2stake 未知との遭遇、プロとの邂逅

「ロン! 純全帯么九ジュンチャン三色サンシキ、ドライチ、親満おやまんっす」


 ジャラジャラ、と店内のあちらこちらで、雀牌を洗牌シーハイする音が小気味よく響く。


「おいおい、またワシからか!? ベル坊ほんま勘弁してくれやぁ」


 ニヒヒっと、笑いながら僕は同卓の対面に座る初老の男から、麻雀におけるライフとも言える点棒を一万二千点分受け取る。


「相変わらずベル坊はつえーな。今、店にいるメンツじゃ誰も敵わへんのとちゃうか?」


 そう言ったのは、南家ナンチャに座りながら煙草を吹かす、やや強面のおじさん。


「そりゃあんた、当たり前やないの。いくら若いって言ったって、仮にもここのオーナーやで? それにあの美作くんのお友達やもんね。強ぅて当然や。あたしがあと二十も若かったら、あんたなんか捨てて逆ナンしてるわ」


 派手なネックレスとキツめの化粧、紫の口紅が印象的なおばさんが、北家ペイチャの位置から笑いながらそう言った。


 今日は平日の深夜だが、僕の店は満卓で大いに盛況している。


 ここはテナントビル二階の小さなスペースなので、卓数もたったの五卓しかない。とはいえ、もともとそれなりに評判だった雀荘であることと、風俗店の店長である美作さんの宣伝効果もあり、この雀荘の経営状態は実に良好と言えた。


「あー、鐘築かねちくマスター。もう日が昇り始めてますよぉ」


 深夜バイトの大学生の女の子がレジカウンターの中から雀卓にいる僕にそう声を掛けてきた。


 僕の店は正規の時間外も、もちろん秘匿で営業している。この業界では雀荘が二十四時間営業なのは割と普通だ。当然風営法に引っかかるところなので、それを公けに謳うことは出来ないが、こんなのはほとんどの地域で警察も黙認しているのが一般的だ。


 さすがに二十四時間営業ともなると、僕一人ではまかないきれない。なので僕のお店には三人のアルバイトを住み込みで雇っている。実はこのテナントビル三階が、彼ら従業員の寝床だったりする。


 とにかく雀荘経営はスタートから大きなトラブルもなく、非常に順調であった。


 そして僕が麻雀店を開いてから、すでに数か月が経とうとしていた。


「おい、ベル坊。今度な、ワシの娘も連れてきてええか?」


 さきほど僕がロン当たりさせてもらった対面の初老の男が、そう問いかけてきた。


「娘さん、麻雀やらはるんですか?」


「いや、やらん。ベル坊に紹介してやろかと思たんや。アイツはワシの娘にしちゃかなり出来がええねん。おめぇさん、見たところ彼女おらんみたいやし、どうかなって思ってな」


「あ、はは……。か、考えておきますね」


 案外この手の話を持ってきてくれる人は多い。


 この雀荘に通う客で僕とそれなりに仲の良い人らは、僕の稼ぎをだいたいわかってる。雀荘は立地がよくて客付きが良い店はかなり儲かる。つまり年収はまんざらでもない。


 店に来る客層は比較的年齢層が高い。すると当然、子持ち客も多くなる。独り身の娘を心配して、僕にあてがうように話を持ってこられたのは、これで五回目だ。


 若年層も店にはやって来るが、それでも歳は二十代後半くらいだ。しかし、その年代の人らはここに連日通うほどやって来ないし、来るとしても休日の昼間の明るい時間から、夜の十九時くらいまでの間がほとんどだ。なので、否応なしに年齢層の高めな常連客と仲良くなってしまう。


 だからこそ、ここ最近、若干の違和感を覚えている。


「ハッハッハ! なんやーお前、また振り込んだんかぁ!?」


 僕の背の方にある卓に座る、白髪交じりのおじさんが、気分良さそうに笑いながらそう言ったのが聞こえた。


 このおじさんは、僕の店によく来てくれるし、店内の商品をたくさん買ってくれるとてもありがたい常連客だ。その常連さんが気分よくしてくれているので僕としてもありがたいのだが、僕の引っ掛かるところはこのおじさんではなく。


