第37話 束の間の休暇

 目の前に広がる町並みは辺境の田舎にしてはそれなりの規模。


 小高い丘を均したと思われる台地に、周りを石造の外壁で囲み、内側には木造のしっかりとした建物がいくつも見える。

 そこに至る踏みならされた緩やかな坂には坂の上下に門があり、商人と思われる人々がその場所を通って行き交う。

 山脈から流れ出る潤沢な水が水路に流れ、一部が丘の地下へと続く。


 一方、外壁の外では正門付近やそこに続く大きな道には宿屋や飲食店が店を連ねているものの、そこを少し外れた所には薄暗い住居群も。

 その辺りにはギラついた目をした明らかに堅気でない男や乞食といった人々の姿があった。

 町に入りきれない人間が集まった結果、彼らは周辺に無理矢理居住し、町の富を掠め取ろうと機会を窺う。

 下から上に成り上がろうとする者たちの集まり。


 そんな場所だが全ては砦から運ばれてくる資源があってこそ。

 少しでも早く、安くそんな魔物の素材を買い付けようと集まってくる商人達。

 当然彼らには大金を払って雇った護衛の傭兵達もいる。

 人が集まれば衣食住を満たすためにさらに人々が集まった。

 そうやって町と呼ばれる規模にまで成長した場所。


 ここはオルバ辺境伯領にある北の砦に一番近い町、ウィリア。

 砦との重要な交易中継拠点として栄えた町。



 ウィリアに到着したスノウの目に入ったのは活気のある町並み。

 酒場や飲食店の呼び子が彼らを引き込もうと声を張り上げる。

 大通りは石畳で舗装され、街路樹が一定間隔で植えられている。


 建物の間の細い路地には痩せ細った子供や座り込む人の姿もちらほら。

 おそらく身分を証明するものもない孤児や不法居住者たち。

 といっても町ほどの規模になれば多かれ少なかれそういった者は存在する。

 彼らを追い出したとしても、すぐにどこからか再び集まってくるためあまり意味はない。

 せいぜい犯罪組織の摘発のためといった程度だろう。

 多くの人間が集まればそれだけ格差が生まれ、下の搾取される者も多くなる。

 どんな所にも光と影はあるものだ。


 ウィリアの町に入る道や町の内部に入る正門周辺にはなんらかの規制がされているのか雑多な様子はない。

 遠巻きにこちらを見てくる人々の視線を感じる。

 暗く飢えた視線。

 今日生き抜くためになんだってしたきたという瞳。

 彼らのような人が山賊へ変わることもあるのだろう。


 正門への道を歩いていると、行き交う商人や巡回の兵士達がすれ違うホッファに挨拶を交わしてくる。

 中には浮浪者の男性でさえホッファに挨拶する。


 随分と人気がある。


 正門にたどり着くと、門番の兵士達が最優先でホッファの商隊を通す。

 まるで貴族に対する対応。


 「すごい扱いだな」

 「ええ。私どもはシア様直属の配下、のようなものですので」


 それも当然かもしれない。

 

 砦との交易を行なっているのは彼の商会を通してのみなのだから。

 何か特別な理由があるのかは知るよしもないこと。

 貴族の世界のことは知らないが、シアという個人の影響力は大きいように思えた。


 緩やかな坂を登り、内門をくぐる。

 壁の内側はまた違った町並み。

 兵士や役人と思われる姿が多く、大きな建物がいくつか見える。

 目を引いたのが右手に見える大きな建物とその隣の屋敷。この町で一番大きな建物ではないだろうか。


 「昔はこの壁の中だけに人は住んでいました。防衛拠点の一つに過ぎなかったのです。それがシア様が来てから私の曽祖父を雇用して交易拠点となり、人が集まり出すと町になった。以来、こちらの方を運営施設や兵士の詰所、あとは我々の住居として活用しております」


