第33話 人でタコを釣る
「!!」
スノウは音もなく跳ねるように起き上がる。
感覚を広げ気配を探り、周囲の様子を把握。危険はないかの確認。
いつの間にか身体に染み付いた動き。
無防備な状態を恐れるが故の習性。
今いる場所が自分の部屋だと気づく。
自分はどうやら眠ってしまっていたようだ。
そのことに気がついて記憶を辿る。
迷界帰りで心の糸が切れてしまったのか、それとも疲労が溜まりすぎたか。
ここが安全だとわかりようやく深く、長く息を吐く。
安堵で身体が沈む。
意識がなくなった睡眠はいつ以来だろうか。
もう長いこと深い眠りに入っていなかった。
右手を見ると、無意識の内に剣が握られている。
そのことに気づいて一人苦笑。
俺もすっかり変わってしまったな……。
寝台から立ち上がり、窓から空を見上げる。
雲がかかった太陽はまだ中天辺り。ちょうど昼頃か。
久しぶりの熟睡だったが、時間はそう経っていない。
恐らく寝ていたのは二、三時間といったところ。
それでも気分はかなりいい。
頭を掻くと、髪がギシギシと手に引っ掛かる。
埃まみれだし、自分ではわからないが身体も臭いかもしれない。
まあ、いつも通りではあるな。
こういうのは慣れが肝心だ。
洗うのはまた今度、時間がある時にでいい。どうせすぐ汚れる事になるから。
部屋を出て宿舎前広場の隅へ。
レナード班のいつもの溜まり場。
その近くでマナが鍛錬している。
さすがというべきか、鍛錬している姿も様になる。
自分とはレベルの違う段階。
なんというかあまり動かない。動いているようには見えないというべきか。
素早く動いて構え、残心。今度は違う動きをしてまた構える。
静と動が素早く切り替わる。
まだ殺し合いの経験が足りない彼女だが、技術だけならトップクラスだろう。
外に出てきたスノウに気がつくと寄ってくる。
「スノウおかえり!えーっと……もう平気かな……?」
遠慮しがちな顔。
思い返せば昨日はおざなりな対応をした気がする。
「ああ、なんとか生きてるよ。……昨日は悪かったな」
「っ……!そうだよ……!みんな怖かったんだからー!」
マナはいつものスノウに戻ったとわかり、パァッと顔を一瞬明るくさせると今度は怒りだす。
だがその顔は安心したのか緩んでいる。
他の三人を待っている間、マナからスノウ達がいなかった時の事を聞いていると、その三人もぞろぞろと一人ずつ集まってきた。
「うーし、集まれー」
班長のレナードの声で円になって集まる。
「とりあえず生きて戻れて良かった。浅いところにしてはそこそこに大変な探索だったな。……あとマナ、お前も俺たちがいない間に死ななかったようで何よりだ」
「うん。それでそれで。何かあったんですよね」
迷界で何があったのかを知りたがるマナ。
レナードはすでに二回は語ったであろうに、嫌な顔一つせずに彼女に語りだす。
彼の語り口は緩急があり、滑らかで、非常に聞きやすかった。
身振り手振りを交えてその時の状況をわかりやすく説明する。
一緒にいたスノウもそうだったのか、と思える場面がいくつもあった。
「────んで、今日その報告をしたってわけだ」
「へぇー。そんなことがあったんですね。いいなー、私も早く行きたいなー」
冒険心が疼いたのか迷界に思いを馳せるマナ。
「やめとけ。思ってるほどいい場所じゃないぞ。……その発言は後で後悔することになる」
「む。私も故郷の迷界には何度も行ったことあります。スノウより先輩です」
「多分その場所とは大分違うと思うぞ……」
スノウも目の前にある迷界にしか入ったことがないので、他の迷界がどういった場所なのか知らないため強く言えない。
だが確実にここよりひどくはないだろうと思った。
スノウ達はしばし雑談の時を過ごす。
自分の時はこうだった、ああだった、どんな所だ、などというたわいの無い話。
迷界のことを話している内に、スノウはなぜかまた迷界に行きたいと思うようになっていた。
あんな思いをした場所に、あれほど入ったことを後悔していたのに何故?
