第27話 未知なる異界で
見慣れた坂だが、そこを歩くのはスノウを新鮮な気分にさせる。
いつもと違った景色が彼のの目に映る。とはいえ霧も混じっており、見晴らしもよくはないため美しいとは言えない。
それでもスノウの足取りは自然と軽くなった。
日の出と共に砦を出発したスノウ達。
隊長であるレナードは早速隊列を組む。
先頭を隊長であるレナードが。本来彼は先頭につくことはないが、今回は一番のベテランであり、他は迷界初心者に近いためこの配置で先導役。
探索中の事故率を下げるためでもある。
次に司祭。流石にいつもの黒服ではなく、その上に深緑色の外套を被り服装を合わせている。
そしてスノウ。苦労するだろうという予測から一番安全な配置。周りの動きを観察し、学ばなければならない。
一番後ろをグレイグが。奇襲警戒、見逃しを防ぐ。戦闘にならない限り二番目に重要な配置。元々経験もあるため勝手はわかっている。
「魔物が見えても手を出すな。やり過ごせばいい。砦の連中に任せとけ」
とはいえ何が起こるかわからないのが今この場所。
明らかにやばい魔物が見えた場合は任務中止、引き返すことになる。
幸いにして隠れる場所は意外に多い。
曲がりくねった山道。
砦から見える範囲を越えると、入り組んだ地形になる。
分岐と合流を繰り返して道が続く。
「見ろ、昨日の魔物が通った跡だ」
言われた場所を見てみると、確かに大きな足跡がわずかに残っている。
思い返せば、直近の魔物は大きな猪。間違いなさそうだ。
しかし正直なところ言われなければ気が付かなかった。
足跡があったのは道の真ん中というわけでもなく、雨水でわずかにぬかるんだところにポツンとあるだけ。他の足跡は消えてしまったのだろうか。
驚くべき観察眼だ。
「経験あるのみだな。生物は常に痕跡を残す。見て、聞いて、触って、常に五感を使え、感覚を広げろ。魔力の痕跡の場合だってある」
レナードが足跡を手でなぞり、匂いを嗅ぐ。
「昨日現れた大猪と見て間違いないな。他の生き物の痕跡もないし、足跡の向きから見てきたのは右の道からだろう。見ろ、牙で岩を引っ掻いた形跡もある。そっちを通って答え合わせといこうか」
答えのわかっていることをわざわざするのはスノウのために他ならない。
スノウもレナードの真似をして手で触り臭いを嗅ぐ。
ほんのわずかな獣臭。大猪の突撃を避けた時にも似たようなを嗅いだ気がする。
「練習がてら自分で探してみろ。俺はもう何も言わん」
少し歩く速度を緩めて、スノウのために時間をかける。
前方の警戒に集中するレナード。
これも一つの試練。何もかも人に頼りきりではいられない。
目を皿のようにして探すスノウだが、そううまくいくはずもない。
何度も痕跡を見逃し、その度にグレイグに教えてもらう。
どういうところを見れば良いのか、できやすいか、それを知るにはまだまだ時間が必要だろう。
司祭はといえば、興味ないのか、襲ってくるもの拒まずで元から覚える気もないのか関心を示さなかった。
レナードも何も言わないことから、それはそれでいいのだろう。
やがて緑がチラホラと見えてくるようになってきた。低木も生えている。
すでに視線の先には森が見えている。
初めてみる原生林。
木の一本一本が巨大で太い、広葉樹。
人間界にこの木が生えていれば、樹齢百年どころでは済まない大きさの巨木。
その木々から生い茂る葉が空を覆い薄暗い。そのためか地面の雑草は少ない。
少なからず低木が生えているが、どのように栄養を得ているのかは謎だ。大木に寄生しているのだろうか。
高地にも関わらずこれだけの成長をとげているのは魔力の影響だろう。
地面に目を向けると、おかしなことに葉が落ちた様子がない。通常ならば落ち葉なりがあるはず。
奇妙で不気味な森林。
歩いて近づくと、ある境で迷界に入ったのを明確に感じた。
明らかに違う濃密な魔力。
まるで巨大な生物の腹の中に入ったような感覚。
思わず身体が前傾姿勢を取り、身構える。
いつの間にか手は剣の柄に触れていた。
そうせずにはいられない危機感。
身体が戦闘に備える。
だが待てども何も起こらない。それがまた恐ろしかった。
毛が逆立つ感覚。手が震える。息苦しい程の圧迫感。
スノウが感じたそれは誰もが通る道。
他の三人も平然としているように見えるが、自然と下っ腹に力が入る。
レナードは森の中に正面から入らず、少し右に逸れた所へ向かう。
これは予定通りの経路で、事前に打ち合わせていたため焦ることはない。
彼が指笛を鋭く鳴らすと、どこからかすぐに返答があった。
「ここだ」
囁くような小声。
スノウは声がした上方へ目を凝らす。
ぱっと見わからなかったが、よく見れば木の枝に一人の男がいるではないか。
男は木の皮を縫い付けているのか、同じ色をした外套を着ており擬態するようにして佇んでいる。
細面は塗料で塗られ、弓を背負っている。
静かに佇むその姿は隠密狩人とも言うべきか。
「フェイス、今から入る」
「頑張れよ、新人」
フェイスは静かに頷き、激励を送る。
