第24話 自分だけは大丈夫

 この日の午前は珍しく雨が降り続いている。

 高い位置にあるこの砦は雲の流れが早いこともあり天気の移り変わりも早い。雨が長時間降ることは珍しかった。


 雨が降ると兵士たちは広場に即席の天幕を張り、そこでくつろいでいる。

 彼らにしては静かな時間。それもそのはず、装備が濡れたり泥が着くとと気持ちが悪くてしょうがない。だが装備は身に付けておかないと不安、それ故の静けさでもあった。

 すでに彼らは一戦を終えた後。泥を落とし、火にあたり濡れた身体と衣服を乾かす。


 スノウはこの時間を記録室で過ごしていた。

 昨日ようやくマナに砦の案内を終え、一息ついた所。

 雨が降るとそれに釣られてか、襲ってくる魔物も変わる。

 先程戦ったのはカエル。スノウの身体ほどの大きさで、土色の背中。その体表はぬめり、毒がある。大きな口から飛び出す舌は驚くほど速く、標的を一瞬で絡めとる。

 手のひらサイズだと可愛いものだが、こうも大きい個体だと非常に恐ろしい。

 跳躍力も大したもので、それがぴょんぴょんと数をなして跳んでくるのはなかなかの迫力。

 舌を切り落としさえすれば、後はのしかかりの警戒だけで済むのでそこまでの敵ではない。

 全くどこから湧いてくるのかは不明だが、かたつむりや甲殻類の魔物もいる。

 記録では大きな魔物の頭蓋骨を背負ったかたつむりもいたらしい。体内に寄生虫のような魔物を同居させ一緒に攻撃してきたそうだ。酸を飛ばし、目は槍のように鋭く、いくつも飛び出てきたと記録されている。

 他の強力な魔物で言うと丘ガエルと名付けられた魔物。その名の通り丘のように大きく、地響きを立てながら現れたそうだ。

 口の下が大きく膨らみ、轟音を鳴らす。その後身体中から毒を撒き散らした。これによって多くの非戦闘員が毒にやられて死んだ、と記録にある。


 ふう、と息を吐いて記録から目を離す。

 魔物の記録を見るのは楽しい。この世界に生まれてから、こうした過去の文献に触れる機会はなかった。それだけに先人達の知識は貴重であり、自身のためにもなるというのだから読まない理由はない。

 読んでいた記録を元の場所に戻して席を立つ。


 「またくるよ」

 「またのお越しを」


 スノウはヨルにそう言って部屋を出る。

 慣れたやり取り。暇さえあればスノウはここに来ていた。

 外に出るといつの間にか雨は止んでいた。

 泥だらけになりながらする鍛錬も悪くないものだ。あとが大変だが。

 スノウが去った後、部屋にはヨルが走らせるペンの音だけが響く。



 谷に流れ込む風が雨の湿気を飛ばしていく。

 そろそろマナをレナードに紹介しようとスノウは広場に向かった。

 レナード達は昨日の今日の朝方に帰還した。

 帰還するとしばらく気が立っているため話しかけることはしない。もう落ち着いている頃合いだろう。

 途中、食堂で肉を頬張っていたマナを見つけて誘う。珍しく柔らかいその肉は今朝のカエルであると気付いているのだろうか。

 マナと二人でレナードたちが出てくるのを待つ。魔物の話や訓練で思ったことなど、取り留めのない話し。

 そんなことをしているとレナードが宿舎から出てきた。


 「おう、グレイグから話は聞いてたぜ。よろしくな、嬢ちゃん」


 スノウがマナを紹介するとすでに話は聞いていたのかそう返すレナード。

 任務中少なからずその話で盛り上がっていたらしい。


 「崩月流の使い手が外に出てくるとはな。珍しいこともあるもんだ」


 レナードのその言葉にマナは愛想笑いを浮かべ、頭を掻く。

 ここでスノウはようやく聞くに聞けなかった疑問をぶつけた。


 「その崩月流って有名なのか?」


 たまに元傭兵の兵士たちが流派の話をしているのを聞いていたのでそういうものがあることは知っていた。だからこそこの一つの流派が有名なのは何か理由があるのだろう。

 レナードはマナに目配せをしてどちらが言うべきかを問う。

 マナはどうぞと言わんばかりに先輩に譲る仕草。


 「とりあえず簡単に言うとだな。崩月流ってのは今ある多くの流派の源流って言われてる。ここから枝分かれしていった流派もかなり多い。つまり歴史のあるすごい流派ってことだ。三大流派の一つでもある」