「うーん、また負けてしまいました。なんでボクはこんなに勝てへんのでしょうねえ。ほんま不思議ですわ」


 そのおじさんにそう煽られ、チップも残りわずかとなりボロ負けしたというのに、淡々と冷静な口調で話す彼。


 平日の深夜には似つかわしくない若さ。そして、黒髪で優しい面持ち、上は白いシャツ、下は黒のチェック柄が入ったスラックスを着こなし、黒い靴下に革靴という、いかにも学生か若手サラリーマン風のとても線の細い、小奇麗な青年。


「さて、キリもいいし今日はもう帰りますね。楽しかったです。お相手ありがとうございました」


「おう! また来いや兄ちゃん! 次来るときはもうちょい色々教えたるわ」


「はは、楽しみにしときます」


 その青年は負けたことなど全くなんとも思っていないかのように、笑顔でそのテーブルの面々にそう告げていた。


 この雀荘では当然、賭け麻雀をしている。しかもここのレートはやや高めだ。財力の乏しい若者にはなかなか敷居の高い店というのもあって、この店には若者は少ない。


 そしてもちろん、この小奇麗な青年もお金を賭けている。遊びに来るとだいたい、常連の人らにカモにされて毎回数万円ほど負けて帰るのだ。


 多くの若い客は、賭け麻雀で痛い目を見るとしばらく来ないか、二度と来なくなる。しかしこの青年は違った。一か月ほど前からチラホラと店内で見かけるようになり、負けても負けてもめげずにやってくる。最近はほぼ毎晩のように遊びに来ている。


 数万円もの負けを一か月にニ、三度くらいならまだいいが、毎晩のようにそんなに負けていたら普通は財布がかなり苦しくなるはずだし、お金を失う恐怖や怒りに駆られてもおかしくはない。


 しかし彼に至ってはそんな素振りは一切見せず、数万円などまるで安いゲーセンで遊んで満足したかのようにポンっと置いて帰るのだ。


 その彼が、僕の最近感じている違和感だ。


「店長さん、残ったチップを換金してください」


 そんな彼が僕のいる卓に向けて、そう言ってきた。「はい」と言い、僕は自分のテーブルをバイトのジャンボーイに任せ、彼のために受付デスクへと向かう。


「えっと、じゃあこれチップ換金分です」


 僕は受け取った僅かなチップ分の現金を、彼に手渡す。


「はい、どうもです。今日も長いこと遊ばせてもらってありがとうございました」


 彼はどんな負け方をしても、どんなお客さんを相手にしても、今の僕に対する態度同様、とても丁寧な言葉使いで対応する。非常に紳士的な好青年だ。なので、店内での彼の評判はとても良かった。ただただ、異様に麻雀が弱かった。


「また遊びに来ますね」


 彼は換金を終えて、笑顔でそう言いながら店を出ようとした、のだが。


「あ、あの!」


 思わず僕はそんな彼を呼び止めてしまった。


 彼のミステリアスな雰囲気に対し、ついに僕の好奇心がどうしても勝ってしまったのだ。


 この一ヶ月ほどの間、彼とは挨拶や短めの会話しかしたことがなかった。どうせ若い客など常連になんてならないだろうと思っていた。常連にならない客とは特別距離を縮めるつもりもなかったからだ。


 しかし毎晩現れては店の雰囲気を色々な意味で良くしてくれているし、あの負け方からしてお金も持っていそうだ。もしかしたら、どこかのボンボンかもしれないし、コネを持つのは悪くないかも、などという打算もあった。


「……何か?」


 僕から声が掛かるとは全く予想もしていなかったのだろう。彼は目を丸くして不思議そうな顔で僕を見る。


「えーっと、確か、花守はなもりさん、でしたよね?」 

 

