いや。別に……」


 落胆の様子がまた態度に出ていたようだ。


 そんな僕を気にして、花守くんが訝しげに尋ねてきたがそれにはあえて何も言わず、彼の言う通りやるか、と決めた。


 とりあえず方法はなんであれ、これなら負けは無い。彼の凄さは、もっと別の次元にありそうな気がして、僕が勝手に盛り上がっていたにも関わらず、その正体はあまりに陳腐だった、というだけのこと。


 まぁそんなものさ、と自分に言い聞かせる。


 そんな馬鹿みたいに勝てる話があるわけない。これでも充分上手い話だ。


 せいぜい少し勝たせてもらって帰ろう。


「で、花守くん。これはいつ賭ければええんすか?」


「ディーラーさんが、どうぞって合図くれるんで、それからノーモアベット言うて、賭けを締め切られるまでなら、いつでもいいですよ」


 ではそのタイミングが来たら、花守くんに合わせて僕はその逆に同じ額だけチップを張ればいいわけだ、と勝手に解釈する。……のだが。


 ――こんな浅はかな僕の読みは、すぐに的外れな考えだったと思い知らされることになる。




        ●○●○●




「最初だし、よくわかんないですよね。とりあえず、好きな方にミニマムベットで賭けてみてください。ボクはボクで適当に賭けますんで、自分の好きな方に賭けましょう」


 と、花守くんが笑顔で僕に言った。


「え……?」


 思わず僕は声を出してしまう。


 花守くんの方から賭けてくれるものだとばかり、思っていたからだ。

 

 ひとまず言われた通り、僕はなんとなくバンカーの方に五千円分(このテーブルではこれが最小ベット)を賭けてみることにする。


 花守くんの方をチラリと見ると、なんと彼もバンカーに賭けている。


「ノーモアベット」


 ディーラーがそう言うと同時に、小さな呼び鈴をチリン、と鳴らす。ベットを受け付ける時間を締め切った合図だ。


 これではもしプレイヤーが勝った場合、二人とも負けてしまう。


 僕がつい先ほどまで考えていた花守くんの戦略。つまり、オポジットベットで負けないようにプレイするのだろうという思惑は、いきなり裏切られた。


 僕は困惑したまま、このゲームの流れを見守る。


 女性ディーラーの細く、美しい指先がトランプのデッキに伸び、そこから一枚ずつカード取り出していく。


 一枚目をプレイヤーサイドに、二枚目をバンカーサイドに、三枚目をプレイヤーサイドに、そして四枚目をバンカーサイドに、カードは全て裏向きのまま置かれた。こうして交互にカードを置いたのち、


「フェイスカード、オープン」


 と、言ってディーラーがプレイヤー側とバンカー側の一枚目に配られたカードを表向きに開く。

 

