第32話 縁故に

 翌朝、ようやく気持ちが落ち着いてきたところにレナードが来る。


 「どうだ?」


 壁から顔だけを出して問う。

 その問いに頷いて返し、腰を上げる。

 

 昨夜も魔物の襲撃があったようだが、迷界帰りは参加しなくても良いらしく、ありがたかった。

 おかげで尖っていた心は丸みを取り戻し、今は冷静に考えることができる。


 レナードはスノウに手でついてこいという仕草をする。

 おそらく迷界のことを話し合うのだろう。

 途中グレイグも誘い、三人でシアの執務室へ向かう。

 なお、司祭はいてもいなくても変わらないだろうという判断で誘っていない。


 朝日が照らす石畳の廊下を歩き、シアの執務室の前までくる。

 レナードが扉を叩き、返事も待たず入室。


 中に入るとシア、ジェイル、クリスの三人が。

 シアは机に浅く腰掛け、クリスは彼の側に直立、ジェイルは応接テーブルの一番奥に座っている。

 執務室を兼ねた応接間はやや暗く、石造でひんやりと冷たい。


 「おう来たか。まあ座れや」


 なぜかジェイルが自分の部屋にいるように勧めてくる。

 レナードは気にした風もなく席に着くので、スノウとグレイグもそれに習う。

 応接用の長椅子はふんわりとスノウの体を沈めた。


 「話せ。簡潔にな」


 クリスの命令口調。

 それを受け今回の探索の隊長であったレナードが話し出す。

 初日は問題なかったこと。二日目は湖で大きな声を聞いたこと。

 それから三日目、姿なき暗殺者と思われる魔物を見たこと。


 「そいつは正に透明だった。気配も消していて見つけるのは骨が折れたぜ。擬態系の魔物だが、身体の模様を変えるやつじゃない。後ろが透けて見えてたんだからよ」


 三日目の、特にあの魔ダコのことは観察力に優れたグレイグの意見も交え、詳細に話す。

 森が静かになり、周囲から魔物が消え息を潜める、それでおかしいと思った。

 何も見えず、感じず、おかしな匂いがした。


 「ほぉ……、そんな奴がいるとはな……。俺も初めて聞く」

 「ああ、だろうよ。それでそいつを見た時にスノウが何か知ってる風なことを言った。だがそれを聞く暇もなく、バレそうになったんで逃げて、んでその際にスノウと逸れたってわけだ」


 ここで視線がスノウに集まる。

 どうなんだ?という視線。


 「あー……、そいつは『タコ』っていう生き物に似てた……。ここではどういう名前で知られているのかは知らないが……」


 タコとは前世での名称。発音も前世のままに言っている。この世界じゃ別の呼び方という可能性も高い。

 オクトパス、デビルフィッシュ、地方によって変わる名前も多い。


 「知らんな。どういう生き物だ」

 「まず海の生物。足が八本で、軟体、つまり身体がグニャグニャしてる。足には吸盤がいくつもあって、それで獲物を絡めとる。あとは……賢い。頭が大きくて、知能はある方だと思う……。周囲に擬態できる能力もある」


 思い出しながら淡々と語るが、反応はイマイチ。

 似ている生物がいないので、なかなかイメージを作るのは難しい生物だろう。


 「なんか似てるのはいねえのか?魚とか貝じゃねえんだろ?」


 スノウは首を横に振って否定。

 どうしたものか。


 「おそらく」


 ここでシアがボソリとつぶやく。

 視線がシアに集まる。


 「……おそらく八爪魚のことだろう」


 おおー、さすが、と周りの声。

 偉いだけはあって、有する知識も多いのか。


 「……んで、それなんだ?」

 「……」


 ジェイルがシアに再度質問するが、答えは帰ってこない。

 話は振り出しに戻ってしまったのか。


 「俺も直接見たことがあるわけではない……」


 そこでシアは執務机から立ち上がり、その机の引き出しを開け何かを取り出す。

 そしてそれをスノウの前に置いた。


 「描いてみろ」

 「えぇ……」


 置かれたのは紙とペンのようなもの。

 ここにきてスノウの絵心が試される。

 はっきり言って絵心が全くないスノウ。

 恥ずかしいが、なんとかするしかない。


 ペンを手に取る。

 知っているような安っぽい羽ペンではない。

 持ち手に金属が嵌められ、下に重心があって持ちやすい。非常に高級なものだ。

 先端に黒インクを付け、紙に書いていく。

 少しざらつきはあるが薄く丈夫で、これもそこらにあるものではない、貴族の品。


 その紙に下手くそな絵が描かれていく。

 なんというもったいのないことか。

 それでも本人は必死。


 「できた!」


 結果、子供っぽいがなんとか特徴は表せた、と思う絵が出来上がった。

 会心の声をあげるスノウ。

 見直すと、少々書き直してわかり辛くなった箇所もあるがとにかくできた。


 「うーむ……」


 ジェイルは顎に手を当てて唸る。

 本当にこれなのかと疑っている様子。


 「……まあ大体こんなだった気もするな!」


 レナードのフォローが心に染みた。


 「まあ良いだろう……。敵のことはわかった。そいつに追われたんだろ?次はそれからのことを聞かせてくれや」


 ジェイルに促され、スノウは一人になった後のことを語る。

 追われて逃げて、戦って……。

 攻撃を受けた際、麻痺毒のようなものがあったこと。

 それからタコ足を切って再び逃げた……。


 「あ、そうだ……」


 ゴソゴソと懐に手を入れる。

 切断したタコ足の先端を取り出しジェイルに放る。

 時間が経過したためか手からは少々アンモニア臭が臭った。

 

