第38話 場違いな五人

 兵士になってからの初めての休暇。

 楽しみに思いを巡らせるスノウだったが、気がつけば砦での戦いの日々に戻りたいと考えている自分がいた。


 いつの間にか空は暗くなり、人々はそれぞれの寝床へと帰っていく。

 何をするわけでもなく広場で座っていると、散策に出かけていたマナが帰ってきた。

 彼女は隣に座るが、どうやら浮かない様子。


 「道場はだめそうか?」

 「ダメ。来てくれそうな人もいたんだけどなぁ。変なことしてきたから気絶させちゃった……」


 道場を開いて教えたいと言っていたのを覚えていたので冗談のつもりで聞いたが、本当に勧誘していたとは。


 相手が悪かったな。


 マナとその相手両方に同情する。


 その後二人で夜の町並みを眺めていると、グレイグと司祭の二人もぞろぞろと戻ってきた。


 司祭からは少し血の匂いがした。

 自傷する時間ではないため他の誰かの血が流れたのだろう。

 自分から襲うとは思えないので恐らく返り討ちにしたと予想。

 そいつがどうなろうと知ったことではないが。


 二人の顔も休暇を目一杯楽しんだ顔にはとても見えない。

 皆思うところは似ているのだろう。


 「レナードはどうした?」

 「……見てないな」


 用とやらは済んだのだろうか。

 このままここで休暇を過ごすのは遠慮したい。


 「そういえば酒を飲むとか言ってたな。俺も今そんな気分だ」

 「今日はいかがわしいところに行くんじゃなかったの?」

 「ハハ……、まぁ行くには行ったんだけどよ、ちょっとな……」


 マナの質問にグレイグは歯切れの悪い答えを返す。


 酒か。転生してからは飲んだことがない。

 俺も本来なら独り立ちしてる年齢。

 久しぶりに酔いの感覚を味わいたい。


 「いいね。俺たちも行こう。静かなところがいい」


 同意を示して酒を飲めるところを探す。

 大勢が大騒ぎしている所じゃなくてバーのような所がいい。

 こういう時頼りになるのはグレイグだ。

 観察力や洞察力が優れ、対話能力も高い。


 グレイグはいくつか開いている飲食店の前で現地民の男性を捕まえる。

 その男にいくばくかの金を掴ませて目当ての店を聞き出す。

 なんとも手際のいいこと。


 グレイグに着いていくと少し狭い路地裏にある店へ入る。

 中はこじんまりとしているが客も少なく雰囲気もいい。

 まさに地元の人間しか来ないような店。


 「いらっしゃい」


 酒場の店主はチラリとこちらを見て目を伏せる。

 余計なことは言わない、聞かない、そんな姿勢。

 それだけで命を落とす場合もある。


 カウンターに並ぶ。立ち飲みの形。

 この世界でどんな酒があるのかわからないため、注文はグレイグに任せる。


 「とりあえずエールをくれ」


 彼はエールを注文。

 なんだか懐かしいフレーズだ。

 ちなみにマナは果実水。


 「司祭様は酒飲んでいいのか?教えに反するとかさ」

 「欲求には忠実であれ……神もそう仰っています」

 「……そうかい」


 「んじゃとりあえず乾杯だ」


 金属製の杯を軽く鳴らして一気に飲み干す。

 ぬるい液体が喉を潤す。

 まあ、うまくもまずくもない。こんなものだろうという感想。

 少しアルコールの風味を感じた。


 「強いやつないか?」


 適当に代金を置いて注文。

 がっつりと濃度が高いものが欲しかった。

 それを聞いた店主が棚の下から瓶を取り出す。


 「少し値段が張りますがかなり強いですよ。水で薄めて飲むか、少しずつ飲むのがおすすめです」


 恐らく蒸留酒の類のものだろうと予測して封を開ける。

 強いアルコールの香りがスノウの鼻を突き抜ける。


 「うまそうじゃねえか。こっちにもくれ」


 杯に少し注ぎ、グレイグとそれから無言で杯を差し出す司祭に少しずつ注いでやる。

 炒り豆をつまみながら一口。

 口の中で色々な味がするが、酒には詳しくないため正直なところなんともいえない。ただ、良いものだろうな、というくらい。


 「ま、そこそこだな」


 グレイグは詳しいのかペラペラと喋り出す。

 樽の香りがどうとか、何を使ってるだの。

 覚える必要のないウンチク。


 四人で軽く雑談しながら杯を傾ける。

 話題は主に明日のこと。

 何をやることになるのか、聞かれても差し障りのない程度に話し合う。


 そんな時、突然動きを止める四人。

 店主や他の客にはわからない感覚が彼らを警戒させる。


 一瞬だが遠くで魔力が瞬いた。

 これをどう見るべきか考えるが、こんなことができるのはこの町で一人しか知らない。

 レナードだ。

 ということはこれはスノウ達に向けたメッセージという可能性。

 俺はここにいる、と言っている。


 こんな使い方もあるのか、と思わず感心する。

 迷界ではできないが、外の世界ではそこそこに有用な連絡手段。

 ただし、自分たち意外にこれを察知できる者がいないなら、という条件がつくが。


 四人を代表してスノウが応答するように一瞬魔力を解放。

 彼ならこれで十分なはず。


 一定間隔で魔力を明滅させながら近寄ってくる存在。