そんな自分に気づく。
他の人もそうなのだろうか。
けれどもその疑問を口にするのはなぜか憚られた……。
*
シア達に報告したその日から魔物が砦に来なくなった。
それが二日、三日と続くと、ジェイルは迷界に数名の斥候を放つ。
彼らはその日の夜に帰還。
情報は降りてこないが、皆例の魔物の仕業と捉えていた。
次の日の早朝、ジェイルは門の前に兵士たちを集める。
「どうやら例の魔物は迷界の出入り口から少し離れたところ付近に陣取っているようだ。向こうから出向いてくれるのを待ったがそうもいかないらしい。そこでこちらから仕掛ける必要がある!」
遂に討伐に向かう決断。
問題はどのようにして奴を殺すか。
「尚、今回の魔物、便宜上名称を『八足』と呼ぶ!」
特徴を端的に表したわかりやすい名前。
タコは通じないし、姿なき暗殺者も長く咄嗟には言いづらい。
特に文句はない。
「まず、姿を隠した奴をどうやって見つけるか、これが問題だ」
「罠を仕掛けたらどうだ」
「人数でゴリ押せよ」
「誘い出したらいい」
兵士たちはその問題に事前に与えられた情報からとりあえず適当に案を出す。
「それから敵の姿をこちらが見えるようにする必要もある」
「姿が見えないんだろ?何か色を付ければいい」
「網で囲んじまえ」
「動けなくできないのか?」
こうしてすぐにポンポンと案が出てくるあたり彼らの経験の豊富さが光る。
勝負は戦う前から始まっているのだ。
ああだこうだと議論を交わす。
議論が白熱してくると一部で喧嘩が始まる。
ジェイルがそれを殴り飛ばして黙らせる。
よくある光景。
「よーしよしよし。もう結構だ、馬鹿も黙らせたしまとめるぞ!」
ジェイルが作戦を決める。
人海戦術はできない。
理由は迷界には大人数で入るのは危険だから。
砦の方にも人員を備えていなければならないこと。
もう一つの理由はこの魔物にはそこまでの人数をかける必要はない、というジェイルの判断。
よって八足を誘き寄せることにする。
まず囮が一人。これがこの作戦で一番重要な所。
危険を伴い、相手を警戒させても、こちらが殺されてもいけない。
囮役が八足を釣り出すと、特定の場所で待ち伏せした兵士が叩く。
初手は粉末状にした魔石に塗料を付けたものを投げつけ、着色させる。
これによって魔力による探知と、視界による視認性の向上を狙う。
その後、地上に待機した兵士と囮役が発足に攻撃。仕留めにかかる。
仮に逃げようとした場合は樹上に待機した残りの兵士が上から攻撃、これにより逃げ場を抑える。
また緊急事態が起こった場合、この魔物、八足が侵入できないエリアに逃げ込むことになる。
「まあこの作戦にかける人数は六人程度ってとこだな。……この作戦で最も重要なのが囮だ!さあ、誰が行く?」
「俺が行く」
スノウが直ぐ名乗りをあげる。
もとよりそのつもりであったし、自分が一番の適任だと考えていた。
「威勢がいいな」
「俺は奴とやり合って逃げ延びた実績があるし、どういう攻撃をしてくるのかも身をもって知っている。あいつも俺を逃したことを覚えていると思う。必ず喰いついてくる。俺が適任だ」
ジェイルは顎に手を当て少し考える。
理屈は通っている。
囮役は相手が喰えると思わせられることが重要だ。
「ふん。お前の意見は尤もだ。では任せた」
これで囮役はスノウに決定。
残りは火力役の二人と補助の三人。
さらに切断系の武器が使える者。
これは相手の足を切断するため。鈍器だと有効ではないという予測から。
加えて迷界に入った経験者であることが条件。
以上を踏まえてジェイルはメンバーを選別。
囮役のスノウ。
地上で待ち伏せるのはレナードとマグドラ。
樹上待機はテリー、ケイン、フェイス。
以下六名。
作戦外の兵士は砦と迷界前に別れ、非常事態に備え待機となる。
「よしいいか!一旦解散する。昼前には出発だ。それまでに準備を済ませておけ」
ジェイルの言葉に兵士たちは応と答え、早速準備にかかる。
兵士たちはここ数日暇に明け暮れていたので、ようやく動き出した事態にやる気が漲っている。
スノウはすでに準備が終わっているので手持ち無沙汰になる。
作戦に使う着色袋は今から作るようで、今鍛冶場は大忙しだろう。
いつもの場所で素振りでもするかと思い向かうと、すでにマナが鍛錬をしていた。
しかしどうやら気分が優れない様子。
それもそのはず、先日あたりから遂に迷界の魔力に気が付いたらしい。
本人曰く、大きすぎて気がつかなかったとのこと。
迷界から強大な威圧感で気分が参っており、元気がない。
じっとしていると辛いのでそれを紛らわすために鍛錬に没頭しているのだろう。