 マナはすごいんだぞ、とばかりに胸を張る。


 「……んで、ここミリアルド王国の東にあるヘイデン連合国ってところにある迷界の近くに本拠地を構えている、らしい。俺も行った事はないからな、聞いた話だ」


 ほー、と感心した顔のスノウ。なるほど、であれば有名なのも納得。


 「珍しいっていうのは?」

 「有名だからな、そこに人は集まるだろ。人が集まればそれだけ強い奴も出てくる。わざわざ外に出なくても技は磨けるってわけだ。それに実力があれば国の中でそれなりに地位もあるし尊敬される。そこら辺悪い噂は聞かないしな。……まあつまり出てくる理由がないってことだ」


 なのにどうしてかこの少女はここにいる。だから珍しい。

 これだけの技を持っているのだ、組織内でも良い待遇だろう。

 マナはその疑問に答えず、話を変えるようにレナードに質問する。


 「……あっ、レナードさんの指にはめてるのって王国騎士団の紋様ですよね!」


 それにレナードは答えなかった。嫌な顔をしているわけではない、何かを思い出すような目。


 「すいません……ごめんなさい……」


 マナはそれを見て聞いてはいけない事だったと思い謝る。

 それがどういうことを意味するのかわからないスノウはほーん、と言うばかり。

 そこで働いていたんだな、という程度の感想。


 「……ふふ、気にするな。別に隠してるわけじゃない。知ってる奴が見ればわかることだ」


 謝るマナにレナードが諭す。


 「どう言う事だよ……」

 

 一人置いてかれ疎外感を感じるスノウ。俺は常識がないのか?知らないことがたくさんだ。

 

