第25話 闇の中に光を見た

 スノウはマナと二人広場の隅にいた。

 もはやこの場所はスノウたちの定位置と言ってもいい。

 日は既に中天に差し掛かったところ。

 現在季節的には夏だが、高地にあるこの砦は気温の上昇も少ない。

 今回、ついにマナに剣術を教えてもらうことができる。

 今まで独学の見様見真似でやってきたわけだが、それも最近は頓挫している。

 そこでマナに頼み込んで基礎を教えてくれる運びとなった、というわけだ。

 順序が滅茶苦茶だがこの際しょうがない。とにかく先に繋がるものが欲しかった。


 「剣術とは何か、だとかそんなことは言いませんので自分で考えてくださいね」


 マナは開始時に一つ前置きをした。教える立場だからなのか話し方の行儀が良い。

 要するに学んでどうするかは自分で決めろ、ということ。


 「崩月流においてまず重要なのは身体をいかに意のままに操れるか」


 つまりどういうことだろうか。


 「……つまり基礎が大事ということです。スノウは既に土台はある程度できています。素振りもきちんとやっているようですし。……しかし足運びは全然ですね。だめ、もう全然だめ」


 そう言ってマナは足を動かして見本を見せる。

 踊るような足さばき。地面に円を描くように足が動く。かと思えば唐突に距離を詰めてくる。

 予備動作が感じられなかった。驚くべき技術。


 「これは崩月流、泳弧押蹴という足捌きの基本。泳ぐように弧を描き、押すように地を蹴るという意味です。習得すれば地に足がついてさえいればいかなる場合でも動くことができると言われています。下半身は剣に力を伝える要。決して軽んじないことです」


 さあ、と促され早速真似してみる。

 足が地面を撫でる。ぎこちない動き。

 真似をしてみるとマナの凄さがよくわかる。流れるような足さばきだった。


 「膝が伸びてる!それじゃ動けないでしょ!」

 「地面を蹴るときは押すように!土を飛ばしちゃダメ!」

 「踵を少し浮かすような感じで!」


 容赦無く指摘が飛ぶ。

 懸命にやるスノウ。正直できる気がしない。それほど途方もないことだった。


 マナは鍛錬に励むスノウを見る。

 身体は上と下がバラバラでまるでダメだ。

 地味で辛い鍛錬。彼女も苦労をした。

 だが非常に重要でもある。

 派手な技の影にはこういった地味な技がある。この地道な反復こそが礎となるのだ。

 反復といってもただ回数をこなせばいいというわけでもない。

 考えて考えて、より効率よく身体を動かすように努力する。それができなければ何の意味もない。ただやるだけでは努力とは言わない。厳しいことだが、それが現実だ。


 スノウには言わないが、飲み込みが早い。

 既にできているわけではない。だが、理屈を理解しているように思える。

 マナにとって武術とは、剣術とは理である。

 どうすれば身体が動くか、なぜこの動きをするのか、全て理屈に沿って考える。

 けれども相手がいれば話は変わる。

 闘いも理屈だと思っていた。

 でもそうじゃなかった。それ以上の何かがあった。

 スノウがそうだ。彼は理に縛られていない。

 勝てたはずなのに、負けた。

 どうやってそれを超えたのか。

 知りたい。彼の持つ力の正体を。


 スノウは地道な反復練習に文句をいうことなく続ける。

 体力はある。ここの過酷な環境が彼の肉体を鍛えていた。

 地味な鍛錬だが楽しかった。

 なぜか?

 彼にとってこれはまさに修行だ。

 昔は修行だなんて言うとかっこつけてるだのバカにされたものだ。

 でもここでは馬鹿にする奴は誰一人としていない。生き抜くために必要だからだ。

 大真面目に、集中して考えることができる。

 彼女と自分、何が違うのか。

 足を引き摺るな、草を撫でるように、それでいて足は地に付けて……。

 きっと彼女が砂の上で同じ動きをしたなら美しい模様を描いたことだろう。


 「難しいな」

 「当たり前。すぐにできるわけない。何度も考えて、試行錯誤してくもの。長い、途方もなく長い道のりよ」


 そうだ、まだ始まったばかり。

 死なない限り時間ならいくらでもある。

 寝ることも、食事をすることも後回しにして、スノウは技を磨き始めた。



 鐘が鳴った。ただ、いつもの急かすような音ではない、遅い間隔で鳴らされている。

 既に日は暮れ、夜である。


 「これは?」

 「魔物を正確に確認できているわけではないって意味だ。警戒は怠るな」


 困った時はレナード。素早く答えてくれる。


 「どう思う?」

 「迷界にいる仲間は素人じゃないぞ。……こういう場合は必ず何かある」


 目を細めるレナードの脳裏にはフェイスが。彼は今迷界の入り口にいたはずだ。

 兵士たちが集まってくる。


 「火をつけろ!!」


 ジェイルが指揮を取る。

 空は雲が天を覆い、一段と暗い。

 魔物を迎え撃つために松明が設置された。


 「……何かいるな」

 

