第26話 準備は入念に

 スノウが魔力の隠蔽をできるようになって数日、遂に迷界の探索に参加できることになった。

 しかしその前に準備というものがある。その為スノウはレナードによる講習を受けていた。

 マナも受けたがったが、迷界へ行く資格ができてから、というのが通例らしい。

 今回はマナ以外のレナード班四人での探索になる。探索なのでレナード隊というところか。隊長はもちろんレナード。


 「今回は四人でいく。これが迷界での基本的な人数になる。あとは多くても六人ってところか。まあ、初めてのお前がいるし、後の二人もまだ慣れているわけじゃないから、かなり浅めのところで動いて帰還する予定だ。慣らしだな」


 神妙な顔で頷くスノウ。

 それでも危険なことに変わりはないはずだ。


 「……ところでスノウ。お前がこれからいく迷界ってのが何なのか知ってるか?」

 「……危険なところ」


 曖昧な答え。それもしょうがないことだろう。彼は迷界とは縁のない元一般市民だったのだから。

 通信技術なんてものもなく、外の情報など滅多に入ってこない。入ってくるとしたら役人が出すお触れや、掲示される新聞、あとは戦争のことくらいだ。他は全て人々の噂程度の確度。

 少なくともスノウのいた地方都市の郊外ではそうだった。


 「まあそれが普通かもな。……よし、最初から説明する」


 迷界は魔力に満ちている。

 なぜ迷界と言われる場所ができたのか、どういう原理なのか、どうやってできたのか、誰も知らない。

 人類の歴史よりも古くからあると言われている、とにかく謎の多い場所。

 これまで幾度となく調査のために人々を派遣した。個人の探索者、調査隊、軍隊、……実に多くの人間を送り出し迷界の謎を明らかにするために挑戦してきた。

 が、結果はどれも壊滅。時には内部から恐ろしい魔物が出てきて甚大な被害を受けたこともあると言う。


 「全て?」

 「全てだ」


 迷界は中心に行けば行くほど魔力が濃くなると言われ、生息する魔物もより強力になる。

 迷界はいくつもあることから、自然と人々は迷界を避けるように集まり、そこで繁栄することとなった。

 一方で迷界の恵みを求めて近くに集まる人々もいた。ただそういった人々はあまり危険ではない迷界を選んで住み着くことになる。

 例を言えばマナの生まれた崩月流の人々や、迷界専門の傭兵達であろう。

 彼らは迷界の魔力を受けて、日々鍛錬や魔物を狩ることでその恩恵を得ている。

 もちろんそれ相応の対価も支払っている。

 命。彼らは迷界の魔物によって命を落とすことが多い。また、もしも強力な魔物が出現した時はその影響を強く受けることとなる。


 「そして知っての通りここはとびきり危険だ」


 人類が利用してきた迷界よりも遥かに魔力の濃度が高く、攻撃性も非常に高い。

 迷界は謎だらけだ。

 見た目通りではない。空間が捻れている場合もあるという。

 見たもの全てを信じてはいけない。信じるのは己の直感だけ。


 「もし、迷界の一番奥を見た、なんて人が出てきたらどうする?」

 「もし、そんな奴が出てきたら……」



 そいつはもう人間じゃない。



 思わず息を呑むスノウ。

 迷界とは人間の領域ではない、魔物達の領域なのだ。


 そしてこれから行こうとしているのが、まさにその迷界。


 「一応名前がある。天空の楽園、それがここの迷界の名だ。この砦にも名前があるのを知ってるか?監視者の砦。古い名前だ、誰も呼んでないけどな」


 初めて知った砦の正式名称。スノウが聞いたことがあるのは北の砦、国境の砦、あとは楽園──────。


 「この砦が楽園だなんて呼ばれているのはそれもある。全く皮肉だぜ、ここは地獄なのによ」


 同感だ。


 実の所、この谷の奥に何があるのかわかっていないと言う。

 ここの周辺は山々に囲まれた高い標高で、周囲は切り立った崖に挟まれている。

 左右を海に囲まれ、先細りしていく地形で、その先は膨らむようになっており、その先の迷界は高い台地の上にあるのではないかとされている。

 海は魔物で非常に危険なためその先がどうなっているのか調査もできない。