 入店時に記録された名簿から、彼の名前を思い出し、名を再確認する。


「はい、花守ゆずるです」


「あ、あー、その、花守さんって、麻雀好きっすよね?」


 僕にしてはなんとも情けないアプローチになった。なんというか、彼の不思議な雰囲気に飲まれていたのだろう。


「……? そう、ですね。それがどうかしましたか?」


 訝しげに答える彼。今まで僕から声など掛かったことがなかったのだから、それも当然だろう。


「いやぁ、なんていうか、ほら、こういう店って若いお客さん少ないっしょ? それで花守さんは僕と歳が近そうやなと思って、だから、その、仲良ぅしたいな、なんて……」


 照れ臭そうにどきまぎとした僕の言葉に、彼はきょとんとした表情をした。 


「そう、ですか……?」


 花守くんは不思議そうな顔で僕を見る。下手に警戒させてもいけないと思い、僕も自己紹介をする。


「あ、僕は鐘築。鐘築 敬史かねちく たかふみ、です。教会なんかにある鳴らすあの鐘に、建築の築。名の方は、敬うに歴史の史でたかふみと書きます」


「……かねちくさん、ですか」


「凄い呼びづらいでしょ、かねちくって。このお店の常連さんや僕の友人はみんな、苗字の鐘から取ってベルって呼んでくれてます。よかったら花守さんも気軽にベルって呼んでください!」


「そうですか、わかりました。ではベルさん、と呼びますね。多分、ボクはベルさんより年下なので、呼び捨てで構いませんよ」


 話し始めたら思ったよりも気さくに会話をしてくれることに、僕は安堵している。


 彼は若干近寄りがたい雰囲気だったので、もしかしたら話が詰まってしまうかも、と少し緊張していたからだ。


「うーん、それじゃあ花守くん、と呼ばせてもらいますね。で、花守くんはここ最近よく僕のお店に来てくれるけど、なんで急にこの店に通ってくれるようになったんすか?」


「いや、実はボク、最近麻雀を覚えたばかりなんです。やればやるほどとても面白くて、気づいたら毎晩来てしまうようになりました」


 確かに腕前はお世辞にも良いとは言えない。僕は彼とは打ったことはないが、彼が打っている様子を何度か見ているからわかる。本当に覚えたての初心者クラスなのは間違いなさそうだ。まだ、たまに役無しで上がろうとして、チョンボしてしまうことすらある。


「失礼っすけど、花守くんは麻雀まだまだ覚えたてって感じなのは見ててわかるんすよね。不思議なのは、なんでそのレベルやのにこんな店で賭け麻雀をしてるのかなってことっすわ。現に花守くんはほぼ負けてばっかですし。何か狙いがあるんすか?」


 僕はずっと気になっていたことを一気に彼へとぶつけた。


「ボク、麻雀は自己流で覚えたんですよ。本とかネットとかでルールを調べて覚えました。覚えたらやりたくなるでしょ? だからここに来てるだけです」


「でもなんでここを選ばはったんすか? 他の店とかで、ノーレート(賭け無し)やってる雀荘とかの方が、練習にはちょうどええんとちゃいます?」


「んー、まあ一番大きな理由は、ここが近いからですね」


「近い? 家が近所とかですか?」


「家、ではないですね。とある行きつけのバーに近いんです。そのバーに行くついでにここに寄るようになって、気づいたらずっとここに通うようになっていました」


 なるほど。しかしそれにしたってお金の使いっぷりは普通ではない。


 彼のことが気になる僕は、更に質問攻めを始めた。


「バーっすか! じゃあお酒、お好きなんすか?」


「いえ、ボクはアルコールはほとんど飲めないです。飲むのはだいたいコーラばかりですよ」


 そう言いながら花守くんは苦笑いする。


 どういうことだ。酒は苦手なのに、行きつけのバーがある……?


「あ、わかった! ビリヤードとかダーツが好きなんでしょ! 僕も割と両方とも好きなんすよね。ダーツの方は一時期ハマってたことがあって、特にカウントアップとかを夢中にやりすぎて、腕が腱鞘炎になりかけたこともあって……」


「あ……いえ、違うんです。ボクはビリヤードもダーツもよく知らないですし」


「あ、そうなんすか」


 それでは一体彼は、どんなバーに行きつけているのだろうか。彼への興味がますます尽きない。


 ミュージックバー、とかだろうか。


「ベルさん、麻雀って、強くなれますかね?」


 彼のバーへの疑問を考え込んでいると、まるで話題を変えたがるように、今度は花守くんの方から質問された。


「あ、うん。なれますよ! ある程度経験積んだら上手い人の打ち方とか、待ちを見るだけでも上達しますよ!」


「……まずボクは、フリテン、でしたっけ? で、上がろうとしたり、役無しであがろうとしたりと、そういうチョンボするのを無くしたいんですよね。周りにも迷惑掛けしてしまいますし」


