第36話 人の姿をした獣
暗闇の中だと赤く輝く目がよく見える。
夜、月の光が差す中、スノウは飛びかかってきた魔物に組み伏せられないように避けつつ攻撃。
襲ってきた魔物は高い悲鳴を上げて地面に転がる。
襲撃してきた魔物の群れはこれで最後。
「こいつら砦を超えてきたわけじゃないよな?」
「違うと思うぜ。歯応えもないしな」
敵の正体は魔狼。
以前見た時はあれほど恐ろしいと感じていた魔物。
それが今はなんてことのない相手。
自分の成長を実感する。
魔狼は砦でよく見かけるものと違い、身体は一回り小さく、内包する魔力も少ない。
おそらくこちら側で迷界の影響を受けた個体だろう。
「スノウさん。俺たちにやらせて下さい。これじゃあ申し訳が立たねえ」
魔狼の死体を処理しようとしていたスノウに行商の雇った護衛の一人が言ってきた。
スノウから見ればその男は非常に年季の入った歴戦の傭兵という出立ち。
そんな男がスノウをさん付けで呼び、気を遣う。
彼らはまだ子供と言えるマナ相手にも同様の言葉遣いと態度。
マナは軽く礼を言って譲る。
こうしたことに慣れているようだ。
ここは力あるものが正義という世界。
スノウ達に対して尊敬と畏怖の念を示す彼ら傭兵。
むず痒い思いをするスノウ。
年上から頭を下げられ、敬語を使われることではない。
自分がそんな上等な人間ではないと思っているからだ。
スノウは自分という人間の弱さを知っているつもりだった。
決して驕るな、調子に乗るな、いい気になるな……。
お前はそんな上等な人間ではないだろう……?
魔物の処理も終わり再び夜の時間。
夜は退屈だ。
自分と行商や護衛を比べるとその異常性が際立つ。
スノウ達は夜でも目が見えるし、睡眠も必要ない。日中と同じように行動できる。
だが彼らは違う。休む必要があるし、食事や睡眠も必要だ。
夜になれば動かない、それが普通で自然なこと。
スノウ達は夜の見張りを喜んで買ってでる。必然だ。
隊を囲むように散らばり、見張りをしながら静かに時を過ごす。
朝日とともに商隊は動き出す。
皆準備に勤しむ中、スノウは馬の世話をしていた。
汗を拭き、水を与え、干し草を喰ませる。
馬というのは人類の相棒だ。
共に旅をして、仕事をして、時には戦いもする。
人々はこの動物を非常に大切にしてきた。
スノウが世話をしているこの馬もそんな一匹。
ただ他と違い魔力を持った特別な種。金では買えない類のもの。
大きい体、強靭な肉体、そして知性を持つ。
この短い旅に同行した時、ホッファにやってはいけないことを教えられた。
それは相手を下に見てはならないこと。
この馬達はそれを感じることができるそうな。
彼らは仕える相手を選ぶ。相手が自分に乗るに相応しい人物か見極めてくる。
ホッファがやり方を教えてくれた。
スノウは最初彼らに相対した時、教えられた通り、まず目を合わせた。
品定めする目つき。つぶらな瞳でこちらを見てくる。
手を差し出すが、こちらからは触れない。
すると向こうから鼻を擦り付けてきた。
認められた証。
簡単に思えるが、この馬に乗れるのは行商隊でも数人。
「さすがですねえ」
「そうかな?」
「そうですよ」
彼は何かとスノウを持ち上げてくる。それがなんだか面映い。
*
麓の森林地帯は広大で、山道の高いところから見ると手前には魔物、その奥が山賊と非常に物騒な場所。
広大な森林地帯を抜けると開けた大地になっており、そこに今回の目的地である町がある。
辺境ならば村となるのが町規模になっている理由は砦にあった。
町は砦を繋ぐ重要な中継地点になっており、砦から運ばれる貴重な素材が流通しやすい。
それを求めて商人達が多く集まった結果、町と言える規模になった歴史がある。
辺境にできた大きな町、そこには当然金目の物が集まる。さらには町の周囲には隠れるにはうってつけの森林地帯。
時折魔物も出現するため、現地民は森にあまり近寄らない。
自然と、そこは空白地帯となった。
これに目をつけたのが殺しや盗みを生業とする悪人達。そこに町であぶれたゴロツキ共が加わり、一大勢力となった。
彼らはこの広大な空白地帯に拠点を構え、日々行商が運ぶ物資を狙っている。
