第45話 持つ者、持たざる者

 血の繋がり故の連携が持ち味のベルク兄弟、天性の才能を感じさせた槍使いサイラスをなんとか下したスノウ。

 サイラスには逃げられたが、どこか憎めないところがあった。


 山賊達は燃える町から消え去り、今や火の爆ぜる音と建屋が倒壊する音、それと炎のゆらめく音だけが聞こえる。

 この名前のない町は一夜にして焼失してしまうことだろう。


 スノウは一人の男を追って進む。

 標的は大頭目タイラー。

 刺客を差し向けてきたのも奴の仕業。

 頭目の一人フレドと戦っている時に上から見物していたのも知っている。

 逃げ出したにしても、まだそう遠くない所にいるに違いない。


 連戦で傷ついた身体。

 しかしまだ満たされない。

 あと少し、あと少しというところ。

 それが成されるのはタイラーを殺した時だろう。


 そんな様子でようやく町の出口付近に来たスノウを見つめる人物が一人。

 第三の刺客、名前のない男。

 タイラーからは鼠と呼ばれている男。


 鼠はその名の如く、小柄で陰険な顔付き。

 丸まった背中、骨張った手、とても戦いに向いているような男ではない。

 そんな男がなぜタイラーに雇われているのか。


 鼠は息を殺してスノウを待つ。

 スノウは隠れている鼠に気が付いていない。


 鼠は魔力も持たず、ただ隠れる。

 殺気もなく、匂いも消し、気配を殺す。

 細長い円筒のものを口元に添えて、瓦礫に身を隠し、ただ待つ。

 無機物のように周囲に一体化した卓越した隠形。


 鼠の正体は暗殺者。

 彼に言わせれば人を殺すのに力はいらない。

 人間は脆い。少しの刺激で命を落とす。

 この吹き矢が刺さりさえすれば、矢に塗られた猛毒がすぐに標的を殺してくれる。

 彼の得意とする暗殺方法。


 問題はどうやって一撃を入れるか。

 標的に毒を入れることに、最初の一矢に全ての力を注ぐ。

 鼠はそのために、辛抱強く機会を待つ。


 歩くスノウ。

 彼に油断はなかった。

 少なくともそのときはそう思っていた。


 罠や奇襲に目を配り、感覚は研ぎ澄まされている。

 山賊達相手ならば必ず気づくことができる。

 ある種の万能感があった。


 僅かに風を切る音、そう感じた時には遅かった。


 驚異的な反応速度で身を翻すスノウ。

 首元がチクリと痛む。間に合わなかった。


 警戒感が急激に引き上げられる中、ゆっくりと首元に手をやる。

 小さな針、それをそっと抜いて眺める。


 毒か……。


 先端に塗られた何かを毒だと確信。

 甘い香り、どことなく植物由来の香りがする。


 スノウは摘んだ針を指で弾く。


 油断、慢心。

 自分への怒りが込み上げる。

 数秒前の自分を殺してやりたい。


 しかしその前にと、冷徹な視線を一方向へと向ける。

 飛んできた針からして敵は近くにいる。

 そして敵には容赦はしない。


 鼠はこちらを睨んでくる標的にほくそ笑む。

 見事な反応ではあったが、今更気づいたところでもう遅い。

 毒はすぐに身体中に周り、もがき苦しんで死ぬ。


 そのはずだった。


 歩いてこちらに向かってくる標的。

 なぜ?当たったはずだ。

 首筋から針を抜くのを確かに見た。

 神経に毒が入り込み、すぐに口から泡を吹いて立っていられないほどの痛みが襲うはず。

 なのになぜ……。


 「なぜ死なない!?」


 鼠はしゃがれた声で叫ぶ。

 何故、あり得ない、信じられない。

 否定の言葉が頭を駆け巡る。


 吹き矢の先端に塗布されているのは遥か南方の砂漠で採れる通称「砂漠の薔薇」と呼ばれる花。

 美しい赤い花に見えるが、猛毒を有する植物で、その花から抽出した猛毒を彼がさらに改良して作ったのが今回使用した毒。

 解毒薬も製作者である彼自身でしか持っていない。

 まさに世界に一つしかない特別な毒。


 鼠はこの猛毒で何人も暗殺してきた。

 効力も実証済み。

 だというのに目の前にいる男はまるで効いてないという態度。


 逃げろ!!


