第15話 逢魔が時

 異変の始まりは些細なことだった。

 鬼の襲撃。それだけだといつものことだが今日は違う。

 一日に六度、襲撃がありその全てが鬼、これが問題だ。

 ジェイルは段々と鬼の軍勢が近づいて来ている証拠だと考えた。

 この鬼たちは偵察のため辺りに放った奴らに違いない。

 この谷には不思議な性質がある。森の入り口付近に近づいた魔物は谷に吹き込む風の中に人の匂いを嗅ぎつけて襲ってくるのだ。

 だからこそこの砦の存在が重要になってくる。

 この砦はそんな魔物から人の領域を守るために建てられた。

 仮にこの砦が突破されれば、国土に侵入されこの国はなすすべもなく領土を狭めることとなり、人の住む村や町は蹂躙される。それだけは避けなければならない。

 すでにシアの命令通り全員が何かしらの武装をしており、兵士たちにはレナードが持ち帰った情報を伝えてある。

 しかし全ての兵士たちがこの脅威を正しく認識してはいないだろう。

 やるべきことはやったが、いずれにしろ死闘になるだろうとジェイルは予想した。


 これまで以上に多くの死人が出るな……。


 だがジェイルに自分が死ぬ気は微塵もなかった。

 彼はシアがいる方を見た。

 姿は見えなくても、今シアが隠そうともしていない魔力の鳴動に息が苦しくなる。

 これから始まるであろう戦いへの準備だろうか。

 シアは一見平静な顔をしているが、その裏では体内の暴れんばかりの魔力を必死で押さえつけていることをジェイルは知っていた。

 それを解放できることはシアにとって喜びであり、苦しみからの一時的な解放でもある。

 シアはその立場故にこの砦を離れられない。彼は複雑な立場に置かれていた。

 今回の鬼の大将格だろうとされる白髪の赤鬼。ジェイルはその鬼を「白髪鬼」と命名した。


 「白髪鬼」……、シアが戦うに値する相手だといいが……。



 どうやら鬼の軍勢がこちらに向かってくるらしい。

 スノウはレナードからそう説明を受けたが、思ったほど危機感は抱いていなかった。


 どちらにしろ自分のやることは変わらない。小鬼たちをぶっ殺すだけだ……。


 小鬼には悪いがスノウは負ける気はしなかった。それだけの数を殺してきたし、今更大勢で来たとしても自分ならやれる、何なら青い鬼でも一体ならやれるかもしれない。そこまで考えていた。

 スノウは今日何度目かの戦闘を終え、壁の近くに座って身体を休める。

 鬼達が頻繁に来だしてから常に戦陣にいる。

 やってくるのはほとんどが青鬼一匹と小鬼達の群れ。基本的な斥候らしい。

 青鬼は他に任せ、一度にくる小鬼達の半分をスノウが倒していた。残りは新しくきた新兵や他の兵に回す。

 スノウは望んでそうしていた。おそらく本隊が来た時、自分の出番は少ないと考えてのことだった。

 最近襲ってくる敵を倒した時に感じていることがある。

 自分を殺そうとする敵を跳ね除けた時、一つ前に進んだような気がした。

 それは快感で、万能感があるもの。

 それをもっと感じたくて、スノウは戦う。


 もっと疾く、もっと強く、俺を感じさせてくれ……!