「プレイヤーはスリーから、バンカーはグッドフェイス、エイトから」


 プレイヤーの一枚目は3。バンカーの一枚目は強力な8。


 そして残ったそれぞれの二枚目の裏向きのカードは、このテーブルにいる『ベットオーナー』へそれぞれ渡される。


 ベットオーナーとは、プレイヤー側とバンカー側それぞれに、一番たくさんのチップを賭けた人のことを指す。その人らに、それぞれのカードを裏向きのまま手渡される。


 カードを渡された人は、それを絞りしぼり(別名スクイーズ)という名物行為と共にじっくりと開いていく。


 絞りとは、カードを端からじわじわと少しずつ開くやり方だ。こうすることで、二枚目のカードがなんなのかを焦らしながら見せて、楽しめるわけだ。


 ゆえに、この一連の動作は、勝負とは一切関係がない。単純にその場を楽しく盛り上げる演出の一つというだけである。


 なので二枚目のカードを手渡されたベットオーナーは、カードをどう開けようと自由だ。


 そんな風に場を盛り上げつつ、プレイヤーのベットオーナーと、バンカーのベットオーナーがそれぞれカードを開いた。


「プレイヤーメイクファイブ。バンカーナチュラルエイト。バンカー、ナチュラルウィン!」


 結果は、プレイヤーの二枚目が2だったので合計は5。バンカーの二枚目はキングだったので、合計は変わらず8のまま。


 バカラでは三枚目が配られる場合がある、と言ったが、逆に配られない場合もある。


 それは二枚の合計が8か9だった場合、『ナチュラルウィン』と言って三枚目が配られることなく、ゲームが終わるのだ。そこで数値が同じなら、『タイ』と言って引き分けになり、賭け金はそっくりそのまま返ってくる。(三枚目が配られた時でも数値が同じだった場合、タイとなって賭け金は全て返却されるので損失は一切ない)


 今回はバンカーが8だったのでナチュラルウィンで、バンカーの勝利となったわけだ。


「良かったですねベルさん! 記念すべき初ベットがナチュラルウィンで当たるなんて縁起がいいですね!」


 花守くんがニコニコしながらそう言った。


 ディーラーは「ナイスキャッチ」と言いながら、バンカーに賭けて当たった僕と花守くんに、賭けたチップの配当チップをくれた。


 もちろん賭けたのはボーナスチップの五千円分だ。


 ディーラーから、賭けたままのボーナスチップの五千円分と、当たった配当金としての現金チップが四千七百五十円分、配られた。バンカー側で当たったので、1.95倍だからこういう端数となる。


「あ、はは」


 ものの数秒でおよそ五千円近くも稼いだことに正直驚きを隠せなかった。


 とにかくボーナスチップで勝つと、延々ボーナスチップはなくならない。なので、ボーナスチップは無くなるまでベットするのがお得だ。


「いやぁ、ラッキーでしたね。罫線けいせん的にバンカーの流れでしたが、素直にナチュラルで勝ってくれたのはボクも嬉しいです。ベルさんのおかげでいいスタートを切れました」