 レナードであるはずだが、この店の扉が開いて正体を見るまでは安心できない。

 そっと手を剣の柄に添える。


 そして二回ノックして開けられる店の扉。


 「よう。驚いたか?」


 悪戯が成功した子供のような笑みを見せてレナードが現れる。

 スノウ達はため息を吐きながら小さく首を横に振ることで答えた。


 「こんな使い方もある。それにしてもいいとこ見つけたな。ここは初めてだ」


 店内を見渡しながらレナードは店主に注文。スノウ達の横に並ぶ。


 「もう一本くれ」


 いつの間にか中身が無くなっていた酒瓶。

 在庫少なめなのか、渋る店主に追加を要求。

 多めの代金を払うとそれなら、と快く受けてくれた。


 「んで、どうだった?休暇はよ」


 レナードの問いに誰も何も言えない。

 言葉にしにくい不満があった。


 「…………はぁ」


 唐突にグレイグが項垂れて溜息を吐く。


 「昔はあんなに好きだったってのによ……」

 「わかるぜ……」


 その言葉にレナードは彼の肩をバンバンと叩く。


 「足りねぇんだよな……?」


 グレイグが落ち込む理由、それは今日の出来事にあった。


 彼は今日、娼館で明日の朝まで遊ぶつもりだった。

 女を買って、抱こうとする。

 そこで気づく。昔はあったはずの燃え滾るものがない、ということに。

 さらには目の前の女が武器を隠し持ってはいないかと疑う自分。

 そんなはずはないと思いつつも動かない身体。

 警戒のために短剣を持つわけにもいかず、裸になれない自分。


 呆然と立ちすくすグレイグは娼婦達から奇妙なものを見る目で見られた。

 性欲がないわけではないのだ。

 不能というわけでもない。


 ただ、身体がする必要がないと言っている。

 心は別のことを求めている。


 グレイグを慰めるレナード。

 彼も通った道なのか何度も頷いている。


 そして今酒を飲んでいるスノウもあることに気がつく。

 

 酔えない、いや酔わない……?


 これだけ強い酒を何杯も飲んでも酔っていない。


 やけになったスノウは杯に酒をなみなみと注ぎ、一気に飲み干す。

 店主が驚きに目を丸くする。


 「強いねぇ。お兄さん」


 強い?そうじゃない。

 何も感じないのだ。

 あの喉が焼けるような感覚も、あの酩酊感も、頭がふわふわするような感覚もまるでない。

 水を飲むように飲めてしまう。

 スノウは酔うことのできない身体になってしまった。


 「どうして酒を飲みたいなんて言ったんだ?」


 酔えないことを知っているはずのレナードがなぜそう言ったのか理由を聞く。


 「たとえ酔えなくてもうまい酒は飲みたいもんだ。……まぁほんの少しでいいけどな」


 「さあ、帰ろう」と杯を飲み干して酒場から出ようと促すレナード。

 その帰り道、スノウはトボトボと坂を上がる。


 重い現実がスノウをそうさせた。

 薄々気づいていたことでもあった。


 彼らの居場所はこの町にはない。

 酒でも女でも、いくら金があっても彼らの欲しいものは手に入らない。

 そんなものでは満足できない。


 震える魂、猛る感情、焼けるように熱い身体。

 命懸けの闘争こそが彼らを満たす。

 それが最上の快楽となっていたのだ、気が付かないうちに。


 砦での毎日が、迷界の環境が彼らを変えた。

 大きな力と引き換えに、人の欲求の一部を奪い去った。

 

 もしも彼らが普通の人間と戦うようなことになれば、一体どうなるだろうか?



 屋敷の二階にある一室から窓を開けて外を見る。

 多くが寝静まった夜更け。町には一部光が灯る。


 スノウは与えられた個室にいた。

 一人で仕切られた空間にいると落ち着ける。


 窓から町の景色を見ていると、昔を思い出す。



 平凡な日々。

 裕福ではなかったが、父と二人で過ごした穏やかな日々。


 幼馴染もいた。

 顔や声を思い出そうとするが、出てこない。

 可愛らしい子だったのは覚えている。

 朧げで、遠い日常の記憶。

 当たり前に続くと思っていた日常。


 あの日から全てが変わった。

 殺された父、捕まった自分。


 身を引き裂かれるような激痛。

 永遠にも感じた拷問。

 止めてくれと、殺してくれと、何度も懇願した。

 けれども男達は笑って俺の背中を鞭で打った。


 

 スノウの頬を涙が伝う。

 感情的になってのことではない。

 無意識に、目から溢れてしまうのだ。


 ふとした時にこうして昔を思い出すことがあった。


 哀しみはない。

 もう十分に哀しんだ。

 失われてしまったものは戻ってこない。


 それよりも怒りだ。怒りの感情だけが残っている。

 無力で憐れな自分への怒り。

 何もかもを奪った男達への怒り。

 それがスノウを生かしていた。


 許さない。

 絶対に、奴らが犯した報いを受けさせてやる……。


 あの時生まれた怒りの炎はスノウの心の奥底で今もなお、ずっとずっと燻り続けている。

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