第23話 受難の少女
スノウは一人記録室にいた。すでに日は落ち真夜中。
記録室とは魔物に関する記録が保管されている部屋。
部屋の主であり管理人ヨルの仕事部屋でもある。
スノウは時間が空くと度々この部屋に来て記録を見ていた。
自分が戦った魔物、未だ見たことのない魔物。どうすればもっと簡単に倒せるか、敵の理解を深めておくことは重要。
管理人であるヨルじいさんは就寝中。
スノウが書物を大切に扱うことはわかっているので好きにしていいとのこと。もっとも他の兵士たちは有事の際でなければ来ることはないが。
そうやって空き時間を過ごしていたが、ここで鐘が鳴る。深夜の襲撃。
スノウは腰をあげ、灯りを消し門へ向かう。途中、マナのことを思い出した。
夕方まで付き合わせてしまったマナは倒れるように眠り込んだ。長旅の疲れもあっただろう。
この砦のルールは知っているのだろうか。
一応心配になって彼女を起こしに向かう。
マナは未だ寝台で眠っていた。
スノウの寝台だ。頻繁に使っているものではないのでそこまで汚くはないはず。
マナは鳴り響く鐘の音にも起きる様子はない。
「おい、起きろ」
身体を揺らして声をかけるが返事はない。
時間もないので寝ているマナを蹴飛ばして寝台から落とす。
「な、なに?」
「急げ、魔物だ」
「……ふぇ?」
事態が飲み込めていないのかキョロキョロとあたりを見渡す。
自分がどうしてここにいるのかもわかっていないのか。
寝ぼけているマナを無理やり急かして歩かせる。
「あ!装備……」
薄着だったマナはもたもたと準備に手間取る。
「……行かなきゃダメ?」
「……」
既にかなりイラついているスノウを見て慌てて準備を終わらせる。
途中何度も欠伸をするものだから後ろに着いていたスノウはマナの可愛いお尻を何度も蹴飛ばした。
「……眠いー」
「終わってから寝ろ」
谷側の門前に到着すると幸運にもまだ魔物は来ていない。
「運が良かったな。新人」
「は、はい!」
ジェイルが遅れてきたマナに言う。
おそらく彼女は何が運が良かったのかわかっていない。彼が怖くて反射的に返事しただけだ。
マナが位置につくと暗がりから影が飛び出した。
魔狼の類だ。スノウは素早く判断。
魔狼と言っても種類は様々で、まとめて魔狼と言われることが多い。
今回の魔物はどちらかというと犬に近い。
細身で黒毛が短い姿。魔狼よりは小さいが人間界の犬よりも背は高い。
数は多いがマナが初戦で戦うには十分な相手。
こ、これがここの魔物……。
マナは目にした魔物に息をのむ。
彼女の生まれ育った場所は迷界に近く、それゆえ彼女も魔力を使えるようになった。
だが彼女の知る迷界は奥に行けば行くほど凶暴な魔物が多くなり、反対の言えば迷界の端では穏やかな魔物が多いという認識。
要はこちらから無理に刺激しなければ脅威ではないということ。
だが目の前の魔物はどうだろう。
よだれを垂らし狂ったように駆けてくる。特に赤く光る目が異質さを際立たせる。
聞いてはいたけどここまでとは……。
一気に眠気が吹き飛んだ。
危険なところだと聞いてはいたが、実際目にするまでは納得のいかないものだ。
マナは旅を共にした傭兵たちと足並みを揃える。
彼女達も魔物と戦った経験がないわけではない。対処は可能。
実力を見せてみろというジェイルの意向。
この戦闘によって自分たちがどの程度戦えるのかを見極めるものだろう。
魔狼がマナに飛びつく。
血走ったような、獲物のことしか見えていない、理性のない目。
マナは避けながら胴を斬りつける。思いの外硬い表面。だが肉に入った感触はある。
別の一匹が口を開いて迫る。
早めに鼻先を叩くように斬る。手応えあり。
そこに一匹目が再度襲いかかる。
もう少し怯むかと思っていたが全くそんな気配はない。むしろさらに猛っている。