気持ちはよくわかるので、それに慣れるまでは大変だろう。
「よおマナ。軽く付き合おうか?」
「いいの?これから危険な任務なのに」
「軽くだ。本当だぞ。いつもよりさらに軽くって意味だからな?」
「ふふ。いつもと逆だね……?じゃあ剣を合わせないで遊ぼっか?」
スノウが剣を抜き、肩口から攻める仕草。剣はマナに向かい空中で止まる。
マナはそれを避けながら反撃の横凪。これもスノウに向かうが止まる。
これはお互いが一手づつ攻める遊び。
マナがスノウに教えた。
攻撃を一回、回避か防御を一回。
そうやって少しずつ相手を追い詰めるという遊び。
こうきたらこう返す、そしたらこうやって……。
そんな風に考えながらやると思いのほか面白い。
二人は時間が来るまで子供のように剣を振り回し遊ぶ。
だが次第に動きは速くなり危うく本気の勝負になりかけるまでがいつものことだった。
*
マナに別れを告げ、少し早めに門へ向かう。
一人で待っているとレナードが来た。後ろにはテリーとケイン。
それからマグドラ、その影に隠れるようにいるのがフェイス。
討伐隊のメンツが揃った。
スノウが組んだことがあるのはレナードだけ。
他は初めて任務を共にすることになる。
マグドラは非常に大きな体躯を持つ戦士。普段は大槌や斧を用いる。
今回は片刃の大剣を使う。
様々な武器を扱えるというのはそれだけ経験値が高いということ。
相手に合わせて武器を変えることができるのは強みでもある。
スノウの彼に対しての感想はとにかくデカイ。そして筋肉すごい。
禿げた頭にいかつい顔。
見た目は山賊の頭みたいな男だが意外と細やかな性格らしい。
テリーとケインはレナードとよく迷界で仕事をする仲。
小柄だがその分素早く身軽。樹上にも素早く登れ、隠密や奇襲行動に優れる。
得物は曲剣。背中に弓を背負う。腰には手斧と矢筒、本数はそこまで多くはない。
少し大きいのがテリー。鋭い顔つきの細身。
ケインは猫背で鷲鼻、意地の悪い顔をしている。
どちらも茶髪。
フェイスはスノウも知っている。
普段から迷界の出入り口で斥候をしている、迷界探索のエキスパートでもある。
通常の装備を見るのは初めてだ。全体的に黒っぽい装備。
景色に擬態するような格好をしているのしか見たことがないので新鮮ではある。
黒髪で意外にも整った顔立ち。しかし目つきは悪い。
隠密系の狩人で、今回は緊急時の補助戦力で討伐隊の隊長でもある。
手槍と直剣、それと弓を使うようだ。
フェイス、テリー、ケインは先日斥候で迷界に入った三人。
八足を目撃したらしい。
だからこそ今回選ばれた。
マグドラは一番の火力役。
彼の強大な怪力から繰り出される剣戟は一番の戦力になるだろう。
スノウとレナードは彼が十分に力を発揮できるよう立ち回る。
全員防具は控えめ。最低限の装備。
迷界では基本的に防具が意味をなさない場合が多いため回避前提の動きをする。
そのため速さと動きやすさ優先の装備。
傷を負っても再生するという理由もある。
「これを渡しておく」
隊長であるフェイスが小さい小袋を渡してきた。
粉末状にした魔石を着色したものを入れた布袋。
彼がもらってきてくれたのだろう。
礼を言ってもらう。一人三つずつあった。
破れないようにそっとしまう。
「行くぞ……」
そう言って静かに動き出すフェイス。
聞こえているが先ほどから声が非常に小さい。
普段からそうなのだろうと見た。
スノウは歩き出す前に後ろを見る。
ジェイル達も集まってきていた。
スノウ達より少し遅れて出るようだ。
グレイグと司祭もジェイルと共に迷界前まで来る。
前を向いてフェイスに続いて歩き出す。
ようやくあのタコ野郎に会える……。
心の奥で燻っていた感情が燃え上がる。
初めて恋をしたように相手を想う。
だがそれは愛とは正反対の狂おしいほどの憎しみ、恨み、怒り……。
訪れた復讐の機会に顔がニヤつきそうになるのを必死で堪える。
お前が死ぬのを目の前で見届けてやる……。
脳裏によぎる八足の見下した視線。
表情ないが、あの時確かに見下されたのを感じた。
運が良かったな、見逃してやる。八足の目はそう語っていた。
屈辱。これ以上ない屈辱。
この時スノウは復讐を誓った。
復讐はスノウにとって生きる糧となる。
今回のことも、あの時のことも……。
この気持ちが消えるのは復讐を果たした時だけ。
スノウの心の奥底に隠された狂気。
持たざる者の歪んだ感情。
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