 それを聞いて僕は苦笑いした。迷惑というより、美味しい客だとは思われているかもしれない。


「チョンボはもったいないっすからね。遊びの麻雀ならともかく、ここはまあまあ高レートの雀荘っすから、特に」


「ここって高レートなんですか?」


 案の定、というべきか。それすらもわかっていない様子だった。


「そうっすね、結構若い人にはキツいレベルやと思いますよ。花守くん、負けたあとにチップのやり取りしてて、高いなぁって感じなかったんすか?」


「特に……計算方法もよくわからないし、一緒に打ってもらってる人に全部任せてましたし、たくさん負けても十万円以上は使ったことないので」


 十万円以上負けなければ、特別高いとは思わない。そのセリフだけでも彼の財力の高さを窺わせる。


「あの、失礼っすけど、花守くんって仕事は何やってるんすか? 差し支えなければ教えてもらえたら……」


 話の流れが、ようやく僕が聞きたい本題に辿り着けた。


「あー……えっと……」


 それまで流暢に受け答えしてくれていた花守くんだったが、その問いには言葉を詰まらせる。


「えっと、恥ずかしいんですけど、ボク、ちゃんとした職には……就いていないんです」


 彼は本当に恥ずかしいのだろう。視線を僕から伏せて、苦笑いしながらそう応えた。しかしその返答にますます僕の興味はそそられる。


「あ、なんかすいません。ただ、花守くんは毎回すごい気前良くやってるんで、なんでかなってどうしても気になったんすよ」


 本音を言えばすぐさま「じゃあお金の収入源は一体なに?」と、問い質したい欲望を抑える。


「……今日はボク、もう帰らんとあかんので、次ここに来た時、ベルさんが麻雀を教えてくれはるなら、ボクの秘密もお教えしますよ」


 僕は結構、感情が態度に出てしまうタイプらしい。彼への興味が言葉にも表情にも出ているのを悟ったかのように、花守くんはそんな提案をしてきた。


「僕でよければ、もちろん!」


「よかった。じゃあ次ここに来るのをボクも楽しみにしてますね」


 彼はそう言いニッコリと笑って、踵を返し帰ろうとしたその矢先。


「あっ、ひとつだけ」


 僕に背を向け、店の出入り口のドアノブを掴んだ彼が、ふいに口を開き、


「ベルさん、ギャンブルってなんやと思いますか?」


 そんな奇妙な質問をしてきた。


「……お金を賭けて、、じゃないんすか?」


 僕の問いに対し、彼はこちらを向くことなく、少し間を開けて返事をする。


「……そう、ですね。遊び、という対価を得るためにお金を払う、と解釈するのなら、つまりギャンブルいうものはお金を稼ぐものではない、という答えになると捉えてええですか?」


 彼の言葉の真意が見えない。


「うーん、そう、かな? 所詮ギャンブルはギャンブルですし、こういう麻雀みたいな、プレイヤー同士と戦うものなら多少違うかもしれませんけど、基本的にどんなギャンブルも最終的には胴元が勝つと思いますよ? そもそもそういう設定になっているわけだし」


 だからこそ、僕はただの運否天賦だけのゲームはやらないのだ。そんな不確実なものに、自分の何かを託すなんて馬鹿らしい。


「……まあ、そうですね。それじゃ、ボクはこの辺で。また来ますね」


 カランカラン、という出入り口のドアに取り付けられたモビールの音と共に、花守くんはそう言い残して帰って行った。


 彼の不思議さは、彼を知るほどにますます深淵の奥のように見えない。


 これが、僕と花守くんの初めての出会い、と言えるだろう。


 ――この彼との会話が、今後の僕の人生を劇的に変化させるバタフライエフェクトになろうとは、この時はまだ予感すらしていなかった。




        ●○●○●


 

 

