第30話 見えない魔物

 空が明るくなってきた。

 遂に探索三日目の朝。

 スノウ達は昨夜の戦闘の後何度も魔物に追われた。

 風に乗った血の臭いを嗅ぎ付けてか、誘われるように追い縋る魔物たち。

 追いつかれないように夜の闇の中を駆け抜けた。

 前方の魔物はレナードがうまく回避する。

 前後の魔物が衝突、その音を聞きつけてまた新しい魔物様子を見にくる。

 彼らが起こした争いという波紋は瞬く間に広がっていき、やがて迷界全体へと伝わる、かもしれない。

 そうやって迷界は回る。


 渦中から逃れたスノウ達は夜通し走り続けようやく朝日を拝む。

 あまりにも長い夜だった。

 レナードは体を隠す場所を見つけて少し休憩を取る。

 走り続けた夜だったが距離はさほど稼げていない。

 かなり蛇行しながらの逃走だったからだ。

 おそらく帰還は夕暮れ前には完了する。

 まあよくやってる方ではある。


 身体を投げ出して休みたいがそうもいかないスノウ。

 片膝立ちで休む。

 これが精一杯のポーズ。

 相変わらず身体が無防備な体勢を取ることができない現状。

 ここまでくるとストレスだ。

 おそらく襲われることはないだろう。多分大丈夫。

 おそらく、多分、きっと……。

 どうしても万に一つの可能性を捨てきれない。

 必ずなどない。

 心が油断を拒否する。

 死ぬか、生きるか。

 迷界では常にその選択を迫られる。


 「太陽が出ればここも落ち着き出すだろう。さっさとこのクソッタレな場所を出よう」

 「ああ。このクソッタレな場所とはさっさとおさらばだ」


 声に出して同意を示す。

 心からの声だった。


 もう二度とくるものか。



 帰還を急ぐスノウ達。

 そういう時ほど決まって何か起こるのが迷界か、それともスノウの運命なのか。

 レナードが片手をあげて静止。

 何かを探っているのかそのまま動かない。


 「妙な感じがする……」


 眉をひそめてポツリ。

 時間だけが過ぎていくが、それでも動こうとしない。


 「グレイグ、お前は?」

 「いや……、特に……」

 「そうか……」


 グレイグに確認するが、彼は否定。

 スノウも気配を探るが、何もないように思えた。


 「考え過ぎ?」

 「……」


 いつになくレナード長考。

 彼の中の本能が警鐘を鳴らしていた。

 何も感じない、それが怪しい。

 先ほどから周囲の気配が感じられない。

 ぽっかりと空いた空間。


 「チッ……」


 嫌な予感がする。

 証拠などない。ただ己の経験からそんな予感がした。

 考え過ぎ?違う、これはそんなんじゃない。

 理屈では説明できない違和感。


 自分の直感を疑うな……。


 レナードは警戒感を最大に引き上げゆっくりと歩き出す。

 ゆっくりと、確実に。

 進路を少し曲げて迂回する道を取る。


 前を行くレナードの雰囲気が変わった。

 これまでにない慎重さ。

 本気の警戒がスノウ達にも伝わる。

 息を潜めて彼に続く。


 そこからしばらく歩いたが、警戒が解けることはない。

 むしろそれはさらに増すばかり。

 森の中が静かすぎる。

 魔物達はこの周辺から逃げ、間に合わなかったのは息を潜めて姿を隠した。

 いくつか痕跡を見つけたが、それらは全て逃げるような痕。


 何かがいる。


 その結論に辿り着いた時、レナードの鼻先で何かが僅かに匂った。

 臭くはない。通常なら違和感を感じない匂い。

 だが今回に限っては違った。


 草の匂い、青さのある匂い。


 できる限り身を隠しながら進む。

 自然と自分の直感に従った結果、ある一方の視線を切る形になった。

 そしてレナードは見つける。

 木の上で揺らぐ存在を。


 それは一言で言えば「透明」だった。

 透明な何かがいる、それだけ。

 透明と言っても周囲に同化するように歪んでいるが、かなり大きい。

 よく見れば目玉のようなものが二つ見えた。

 レナードは手で合図を出し、ゆっくりと下がるように言う。

 十分な距離を取り、岩の影に隠れてから声を潜める。


 「おい、見たか?」


 他の三人はまだ気が付かないようだ。

 それも仕方のないことだろう。なんせ透明なのだから。

 一人ずつ順番に急いでそれを確認させる。


 スノウにもようやく確認できた。

 まさに光学迷彩を纏った魔物。こんなことがあり得るのか。


 「危なかった……。かなりうまいこと隠れてやがる……。ありゃあ一体なんなんだ」


 取り敢えず先にこちらが発見できたこと、動く様子がないことに安心するレナード。

 こちらが風下なのも助かった。

 念の為辺りを確認し、別の個体がいないか確認する。


 「流石にいないか……」


 もし二匹目がいれば絶望的だ、少なくとも自分以外の三人のうち誰かは死んでいたかもしれない。

 これからどうするか……。

 おそらくこの魔物は噂の『姿なき暗殺者』だろう。

 レナードはそう結論付ける。

 まさにピッタリな名前だ。本当に姿が見えないのだから。

 だがその詳細がわからない以上戦いたくはない。

 この情報だけでも持って帰れば仲間の役に立つはずだ。


 「おい、動き出したぞ!」


 そう思案してる時に見張りをしていたグレイグの報告。

 上から下まで四人で顔だけを出して覗く。


 姿なき暗殺者は透明な身体を滑るように動かす。