相変わらずの突進。大したことはない。
避けながら先ほどの傷口に被せる精密な斬撃。深く入った手応え。
しかし致命傷を与えたはずの魔狼は倒れない。
よろめいてはいるが戦意はまだある。
二匹目をいなしながらマナは驚愕する。
凄まじい生命力。見ればそれに苦戦している傭兵。
彼らも倒したと思った魔狼に襲われているのだろう。
油断したところに首筋に食いつかれ口から血をこぼす傭兵。つい昨日までは共に旅していた仲間だった。
後ろをチラリと振り返ればジェイルもスノウもただ見ているだけ。
知っていたのだろう、こうなることは。
それでも黙っていたということに怒りを覚える。助かったかもしれない命。
とんでもないところに来てしまったのかもしれない、そうマナは思った。
けれども彼女にも目的がある。
強くなりたい。
単純明快な目的。
だからこそ噂を聞きつけてここにきた。
その為ならどんなにきついことでも乗り越える覚悟がある。
実際にそのための努力はしてきた。
天才と言われながらも更なる高みを目指す彼女に立ちはだかったのは停滞感。
魔狼の首の骨を断つマナ。二度目は油断しない。
さすがに動けず倒れたままの魔狼。目から光が失われていく。
ここにきて良かった。
素人と評したスノウでさえも自分より強かった。
ジェイルやハイネ、そして得体の知れないシア。
上には上がいる。
それは彼女にとって喜び。
彼らの強さの秘密が何なのか知りたい。
ジェイルはスノウに指示を出す。
新人の実力はある程度わかった。
迷界の深くまで潜った経験のある奴はいない。つまり、飛び抜けて強いやつはいないということ。
まだ奴隷上がりの新兵のこともある。
戦わせる相手を見誤ると彼らは途端に数が減ってしまう。
そういう意味ではスノウはかなり、というか非常に稀な存在。
奴隷からここまでの戦士になるやつはほぼいない。悲しい現実。
だが彼らがいないと困るのもまた事実。
警邏や見張り、その他細かいところを彼らがやってくれていた。
スノウはジェイルの指示に前に出る。
これは自分から言い出したこと。雑魚の掃討に自分を使ってくれと言ってあった。
敵を見る。
マナたちが対処しているが全体的に数が多く、初めての戦闘のため勝手が違い苦戦している。
スノウは松明を持って崩壊しそうなラインに飛び込む。
剣を片手でバットのように振り回し魔狼を斬り飛ばす。
松明を投げ、そのまま魔狼達に囲まれる位置に着地。灯りが魔狼を照らす。
蹂躙が始まった。
マナは突然飛び込んできたスノウを見た。
スノウは魔狼達に囲まれている。
風車のように剣を振り回す。圧倒的な力。
一振りで魔狼は死んでいる。
何匹もスノウに飛びかかるが、スノウは意に介さない。急所だけは守り、足に噛みつかれ、背中に爪を突き立てられても冷静に対処している。
次第に数を減らしていく魔狼。
後のことは考えていない、異常な戦い方に呆然とする。
最後の魔狼にとどめを刺し、傷だらけで元の場所へ戻っていくスノウ。
結局十数匹をスノウが倒してしまった。
「よーし、解散!新人は解体!」
うーす、と帰っていく兵士たち。
一方で新人の傭兵と昼間では奴隷だった新兵達は魔狼を解体場まで運び解体を習う。
傭兵達は手慣れた様子だが、マナは違った。
「うー。やだなぁ」
慣れていないのか手間取るマナ。
「やったことないのか?」
「スノウ!大丈夫なの?」
いつの間にか様子を見にきていたスノウにマナは心配そうに声をかける。
手当てした様子もなく、先ほどと同じ格好。彼は自分で思う以上に面倒見が良かった。
「気にするな。いつものことだ」
「そ、そうなんだ……」
毎回……。ドン引きしつつ納得するマナ。
本人が大丈夫というのならそうなのだろう。
魔力がある人間は傷の治りも早いことは知っている。それでもここまでではないはずだが……。
