第18話 獣が一匹、牙を剥く
ずっと特別な存在になりたかった。
それは漠然とした感情で、特定の何かというわけではない。
ただ、周囲から尊敬や羨望の眼差しで見られるような、そんな存在。
要するに他人より秀でたものが欲しかったのか。
俺にはそれがなかった。
そんな劣等感を抱えていた。
でも同時に納得もしていた。
自分はそんな人間にはなれないと、器ではないと。
けれども誰だって、心の奥底では人を見下して、人より秀でた存在になりたいだろう?
転生して、ついにチャンスがきたと思った。
でも物事はそううまくいかなくて、つまづいて、気がつけば諦めていた。
やっぱり俺にはできないんだ、俺は特別にはなれないんだって。
納得する気持ちと、認めたくない気持ち、矛盾した思いがドロドロと心の奥底で混ざり合って、いつの間にか時間が経っていく。
そしてやっぱりこう思う。
まあ、別にいいか。
だけど、心の奥の奥ではその欲望がなくなることは決してない……。
暗くて溶岩のように熱い、獣のような欲望。
*
スノウの身体がビクリと跳ねた。
息を求めて喘ぐように何度も必死に呼吸する。
少しの間心臓が止まっていたようだ。
スノウは息苦しさと痛みに喘ぐ。
身体のあちこちの骨が折れているようだ。
特に胸骨の圧迫が苦しい。
涎を撒き散らしながら陸に上げられた魚のように暴れるスノウ。
意識を取り戻したスノウに更なる異変が起こる。
スノウは身体中からバキボキと骨の音が鳴るのを聞いた。
「ガアアアアアア!!!!」
たまらず悲鳴をあげ、身体を反らせるスノウ。
その後若干の静寂が訪れた。
やがてスノウは身体を芋虫のように這いずって動き、木に背中を預けた。
大きく息を吐き、浅い呼吸をしながらも、ようやく自分の身体を冷静に分析する。
鬼の攻撃によって衝撃がスノウを襲い、車に跳ねられたように身体中がボロボロだった。
現に身体中のあちこちが骨折し、心臓も止まっていた。
だが心臓は再び動き出し、意識は覚醒した。
目覚めたスノウを襲ったのは身体中の骨が再生する音だった。
スノウを生かそうとするが如く、自分の意思とは無関係の現象。
今も少しずつ骨が動く音が聞こえる。
この通常あり得ない現象は確実に体内にあるとされる魔力によるものだろう。
ここまで考えたところで、他のことにも意識が行きだした。
それはつまり、自分がなぜまだ生きているのかということ。
あの鬼は俺を殺さなかった……。何故だ?
まさか慈悲をかけたわけではあるまい。
他に優先すべきことがあったのか。
その考えに至ったところで地面の振動を感じるスノウ。
「クソッ」
戦いはまだ終わっていない。
自分の敵が他の誰かの所に行っている。
助けにいかなければ……。
ここで寝ているわけにはいかないと、無理矢理身体を起こそうとする。
だがその身体は悲鳴を上げ、全身に痛みが走る。
倒れ込むスノウ。
だがその目は闘志で満ちていた。
呻きながら再び膝を立てて起き上がる。
何度もそれを繰り返し、なんとか立ち上がるスノウ。
そこでようやく剣を持っていないことに気づいた。
視線を彷徨わせると、少し離れた所に見つける。
動かない左足を引きずって向かい、なんとか拾い上げるが、その片手半剣は刀身の半ばからぽっきりと折れていた。
それを無感情な目で見つめてから放り投げるスノウ。
おそらく鬼の拳での攻撃を剣で無理やり防御しようとしたためだろう。
思い入れのある武器だったが、こうなっては無用の長物だ。
手で腰に差した短剣を確認する。
よかった。なくしてはいない。
グレイグに言われて予備として持っていたものだ。
必ず予備の武器を持っていた方がいい、と。
鬼には少し頼りないが、ないよりはずっといい。
グレイグの助言に感謝しつつ、スノウは呻きながらも少しずつ音がする方に歩いて行った。
数多の困難に遭いながらも、それを克服すべく身体を順応させていく。
*
悪鬼と鬼を相手にするレナードは必死に避けながら粘り強く機会を窺っていた。
悪鬼の邪魔が入らない時に鬼を排除すべく耐える。
そしてようやくその機会がきた。
鬼が前に出て、その後ろに悪鬼がいる。
前後を取られていたが、レナードは崖を背にすることでこの状況を作り出していた。