 「俺が貴族だってことだ。知らんのはお前だけ」


 レナードは隠すことなく教える。それももはや意味のないものだ。

 貴族。以前のスノウからすれば上のそのまた上の世界の住人。高貴なる存在で見下してくる連中。

 レナードの告白に、意外にも驚かないスノウ。

 不思議と納得していた。立ち振る舞いだとか、仕草の一つ一つが周りとは違う。

 それがどうして、と思う。当然だろう。でも聞かない。それ以上は聞けない。

 レナードにも、マナにも、スノウにも過去はある。当然、この砦に来た理由もある。でもそれを聞こうとはしない。

 この砦の誰しもがそう。自分が聞かれたくないことは聞かないものだ。だから踏み入らない、踏み入るべきではない。

 それがこの砦の暗黙の了解でもあった。

 気まずい沈黙が流れる。

 幸運なことに、そこでグレイグがやってきた。


 「おっ、嬢ちゃん!久しぶりだな!」


 彼の登場により空気が和らぐ。

 二人は互いに自己紹介をする。


 「……見ればわかるのはそれだけじゃない、実力もだ。みんなでマナの歓迎会を開こうじゃないか」


 この流れにレナードが武器を取り出して冗談を交えながら誘う。

 相手のことを知るには武器を交えるのが一番という北の砦流。


 「は、はい……」

 「どうした」


 その誘いに対し、妙にしおらしいマナ。そこは意気込むところだと思ったが、乗り気でない様子。


 「あのっ!!こいつみたいなことにはならないですかね……」


 指差す先にはスノウ。指を刺された本人はなんのことかと首を捻る。

 つまりスノウのように無茶苦茶しないですよね、と言外に訴えている。切実な訴え。


 「ははは、こいつは少し頭がおかしいんだ。大丈夫、俺はまともだ」

 「俺もだぜ」

 「ふふふ」


 いつの間にやら来ていた司祭共々、常識人であると豪語する三人。

 皆、自分だけはまともだと思っている。

 もし常識的な人がここにいれば、彼らは皆大概どこかおかしいところがあると言おう。


 「よかったぁ」


 一方のマナは他の人から見てもスノウがおかしいとわかりホッとしていた。自分の感性は間違っていなかったと。だから彼らがおかしいということには気づけなかった。


 マナはまずレナードと手合わせする。

 彼と相対すると、まずその存在感に圧倒される。

 どっしりとした大木を思わせる。隙がなく、どこを打っても崩せる気がしない。

 中段に構えた長剣の剣先は枝のようにゆらゆらと揺れ、かと思えばピタッと静止。マナの反応を見る動きは明らかに格下を相手にするよう。

 マナが打ち込むと、どうやっても弾かれる。正確で、速くて、重い。わかってるのに崩せない。圧倒的な力の差を思い知らされる。


 続いてはグレイグ。彼の恐ろしいところは圧倒的な引き出しの差にある。

 技術に長けた相手との経験があるのか、まともに剣を合わせようとしない。

 執拗なフェイント、飛び道具、相手の行動を二手も三手も読んだ攻撃で妨害してくる。

 相手にしたくはない類だ。


 最後に司祭。

 奇声をあげて鈍器を振り回す。それだけだと大したことはないが、意外にも相手を見ており器用に武器を操る。この男、見かけによらず考えて攻撃している。

 防御はしないが、そのかわりどんな体勢からも繰り出される攻撃は人間なら一撃だろう。


 マナは見事、序列最下位となった。

 自分の学んできたことはなんだったんだろう、と自問。

 獣のような相手に負け、正統派の騎士に負け、盗賊のような大男にも負け、変人にも負け……。

 実力はあると思っていた。天才と呼ばれていた。だがそんなものは自惚れ。

 ここでは技なんて手段の一つでしかない。それよりも大切な何かがある。

 それを学ぼう、と決心するマナだったが、とりあえずまず一つ言いたいことがある。


 「やっぱりおかしいよ……この人たち……」


 この砦には頭のおかしいやつしかいないんだ。


 「……俺も」


 はあ……。


 いそいそと参加を表明するスノウをゴミを見るかのような目で見るマナだった。



 「それで、迷界はどうだった?」


 腰を下ろし、未知なる場所である迷界について聞きたがるスノウ。

 すでにマナは疲労で倒れ伏している。


 「奥には行ってねえ、あくまで慣らしだがな」


 グレイグはそう前置きして語る。経験者であるレナードは黙っている。初心者がどう思ったのかが重要だ。


 「見た目は普通の森とそう変わらんがやはり空気が違うな。重くて、威圧感がある。この中で常に神経を張るのは流石にきつかったぜ」


 迷界に安全な場所はほとんどないと言う。魔物たちは姿を隠し、気配を殺して、油断した獲物を狩るべく待ち構えている。

 グレイグたちは寝られないし、寝る必要もないので常に動く。道という道もないし、高低差もあるのでかなり苦労したらしい。


 「ちょうど丘を登ったところで遠目に魔物を見た。ありゃ相当なやつだった。なんせそこからでも見えたんだからな。でかいやつだ。カニみたいな見た目をしてた」

 「ああ、あれは南の砂漠で見るサソリってやつに似てたな。あいつはシアがやるようなやつだった」


 レナードが補足する。迷界の探索は基本的に戦いが目的ではない。それよりも危険を回避できることが何よりも重要だ。


 「最近の姿なき暗殺者のこともある。やられたやつもいるしな。探索は慎重にしすぎってことはない」


 迷界はどんな魔物がいるかわからない。

 姿なき暗殺者とはここ最近目撃されている魔物。目撃といっても姿が見えたわけではない。

 目撃者によると大きな透明な何かがいたらしい。

 そいつが透明な何かで仲間を突き刺し物凄い速さでさらっていったという。

 ここで彼らはそれを追うような真似はしない。あまりにも危険すぎるし、助けられる保証もない。おそらく既に生きていないだろう。

 それよりもこの情報を持ち帰る方が重要。彼らはそう判断して帰還した。

 迷界において何よりも優先すべきは自分の命。その上でどうするべきかを考える。

 仮に自分が死にそうになっても仲間に助けを求めることはしない。仲間が自分を助けてくれると思ってはいけない。

 迷界とは人を孤独にさせる場所だ。そうでないと生きていけないから。


 スノウは目の前にある迷界に思いをはせる。

 謎に満ちた人類未到の地。恐ろしいところだが、ロマンがある。冒険心がくすぐられる場所。


 「魔力はどうだ」


 レナードがそう聞くのには訳があった。

 迷界の探索に参加するには条件がある。

 それは魔力を操れること。具体的に言うと魔力の隠蔽が必要だった。

 迷界の生物は皆魔力を宿す。生まれた時からそれを扱う術を知る。

 そこに魔力をろくに扱えない人間がやってくると、非常に目立つ。目立った人間は必ず狙われる。


 「使えてることは使えてる。でもいつでもじゃない」


 スノウは少しずつ魔力を使えていると感じていた。だが完璧ではない。

 客観的に見てどうなんだろう、と思う時が度々あった。

 レナードのような上級者になると、戦闘時相手の魔力も見ている。それによって相手の動きを察知できる場合もある。

 上に行くには魔力の隠蔽は必須技術でもあった。いずれにせよ通る道。


 「できないのはそうしようとしていないからだ。本当に本気でそうしようとすればできる」


 非常に抽象的な答え、感情論にも思える。

 やろうと思えばできる、なんて今更なこと。

 だがこればっかりは自分で答えを見つけるしかない。

 魔力というものは心と体、両方が同じ方向を向いた時に動く。

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