 もしかしたら大きな大陸が広がって、さらには人類が生活しているかもしれない。

 まさに未知なる場所。


 「何度も言うようだがかなり危険な場所だ。中は見た目以上にかなり広い」


 まず三日以内に帰還。

 その理由は長期間迷界にいると転化する恐れがあるため。

 転化とは魔物になるということ。そうでなくてもおかしくなる場合もある。


 「俺たちは魔力を持っているからある程度は耐性がある」


 しかし一般人、つまり魔力をもたない人間が迷界にいると自覚なく急に転化してしまうそうだ。

 過去にどうなるか実験した国があるらしい。

 それも当然だろう。簡単に魔力を得られるのなら強い兵士が簡単に作れることになる。

 明らかになっていないだけでそういった実験はどこの国もやっているのだろうか。

 迷界と人間の黒い歴史か。


 どの程度迷界で潜ってられるのかは、個人差がある。

 様子を見ながら少しずつ時間を延ばしていくしかない。


 荷物は極力減らして、動きやすさ重視、基本的に休憩は取れない。

 スノウ達は食事、睡眠をあまり取らない。そうでなくとも生きていける身体になってしまった。

 それこそが彼らが迷界に探索にいける条件の一つでもあるだろう。

 通常、探索には荷物が嵩む。

 食事、水、装備、特に水はどうやっても重い。

 それを減らすことができるのは重要な要素。


 戦闘は基本的にしない。回避する方向。

 こちらから仕掛けることはほぼない。

 魔物達は周囲の音や気配に敏感で、集まってくる場合もある。

 特に大物を呼び寄せてしまうと非常に面倒なことになる。


 「細かいところは道中で説明する。隊列だとか、どういうところを注意するだとかはな」


 あとは緊急時の対応。

 集合場所は探索時、現地でいくつか決めておく。はぐれた時、近いところに集まる。

 合言葉も決める。自分たちしか知り得ない問答。


 「散り散りになることもある。その時は自分のことだけ考えろ」


 打ち合わせていた集合場所に行って誰も来なかった時は一人で帰還。

 人の姿に擬態する魔物もいると言う。怪しい場合はとにかく信用するな、疑ってかからなければならない。


 「それと、今回は関係ないことだが俺たち以外の人間と出会った場合は全て敵だと思え」


 例外は迷界入り口にいる斥候たちだけ。彼らとも接触は極力しない。


 「迷ったら魔力の薄い場所へ行けばいい。お前ならもうわかるはずだ」


 谷の奥から感じる威圧感のことだろう。

 それと反対の方向へ行けば戻ってこられると。


 「今全て完璧に覚える必要はない。とにかく緊急時は一人で何とかする、これだけ覚えておけばいい。わかるな?……俺たちも余裕があるわけじゃない」

 「……うん」


 迷界は慣れたレナードにとっても非常に危険と言わせる場所。

 結局のところ最後に頼れるのは自分、ということだ。


 最後に軽く手信号の確認をして解散する。


 一人、スノウは装備をいつになく入念に手入れする。

 頭の中は明日のことでいっぱいだ。

 何事もなければ明日の日の出と共に出発。

 迷界とは一体どのような場所だろうか。

 何が待ち受けているのだろうか。

 恐ろしいところとわかってはいるが、冒険の予感にスノウの期待は膨らむ。



 翌日、予定通りスノウたち四人は門前に集合する。

 魔物の襲撃はあったが、いつも通りと言ってもいい内容。

 スノウだけはもう一度装備を手入れする必要があったが。


 装備は軽装、重たいのは武器程度。

 食料は軽い保存食が少し、水も腰に下げた皮袋に入っているのみ。

 これで三日過ごすのは楽ではないが、危機感を覚えるほどではない、という程度。

 全員深緑色の外套を被り、環境色に合わせる。


 「出発だ」


 レナードは静かにそう言って歩き出す。

 グレイグ、司祭もそれについていく。

 スノウは一人後ろを振り返る。

 見送りなどいない、これもよく見る日常。

 今回はスノウが出発する側だっただけのこと。

 日々魔物が襲ってくる危険な迷界へ、ついにスノウは向かう。

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