 そう語るホッファは右手にある大きな建物に近づいていく。

 既に建物の前には荷下ろしのためか人が控えている。

 行商達は到着すると彼らに荷を受け渡し、屋内へ入っていく。


 「着きましたぞ」


 馬を預け地に降りたホッファは一人こちらに向き直り一礼する。


 「ようこそ。我がフリオ商会へ」


 彼こそがミリアルドの大商人、魔物を売る男、ホッファ・フリオ。

 彼は小さな男だが、大きな力を持っていた。



 フリオ商会に到着したスノウ達。

 主人であるホッファに促され、屋敷へ案内される。

 中に入ると、若い男が待っていた。


 「おかえり、父さん」

 「おお、ハロルド。ささ、こっちへ」


 ホッファの隣に並ぶとよく似ている。

 恐らく彼の血縁者。


 「こちらは息子のハロルドでございます。もうすぐ引退して跡を継がせる予定でして。その時はどうか厳しくしてやってください」


 紹介され頭を下げるハロルドは彼に似て小柄な丸く、柔和な顔をしている。

 だが身体は鍛えているようでがっしりとした体格。

 ホッファも若い頃はこうだったのかもしれない。

 行商をするためにはまず自分を守れなければならないということか。


 スノウ達は未来の大商人と挨拶を交わす。

 ハロルドは父に似て腰の低い優しげな男だった。


 挨拶もほどほどに客間へ通される。


 「皆さん滞在中はこちらの屋敷を自由に使ってください。必要なものがあればなんなりと近くの者にお申し付けを。私もしばらくはここに滞在しております故」


 それだけ言って去っていくホッファ。彼も忙しい身だろう。


 年配の女中が案内を引き継ぐ。

 それによると、なんとそれぞれ個室まであるらしい。

 ありがたいことだが、あまり使うことはないかもしれない。

 スノウ達にとって必要なものはこの町には少ない。


 ようやく自由になったスノウ達。

 遂に休暇の時間が訪れた。


 「よーし、んじゃとりあえず解散だ。休暇を楽しんでこい。俺は先に用を済ませる。明日の朝ここに集合だ」


 疲れなどあるはずもなく、早速屋敷を出ていくレナード。

 スノウは控えている年配の女中に話しかける。


 「着替えないか?なんでもいい。あと井戸の場所を教えてくれ。水を浴びたい」


 町へ出るのに匂いが気になる。

 砦にいる時や旅の間は気にしないが。

 スノウにも一応身だしなみを気にする常識はある。

 