 スノウは昨日からほぼ出ずっぱりで戦闘に参加していた。

 食事も睡眠も取っていなかったが、それにもかかわらずスノウの身体からは力があふれ、目はギラギラと暗い光を宿していた。


 「大丈夫か?」


 レナードが様子を見に来た。

 スノウは声を掛けられる前に何故かそれがレナードだとわかった。

 戦場を見ながら無言で頷くスノウをレナードは見る。

 異様な様子だ。身体から熱が、魔力が立ち上っている。

 初めて目にした時から比べるとまるで別人のようだ。

 レナードはスノウに初めてあった時のことを思い返す。

 スノウの第一印象は弱そうな、暗いやつ。おそらく長くは保たないだろう、と口には出さなかったがそう思ったものだ。

 実力を見てみると、初めて剣を持ったようで、人を傷つけることに恐れる。人の顔を伺い、遠慮がち。

 生きることを諦めた奴は何をしても無駄だということを身にしみてわかっているレナードにとってスノウが必死に生きようとするその姿は好ましく映った。

 だからこそそれを助けようと手を差し伸べた。

 そしてそれは間違っていなかった。

 今のスノウは目を見張る勢いで成長している。細かった身体はこの僅かな期間で筋肉がつき始め、戦士の身体になってきた。

 戦闘力はまだまだ荒削りで、隙だらけな部分もあるものの、一度攻撃に転じると相手に自分を押し付けるような攻撃で敵を圧倒しようとする。

 特に特徴的なのは自らの負傷を厭わないような、まさに肉を切らせて骨を断つ攻撃は相手にすれば厄介だろう。

 レナードはスノウに才能を感じていた。それは平時では絶対に開花しないであろう才能。

 皮肉にもその才能は本人に選択の余地がない状況で開花しようとしていた。

 彼の才能を感じつつも、その才能が開花する前に死によって途絶えてしまう可能性が非常に高いことが何よりも惜しかった。


 お前にもっとはやく出会えていたら、もっとたくさんのことを教えることができたのに……。そうなれば、一体どれほどの戦士になっただろうか……。


 レナードはそう思わずにはいられない。運命とは皮肉なものだ。


 「本番はあんた達に任せるよ」


 スノウはまだ幼さが残る横顔で言う。


 「任せとけ」


 レナードは自分にも言い聞かせるように、そう答えた。


 鬼達の襲撃は三日ほど続いたが、その後どういうわけかプッツリと途絶えた。

 これに対し、砦の誰もが安堵の息をつくことはなかった。

 誰もが皆、これは嵐の前の静けさであろうことはわかっていたから。



 美しい夕暮れ時、谷の奥から数人の男たちが現れた。

 彼らは監視塔にいた男達で、その中にはフェイスもいた。

 彼らは慌てた様子で走ってくる。

 ジェイルはそれを見てすぐに察する。

 彼らにシアの場所を伝えた。

 彼らがそこへ急いで向かおうとする丁度その時、シアが外の広場に出てきた。


 「シア!!鬼だ!!大軍だ!!」


 全速力でここまで走ってきたフェイスは息絶え絶えにシアにそう訴えかけた。

 シアは黙って頷く。その目はこれからやってくるものを見据えるようだった。

 やがて谷間の奥から叫び声や咆哮が聞こえてくる。

 皆固唾を飲んでそれを見守る。今頃になって鐘が鳴りだした。

 夕日の影が差す中、鬼達が現れた。

 その数は次々と増え、やがてこれまで見たことがないほどの大小様々な数の鬼が砦の前を埋め尽くした。まさに鬼の軍団だ。

 鬼の軍勢の中でも一際目立っているのが紫色に近い皮膚を持つ大柄で筋骨隆々の鬼達。その中に特別に命名された「悪鬼」もいた。捻れた角が特徴のあの鬼だ。

 彼らは左右に分かれ、その間から大きな狼に騎乗している「白髪鬼」が出てくる。


 王のようだ、とスノウは思った。

 名前の通り白髪で額からは角が真っ直ぐと伸び、皮膚は血のように赤黒い。小柄で細身の身体、手には巨大な黒い石、黒曜石だろうか、でできた剣を片手で持っている。周囲の鬼は興奮で身体を上下させているのに対し、「白髪鬼」は驚くほど平静にこちらを見る。赤く光る目。その風格ある姿はどこかシアを感じさせた。


 「こいつらもか……、前見た時は赤い目じゃなかった……」


 スノウはレナードがそうこぼすのを耳の端で聞いた。


 少しの間お互いが見合った。お互いの息遣いだけが聞こえる。

 「白髪鬼」とシアはずっと視線を交わしていた。それは両者の姿が見える前から行われていたことだったのは当事者しか知らないこと。


 無言の会話をする両者。


 やがて「白髪鬼」は片手を掲げ、それをこちらに倒す。

 それを受けて「悪鬼」が特大の咆哮を上げる。

 それが開戦の合図になった。

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