第35話 優しくてホワイトな職場

 スノウは山道を歩いていた。

 隣には馬、魔力を持った特別な種。その背中には荷が積まれている。

 周りにはレナード、グレイグ、司祭、マナといったいつもの面々に商人とその護衛達。

 天気は晴れ。所々小さな雲が流れている。

 季節は夏だが風が吹き、高地なため比較的涼しい。

 先ほどまで見えていた砦はすでに見えない。


 なぜスノウはこんなところにいるのか。

 昨日のことを思い出す。



 「休暇?」


 聞き慣れない言葉。

 そんなものがここに存在していたのか、とレナードに思わず聞き返すスノウ。

 意味を知らないわけではない。概念的な話だ。

 年中無休二十四時間営業のブラックな職場、これが彼の認識。


 「おう、休暇をもらったから町で羽を伸ばしてこいってよ」


 言われたことの意味をよく考える。

 羽を伸ばす?ここでそんな言葉を額面通りに受け取るやつはいない。


 怪しい。この上なく怪しい。


 「嘘つけ」

 「嘘じゃない」

 「どうせ裏があんだろ?」

 「ある」


 あるのか。思ったより簡単に吐いたな。


 「遣いだよ、俺はな。あとはどうなるかわからんが、おそらく山賊狩りだろう。ここのとこ増えてきてるらしい」


 山賊狩り。つまり人間と戦うことになるのか。

 その考えに至り、黙りこくる。

 

 「お前、人間とはまだやり合ったことないだろ?そろそろやっておかないとな」

 「戦争……」

 「そういうことだ」


 戦争とはつまり国同士が争っているということ。

 いつの間にか自分もその渦中にいたらしい。

 この砦が、兵士がなぜ戦争に関わってくるのか。

 その答えはこの間の八足を仕留めた後に聞いた。



 問題の発端は先日の八足の体内で見つかった指輪、正確にはその紋章だった。

 それが何なのかを問いただすと、どうやらヤクトレリアという国の紋章ということらしい。

 まず、スノウがいるミリアルドとヤクトレリアは戦争中だという。

 戦争中と言っても軍隊同士がぶつかり合っているわけではない。

 敵対関係ではあるが、お互いに攻められない理由があった。


 なぜできないのか。それは地形的な理由だった。

 両国は国境が隣接しているわけではなく、海が両国を隔てており、海域が魔物で危険なため国交も人の行き交いもない。

 これだけだと戦争などできないように思われるが、そんな両国の唯一の接点、これが問題であった。


 その接点こそ迷界、天空の楽園。

 天空の楽園に続く入り口は知っての通りスノウたちが所属する砦、監視者の砦。

 実は他にもう一つある。

 ヤクトレリアの北東にある軍事拠点。その先に天空の楽園に続く別の道があった。

 両国の間を繋ぐ細長く続く大地こそが天空の楽園への道。


 二つの入り口を進んでいくと、迷界のある地点で合流。

 ヤクレリア側から来る人間も当然迷界に順応した強力な戦士。

 迷界から得られる資源を求めて彼らはくる。

 そんな時にこちら側の兵士とぶつかればどうなるか。

 

 死闘が起こった。

 それはまさに選ばれた戦士たちによる激闘。


 前人未到の地に眠る資源と大地を賭けた闘い、それが長く続いた結果戦争になった。

 天空の楽園は人間同士と魔物が死闘を繰り広げる紛争地帯、これが一つの真実。


 以上を踏まえると、八足と呼ばれた魔物の体内から敵国の装飾品が出てきた事実から様々なことが読み取れる。

 この魔物が向こう側、もしくは紛争地帯辺りから来たという事。そして人を狙ったのは人間の味を覚えていたのだろう。

 深読みすれば八足がワザとこちらへ追い立てられた可能性もある。


 最悪の可能性は敵兵が紛争地帯で八足に喰われたという場合。

 裏を返せば紛争地帯まで敵兵が到達している事になり、それだけの力を有していることの証明にもなる。

 こちら側からすればそれはいいことではない。

 紛争地帯の奥、迷界のさらに深層へ至るほどの実力の兵士がいれば両国の均衡が悪い方へ崩れるかもしれない。


 尤も、こちら側にはシアがいる。

 彼はおそらく迷界の奥まで潜れる実力があるだろう。

 しかし彼はそうしない。それがなぜなのかはわからないが、結果的にそれが均衡を保っている。


 どちらにしろ、資源を守るという名目でこちら側も紛争地帯までいける兵を増強する必要があった。

 その筆頭がスノウやグレイグ、司祭、マナといったレナード班の面々。

 彼らの中でスノウだけが人間との命がけの戦闘を経験していない。

 迷界で人と戦う前に人の斬り方を学ぶ必要があった。



 「まあ楽勝だ。いつも通りにできればな」


 逆に言えばいつも通りにできなければ危ないかもしれないということ。

 戦いは何が起こるかわからない。

 いくらスノウが死ににくい身体になったと言っても、刃が脳に、心臓に運悪く達すれば死ぬ可能性も十分にある。


 「ここで躓くようなら今後迷界には入れねえ。丁度マナの奴も酔いを克服できたしな。明日ホッファのおっさんが来る予定だからそれと一緒に行くぞ。金もできただろ。パーっと遊ぼうぜ!」