 ジェイルはそれを片手で掴みジロジロと見る。

 鼻に近づけ大きくひと嗅ぎ。


 「ほう!こりゃ確かに奇妙だな。触手みたいなもんか。吸盤ってやつの内側に細かい棘のようなものがある……。これに毒があるのかもしれん。それに匂い、レナードが言った通り鼻につく匂いがする……が、本当の臭いはこっちの臭い方か。自分で上書きしたのか……なるほど……」


 ジェイルは自分で分析したあとタコ足をレナードに放る。

 レナードも己の感性でそれを調べる。


 「へぇ、こんなものが動いていたとはな……」

 「まだ続きがあるだろ、続けてくれ」


 先を促され、スノウは話を続ける。


 隙をついて再び逃走した自分は足を切られ、ついに追い詰められた。

 だが奴は追ってこなかった。

 まるで透明な壁があるかのように。

 それからスノウを諦めたのか迷彩を解き、姿を表した。

 黒がかった土色の表面、吸盤の付いた八本の足、大きな目と頭。

 全体像をその時初めて見た。

 高さはスノウの三、四倍程度の大きさだったが、横にも同じくらい広い。

 その魔物は再び姿を消して森の中に戻っていった。


 皆スノウの話に聞き入る。

 敵の姿を想像している。

 どんな奴なのか、どんな攻撃をしてくるのか、自分はどう動くべきなのか。

 戦士としての本能でもあった。


 「悪くないな……」

 「ああ。悪くない……、良い情報を得られた。よくやったスノウ」


 珍しく褒められ、照れるスノウ。

 命をかけた甲斐があったというものだ。


 ここでジェイルはシアの方を見て、何かいうことがあるのかを伺う。

 シアはそれに何も言わない。

 自分に出番はないという意思表示なのか、それともジェイルに全て任せるということなのか、スノウにはわからないが、二人は視線のみでそれを語る。


 「よし!話はわかった。そいつが最後に見せた行動が気になるな……。もう数日様子を見るとしよう。向こうから出向いてくれればそれが一番だしな。それで悪いことが続くようなら、こちらから出向いて行くことになるかもしれん」


 ジェイルがこの会合を総括する。


 「最後に見た時、地面に剣で線を書いた。その線よりこちら側には来れないようだった。もし見かけたのなら参考程度にしてくれ」

 「ふん。兵士たちに先程の情報を通達したら迷界出入り口付近を探らせるつもりだ。一応覚えておこう」


 この報告で今回の探索は本当の意味で終了した。

 一仕事終えた充実感がスノウを満たす。

 このあとどうなるかは彼ら次第だろう。

 だが恐らく奴とは殺し合うことになる、と予測するスノウ。


 スノウはあの魔物と殺し合う運命のようなものを感じていた。


 解散を命じるジェイル。

 部屋を出るレナードについていくが、部屋を出る寸前、足が止まった。


 あと一つだけ、言いたいことがあった。


 「ジェイル」

 「あん?まだなんかあるのか?」

 「あいつを殺す時は俺にも行かせてくれ……。あいつが死ぬのを間近で見たいんだ……」


 暗い瞳に見え隠れする強烈な殺意。

 スノウはあの魔ダコに怒りと憎しみを持ち、屈辱を感じていた。

 戦士としての誇りと意地があった。


 「……良いだろう。考えておく」


 スノウと件の魔物との間に何かあったのだと察するジェイル。

 時に戦士は殺し合うことで、語り合う以上に通ずる場合もある。


 スノウはそれだけ確認すると、部屋を後にした。



 部屋を出るとレナードとグレイグが待っていた。

 恐らく今の会話は聞こえていただろう。


 「ごめん」

 「まあ、なんにせよよくやった」

 「全くだ。正直死ぬ可能性は高いと思っとった。それを跳ね返すのは容易じゃねえ」


 深く突っ込まないでいてくれる二人。

 彼らのこういう距離感が好きだった。

 それでいて必要な時は助けを買って出てくれる。

 彼らだけではない。

 この砦の兵士たちもそうだ。

 共に命をかけて戦う仲間だからこそ、何も言わず助け合おうとする。

 いつの間にか、そんな戦士の世界が好きになっていた。

 そして彼らの仲間になれたことが誇らしかった。


 レナードは迷界でスノウを見捨てたことを謝らないし、スノウもそれを気にしない。

 お互いがそれをわかっているからこその信頼感。

 この砦の一員である証拠だった。


 それはスノウには心地良い。


 「こっちも一旦解散して、昼頃にいつもの場所にもう一度集まるか。マナのやつにも話してやらないとな」


 レナードはそう言い、片手を上げどこかへ行く。

 グレイグもいなくなり、スノウは一人鍛冶場へ行くことにした。

 破れた衣服や装備を補充するためだ。


 鍛冶場の近くで適当に新しい服(と言っても古着だが)をもらい、安価な短剣を補充。

 愛用の片手半剣は今回そこまで使ったわけではないので、道具を借りて自分で手入れする。

 それが済むとようやくひと心地付いた。


 ふらふらと部屋に戻り自分の寝台に横になって目をつむる。

 そうするとすぐに眠気が襲ってくる。


 いつの間にか落ちる意識。


 スノウは随分と久しぶりにぐっすりと眠りについた。

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