 どういうわけか音もしない。

 木の幹に張り付いたまま、地面に触手のような細長い腕を伸ばし、撫でる。

 それからスススと地面を滑って移動。別の巨木に近づく。

 ゆらりと同化した景色がずれ、鋭く巨木の根の隙間にある小さな穴に突き刺したのがわかった。

 鋭い透明な何かを引き抜いた時、それは一匹の小さな魔物を貫いていた。

 暴れるその魔物を身体の中心に持っていく。

 空間が揺らぎ一瞬口のようなものと丸い模様が見える。

 咀嚼しているのかそのままゆらゆらとしている。

 どうやら透明なのは身体の表面と足先だけで、身体中心の内側はその特性を持っていないと予想された。

 レナードは貴重な情報を目に焼き付ける。

 だがここで一人違う反応をした者がいた。


 「タコ……?」


 スノウが見たのは丸い口と、吸盤のようなものだった。

 吸盤と、触手。それがわかればタコと思えなくもない。

 スノウは初め透明な生き物と言えば擬態系の生物だと連想。

 森の中であれば、虫やカメレオンといったところ。

 だが今見たことから連想されるのはタコだった。


 レナードがスノウを岩陰に引っ張り込む。


 「知ってんのか?」

 「タコに、似てた」

 「そりゃなんだ?」

 「海の、生物」


 タコとは何かと言われても咄嗟にはうまく説明できない。

 タコに似た生物など知らない。

 せいぜいイカくらいか。それも海の生物。

 スノウの知識からしても特殊な生き物だろう。

 賢く、知能があり、擬態できる。

 そんな魔物が弱いわけあるだろうか?


 「やんのか?」

 「いや、帰る。スノウが何か知ってそうだ。それにこいつは相当苦労しそうだ」


 グレイグの問いかけを否定。

 一筋縄ではいかない相手。まだバレていないうちに帰還して、情報を整理したい。

 隠れたままゆっくりと後退する。


 だが不幸にも一瞬、風向きが変わる。

 姿なき暗殺者はその風に何かを感じ取る。

 ピクリとこちらの方向に向き直り、辺りを見渡す。

 地面に足を這わせ何かを探る。


 やっっべぇ!!!匂いを嗅いでやがる!!


 そう言うことか、と理解するスノウ。

 おそらく吸盤が感覚器官になっている。

 先ほどから見せていた、足で地面を這う動きは匂いを吸盤の味覚で感じとっているのだろう。

 その匂いはおそらくスノウに着いた血の匂い。

 ここにきてなんという不幸。


 匂いを辿りながらこちらに近づいてくる姿なき暗殺者。

 レナードは一撃を与えるために構える。

 一発当ててずらかる腹づもり。

 スノウ達もそれに倣い武器を構えその時を待つ。


 姿なき暗殺者は何かを察し、急停止。

 突如音を立てて素早く樹上へ飛び上がる。

 その際身体の内側が僅かに見えた。

 八本の足に真ん中にある丸い口。やはりタコだった。

 驚くべきは危機を察知する恐るべき本能。

 飛び上がった姿なき暗殺者、もとい魔ダコは迷彩側をこちらに見せながら器用に足を使って木を伝ってこちらに向かってくる。

 揺れる枝葉に紛れると、姿を見失う。

 こうなると再び見つけるのは困難。


 「逃げるぞ!!」


 もはや静かに動く必要はない。

 レナードは声を張って走り出す。

 走るスノウ達。

 頭上から聞こえる葉の擦れる音、その全てが恐ろしい。

 気配も感じない、見えない、だが確実に奴はこちらを見ているのだけはわかる。

 あの迷彩は姿を見えなくするだけではない。

 おそらく魔力の気配も遮っている。

 そうでなくては説明がつかない。

 あの巨体で動いて魔力がまるで感じられないのだから。


 全速力でひたすら走る。

 不意に影が差した。

 上を見るとそこには吸盤の付いた八本の足と大きく開いた口が。

 鋭い歯がいくつも見え、それが何層もある。

 魔ダコは頭上から覆い被さるように襲いかかってきた。


 「散れ!!」


 レナードの掛け声と共に離散する。

 グレイグが放った短剣が口内に刺さり怯む。

 離散したスノウ達は横に並走しながら再度走り出す。

 すでに魔ダコの姿は再び消え失せ、樹上の枝葉がゆれる。


 魔ダコは枝を伝い追跡しながら、標的の中の一番左に目をつけていた。

 それこそが血の匂いがする標的、スノウだった。

 上から雑な攻撃を仕掛けたのも敵をバラけさせるため。

 敵をさらに分断させるべくさらに攻撃を仕掛ける。

 魔ダコは相手がこちらのことを見えていないというのを正確に理解していた。


 走るスノウの右側に、見えない何かが降り立つ。

 迫るそれを回避するために並走するグレイグと距離をとる。

 さらにこちらへ迫る。

 進路を変更せざるを得ない。

 歪んだ空間越しに見えていたグレイグは回避行動によって見えなくなる。

 明らかに自分を分断させにきた、そうスノウは分析。


 こいつ、やはり知能が発達している。


 スノウは一人、孤立していた。

 


 レナードはスノウが消えたことに気付いていた。

 だがこちらに魔ダコがいる可能性も捨てきれない。

 なんせ見えないのだから。


 「どうする!!」

 「止むを得ん!!走れ!!このまま帰還する!!」


 隊長であるレナードの決断。

 他の二人もその決断を責めるようなことはしない。


 すでに必要なことは教えた。あとはスノウ次第だ。

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