 確かに金はある。

 この間の八足は素材としてはあまりうまくなかったようだが、そこそこの金額をもらえた。

 唯一使えそうだったのが体内に蓄えられていた毒だったが、実は相当に強力な毒だったようで、外で捕まえた動物に使用したところ悶え死んだらしい。

 つまり一般人には即死級の毒。

 それを勝手に麻痺毒だ、なんて言っていたスノウは訴えられないか密かに戦々恐々としていたのはまだ記憶に新しい。

 迷界の戦士達には効果が少なく、外に流すわけにもいかない代物だったので処分された。


 人との殺し合いはここにいる上で避けては通れないこと。

 まあたまにはこんなこともいいか、と了承したスノウだった。



 そういうわけでスノウは今ホッファ率いる行商隊の臨時護衛として山を降りた所にある町まで旅を共にしていた。

 荷物は大部分が魔物の素材。これを売って稼いでいる。

 スノウからすれば大した素材ではないが、外の世界ではこれらは高値で取引される。


 行きに比べ帰りは荷物が少ないが、商人や護衛も荷を背負い、皆徒歩で移動する。

 馬にも荷を載せ、手綱を引いてゆっくりと進む。

 ホッファと数名の商人が荷馬車に御者として馬を操っている。

 偉いからこそ責任のある仕事をしているのだろう。

 楽とは思わない。振動で尻がとてつもなく痛いはずだ。少なくともスノウはそうだった。


 スノウも荷物を持つと申し出たが断られた。

 ホッファにとってスノウ達は尊敬すべき客人で、大きな戦力になる。

 それぞれに役割があるし、それが仕事でもあった。


 スノウが進む山道は改めて見ると思いのほか踏みならされた道だった。

 大きな石は落石以外なく、過去に整備されたことがあるのかもしれない。

 次に護衛の傭兵達を見る。

 以前は分からなかったことが分かる。

 重心の取り方、利き手、視線、そして魔力。

 それが分かる自分は果たして今どれほどの立ち位置にいるのだろうか。

 仮に彼らを相手にした時、殺せるのだろうか。


 魔物相手なら慣れたものだ。

 ためらいもなく殺せる。

 だが人間相手なら?

 自分は剣を握ってまだ一年にも満たない。素人と言ってもいい。

 そんな自分が通用する世界なのか?

 人間には考える頭がある。ずる賢い知能がある。

 賊だって長年生き抜いてきたはずだ。簡単に殺されてくれるわけではない。

 何をしてでも勝とうとしてくるだろう。


 俺はそれを上回れるのか?


 眺めのいい景色が目の前に広がっている。

 あの向こうに帰りたいと願っていた場所がある。

 今なら隙を見て逃げ出せるかもしれない。

 多分レナード達も追ってこないだろう。


 だが逃げるつもりはなかった。

 出発前、ジェイルに一応脅されはした。

 逃げれば一生陽の光を浴びれないぞ、と。

 言われはしたが、向こうもスノウが逃げないことを分かっている、となぜかわかった。

 その理由はわからない。

 いつかわかるのかもしれない。


 「いやぁ、安心ですねぇ、あなた方がいると」

 「そうかな……」

 「そうですよ」


 護衛の傭兵達の実力はわからない。だがホッファは違うと確信しているようだ。


 「ねーねー!町に着いたら何する!?」


 久しぶりの気分転換ができて元気のいいマナが乗っていた荷台からピョンと飛び降り質問してくる。


 「……考えてない。何しようかな」

 「女でも抱きてえな。もうしばらくヤってねえ」

 「あっそう。司祭様は?」

 「もちろん布教活動ですよ」

 「……うん。レナードは?」

 「俺は遣いだって言っただろ……。まぁ、それが終わったら酒でも飲むか……」


 「つまんない答え……」


 それぞれ個性の出る回答に面白くないと言った表情。


 「ならお前は何すんだよ……」

 「……道場とか開いて教える?」


 スノウの問いにそう返すマナ。

 反応に困る答え。

 彼女もまた彼らの仲間に相応しい個性的な人間だった。


 「はっはっは。まあせっかくの休暇なんだ。ゆっくりしとけよ」

 「休暇って結局いつまでなんだ?」

 「それは遣いの内容による」


 レナードはニヒルな笑みを浮かべてそう言った。

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