 と、嬉しそうに花守くんはそう言ったが、これでは僕らはただバカラで遊びに来ただけになってしまう。


「ねぇ、花守くん……」


「さ、次はどっちかなぁ。ベルさんも好きに賭けたら、ルック……ああ、ええっと、賭けずに様子見したりして、楽しんでくださいね!」


「あ、うん……」


 僕が思っている疑問を尋ねようとすると、彼はそれを遮るかのように会話を逸らす。


 まだ、この先に何かあるというのだろうか。


 僕は不安感を拭えないまま、そして彼に言われるがまま、プレイを続けていくことにした。




        ●○●○●




 ――そして幾ばくかの時間が流れた。


 トランプ八つ分のデッキがみるみると少なくなり、このシューターの終わりが見え始めてくる。


「……」


 現状、僕は勝っている。


 ビギナーズラックとでも言うのだろうか。なかなか良いヒキをしているおかげで二万円近くもプラスの状態だ。


 反対に花守くんは、一万円ほど負けている。


 まぁそれでもミニマムベットの五千円のままでプレイを続けているので、二人の勝率の差は微々たるものだ。


 ちなみにバカラテーブルには当然ベット上限もある。


 僕らがやっているこのテーブルでは、バンカーかプレイヤー片方につき、それぞれチップは『賭ける人全員分のトータルで最大二十万円分』までしか賭けられない。


 つまり賭ける額の大きさは早い者勝ちとなるので、自信がある時は早めに多い金額を賭けないと締め切られてしまうのだ。まあ、なかなかリミットまで張る客などいないが。


 それにしても、一体彼は何がしたいのだろうか。


「カットカードです。次回がラストゲームになります」


 カットカードとは、トランプ大のプラ製の何も文字や数字が書かれていないカード。これが出るとそのデッキは終わりとなる。


 デッキを最後まで使い切ることはしない。デッキの途中には、このカットカードというモノが必ず混ぜられており、そこでワンシューターが終わる。


 これは様々な不正防止対策のひとつである。


「もう結構やりましたよね。まだやるんすか?」


 正直僕はもう帰りたかった。なんとか運良くここまで勝てたので、これ以上やったら負けそうな気がしてならなかったからだ。


「もう少しだけやりましょう」


 しかし彼はまだ続けたい様子。花守くんは負けているからまだ帰りたくない、か。


 内心ため息を吐きながら、僕は付き合うことにした。


 カットカードが出たことにより、その次のゲームを終えたあとは、しばらくの休憩タイムみたいなものになる。


 というのは、新しいデッキを準備するためにディーラーはデッキを組み直すからだ。


 その間はすることがないので、各々一服しに行ったり、談話したりとリラックスタイムとなる。


 僕も小腹が空いたし、何か食べ物でももらいに行こうかと思い花守くんに声を掛けようとした、その時。


「……ッ!?」


 彼の、花守くんの、その目つきが変わったのを感じたのだ。それに気圧けおされ、僕は声を失った。


(なんだ? さっきまでと雰囲気が、違う……?)


 さきのワンシューターを終えるまでとは別人になったかのように、彼の目元が鋭いのだ。


「どなたかカットをお願いします」


 ディーラーがある程度デッキのシャッフリングを終えたのち、そう告げる。


 カットをお願い、とはカットカードをこのデッキの好きなところに差し込んでくれと依頼しているのだ。


 今このテーブルには僕ら含め、八人のプレイヤーがいるが、誰も手を上げようとしない。それもそのはず、そのカットの位置によっては、誰かの命運を左右しかねない。そんなことに参加して、いちゃもんでもつけられたら溜まったモノじゃない。


 僕はそう思い顔を伏せた。


 しかしそこでついに、これまで普通に大人しくプレイしていたた花守くんが動きを見せた。


「はい、やります。良い罫線が出るように祈りながらカットしますね」


 花守くんは少し慎重すぎるくらいに、大きなトランプの束である八デッキの塊りの、その下部から、およそトランプワンデッキ分くらいの位置に、ゆっくりとカットカードを差し込んだ。


 なぜそんなことを?


 という疑問はあったが、僕は彼の様子を固唾を飲んで見守った。


 ディーラーはカットカードが入れられたことを確認したのち、そこから二分割されたカードの束の後ろ側を前へと入れ替えし、そしてディーラーが再びカットカードを適当な位置に入れ直してデッキを指定の場所へセット。これで次のシューターが始まる。これもカジノ側で不正にデッキをシャッフルしてませんよ、というアピール演出のひとつらしい。


「さ、ベルさん。また適当にミニマムで賭けて遊びましょう」


 花守くんは再び笑顔に戻っていた。


 一体今のはなんだったんだろうか。


 とにかく僕はまた、彼の言う通りに適当に自分の思うまま、バカラを楽しむことにした。




        ●○●○●




 二回目のシューターが始まって、また、幾ばくかの時間が経過した。


 このシューター、序盤は僕の勘もイマイチになり、途中結構チップを削られたが、今、ようやくまた勝ちの波に乗り始め、また少しずつチップを戻し始めたところだ。


 そして花守くんも僕同様、今の流れに乗り、チップを少し増やしてたので、スタートの資金くらいには、戻している。と言っても二人の差はほぼ無いも同然だ。


 いい加減、彼が豪語していたほぼ必ず勝てる、という言葉など忘れかけていたその時。


 ついに訪れる。その時。


「すげぇなこりゃ! 次もバンカーだわ!」


「せやな! ディーラーさん、こりゃあええドラゴンや! 次もバンカーでっかく乗らせてもらうわぁ!」


 場は非常に盛り上がりを見せていた。


 流れはバンカーの異様なまでの連勝。バンカー側は11連勝もしており、次もきっとバンカーが来るだろうとテーブル客は大いに沸き立っている。


 僕もこのバンカーの連勝には、少し前から乗り始めていて、先程から少しずつチップをまた増やせていた。そして周囲の客同様に次もまたバンカーへ、今度は少し強気に張ろうかな、などと思っていたその時だ。


