第13話 隠れて狙って
少し休息をとったスノウは夜になってグレイグに稽古をつけてもらっていた。
グレイグは相手に合わせて使用する武器を変える変則的なスタイルで、今は短剣をそれぞれの手に持つ二刀流をしている。
相対するグレイグは短剣を時折逆手に持ち替えながら、小刻みなステップで身体を前後左右に動かし円を描くようにスノウを囲む。
突然、弾けたようにスノウの懐へ飛び込んできた。
それを予測していたスノウは中段に構えた剣でグレイグを迎撃せんと振り下ろすが、その速さに対応するため力が足りなかったのか、グレイグは容易にそれを片方の短剣で防ぎ、スノウを刺さんと迫る。
スノウは慌てて身を引いて回避しようとするが、グレイグはスッと身を引き両者の間に距離ができた。
よくわからないがやり過ごせたと、スノウが安心した時、右足に痛みが走る。短剣が浅く切りつけていた。
その短剣の存在をスノウが見下ろし、顔を上げると、グレイグが目の前にいた。
「うわっ!!」
グレイグは驚き下がるスノウに今度は追撃しなかった。
「対人戦は魔物相手とは違うが、学ぶことは多い」
短剣を腰の鞘に戻し、こちらに話しかける。
「どう思った?今の」
スノウは足元に転がっていた投擲された短剣を拾い、それをグレイグに返しながら今の戦闘を振り返る。
「……あんたが攻めてきたと思ったら引いて、……そこから崩された気がする」
そうだ……。あそこから訳の分からないままやられた。
「そうだな、それまではお前さんの頭の中では予測していた範疇だったはずだ。だがそこから俺が予想外の動きをした。攻撃できたのに引いた動きだな。その時おめえは安心して気が緩んでいた。そこが命取りだ」
「そういえば……、ホッとした気がする……」
「守りに入った奴は助かったと考えた瞬間気が緩む可能性が高い。だから俺が投げた短剣に気づかなかった。あの短剣に毒が塗ってあったらもう勝負はついてた」
「毒……」
そんな可能性はすっかり頭の中になかったスノウ。思わず息を飲む。
「そんなことまでするか?って思っただろ。だがやるやつはいる。なんせそれだけで相手を戦闘不能にもっていけるんだからな。まあ俺たちには普通の毒は効きづらいが……、それが魔物から抽出された毒の可能性だってある。人ってのは勝つためには手段は選ばないもんだ」
ずっと魔物ばかりの相手をしていたから人間というのを忘れていた。
人は魔物よりもずっとずっと汚いことをしている。それは歴史が証明していた。暗殺、毒殺、人を騙して上にたった者も多い。それはどの世界でも共通のことだ。
「あの時はもっと強気に出たほうがよかったな。最初の振り下ろしの力は弱かったから防御ができたがあのまま押し込まれていたらこっちが不利だった。あとは……」
グレイグはそう言って懐から短剣を取り出した。通常よりも細く、投擲用のものだ。
「これを見ろ」
そう言ってグレイグは投げナイフを掲げてヒラヒラと見せびらかす。
スノウがそれを見るといつの間にかもう片方の下げている手に別の投げナイフがあった。
「あっ」
「まあそういうことだ。さっきの時も似たようなことをしていた。別の事に気を取られているとこれがよく効く。……それから」
グレイグは投げナイフをスノウの目の前に掲げる。スノウからは投げナイフは点にしか見えない。
「こうやってお前さんからは見えにくくして持っていた。さらにこの投げナイフは光に反射しないように加工してある。……まあこんなもんだな。気がつけないのも無理はない。経験がないのなら尚更な。もっと相手の全体を見んといかんぞ」
スノウは彼の技術の高さに驚いた。先ほども、やろうと思えばスノウの顔にナイフを刺す事も容易なことだったに違いない。それほどまでに洗練された技術だ。
「……良いのか。そんなこと俺に話して」
スノウは彼の秘匿すべき技を見せてもらったことに感謝しつつもそれに疑念を抱かずにはいられない。
「ワッハッハ!!こんなことは当然相手も知っていると考えるもんだ!!」
グレイグはそれを笑い飛ばしてみせた。
「こんなことは初歩の初歩みたいなもんよ。実際の戦闘じゃもっと狡猾に、何重にも織り交ぜて狙う。人間の積み重ねてきた技って奴は馬鹿にできんもんだぜ」
グレイグは自身の経験から多くのものを見てきた。だからこそ言えるものがあった。
「人の生み出した戦闘技術ってやつは、人の身体を知るところから始まったそうだ。どうすればより効率的に動けるか、どうすれば死ぬか、血生臭い歴史だ。そういうもんが積み重なって今がある。魔物相手には通用するか怪しいがな。」
スノウは無言で頷く。人間ってのは目的のためならどこまでもやるもんだ。だからこそ文明が発展していると言える。説得力のある話だ。
「もう一回やるか?」
グレイグの問いにスノウは応と答え、スノウは剣を構える。
その時、視界の端で何かが動いた気がした。
スノウはグレイグがまた何か仕掛けたのかと思い身構える。
だがグレイグも何かを感じ取った。
「待て」
手を制してスノウを止める。
様子がおかしいと感じたスノウは険しい顔で暗闇を見つめるグレイグを見て周囲を見渡す。
嫌な感じがする……。
何かいる……。