商人達も黙ってやられるわけにはいかない。
腕利きの護衛を雇い、荷物を守る。
自分の身は自分で守る。それが当たり前の世界。
巨大な勢力になった山賊たちだったが、町には手が出せなかった。
なぜならここはオルバ辺境領、その領主であるオルバ辺境伯の庇護があったから。
辺境伯の逆鱗に触れればあっという間に森の大掃除が始まる。
山賊達はそれを恐れていた。
彼らがもたらす被害は少なくないにも関わらず、辺境伯がなぜ山賊の存在を許しているのか、それは誰にもわからない。
スノウはそんな山賊達の縄張りに入る。
針葉樹の森で、黒っぽい木の幹が立ち並び、柔らかな黒い腐葉土のような土。
森の中は黒い木と土も相まって薄暗い雰囲気。
森の中にある道を進んでいると、臭いがした。
嫌な匂い、汗臭さと血が混じった臭い。おそらく男のもの、つまり山賊の可能性大。
スノウが感知したということはレナードも感じたはず。
彼の方を見るとこちらに頷いてくる。
「どうしました?」
異変を察知したホッファがレナードに尋ねる。
「この先に賊がいる。さすがに一人ってことはないだろうな」
「あらら、また愚か者が出てしまいましたか……」
少し引っかかる言い方だった。何か事情があるのだろうか。
レナードもそれ以上は言わない。ならば何も言うまい。
彼は手を挙げ合図を出し行商達を止める。
「スノウ。早めにやっとくか?」
こちらに向き直りこの一言。
やっとくか、とは殺しとくか?という意味。
レナードという男、こう見えて非常にスパルタで実戦派。
とにかくやらせてくる。
「気は進まないが……、やろう」
「もう一人いるか?」
「いらない」
情けないところは見せたくなかった。
商隊を離れ一人先行するスノウ。
心の中に戦いたい自分とそうじゃない自分がいた。
戦いたい自分は自分の力を試したいと言っている。
今自分がどれほどのものなのか、その立ち位置を知りたかった。
そうではない自分、これは人を殺すことに抵抗を感じているわけではない。
葛藤はなく、必要ならなんだってする覚悟。
戦いたくない理由は怖いからだ。
命をかけて戦うことはいつだって恐ろしい。
道なりに行き、途中から道を外れ森に入る。
相手のおおよその位置はわかっている。
敵はこの先にある曲がり道付近で待ち伏せをしているようだ。
周囲は斜面があり、道を挟むように盛り上がっており、見通しが悪い場所。
スノウは回り込むように森の中を進み、山賊達がどのような配置をしているのかを観察する。
彼の圧倒的な視力、感覚は遠く離れたところからでも敵を捉える。
そうして山賊の位置を捕捉しどう動くか戦術を組み立てていく。
すでに戦いは始まっていた。
道の両側にそれぞれ隠れている二人の見張り。
警戒している様子は全くない。
彼らは襲う側で襲われる側ではないと思っているのだから当然と言えば当然。
その少し離れた森の中に合図を待って駄弁っている山賊が四名と小便をしている一名。
薄汚れた身なり、黄ばんで欠けた歯、におい立つ衣服。
装備はお粗末でちぐはぐ。おそらくありあわせの物。
剣が多い。森の中で槍は振り回せないからだろう。
小さな声のつもりのようだが実際は大きな声でくだらない話をしている。
金ができたら女を買う、殺した、殺された……そんな会話。
「あいつらは腰抜けのクソ野郎だ。俺はそうじゃねえ」
リーダー格らしき男が仲間に息巻いている。
身体が大きく一人だけ装備がまともな方。
鉄の胸当てが反射して光る。
戦闘になれば真っ先に彼を標的にした方がいいだろう。
頭を叩けば集団の力が弱まるはず。
スノウは静かに動き出す。
まず狙うのが見張りの二人。
集団から遠い方の一人に狙いをすまし背後から忍び寄る。
緊張で身体中の血液が沸き立つ感覚。
森のざわめきの音に合わせて一気に距離を詰める。
短剣を抜き、片手で口を抑えこちらに倒しながら喉元に刃を突き立てる。
驚愕に目を見開く男。何が起こっているのかわからない様子。
声が漏れないように抑えていると、男の身体から力が失われていく。
ごめんな。でもお前もそうしてきただろう……?
