第10話 名前のある魔物
兵士になった新しい日々は非常に過酷なものだった。
まずあまりに不規則な生活だ。朝起きて夜寝るということができない。
何よりも重要な事は魔物たちを撃退することで、それらは当然決まった時間にくることはない。
つまり寝ていても食事をしていても、用を足しているときでも襲撃があれば駆けつけなければならない。
スノウも初めは規則的な生活をしようとしていたが、すぐにそれらは崩れ、無理だと悟った。
スノウはレナードの教えに従い剣を常に携帯して過ごしていた。
もはや朝も夜も滅茶苦茶だ。腹が減ったら飯を食い、眠くなったら眠る、そんな生活。
兵士になってからうまく眠ることができない。戦闘によってアドレナリンが大量に分泌されるためだろうか、興奮が収まらないと心臓の音がうるさくて眠れない。身体は疲れているはずなのに、すぐに動かさずにはいられなくなる。
完全に意識を失えるのは疲労の限界によって倒れるように眠る時か、鍛錬の時に相手に気絶させられた時だけだ。
目を閉じると戦いの光景が蘇ってくる。撒き散らされる血と共に死んでいく魔物の顔。そしてあり得たかもしれない自分が死ぬ光景。
それを見たくなくてスノウは空き時間は剣を振ってそれを振り払おうとしたり、装備の手入れに没頭した。
こんな生活を続けてたんじゃあ体力は嫌でも付きそうだな……。
スノウは剣の型をレナードに見てもらいたくて彼を探す。
最近はよく彼を観察するようにしている。彼はスノウにとっていい師でもあり、目標でもあった。彼の堅実で正確な攻撃や足運びや身体の使い方に見え隠れする確かな技術はスノウに必要なものだ。
レナードは部屋にいた。寝台に横になっている彼を見る。
彼はあまり眠る事はない。古株の兵士たちは皆そうだ。
以前スノウは眠っているレナードに声をかけてみたことがあった。
返事がなかったので、彼の近くに近寄って手をかけようとした。
「他の奴やるのはやめておけよ」
するといつの間にか目を開けていたレナードはスノウに言った。
「寝てたから起こそうと思って……」
「わかってる。死にたくなかったらもうしないことだ」
「どうして?」
「俺たちは無防備な時に間合いに入られるのを嫌うのさ。俺を殺すつもりなんじゃないかってな。他のやつにやったら殺されても文句は言えねえぞ」
スノウはなぜそこまで過度に警戒するのかがわからなかった。
「今は分からなくていい。こればっかりはうまく説明できんし、言っても分からんだろうさ」
そう言ってレナードは再び目を閉じた。
今彼は寝ているようだ。だが、おそらくスノウがきていることはわかっているだろう。
急ぎの用でもないのでスノウは彼が起きてからにしよう、とそっと来た道を戻った。
余談だが、グレイグはいつでもどこでも寝ることができる。特大のいびきなのでできれば一緒の部屋では眠りたくはない。
司祭様は普段の様子からは信じられぬほど静かに眠る。
*
この日も戦闘を終えて、倒した魔狼の解体作業をしていたスノウ。しかしその最中に鐘が鳴り出した。
いつものやつじゃない?