 「あっ私も!!」


 同意したのはマナだけで後の二人は既にいない。

 適当な着替えをもらい、外にある井戸で水を浴び、身体を布で身体を擦る。

 久々にやると気持ちのいいものだ。

 マナも布を胸に巻いて同じ様にしている。

 彼女も男社会で育った身。この程度は日常茶飯事。

 程よく筋肉のついたしなやかな身体と白い肌が眩しく反射する。

 大人の身体へと変化しつつある肢体。


 「スノウはどうするの?」


 服を着ながら話しかけてくる。


 「取り敢えず飯かな。それから適当にぶらつくよ」

 「私も行く。着いてっていい?」


 上目遣いでこちらを見上げる彼女。


 「勝手にしろ」


 スノウは少しぶっきらぼうな言い方をしたが、本当の所少し心細かったのでありがたかった。

 マナは嬉しそうににっこりと微笑む。

 今の仕草が打算かどうかは本人しか知らないこと。


 さっぱりとした二人は坂を降り、門を抜ける。

 門番はスノウ達のことを伝えられているのかかなり畏まった態度だった。

 砦では一兵卒にしか過ぎないスノウ達だがこの町では大分扱いが異なる。


 匂いに釣られて近くの店の中に入る。

 客もそこそこ入っており悪くなさそう。

 カウンターに座り早速注文。値段を告げられ金を払う。

 懐から銅貨を取り出して払う。こんな行為も随分と久しぶりのこと。

 久しぶりのやりとりに少しもたつく。

 それを訝しげに見る店主。


 パンと焼いた肉が食いたい。砦で出される食事は煮込みばかりだった。

 濃い味付けだと尚良い。旨味のある食事がしたい。


 「はいよ。お待ちどうさん」


 出された料理はシンプルなステーキ。

 ソースの香りが食欲をそそる。


 食器のナイフを刺して豪快にかぶりつく。

 肉汁が溢れ、肉も柔らかい。脂とソースが実にコッテリとした味わいを感じさせる。

 いつも食べている肉は筋張っていて噛みきれないものばかり。

 食用に育てられた家畜のうまさはなんと素晴らしいものだろうか。


 「人間界の食べ物は美味しいねぇ」


 口いっぱいに頬張りながら感動した様子のマナ。

 彼女もスノウと同じ料理を頼んでいた。


 パンは堅いが鍛えられた二人の顎はそれを物ともせずに噛み砕く。

 いつぞやハイネに折られた奥歯も気付かぬうちに生え変わっていたことはスノウは気づいていない。


 その後二人は何度もおかわりをして久々の美味しい料理に舌鼓を打った。



 「美味かった。やはり人間の文化は偉大だな」


 極力食事を取らなくても生きていけるスノウだが、やはり美味いものは良かった。

 十人前以上は食べたはずだが、その身体に変化は見られない。

 既にスノウの身体は普通とは言えないため気にするのは無駄なこと。


 「武器見にいこ!武器!」


 どこに行こうかと迷っているとマナが提案してくる。

 特にこれといった目的もないので了承。

 武器屋を探して歩く。


 町には傭兵と思われる男達も多かった。

 中には魔力を持っている者も。だがスノウからしてみれば少量もいいとこ。

 恐らく他の迷界で活動していたのだろう。

 彼らは行商達に雇われて金を稼ぐ。そして彼らはこの町で金を使う。


 「あったあった」


 マナが見つけたのは武器でできたわかりやすい看板。

 識字率も大して高くない辺境では客を引くためにこうしたわかりやすさが問われる。


 ごちゃついた店内を見て回る。

 怖いおっさんが目を光らせて監視する。

 出入り口に立っている男もこの店の者だろう。客とは見ている箇所が違う。

 適当に横に置かれている剣を手に取ってみるが、普通に悪くない物だと感じた。

 粗悪品でもなく、値段相応のもの。

 人ひとり殺すにはこんな物でも十分に可能だ。

 ただ長持ちはしないだろうが。


 「にいちゃん。冷やかしか?」


 受付のおっさんに話しかけられる。

 肩をすくめて申し訳ないという顔をするスノウ。


 「その腰につけてるもの、見せてくれねえか?」

 「だめだ」


 おっさんの頼みを即座に断る。

 外套から少し覗いたか。

 スノウにとってこの片手半剣は命を守るためのもの。

 必要以上に見せたりなどしない。

 明確な拒絶に店内の雰囲気が少しピリつく。


 「気を悪くしないでくれ……。それは、俺たちにとっちゃ憧れなんだ。世迷言だ、忘れてくれ」


 気にしてないと目を伏せて答える。

 この剣の価値がわかるということはそれなりに武器に精通した人間。

 改めてブランドンの実力が垣間見えた。


 スノウは楽しそうに武器を見るマナに声をかけ店を出る。

 出入り口にいた屈強な男はスノウとマナがどこから来たのかを理解したのか始めよりも距離を空け背中を丸くしていた。

 

 店を出たスノウは適当に町中を散策する。

 この町には活気があり、人々は皆忙しそうに行き交う。

 通りの横に商人達が商品を並べ客を引いている。


 人通りが多いところを歩いていると時折子供がぶつかってきた。

 それをひらりと交わすと別の子供がまた体当たり。

 彼らは集団でスリをしていた。

 身体で当たってきながら手を伸ばしているが、その手がスノウに当たることはない。

 なぜならそもそもスノウは誰ともぶつかることのないように動いている。

 他人との身体の接触が嫌いだった。

 迷界に潜った結果の悲しい習性。


 「俺は少し座ってるよ」

 「はぁい」


 町にある中央広場のベンチに座るスノウ。

 マナは一人、散策の続きに出かける。


 こうやって人の営みを眺めていると、戻りたかった日常が目の前にあった。

 人が生活していて、子供が遊ぶ声が聞こえて、自分がいる。

 ずっと思い描いていた光景。そのはずだった。

 何かが足りない。

 食べたい物を食べ、やりたいことをやろうと思ったが、できない。

 もうこの町でしたいことがない。

 休暇は終わってしまった。一瞬で。

 満たされない心がある。

 心の中に欲がある。

 身体が疼いて仕方がない。


 自分の中の心が求めているのはただ一つのことだけ。


 それは、闘争だ。


 俺はどうしようもなく闘いたい。

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