 トントン、と花守くんが僕の肩を指先で叩き、


「……次、プレイヤーです」


 突如、僕の耳元でボソっと呟く。


 僕は彼のその呟きに「え?」という声すら出なかった。


 これまで一切の沈黙を守り、普通にバカラを楽しんでいた花守くんが、初めて僕にそんなことを告げたのだ。


 そしてテーブルはざわめきだす。


「……アイツ、本気か?」


 そんな声が聞こえる。


 当然だ。


 なぜならこのテーブルでは皆、バンカーに賭けているというのにも関わらず、花守くんだけがプレイヤーに、しかもオールインをしたのだ。


 オールイン、というのは持っているチップを全て賭けてしまうことを指す。花守くんはスタート資金十一万円から少し減らした、十万円ほどのチップの全てをプレイヤーに賭けたのだ。


「ベルさん、賭けないんですか?」


 僕は呆気に取られてしまい、体を硬直させてしまっていた。


「早くしないと締め切られてしまいますよ?」


 いや、どうすればいいんだ。この状況でプレイヤーに賭ける、なんて無謀なのでは。いや、そもそも彼はオールインしているが、僕にもそれと同じことをしろと言っているのか? 


「か、賭ける! 僕もプレイヤーに!」


 しかしこの花守くんの自信は普通じゃない。僕は戸惑い、狼狽したが、プレイヤーに多目に三万円ベットしようとした。


「もっと賭けないんですか? それならボク賭けちゃいますよ?」


 彼はそう言うと、財布を取り出して現金束を出そうとした。残りのベット上限分まで張るためにチップに変えようと言うのだ。


 チップに変えてベットしたいから待ってくれ、とディーラーに言えば、締切は多少融通してくれる。


 いや、そんなことよりも彼はそれほどまでにこの一回の勝負に自信があるのだ。絶対の自信があるのだ。


 短い付き合いとはいえ、これまで花守くんを見てきてわかる。彼はヤケクソになって勝負をするようなタイプの人間ではないし、何より今も熱くなっているようには見えない。


 この勝負に確固たる自信があるのは、揺るぎないのだ。


「ご、ごめん! 花守くん、僕もやっぱり全部行く!」


 彼は僕の言葉にニッコリと笑って、現金束をまた財布に戻した。


 僕は手持ちのチップ、およそ十万円分ほどの全てをプレイヤーに。いや、ある意味花守くんに託した。


「ノーモアベット」


 そしてディーラーがそう言い、チリン、と賭けの受付を締め切る鈴を鳴らす。


 ここで負ければ一気に十万円の損失。


 賭けたあとになって、今更、僕は心臓の動悸が早まるのを感じる。


 頼む、ここは外さないでくれ!