周りが慌ただしくなってきた。どうにも様子がおかしい。
作業を中断して急いで門の前に駆けつけ、グレイグがすでにいたのでどういうことか聞いてみた。
「これはなんだ?いつもとは違うようだが」
「俺もこれは初めてだ。嫌な予感がするぜ」
隣にいた司祭も首をかしげている。
「名前が付けられた魔物が出たな」
レナードが険しい顔をして言った。
「色んな言い方はあるが、種族としての名前じゃなくその個体そのものを指す名前だ。こりゃ気合入れていかんとな」
兵士たちの前にジェイルが立った。
「今回確認されたのは『岩の鎧』だ。どうやらさっきの奴らを追ってきたようだな。……前に奴とやり合ったのは誰だ?」
「……チッ、あたしらだ!」
女が前に出てきて声を張る。後ろには体格のいい男が静かに寄り添っている。
この二人は傭兵上がりの兵士で、彼らの中では珍しく傭兵時代から常に二人で活動していた。
女の名はハイネ。男の名はウォルターという。
ハイネは軽装備で斧槍だけを持ち、ウォルターは重装備で大きな盾と腰にはメイスを吊り下げている。かなり対照的な二人組だ。
「よし。……情報を確認する。まずは経験のあるやつだけでいくぞ!!他のやつはその後続け!!」
ジェイルが言うと、彼らの周りに人が集まる。集まっているのはいずれもこの砦においてはベテランの兵士たち。
「あんたはいかないのか?」
スノウは横のグレイグに話しかける。
「おそらく、俺はお呼びじゃないだろう。俺たちはまだここにきて日が浅いし分からんことも多い。この非常事態じゃ、参加しなくてもお咎めはねぇだろうさ」
ジェイルたちが仲間達に情報を共有しているのを遠巻きに見守るスノウ達。
そんな彼の横にいつの間にか老人がいた。
「いいですかな?」
「っうわぁ!!」
油断していたスノウは驚き声をあげる。
「この鐘が鳴ったということは名付きの魔物が出たということ」
「……じ、じいさんあんた誰だ?」
「この砦で襲ってくる魔物というのはその多くが命尽きるまで戦う、これが我々の認識ですな。しかし稀に追い詰められると急に逃げ延びようとする個体がおります。そのような個体に限って、いずれも手強い、強力な魔物。これは偶然ですかなぁ?」
「おい」
「傷を負い、命からがら逃げ延びた魔物がこの場所にもう一度姿を現した時、より強力な存在となって戦士達と死闘を繰り広げた……。過去に砦を守った、時の英雄達はそのような魔物に畏怖を込め、追跡を振り払い、逃げ延びた魔物にその個体の特徴を表す名前をつけるようになったそうな……」
「……」
イラつくスノウを他所に周囲は「ほー」と砦の歴史を学ぶ。
老人の独白は続く。
「そこで今回の『岩の鎧』と命名された魔物。記録によれば1年ほど前に現れたもの。岩イタチと呼ばれる魔物と共に現れたことからそれらの魔物の突然変異種ではないかと思われております。『岩の鎧』の名前の通り岩石を背中に纏っており、逃走の際はそれを撒き散らすことで振り切ったようですな。名前が付けられた魔物の強さは様々。過去にはシア様が討伐に出られるほど強力な個体が現れたこともありますな。……そういうわけでジェイル殿が警戒されるのも無理はない。しかしながらその素材としての価値はどれもが一級品で過去には─────」
語り続ける老人だがスノウは長くなりそうだと視線をジェイル達に向けた。
谷から岩が擦れるような音が聞こえる。それから巨大な魔物が姿を現した
『岩の鎧』は原型のことを言われれば、イタチが大きく、太くなったような面影のある姿だが、元の岩イタチが人間と同じくらいの大きさと言うのだからそれと比べると何倍も大きい。
岩イタチは4足歩行だが、こいつは2足歩行をしており、頭から背中、尻尾にかけてその名の通り岩を纏い、その重さのバランスを取るためか前傾姿勢でその体を支える太い脚に対して前脚は若干細めになっていた。