 レナードが闇を睨みながらそう呟くのを聞いた。


 立てられていた松明の火が、一つ消えた。

 それから続いてもう一つ。連続して次々と消えていく。

 明らかに狙ってやっている。


 「下がれ!壁まで下がるんだ!」


 ジェイルの指示で皆下がる。

 背中の壁の松明の明かりが心強い。

 兵士たちは既に武器を構えているが、敵の姿が見えないためどうすればいいのかわからず動けない。

 目の前の闇の中から影が伸びる。

 影は瞬く間に兵士の一人を捉えて引き摺り込んだ。

 悲鳴が聞こえ、それもすぐに消える。

 夜はこれが恐ろしい。この闇は人間の世界ではない、魔物たちの世界。

 闇の中では人間は圧倒的に不利だ。

 魔物もそれがわかっているのか、決して闇の中から姿を見せない。


 ここでジェイルはこの魔物達が厄介な部類であることを確信する。

 彼やレナードといった上位陣は夜目が効く。この闇の中でも全く見えないわけではない。

 だが魔物が見えない。

 この魔物は己の姿を曖昧にして隠している。おそらく魔力の作用。


 誰かが松明を放り投げた。

 地面に落ちた松明は素早く近寄ってきた何かに消される。

 やはり光か火を脅威と見ているのか。


 再び闇から影が伸びる。

 今回はそれをグレイグが斬り落とした。

 落ちた影を見るとそれは黒い何かに見える。

 光を当てると煙を上げ焦げてしまった。

 周囲に何とも言えない臭いが漂う。

 スノウはそれを腐卵臭に似ていると感じた。


 「さあ、誰がいく?怖気付いてばかりじゃいられんぞ」


 ジェイルは兵士たちに機会を与える。これは彼が戦いたくなくて言っているわけではない。

 死ぬかもしれない?そんなことはわかっている。皆覚悟の上でここにいるのだ。

 誰かがいかなくてはならない。

 戦士の宿命。


 「俺がいこう」


 声を上げたのは一人の兵士。マナと同期の元傭兵。丁度ここの魔物との戦闘も慣れ始めた頃か。

 松明を掲げ、前に出る。

 闇の中に一人孤立する。

 もちろん彼も素人ではない。外の世界ではどこだって即戦力で、人や魔物と殺し合った経験も豊富な一流の戦士。死線だって何度も潜ってきた。


 あくまで外の世界では。


 周りの兵士たちは彼が魔物の姿を浮かばせたらすぐにでも援護できるように準備している。

 キョロキョロと顔を動かしている孤立した兵士。何かを感じ取っているのだろうか。

 灯りの隅で影が動いた。

 松明が弾き飛ばされる。

 スノウ達の視界から彼が消えた。そして叫び声。

 叫びは悲鳴へと変わり、やがて沈黙。

 残ったのは地面に落ちて燃える松明。

 影が覆い被さり、その灯りも消えた。


 「クソッ」


 思わず悪態をつく味方の兵士。情報が無さすぎた。

 ここで一人、前に出る男、スノウ。

 松明を持って剣を抜き、歩き出す。

 ジェイルはまだ早い、と言いそうになるが考え直す。

 スノウの実力は急成長しているものの、まだまだというのが正直なところ。だが彼の獣のような直感、感性は実に彼をしぶとく生き長らえさせている。

 スノウの中に戦士としての決意を見た。

 命懸けの行為には敬意を払うものだ。


 スノウは一人自問する。

 なぜ前に出た。命が惜しくないのか。他の奴に任せれば良かったんじゃないか?

 前に出たのは激しい衝動から。

 命は惜しい。こんなことを続けて長生きできるわけがない。


 ちくしょう!!足が勝手に出てしまった。

 俺はきっとロクな死に方をしないだろう。俺は頭がおかしくなってしまった。こんなにも恐ろしいと思っているのに……。


 ……それなのになぜ俺はこんなことを?


 スノウは命をかけたその先にこそ光が見えることを経験から本能的に知っていたのかもしれない。

 