 そんな風に祈りながらカードの行方を見守った。


 そんな折、隣の花守くんを見た。


 彼はやはりいつもと変わらずニコニコしている。彼には緊張というものがないのか、それとも本当にこの勝負の行方が分かりきっているとでも言うのだろうか。


 ――そして今宵、最後の大勝負の幕が切って落とされた。




        ●○●○●




 ディーラーが手慣れた手つきで四枚のカードをプレイヤーとバンカーにそれぞれ置く。


「フェイスカード、オープン」


 まず一枚目のカードがそれぞれ開かれる。


 プレイヤーのフェイスカードは2。


 対してバンカーのフェイスカードは6。


「やっぱりバンカー強えな! イケイケ!」


 そんな声があちこちから飛び交う。


 普通に考えると、この状況はすでにややバンカー有利だ。なぜなら、基本的にデッキのおよそ三割はピクチャーカード含む、10の数値が圧倒的に多い。


 フェイスカードが2と6で、残りの絞りを行なう二枚目のカードの両方ともが、10ということも多いにありえるからだ。


 そうなれば、プレイヤーが三枚目を引くとしても、それもまた10の可能性が一番高いわけで、つまりは現時点で終始バンカー優勢なのだ。


 さて、いよいよ運命の二枚目のカードが開かれる。


 それぞれのベットオーナーに二枚目のカードが配られた。


 バンカーのベットオーナーは見知らぬおじさん。プレイヤーのベットオーナーは花守くんだ。


 この店では、二枚目のカードを絞りつつオープンする行為を、バンカーとプレイヤーのどちらから始めても構わない。


 花守くんは笑顔で「どうぞ」と言わんばかりの仕草をし、おじさんに先に開くことを促した。


 バンカーサイドのベットオーナーであるおじさんは、ゆっくりとカードの上部二センチほどまでをめくり始める。


「あ、あ、足無し! 足無しやでぇ!!」


 おじさんのその声に、バンカーにベットした全員がウワァッ、と沸き立った。


 足無し、とはトランプカードを上部からめくった時、ダイヤとかスペードなどのスート(模様)が四隅に見えないことを意味する。


 トランプを長方形の上部からめくった時、その四隅にスート(模様)がなく、さらにこの段階でピクチャー(絵札)の可能性も無くなった。(ピクチャーであるなら、上部だけをめくってもすぐにわかるため)


 これが意味するのは、このカードが数字の1か2か3であることが確定したというだ。


 フェイスカードが6なので、そのどれでも相当に強い。2か3なら、合計が8か9になるのでナチュラルウィンの可能性すら濃厚になる。


 なので、せめて1であってくれ。


 というその僕の願いは虚しく。


「来たわぁ! 2や! バンカーナチュラルエイトやでぇッ!」


 無情にもバンカーは8という超強力な数値。


 これにはきっと、花守くんも愕然としているだろう、と思い彼の顔を見る。


「プレイヤー、オープンしちゃってください」


 花守くんは淡々とそう言った。この時点で僕は負けを覚悟した。


 なぜならベットオーナーが絞りを拒否して、ディーラーにカードオープンを依頼するのは、つまりその勝負を半ば諦めているという証拠でもあるのだ。


 少なくとも、今日このように絞りを諦めたベットオーナーは全員案の定負けていた。


 僕は若干花守くんを恨みつつ、同時に反省もしていた。


 やはりなんの根拠もないのに、ただ花守くんの謎の雰囲気に飲まれ、そんな彼に乗ってしまったのが馬鹿だった。いや、でもこの十万円負けが良い勉強になった。今後もう二度とこんな誤ちは犯すまい。


 そんなことを考え、テーブルから目を逸らしたその瞬間。


「プレイヤーカード、ダイヤのセブン。プレイヤーメイクナインで、プレイヤーナチュラルウィン!」


 ……え?


 聞き間違いか。プレイヤーが九って聞こえた気がする。いや、そんなご都合主義みたいな展開があるわけが……。


 なんて呆けた表情で、カードを見直す。


「な、な、なんやてぇ!?」


 僕が声を上げるより早く、バンカーのベットオーナーであるおじさんが驚きを隠さずにいた。


 プレイヤーの二枚目のカードは7。よって、フェイスカードと合わせ、バカラにおける最強の数値、9だ。


「ぅ、お、おおおおおッッ」


 思わず僕の喉から歓喜の嗚咽が、溢れ出る。


 バンカーナチュラルエイトに対し、プレイヤーナチュラルナインでの完全勝利。


「ナイスキャッチ!」

 

 ディーラーから、僕と花守くんにだけ、山のようなチップが払い戻された。


 この一瞬で僕も花守くんも、一撃およそ十万円の勝ちだ。


「あ、あ、ありがとうございます!」


 一体なんのお礼なのか。僕は誰に言うでもなくそんなことを口走っていた。


 花守くんは相変わらず笑顔のまま、チップの山を受け取っていた。


 彼はやはり本物、なのだろうか。


 何にしても、僕らは勝った。大勝ちだ。


 夢のような気分、とはまさにこのことだろう。


 だが、これは現実だ。


 これは異世界転生ファンタジーでも、海外ドラマな世界のお話でもなんでもなく、現実にある事実なのだ。




 こうして僕の、人生初の闇カジノで行ったバカラは大勝利となって幕を閉じるのだった。




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