「……で、この時だけは、その牌をロンすることができる特殊役っす。槍槓チャンカンといって、一翻イーハンつくんすよ」


「へぇ、凄い。ホーに捨てた牌以外からも、あがれる方法があるんですね」


 翌日の深夜。


 昨日の約束通り僕は、店にやってきた花守くんに麻雀を教えている。


 まずは基本ルールからおさらいして、点棒の数え方や少し特殊なアガリ役、捨て牌からの読み筋などひとつひとつゆっくりと彼に教えていった。


 今まで彼はほぼ独学だったため、やはり様々な点でルールの覚え間違いなどが見受けられたが、それも今日でほとんど修正できただろう。


「……と、まぁこんな感じかな? 他になんか聞きたいことあります?」


 教える内容も一区切りしたところで、僕は花守くんにそう尋ねる。


「とりあえずは大丈夫ですね」


 花守くんの返答に些か引っ掛かりを覚えた僕は、すかさず聞き返す。


「とりあえず、ということは何か気になるところでもあるんすか?」


「えっと……変なことを聞いていいのなら、ちょっと別角度の質問をさせてもらってもいいですかね?」


 気のせいだろうか。ふと、彼の目つきが鋭くなったように感じる。


「僕のわかる範囲であれば、どうぞ」


「では……」


 彼はひと呼吸おき、コーラをひと口だけ飲んでから言葉を続けた。


「ベルさんがここまでボクに教えてくれた麻雀って、真っ当なルール上での、基本的な部分やと思います。まあボクが初心者なんでそれは当然ですし、それを理解したうえで、こんなことを聞くのはどうなんかなぁとも思うんですけど、それでもあえて聞かせてほしいことがあるんです」


「あ、はい。大丈夫っすよ。なんすか?」


 彼の奇妙な前振りに若干、気圧される。


「ベルさんは、サマを使いますか?」


 サマ、というのはイカサマのことだろう。麻雀においてイカサマは切っても切れない縁とも言える。


「……いや、使わへんっすね。仮にもここのオーナーであり店長いう立場でもありますしね。もし僕がそんなことしてたら、評判ガタ落ちになりますから」


「まあそりゃそうですね、すみません。じゃあ言い方を変えます。ベルさんが雀荘の経営者じゃなく、普通に麻雀をやるいちプレイヤーだとしたら、相手に勝とうとするためにサマを使いますか? それとも絶対に使いませんか?」


 自慢ではないが、僕はイカサマは使ったことはなかった。


 僕の麻雀の師は数人いるが、そのひとりでもある美作さんから、様々なイカサマの方法もそれなりに伝授されており、ここぞという場面で使うと非常に効果的であることも教わってはいる。


 だが、実際にお金を賭けている時は、使ったことはなかった。


 それはもしイカサマがバレた場合、この僕という人間が、イカサマをする可能性がある人間だというレッテルが貼られてしまうからだ。


 そういうマイナスイメージは一度でも浸透すると、なかなか払拭しきれなくなる。つまり、イカサマに対するリスクが高すぎるのだ。


「……使わんね。リスキーやから」


「……なるほど。じゃあここでひとつ仮定の話をします。とある麻雀のイカサマ方法があったとして、その手法はほぼ人にはバレないうえ、仮にバレてもイカサマじゃないという言い訳が立ちやすく、更にそのイカサマを使用したら勝率が八割を超える、としたらどうしますか?」


 今度の花守くんの仮定は凄く具体的だ。


 一体彼は何が言いたいのだろうか。


 しかし、これには少し悩まされる。


 イカサマも技術のひとつだと僕は理解している。だが、やらないのはバレるリスクの高さが一番にある。


 つまりリスクヘッジ如何によっては、イカサマは技へと昇華しうるのだ。


 現実にそんな都合の良いイカサマがあればの話だが。


「どやろねぇ。もしそんな手法があるんなら、一回は試してみたいとは思うかもしれないっすけど」


「……まぁ、そんな方法はありませんけどね」


 花守くんはそう言いながら苦笑いして、またいつもの柔らかい口調に戻った。


 なんだったんだろう、さっきの質問は?