気を取り直して目の前の課題に集中する。
おぼつかない手だが、少しずつは進んでいる。
「やったことはあるみたいだな」
「……前いたとこは、解体専門の人雇ってたから」
金のあるところだな、なんて呑気に考えるスノウ。
外の傭兵事情は全く知らない。
一応できているのだから、一通り教えられてはいるようだ。
少しずつ作業を続ける。
緊張が切れたからなのか次第にうつらうつらと頭を揺らすマナ。
「終わってから寝ろよ」
「…………うん」
眠気と戦いながら、最後に終わったマナは近くに背中を預け眠る。
こうなったのには自分に責任の一端があると感じていたスノウは眠る彼女を肩に担ぎ部屋まで運ぶ。
「可愛い子じゃねえか、スノウ。しっかり面倒見てやれよ」
解体所の親方の言にスノウは黙って手をあげるのだった。
面倒なことだが、悪い気はしない。少なくとも男よりは遥かにマシだし、彼女から得られるものも多い。
グレイグと司祭にも手伝わせるか。
同室の二人を巻き込むことに決める。
どちらも一癖も二癖もある人物だからきっと喜ぶだろう。
*
朝方、スヤスヤと眠っていたマナは再び蹴り起こされた。
「ま、またぁ!?」
寝台の下で目を覚ましたマナの耳には聞き覚えのある鐘の音が。
「言っておくが俺は何回も起こしたぞ」
早く準備しろ、そう言ってマナを急かすスノウ。マナの刀を渡す。
再び門の前に向かう二人。
魔物は鬼の斥候。今では懐かしささえ感じる敵。
小鬼は新兵達が、鬼はスノウとマナが引き受けた。
マナは人型の敵なら無類の強さを発揮。
ただ一撃の力に欠ける。そこをスノウが補う形で勝利。
解体も終わり、場所を移して宿舎前広場。
レナード、グレイグ、司祭にマナを紹介したかったが、彼らは今迷界に潜っており、不在。
このところ戦力も増えてきたことから迷界の探索が頻繁に行われている。
今回はレナードの持ち回り。帰ってくるのは三日後あたりだろう。
そこでマナを訓練に誘う。周りでも剣を振っている兵士は多い。
ところがマナの様子がおかしい。
「おかしい……、おかしいよ……」
ここでようやくこの砦が異常だということに気づき始めるマナ。
「何がだよ」
「さっき戦ったばっかりじゃん!!」
「いいだろ、別に」
「よくない!普通、ちょっと休むか……ってなるでしょ!」
「二回も寝て休めたろ?」
「休んだけど……!精神的に無理って話!」
「精神が弱いな」
ぐぬぬと悔しがる。マナは人一倍負けず嫌いだった。
正論はマナに軍配が上がるが、スノウの言っていることもあながち間違っていない。
普通の精神力では持たない、過酷な環境。
この環境に慣れなければどのみち苦しい。
「……わかった。……でもちょっとだけ!いい!?」
子供のように目を輝かせ頷くスノウを睨みながらも、刀を抜いて斬りかかる。
合図も何もないのがスノウの好みだった。
マナの刀がスノウの剣に当たる。
その時、異音が響いた。
手を止めて顔を合わせる二人。
「そっちから音がしたぞ」
スノウの言葉にマナは自分の刀を見る。
ポロリ
マナの刀が半ばから折れた。
大きな瞳がさらに大きく見開かれる。
「へ、え……うそ……え、なんで……?」
まだ目の前で起こったことが信じられない様子。
この刀はマナにとって宝物。苦楽を共にしてきた存在。
目に涙が溢れる。
「思ったより早かったな。まあドンマイだ」
「……!!……何がドンマイだよ!!意味わからないし最低!!馬鹿!!アホ!!」
デリカシーのない男の発言に泣きながらキレるマナ。
スノウは彼女に謝るも、こればかりはしょうがないことだと言う。
どんなものにも寿命というものがある。
彼女もそれはわかっていたが、それにしてもこの壊れ方はおかしい。
「悪かったって。鍛冶場で新しいのをもらおう」