違和感から確信に変わった。暗がりで見えないが確かに上の方に何かを感じる。
砦は谷に挟まるように建っており、その切り立った斜面の方から嫌な気配を感じた。
耳を澄ます二人。その時砦から悲鳴が響き渡った。それから少し間を置いて鐘が鳴る。魔物の襲撃だ。
悲鳴や襲撃を知らせる声があたりに響く中、ジェイルが怒号をあげる。
「魔物だ!!!地這虫!!!固まって当たれ!!!」
なんともシンプルな命令だが、言いたいことは伝わった。
魔物は地這虫。孤立せずに何人かで固まって対処しろ。
二人の元へ司祭が走ってきた。
「おお、見つけました……。他の方々は私を無視するんですよ……。さあ、深夜の祈りを妨げた魔なる者どもに鉄槌を下しましょう!!」
怒る司祭。彼と組みたがる者は非常に少ない。
兵士たちはそれぞれ近くにいた仲間やいつものメンバーに別れ掃討を開始する。
スノウ達は三人で地這虫に対処する。
いつもは頼りになるレナードだが、残念な事に今彼は任務によりこの砦にはいなかった。
スノウ達が行動を始めて移動していると、安全な室内へ向かおうと走る非戦闘員の男がいた。
その男に上から何かが覆い被さった。そして魔物の姿が火に照らされて浮かび上がる。
蜘蛛のような見た目だろうか。体は薄く、色は黒い。足は六本で二本の鋭く尖った前足を持っている。
その地這虫は襲いかかった男を尖った前足で何度も貫くと、こちらを向いてバネのように足を曲げ、上に跳躍し暗闇に紛れた。
「むむむ。これは厄介です」
いつもの感じを崩さない司祭に呆れながらスノウもそれに同意する。
「俺も同感だ。逃げられると追いきれないぞ」
自然とまとめ役になったグレイグは唸る。
「よし、俺が先行する。少し離れて司祭様で後ろがスノウだ」
二人は頷くとゆっくりと歩くグレイグの後を追う。
いつもとは違う緊張。周りで金属音や叫び声が響く中、ゆっくりと歩く。所々火が消えているのが緊張感を煽った。
先行していたグレイグが突然短剣を投げる。
「俺が足を止める!!追撃しろ!!」
投擲した短剣は金属音ではなく何かに刺さった音を鳴らした。それと同時にグレイグはそう言って短剣を投擲した方向へ腰の片手剣を抜き猛然と駆けた。
投げた短剣は天井で待ち伏せていた地這虫の脚の根本付近に刺さり、バランスを崩した地這虫が落ちる。
グレイグは落ちた地這虫に剣で斬りかかる。脚が硬かったのか剣はキリリと奇妙な音を立てた。
グレイグはその場に留まることなく走り抜け、月明かりが差す場所まで向かった。追撃に向かったスノウは目の端で捉えグレイグの意図を察した。
暗闇に慣れた目が地這虫の姿を捉えている。スノウはグレイグと同様に走り抜けるようにして剣を振り下ろす。
地這虫は二度の衝撃に身体を回転させられたが、二人の斬撃は地這虫の硬い節足を切断できなかった。
地這虫が駆け寄ってきたもう一人の方を標的にしようとそちらを向いた時、その身は衝撃で宙に浮いた。
司祭によるメイスで下から吹き飛ばすような攻撃は地這虫を宙へ放り、そのままグレイグとスノウが待つ方向へ飛んだ。
グレイグは吹き飛んでくる地這虫の身体の部分をそのまま切断した。
「脚と違って身体には刃が通るようだな」
地這虫の緑色の体液をボロ切れで拭いながらそうこぼすグレイグ。
敵の情報が少ない中、安全に敵を倒せたのは彼の手柄だ。
「はぁ……。虫の体液は血液と呼べますかねぇ……」
愚痴っている司祭をよそにグレイグは二人を賞賛する。
「二人とも良い連携だった。スノウ、よく合わせてくれたな。司祭様も」
それを頷いて返すスノウ。声に出して喜びたい所だが、敵はまだどこかにいる。グレイグもそれがよくわかっているのか、再び前を進む。
廊下を歩いていると前方で火の灯りが揺れている。
角からジェイルが出てきた。
「おう、お前らか。どこから回ってきた」
グレイグはジェイルと情報を交換する。どうやら主要なところは見て回ったようだ。
「おし、一旦広場に集合だ」
そう言ってジェイルは踵を返した。
スノウ達はそれに続いて広場へと向かった。
広場では兵士たちが集まってきていた。
隅の方に犠牲者達が並べられている。
殺されたのは兵士や夜番の労働者のようだ。
「よし!!地這虫共は大方ぶっ殺した!!」
ジェイルは兵士たちに向かって言う。
「だがまだ潜んでいるかもしれん!!これから掃討戦を始める!!朝まで見回りだ!!あいつらは暗闇を好む。必ず複数で行動しろ!!」
ジェイルはそう言うと、それぞれどの場所を確認して回るのかを指示して、一人で砦の中まで歩いて行った。孤立するなと言ったのに一人で行くのは、つまりそういうことだろう。
うへぇ……。まだやんのか……。
スノウはまさかの夜通し作業に辟易する。できないこともないが、長時間緊張感を保つのは流石にきつい。
「ガハハ、まあそんな顔をするな。必要なことだ。さっいくぞ」
スノウは朝まで空いた室内や天井を見て回ることとなった
朝方、朝日に照らされた地這虫が目の前に落ちてきたのを見たスノウは死の危険よりも気持ちの悪さの方を強く感じた。
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