 そんな疑問が頭の中で巡る。


「あ、そんなことより、当初の約束通りボクの秘密、話しますね」


 突如、思い出したかのように花守くんは、僕の気になる本題へと話を繋げてくれた。


「って言うほど大した話でもないんですけどね。実はボクってただのギャンブラーなんです。ギャンブルで生計を立ててるんです」


 これまでの流れからその予感もしていたが、まさか本物のギャンブラーとは思わなかった。


 しかし麻雀ではないだろう。最近覚えたばかりの麻雀で食っていけるとは到底思えない。そうなると、パチンコとかだろうか。


 そんな風に思った矢先、


「バカラ、って知ってますか? ボクはバカラで食ってるんですよ」


 と、花守くんはアッサリと教えてくれた。


「バカラ、って確かトランプを使うカジノのゲーム、でしたっけ? 僕はあんまり詳しく知らないっすけど」


 とは言ったものの、僕とてバカラにまつわる悲惨な話ぐらいは聞いたことはある。


 バカラといえば、多くの富豪やギャンブラーを泣かし、破産や破滅に追い込み、たくさんの自殺者を出したとも言われるほどに危険なギャンブル、というイメージだ。


 やったこともないし、僕の周りでバカラをやっている人も知らないので、そういう断片的な情報しか知らないが。


「そうですね。バカラはカジノのゲームです。でも日本には合法のカジノがないんで、闇カジノって呼ばれる違法店があちこちにあることぐらいは、ベルさんあたりなら耳にしたことないですか?」


「それは、まぁ……」


 ここは関西でも大きな繁華街の一角だ。当然、闇カジノはいくつもある。それにここだけじゃない。地方でも大きな都市には、その手の怪しいお店が必ずと言って良いほど、息を潜めて営業しているものだ。


「そこで行われているバカラというギャンブルで、ボクはお金を稼いでいるんです」


 花守くんは少し照れ臭そうに、小さく笑いながらそう言った。


 僕はそんな花守くんを見て、率直にコイツは馬鹿だな、と思った。


 パチンコでもスロットでも、競馬でもボートでも、ありとあらゆるギャンブルには、妙にツキがあって勝ちまくる時が人生にはある。それを自分の実力だと勘違いして、自称凄腕ギャンブラーを名乗り、プロを気取る可哀想なギャンブル狂。


 それがこの時の僕の、花守くんに対する印象だ。


「あんまり周りに言わんといてくださいね。そんな誇れることでもないので」


「あ……はぁ……」


 一応ギャンブルが本職というのは恥ずかしい、と彼は思っているのか。それだけでも救いがあるというものだ。


 しかし僕の胸中は心底落胆し、そして同時に呆れていた。


 風貌、言葉遣い、礼儀正しさ、そして麻雀への意欲。彼には尋常ならざる何かを感じさせられていたのに、その結論はただの馬鹿なギャンブラーだという事実。


「……凄いっすねぇ」


 僕は心にもないことを、花守くんへと向けて言い放った。


 そんな僕の皮肉を察しているのか、いないのか。彼はまた、へへっという風に小さく照れ笑いしている。


 それを見て妙に苛つきを覚えた僕は、現実を見ないこの馬鹿な若者に、社会というものを教えるべきだな、と思い、彼に質問する。


「で、そのバカラいうのはそんなに勝てるんすか?」


 勝てるわけがない。だが、この人は今、たまたま勝ち続けているから、勝てますって答えるのだろうな。


「はい、勝てますね」


 案の定の返しすぎて、ため息が出そうになる。


「へぇ、それは凄いなぁ。ところでバカラってどんなゲームでしたっけ?」


「単純に例えるなら、ルーレットの赤黒どっちに入るか当てる、みたいなもんです。約二分の一で当たるんですけど、当たれば賭け金がおよそ2倍になって返ってくる、いわゆる丁半博打ですよ」


 もしそれがきっちりその数値通りだとしたのなら、続けても続けても、勝ち負けを繰り返して資金は同じところを推移するだけのゲームだ。


「バカラの場合、ルーレットの赤とか黒ではなく、プレイヤー、とバンカーっていう場所にチップを賭けるんです」


「プレイヤー側に賭けるか、バンカー側に賭けるかを選択するゲームってことっすか」


 花守くんはウン、と笑顔で頷いた。


「そうですね。でも、これらの勝率は実は正確には五分五分じゃなくて、バンカーの方がちょっとだけ勝ちやすいルールになってるんです。その代わり、バンカーに賭けて勝った場合はコミッションといって、手数料みたいなもんですけど、ベットの2倍バックではなく、ベット額から5%を差し引いた1.95倍が返ってきます。つまり千円を賭けたら二千円ではなく、千九百五十円が返ってくるわけです。この差分がカジノ側の利益という感じですね」