そう言ってスノウはマナを鍛冶場へ連れていく。
受付の男にジャンを呼ぶように頼む。
少しして、ジャンがきた。汗をかいていることから作業中だったか。
「悪い、忙しかったか」
「大丈夫。……おっ、噂の子だね」
ジャンはマナと自己紹介をかわす。マナはスノウ以外には行儀がよく、ペコリとお辞儀。
「それで?本題は?」
壊れたマナの刀を見せる。
ジャンはなるほどと頷いた。
「早いね。よっぽど酷使したのかな?」
マナはスノウを睨む。原因はこいつだと確信している顔。
「大事にしてたんだね。素晴らしいものだ」
刀を返しながら言う。
ジャンにはこの刀が大切に使われてきたことがよくわかった。
「親父に見せた方がいい。刀は珍しいから、作るのは難しい」
ジャンに礼を言い、奥へ向かう二人。
マナは不安そうにしている。
刀が使えなくなる可能性を考えているのだろう。だがその心配は杞憂だ。なんせブランドンはシアの大太刀も作っているのだから刀を作れないということはないだろう、とスノウは思っている。
久しぶりに見たブランドンは相変わらず金属を打っている。
二人で大きな彼を見上げて待つ。
「なんのようだ、スノウ」
ブランドンの大きく低い声が轟く。
「今日はこっち」
マナの背中を押して前に出す。
彼女はおずおずと折れた刀を差し出す。
ブランドンの威容にびびっているようだ。
彼は差し出された刀を見つめる。
「……刀か。外のモンだな?……この作りは……崩月の刀鍛冶か」
さすがブランドン、見事に言い当てた。
これにはマナも驚く。
「まあまあだな。外も少しは進歩してるか」
マナを一瞥するブランドン。使い手の力量も測っているようだ。
「刀ってのは脆いもんだ。外のもんは魔鉄も使ってないから尚更な……。この部屋を出て右に倉庫がある。そこから好きに持ってけ。使える刀がなくなったら新しいのを打ってやる」
そう言い残し再び金属を叩き出す。
もう言うべきことはないのだろう。
マナは一礼して部屋を出た。
ブランドンの言った倉庫にはたくさんの箱が置かれていた。
試しに一つ中を開けるとなかなか良さそうな長剣が何本か入っている。
どうやら同じようなものがまとめられているようだ。
「あ……あった!」
マナが刀の箱を発見。
何本か取り出して鞘から抜く。光に反射して刀身が光った。
スノウも背中越しに見る。こんなにまじまじと刀を見るのは初めてだった。
詳しくはないが、スノウの知る日本刀っぽさは感じられない。
片刃で弧を描いた曲刀。刃に波打った模様はない。彼の知るそれとは似て非なるもの。
「……これ、すごくいいものだよ」
マナは感嘆の声を出す。
どれもが素晴らしい品々。名工の手によるもの。とてつもない値段がつくだろう。それを先程の大男は簡単にくれると言うのだから恐ろしい。
色々と悩んだ末、マナは自分が使っていた刀と長さと重さが近いものを選ぶ。
やはり慣れているものが一番だと感じたか。
帰り際、マナにさっきの大男の名前がブランドンだと言うと大層驚く。
「ブランドンってあの!?神鉄の名匠!?こんなところにいたんだ!!」
神鉄のとかは知らないが多分そうだろう。
あんなおっさんそうはいない。
「すごい有名人に会っちゃった!いつか私も打ってもらえるのかな〜?」
「まあ、気が向いたら打ってくれんだろ」
さっきの悲しみはどこへやら、ウキウキのマナ。
新しい武器を試したくてたまらないのだろう。その気持ちはよくわかる。
「なら訓練の続きをするぞ」
「……ほんの少しだけね!!……あと軽くにしてね!すぐ壊したら怒るから!」
マナはそう言い聞かせる。
だが結局、しつこく付き合わせるスノウにやっぱりと嘆くマナだった。
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