スノウもそれに頷きを返した。
彼がいつも魔物の襲来を教えてくれているのだろう。
この恐ろしい迷界で見張りに立つのは大変な役目だ。
余談だが迷界の見張りは探索がある程度できるようになってからになる。
それだけに彼は斥候系の実力が卓越しているはずだ。
フェイスとの交信はそれだけで、スノウ達は先へ進む。
森の中は道などない。走ることはせずに黙々と歩く。
全方位から魔力を感じるため、圧迫感に押しつぶされそうだ。
転ばないように足元を注意しなけれなならないが、周囲から小さな気配を感じるため、そちらも見なければならない。
その気配はスノウ達を遠巻きに観察しているよう。
それが余計にスノウを苛立たせる。
こういうことか……。見るところが多すぎる……。これはきつい……。
スノウが弱気になるのもしょうがないことだった。
常に命を狙われているような感覚。
周囲の環境が体力、精神をヤスリで削るようにすり減らしてくる。
剣の柄に添えられた利き手が離れることを恐れた。
一時間ほど歩いたか、レナードはスノウの様子を見て一旦止まる。
「どうだ、いけるか?」
声を抑えての確認。
時折迷界に入るには早すぎた者もいる。場合によっては引き返すこともあり得た。
その問いに無言で頷くスノウ。
ここで弱音を吐くわけにはいかない。身体を適応させるべく魔力を体内で循環させる。
再び歩き出す一行。
道なき道は平坦ではなく、歩きやすいところを蛇のように縫って進む。
途中、レナードが手信号で静止の合図をした。
指であれを見ろ、と指し示す。
「一つ目だ」
その先には崖があり、一本の巨木が生えている。
崖下は巨木の根が土からはみ出し、うねる様に飛び出ており、それがなんとも特徴的。
緊急時の集合場所、その一つ目。
次の場所が示されるまでに道中で離散した場合はあそこに行くことになる。
スノウはそれをしっかりと目に焼きつけた。
さらに北へ向かう。
先頭を行くレナードが何かを発見した。
見れば僅かだが地面を引き摺ったような痕が。
微かに魔力を発露した形跡も感じられる。
その周囲には低木が生えており、そこに並ぶ形で三つほどの痕跡。
「こりゃ草モドキだな。わざわざ動いたってことは空腹で、何かを見つけたか」
レナードは草モドキの追跡を開始。
草モドキとは雑草や低木に擬態する魔物で、背丈は人間の腰ほど、丸っこい形でマリモのような外見。
低木に並んでいたのは、それに擬態していたからであろう。
典型的な待ち伏せタイプで、目や鼻は草や葉のような毛に隠れ、大きな口で敵を捕食する。
彼らは擬態しているときは魔力を隠せるが、動くときは魔力を発露する。
砦に襲ってきたときは愛らしい外見とは裏腹に獰猛に齧り付いてくるものだから驚いた記憶。
向こうから襲ってきたので慣れればそこまで苦戦はしない。
鬼、魔狼、キノコといった砦では定番の魔物でもある。迷界の入り口付近で見られる主要な魔物のうちの一つ。
レナードは草モドキの向かった方向を痕跡から予測し、その先へ向かう。
「一度止まった」
「こっちに小鬼の足跡がある。これを狙ったな?」
スノウには何故わかるのかがわからないが、レナードとグレイグにはわかるようだ。
さらに追うと、血痕らしきものが。争ったのだろう。
流石にスノウにもそれがわかった。
「草モドキが勝って巣に持ち帰った。だが一匹やられてもう一匹が重症を負った。さっきの出来事ではないな。明け方頃だろう」
目線の先には先程の血痕と、土が盛り上がった場所が。
地面に残された血痕から、まるでそれを栄養とするように植物が生えている。
「これくらいにしておく。奴らの縄張りに入りたくない」
「あれは……?」
異様な光景だったのでつい質問。
「死体に植物が群がってるのさ。血を糧に成長し、死体は地中へ引き摺り込んで養分にする。この森、小さな虫もいないだろ?この迷界の支配者は植物……なのかもな……」
追跡を切り上げ本来の進路をとる。
移動しながら見れば過去ここで戦闘があったのだろうと思われる場所がいくつもあった。
その場所にまとまるようにして唐突に植物が生えているのだ。
日の光を得られないからか、栄養を巨木に吸い取られるのか、死体を糧にした生存競争がこの森にはあった。
レナードが立ち止まる。
鼻を鳴らして周囲を探る。
「……わずかだが匂うな。キノコの縄張りが近くにあるかもしれん。避けて進む。横穴には近づくなよ」
驚異的な嗅覚。それ以外にも何かあるのだろうか。
スノウも彼に習って鼻を鳴らして匂いを嗅ぐが、少しも感じられない。
「五感に集中しろ。特に視覚以外のだ。音や匂い、何かが動けば必ずそれが残る。おかしいと感じたら疑うな。直感を信じろ」
彼の真に迫った教えは不思議と説得力があった。
スノウが目指すべき男の背中を見る。
思いやりがあり、頼りになる。そして何より強い。
いつしか彼のような戦士になることが目標だった。
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