 そしてそのコミッションがある限り、バカラというゲームは続ければ続けるほど、大数の法則でいずれは負けてしまう、とも花守くんは続けた。


 ここまでの話を聞いていると、どこに勝てる要素があるのか皆目検討もつかない。


「……花守くん、ちょっといいっすか? そのバカラでほんまに勝ってるわけっすよね?」


「そうですね、勝ってます」


 彼の説明には矛盾しかない。


 続けても決して勝てないゲーム。なのに彼は勝っていると言う。


「気ぃ悪くしたら、すいません。でも僕こういうのはちゃんと納得いかんかったら気持ち悪いんで、ハッキリ言いますね。今の花守くんの説明をまとめると、バカラは長く続けたら絶対負けるけど、それでも自分だけは勝ってるんだよって言うてるんですよね?」


 矛盾しかないことを、再確認するかのように僕は彼へと問いかける。


「そうです」


 しかし彼は、僕のそんな問いに全く臆することなく、凛として応える。


「……っぷ、はは! おっと、すいません!」


 もはや彼の言っていることが支離滅裂過ぎて、僕は思わず吹き出してしまった。


「笑ったのはすいません。でも花守くん、言ってることめちゃくちゃですよ? やり続けたら負けるギャンブルやのに、なんで花守くんだけは勝てるんすか? その理屈を教えてもらわんことには、ただ偶然勝ってるだけの普通の兄ちゃんでしかないでしょ」


「まあ、そうですねぇ」


 僕の煽り気味の返しに対しても、彼はニコニコとしたまま冷静にそう返す。


「いやいや、まあそうですねぇじゃなくて、花守くんが言いたいこと全然分からんっすわ」


「ごめんなさい、ボク、説明するの下手なんですよねぇ。えっとですね、バカラというゲームを普通に続けていたら、ほぼ必ず負けてしまうと思います。でも、ボクの場合、ある一戦だけに限り、その勝率が八割から九割ぐらい、下手をすると十割、要するに勝率100%になることもあります。だから結果的に勝てるんです」


 ……この人は一体何を言っているんだ。


 僕の思考は、彼のめちゃくちゃなカオス理論を突き付けられ、かなり不愉快になってきた。


 もはや彼の言い分は、よくある詐欺師の言葉のソレと全く同じ印象しか受けない。


 そこで僕は、嫌がらせのように彼に問いかけた。


「……じゃあ僕が今から花守くんと一緒にそのバカラとやらをやって、同じ方に賭けたら僕も勝てるってことっすよね?」


 さて、これにはどんな言い訳をするのか。僕は内心ほくそ笑みながら彼の答えを待つ。


 だが、こんな話は眉唾もいいところだ。そんな上手い話があるはずがない。だから花守くんも、僕のこの質問にわけのわからない講釈でも並べて、煙に巻くのだろう。そう思った。


 しかし返ってきたのは、想定外の言葉だった。


「はい。勝てますね。なんなら今からバカラしに行きますか?」


「……え?!」


 絶対に何かくだらない言い訳を並べるはずだと、そう睨んでいた僕の予想を、真っ向から裏切る答えを彼は返してきた。


「もう夜中ですし、行くんやったら早い方がいいです。ボクもいつ眠くなるかわかりませんし」


 花守くんはニコニコして、身支度を整え出す。


 僕は皮肉で言っただけに過ぎない。バカラなんて全くやる気などなかった。


 しかし彼は、自分を信じれば僕も勝てる、と言う。


 こんなのは何かの勧誘や、怪しい宗教まがいの誘い文句でしかない。だから僕が正常の思考だったら、彼の誘いになど乗るわけがなかった。


 だが、しかし。


「場所はここからちょっと歩いたとこにあります。じゃあ、行きましょか」


 彼のミステリアスな雰囲気に完全に飲まれてしまった僕は、その魔性とも言えるいざないに抗えなかった。






 天使の笑顔をした彼のことを、まるで地獄の水先案内人のように思いつつも。


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