場所的にも危険な賭けだったが、今はそうすることしかできない。
この千載一遇のチャンスにレナードは攻撃に出る。
鬼の攻撃を避けたところで、前に刺突を放つ。
刺突は鬼の胸にずるりと吸い込まれるように入った。
鬼は何が起こったのかよくわかっていない様子。
うまくいったとレナードは剣を引き抜き、素早く引こうとしたその時、悪鬼が動いた。
悪鬼は前にいた鬼の背中を蹴り上げた。
レナードは押された鬼ごと後ろに後退する。
そのまま、レナードは剣を刺されたままこちらにもたれるように倒れてくる鬼を支える形になった。
背後は崖、しまったと慌てて剣を離して横に逃れる。
レナードが悪鬼を見ると、そこには悪鬼が上に両腕を振り上げて待っていた。
レナードには蹴り出し、こちらに近寄ってきた鬼の影に隠れていた悪鬼が見えていなかった。
そして悪鬼はそれを狙っていた。
味方を囮に敵を倒す機会を。
悪鬼は腕を叩きつけ、崖際を崩壊させる。
レナードは直撃こそしなかったものの、崩壊に巻き込まれる。
しかし間一髪、崖に手がかかり、落下を免れた。
悪鬼の仲間だった鬼は、レナードの剣が刺さったまま、崖下の斜面を跳ねながら落ちていく。
ぶら下がっているレナードを上から悪鬼が見下ろす。
悪鬼の顔は愉悦に歪んでいた。
悪鬼の喉からくぐもった声が聞こえる。
どうやら笑い声のようだった。
こいつ……。人間くせえ顔をしやがる。
レナードは崖下を見やる。
自分なら落ちても死にやしないだろうが、戦闘の継続はきつい。
こいつがそれを見逃すとは思えない。
かといって崖上に上がらせてくれるとも思えない。
レナードは追い詰められていた。
そして悪鬼がレナードを落とそうとしたその時、声が聞こえた。
「うあああああああああ!!!!」
スノウが悪鬼に背後から飛びついた。
悪鬼が崖際を崩壊させた時、スノウはちょうど元の場所に戻ってきたところだった。
崖下へ鬼と共に姿が消えるレナード。
スノウは間に合わなかったと悟った。
助けられなかった……。俺のせいだ……。俺は足手まといだったんだ……。
弱い自分への不甲斐なさに、信じてくれたレナードの信頼を裏切ってしまった自分に沸々と怒りが湧いてくる。
怒りは力に変換され、力は悪鬼に対して向けられる。
命に代えてでもこいつを殺す……。
スノウは悪鬼への復讐を誓った。
全身の毛が逆立つように感じる。
身体の痛み、疲労が嘘のように遠のいていく。
スノウの命はまさに悪鬼を殺すためだけに消費されていくように燃え立った。
一歩足を踏み出す。
身体が強張るのを無視してさらにもう一歩。
そして姿勢を低くして地面を這うように走り出すスノウ。
もう何も考えられなかった。
そこに言葉はない。
ただ、悪鬼を殺すために放たれた一匹の獣。
矢のように走るスノウ。
そして悪鬼の後ろから飛びかかる。
「うあああああああああ!!!!」
スノウは悪鬼の後頭部に飛びついた。
悪鬼の捻れた角を掴む。
悪鬼は驚き、突然現れた何かを振り払おうとする。
悪鬼の手がスノウに迫るが、スノウは身体を左右に動かし躱す。
そしてスノウは腰の短剣を抜き、悪鬼の顔に振り下ろした。
無我夢中で振り下ろした短剣は幸か不幸か悪鬼の左目に刺さった。
「ゴアアアアアアア!!!!」
悪鬼は攻撃してきた者の正体がわからないまま、たまらず悲鳴をあげる。
スノウは刺さった短剣をさらに奥へ突き刺そうとするが、悪鬼の手を避けるために手を離す。
まだ死んではいない。
こいつが死ぬまでは俺も死ぬわけにはいかない。
考えていたわけではなかったが、必ず殺してやると誓ったスノウの覚悟が彼をまだ生かしていた。
悪鬼は痛みに呻きながら身体を振り回す。
そしてそのままフラフラとよろめくことになった。
ふらついた悪鬼が気づいた時にはすでに足を踏み外していた。
悪鬼の身体が落ちる。
だがスノウはそれを意に介さなかった。
自分などどうでもいい。
ただ、こいつを殺したい。
レナードは落ちていく悪鬼と悪鬼の角を掴んでいるスノウを一瞬見た。
落ちていくスノウの横顔は自分がこれからどうなるかなど微塵も考えていない。
ただただ悪鬼への殺意に満ちていた。
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