 近道はないんだ。この壁を乗り越えて、俺は先に進む。


 彼は焦燥感を抱えていた。雑魚をいくら倒したってこの気持ちは晴れない。

 魂がもっと強い敵を求めていた。

 ひりつくような緊張感を、焼けるような熱量を、自分の限界の先を。


 孤立するスノウは空気の変化を感じる。


 何かがいる。

 感覚を研ぎ澄ませろ。


 こういう時、スノウの頭の中で余計な考えが消え去り、一気に五感が集中していくのを感じる。

 感覚が鋭敏になり、周りの時が遅くなったよう。

 自分の心臓の鼓動が早鐘を打ち、息遣いが聞こえる。

 闇の中にいる相手を感じた。

 相手の魔力、それから自分の魔力。

 敵の魔力は妙だ。空間自体が魔力で覆われ歪んでいるよう。

 それに比べると自分の魔力は激しく主張している。

 目立って仕方のないそれをそっと折り畳むように小さくしていく。

 簡単なことだった。こういうことか、と拍子抜けするほど。

 スノウの垂れ流されていた魔力が収束していく。


 その途中、何かが迫るのを感じた。

 転がって避けるスノウ。その横を通過する魔物。

 スノウの鼻先に、独特の臭いがした。

 獣ではない腐卵臭。


 彼の魔力が収束する。

 その時、ようやく魔力が自分のものになったような気がした。

 お互いに存在を認め合ったかのような感覚。

 転がり、手をついて一瞬地面を見つめるスノウは身体が震える。

 それは喜びか、感動か。


 魔物は標的の魔力を感じなくなったためか、一瞬見失い、闇の中姿を探すそぶりをする。

 相手の姿を捉え直した魔物はもう一度襲い掛からんと迫る。


 スノウは魔物が襲ってくる気配を感じ取り、松明を五歩ほど離れたところに放る。

 これは狙って火を消したのだからスノウか火かどちらかをとるか選択させる形。

 魔物は僅かに逡巡し、スノウを狙う。

 そこで彼は投げ捨てた松明に向かって走る。

 松明の上を通過し、その後魔物が彼を追って松明の、灯りの上を通過した。


 一瞬姿が見えた。


 スノウはその一瞬を捉えたが、少し後悔。

 ようやく目にした魔物の姿は下半身が蜘蛛のように多脚、上半身は濡れたように光を反射し、その身体では何かが蠢いており、中心に大きな縦に裂けた口。

 全身が黒塗りされた形容し難い生物。


 その魔物をスノウは剣を振り下ろし迎え撃つ構え。

 胴体の縦に裂けた大きな口が迫る。臭いが鼻をつく。

 振り下ろした剣は魔物の身体を裂きながら埋まる。

 うめく魔物。口の奥から聞こえる悲鳴。

 効いているようだ。

 埋まった剣を支えに足で押しのける。

 蠢いているのは触手か。

 それをむんずと掴み引き寄せ、さらに下から斬り飛ばす。


 飛ばされた魔物は偶然にもマナのところへ飛んだ。

 マナはそれを冷静に二回ほど斬りつけ残心の構え。

 だが火に照らされた魔物の姿を見て「ぴゃあっ!!」と間抜けな声を出し慌ててグレイグを盾にして隠れる。

 まだ動く魔物を司祭が何度か殴打して叩き潰すとようやく動きを止めた。


 倒される魔物を見てスノウはわざと仲間の元へ戻るふりをした。

 それを油断と見たか、背後から忍び寄る一匹の影。

 飛びかかる気配を感じ、スノウは素早く振り向き、剣を持った右手を突き出す。

 突き出した剣は隠れていたもう一匹の魔物の口の中に突き刺さる。

 スノウの右腕が魔物の口の中に埋まる。

 魔物は死力を尽くしてスノウに噛み付くが、すでに彼の腕を噛みちぎるほどの力はない。

 スノウは刺さった剣を上に斬り上げて魔物の胴体を裂く。

 魔物の屍は地面に力なく倒れた。


 兵士たちが駆け寄る。


 「敵が一匹ではないとよく気付いた」


 珍しくジェイルがスノウを褒める。

 彼は最初から知っていた。魔物が二匹いると。

 なぜ言わなかったのか。

 彼はスノウの師でも見下しているわけでもない。

 この程度なら乗り越えて見せろ、という見守るような気持ち。

 味方を頼りにしてはならない、いつだって一人で何とかしなければならない、それがここのやり方。

 彼はスノウの魔力が途中変わったのにも気付いていた。

 魔力は彼と一体となった。


 何というやつだ。


 一見簡単に仕留めたようだが、魔力が制御できていなけれなもっと苦戦ないしは死に至っていた可能性もある。

 殺し合いはいつだって紙一重なものだ。


 対するスノウはジェイルの言葉に頷くだけだ。

 事前に教えてくれていたら、と愚痴をこぼすことなどない。

 これがここのやり方だ。


 みんなで魔物を囲んで観察する。

 魔物の身体は明かりに照らされてもなお黒かった。光を吸い込むような黒。

 明かりに照らされると悪魔の体から煙が出る。焼けているようだ。

 これが夜に襲い、火を嫌った理由だろう。


 「こいつは魔族、さらには悪魔の一種だな。低級ってとこだろう。悪魔は総じて知能が高く、姑息で、騙そうと画策してくる。絶対に信じるな」


 ジェイルが兵士たちに忠告する。

 スノウが記録を読んだ限り、悪魔が襲ってきたことは非常に少ない。

 いずれも夜の襲撃。

 悪魔は大概不定形で決まった形を持っていない。

 どれもが危険で悪意ある存在。

 今回は数が少なくて良かったと思った方がいい。


 悪魔を見つめるスノウの横顔をマナは見つめる。

 彼女はスノウの無謀さを案じていた。

 こんなことを続けていたら命がもたないはずだ。

 通常なら命知らずの愚か者と言われても仕方のないこと。

 だがどうしてか未だ生きている。


 これがこの男の強さの秘密だろうか。

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