 敵が己の理解が及ばない相手と分かった鼠は全てを放り出して逃げ出す。

 隠れていた瓦礫から飛び出した彼に何かが迫る。

 その正体を確認してしまう鼠。


 鼠が死ぬ直前に見たのは迫り来る炎のような輝きだった。



 スノウは殺した刺客の横に立ち、それを見下ろしながら首筋を撫でる。

 針が刺さったところが麻酔にかかったかのように感覚がない。

 この異常な身体に異変があったということは相当に強力な毒だったのだろう。

 スノウが生きているのは幸運以外の何ものでもない。


 姿を隠した卑劣な攻撃、しかしそういう戦い方もある。

 気配の隠し方、暗殺の精度、敵ながら見事なもの。

 この男もまた卓越した能力を持っていた。


 小柄で痩せ細った身体、骨格の歪み。

 誇りある戦士とは言えない男。

 常人には劣り、体格に恵まれなかった者は別の手段を使わねば生きていけないこともある。

 例えそれが卑怯、卑劣だと言われようとも、与えられた手札で勝負するしかないのだ。

 スノウにはそんな劣った存在、才能に恵まれなかった者の気持ちがよく分かった。


 だからと言って罪を犯していいのか、などという、上から目線でもない。

 下層にいる者はどうすればいいのかわからない時だってある。


 世の中は平等ではない。

 悪人が家族に囲まれ老衰し、善人が惨たらしい最期を迎える、そんな狂った世界。


 結局のところ自分の身に降りかかった時、許せるのか、許せないのかでしかない。

 この男は死んだ。悲しい死に様だ。

 自分もロクな死に方をしないだろう。


 スノウはこの小さな暗殺者に、自分の過去と未来を重ね合わせた。


 僅かな逡巡の後、かぶりを振って思考を断ち切る。


 未来のことを考えてもしょうがない。

 俺は今を生き抜くだけで精一杯だ。



 草がない踏み固められた道。

 辛うじて道のようなものが見える場所。

 スノウは度重なる戦闘の末、ようやく町を出て先にあるその場所にたどり着いた。


 視線の先に見えるのは二人の人影。

 大頭目タイラーとその護衛。


 「私の……町が……燃えていく……」


 タイラーは焼失していく町並みを見て呆然と呟く。

 目の裏にあるのはありし日の思い出か。

 そして追ってきたスノウの姿を視認。

 炎に包まれる町を背景に、まるでこの男自身が燃え盛っているかのように錯覚。

 異様な光景に、これまで感じたことのない畏れや慄きを受ける。


 無意識に後ずさるタイラー。


 「貴様の所為で……。この、化け物め……!」


 口をついて出た怨嗟の言葉。

 今宵の不幸を全て擦りつける勢い。


 タイラーは予定より逃げ遅れていた。

 混乱により、逃走に使うはずだった彼の馬は山賊達に盗まれ、足がない状況。

 通常時ならばありえない行為。

 山賊達がタイラーに見切りをつけた証拠。

 今の彼にあるのは手にした箱の中にある財宝と、各地に隠してある財産、それと一人の護衛。

 目の前の一人の男から逃げることさえできれば、時間はかかるにしろ再度やり直せる。


 「ダズ、頼んだぞ。お前だけは必ず生きて帰ってこい……」

 「へい」


 タイラーはどこか愛おしげにダズと呼んだ大男にささやき、箱を抱えて森の中に逃げていった。


 ダズは主が去っていくとこちらに向き直る。

 身長二メートル程の背丈に、筋肉のついた太い体格。

 厳つい顔に坊主頭。

 特徴的なのは前腕あたりまで覆われた金属の小手。

 鋭い爪先が光に反射して光る。

 左腕にはククリのような形をした段平を持っている。

 全体的にどこか残虐さを感じさせる大男。


 当然のように魔力を持っているが、やはり隠せてはいない。

 これが普通と見て間違いはないだろう。

 スノウは自分のアドバンテージを見つけ、少し安心。


 「若いな」


 ダズは感情を表に出さず、こちらを観察。


 「そのトシで大した奴だ。だがよ……、向かってくる奴には手加減できねえ男だ、俺は」


 余裕の表れか話しかけてくるダズ。

 スノウは黙って反応を見せない。


 「俺は弱えやつをいたぶるのが好きでなぁ……。殺してくれよ泣き叫んでもすぐには殺さねえ。それじゃあダメなんだ。まずはそうだな……、指を一本一本潰して、それから耳と鼻を削いで、んでそこから…………」


 ダズはスノウにお前もこうしてやると言わんばかりに残虐で暴力的な言葉を並べ立てる。

 嗜虐的な笑み。

 相手を萎縮させるための脅し、挑発、惑わし。

 恐怖を植え付けようとする作戦。


 スノウの脳裏に過去のことが僅かによぎったが、動じる様子はない。

 今や集中力はピークに達し、目の前の敵を如何にして殺すことだけを考える。


 「フン……」


 ダズはそんなスノウの様子を見て、意味のないことと悟ったかピタリと話をやめる。

 先ほどまでの嘲りの表情はなく、戦う男の顔付き。

 ここから先は言葉は必要ない。

 力こそが言語となる。


 大木のようにどっしりと構えるダズ。

 彼からすればこちらから動く必要はない。

 時間がかかるほど主人は遠くに逃げることができるので有利。

 自分を置いて主人を追う可能性もあったが、相手の目を見て逃げないと確信。

 この男はまるで炎だ。

 近づく者全てを焼き尽くす。


 スノウも同様に考え、こちらから近づく。

 警戒すべきは右腕の小手。

 腕自体が凶器となり得る危険性。


 思いを胸に相対する両者。

 最後の死闘が始まろうとしていた。

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