一人を殺し、素早く次の標的へ移る。
身を屈め、手早く同様に暗殺。
殺したことには気付かれていないが、近くの見張りが消えたことには気づいた様子。
山賊達は何事かと立ち上がり、警戒しながら様子を見にくる。
これ以上は無理だな。
大きく深呼吸をして静かに剣を抜き覚悟を決める。
隠れているスノウは再び身を屈め迂回。
地面に凹凸があり思ったより隠れやすい。
山賊が仲間の死体を発見したタイミングで飛び出す。
狙いはリーダー格の男。
警戒して一番後ろにいたことが仇となった。
横から飛び出してきたスノウを呆けた顔で見ている。
落ちる首。
スノウの一撃は速く、強かった。
未だふらふらと立っている首のない身体を蹴って倒す。
そこまでしてようやく反応する残りの山賊。
武器を構え、大声を出して在らん限りの罵詈雑言をスノウに浴びせる。
慣れた対応だ。聞くものが聞けば腹まで響くドスの効いた声。
だがその声の裏には正体不明の敵への恐れと怯えが見て取れる。
彼らを平坦な目で見つめるスノウ。
先頭の男がチラチラと視線を動かしている。
知ってるよ。
背後から襲ってきた伏兵を振り向きざまに抱えて盾にする。
前と後ろからの攻撃。
同時に攻撃を仕掛けようとしていた男は味方を盾にされたと気づき踏みとどまる。
さらにスノウは盾にした男の首を掻っ切って背中を押す。
男は喉から血を零しながら味方の方へ倒れ込む。
死んでいく味方を避けながら激昂した山賊の一人が刃こぼれした直剣で斬りかかる。
なんとも遅い攻撃。
半身になってそれを回避、すれ違いざまに剣を斬り上げ、両手首を落とす。
両手首を落とされた山賊は遅れて声にならない悲鳴をあげて女のように座り込む。
残り二人。
一人が身体を上下させフェイントのようなものを仕掛けているがまるで意味のないこと。
苦し紛れの必死な動作。
効いてくれと言わんばかりの表情。
昔は俺もこんなにわかりやすいことをしていたのかな、と他人事のように思う。
こちらから一歩前に出る。
数の有利を生かし同時に斬りかかってくる二名。
大振りに剣を振り上げた右方、ここでそれは悪手。
スノウは前に踏み込んだ鋭い突きを返す。
剣の先端は容易く喉を裂く。
そのまま通り過ぎるスノウ。
喉を裂かれた男は何もない空中を斬りながら倒れ、首を抑えながら何かを喋り、自らの血に溺れる。
立ち位置が入れ替わり、最後の一人と対峙。
ブルブルと足を震わせ、怯えた表情の男。
これから自分が死ぬことが理解できていないのか、認めたくないのか。
大したことはしていないのに既に息を荒げる男に対し、スノウは息一つ乱れていない。
冷徹な視線が男を射抜く。
スノウが男を見る目はなんの感情もない。
絶叫し、がむしゃらに剣を振り回す男。
スノウはその刀身を素手で掴んで止める。
手から僅かに滴る血。
驚くべきことではない。単に力が乗っていないものを掴んだだけだ。
この山賊はまるで子供のようにおもちゃを振り回していたに過ぎない。
それでは人を斬ることはできない。
「あ」
剣を掴まれた山賊は我に返ってそれだけ言った。
スノウはそのまま刀身をどけ、その男の首に斬りつける。
大した力を入れずとも、彼の圧倒的な膂力は男の首を切断する。
蹂躙が終わり周りを見渡すスノウ。
泣き声がしている。
見れば両手首を落とされた山賊が座り込んでメソメソと泣いている。
彼はもう山賊として生きてはいけないだろう。
森を追い出され、どこかで野垂れ死ぬか、身ぐるみ剥がされて殺されるか。
どちらにしろこのままだと出血多量で命を落とすことになるが。
スノウは彼の後ろで剣を振りかぶる。
彼なりの慈悲だった。
静寂が支配する森の中で一人スノウは立ちすくむ。
剣先にだけついた血糊を死体のボロ切れで拭う。
何人も人を斬り殺したにしては少ない血糊。
これは狙ってやったこと。
あまり剣を合わせたくなかったし、胴を斬るのも過剰な攻撃。
レナードのことだ、山賊と殺し合うのはこれで終わりではないという予感。
武器の消耗を避けた形。
正直言って物足りない。これではただの雑魚狩り。
魔物と比べ人間のなんと脆いことか。
少し傷をつけるだけで命が流れ落ちてしまう。
改めて人と魔物の力の差を認識。
俺がしたかったのはこんな戦いじゃない……。
もっと血の沸き立つような、燃えるような、命を削るような……。
戦闘が終わったばかりだというのに、男は飢えた視線を彷徨わせ見えない敵を探す。
彼の頭の中には初めて人を殺したという事実に葛藤も後悔もありはしない。
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