『岩の鎧』は目の前にいたハイネ達を視界に入れるとその大きな口を開け揺れるような詰まった高い咆哮を轟かせた。
それを受けてハイネとウォルターのコンビが先陣を切った。
まず斧槍を構えたハイネが走り防御の弱そうな股下へと潜り込もうとする。しかし『岩の鎧』はそれを防ぐべく上からの押しつぶしから4足歩行に切り替え、近寄らせないために長い尻尾を横なぎに大きく振り回した。
ハイネはそれを見て素早く蜻蛉返りをして後ろについていたウォルターの背後へと着地する。ウォルターは大楯で尻尾を弾きあげるように受け流すと、そこから地面を這うようにハイネが前に出て尻尾を斬りつけた。
ハイネの斬撃は肉を傷つけるには至らず、直撃した尻尾からは石が剥がれ落ちた。
「クソがっ。前より硬えしでけえぞ!!」
その攻防を見てどういう相手か頭に入れたジェイル達は『岩の鎧』を前から囲むようにすべく参戦する。
『岩の鎧』は防御の薄い腹側を守るように低く身をかがめ、威嚇するように歯を剥く。
背後をとったジェイルが裂帛の声を上げ死角から剣を打ち込む。肩に担いだ大剣による一撃は不自然なほど『岩の鎧』の巨体に衝撃を走らせた。魔の力を宿した攻撃だった。
この攻撃を脅威に感じたのか、『岩の鎧』は身体を丸める。そうすると、兵士たちの目の前には大きな岩の山ができていた。
岩山は蠢めくよう膨張と収縮を繰り返しており、戦士達に警戒を抱かせる。
「注意しろ!!何をしてくるか分からんぞ!!」
「んなぁことはわかってんだよ!!ボケ!!」
誰かが注意を呼びかけるがハイネは苛立ちを隠せない。彼女には攻めっ気があった。
戦士達は『岩の鎧』の挙動を見守るが、相手もそれをわかっているのか動こうとはしない。
このこう着状態に業を煮やしたハイネが動く。斧槍を脇に構え驚くべき速度で突進。攻撃あるのみ、それが彼女の戦闘スタイルだった。
斧槍の穂先から柄の半ばまでが岩山にめり込む。効果ありと思われた攻撃だったが、ハイネには違和感があった。
(妙だ……。肉に入った感触がしねぇ……。)
突き入れた穂先からは何の手応えも感じられていなかった。
ハイネは嫌な予感がして距離を取ろうとしたその時、斧槍を突き入れた隙間から赤く光る眼を見た。
「ッ!?ウォルゥゥ!!!!」
ハイネは瞬時に危険と判断し、斧槍を捨て逃げに転じた次の瞬間、岩山が爆発し周囲に岩石を撒き散らす。
ハイネは危機一髪のところで相棒のウォルターの背後に隠れる。ウォルターは自らの役割を果たすために大楯に身を隠し、迫る岩石を脅威的な力で受け止めた。
置き去りにした斧槍が弾け地面に転がる。
ジェイルやレナード達は無差別に撒き散らされた岩石を弾く、もしくは回避して対処する。脅威的な攻撃ではあったが、彼らに油断はなく、何らかの攻撃があるだろうということはある程度は予測できていた。
それができなかったスノウ達は慌てふためいて柱や障害物に隠れる。比較的距離があったため何とか回避が間に合ったスノウだった。
身に纏っていた岩を飛ばしたのか……。
「あれこそが魔物たる所以ですな。魔の力が起こす不可思議な現象。人間が畏怖し、その力を欲するのも無理はない……」
顔を出したスノウと老人が見たのはまさしく岩の鎧を脱いだ姿。鎧がない『岩の鎧』は一回り小さく見えた。
これを好機と見た戦士達は一転攻勢を仕掛ける。己の身を守る鎧がない『岩の鎧』は身体に傷を負いながら暴れ回る。しかし、最後の悪あがきと思われたその行為は『岩の鎧』の戦いへの布石であった。
鎧をなくした『岩の鎧』はその分軽くなった身体で敏捷に動く。戦士達の包囲を抜け出すように地面や壁に身体をぶつける内にその身体に再び鎧を纏いつつあった。
そうはさせまいと戦士達は脚に攻撃を集中させるが、『岩の鎧』は身を弾けるように返し身に纏った岩を射出する。
その隙に、『岩の鎧』は再び周囲に身体を擦り付け岩を纏う。
気がつけば状況は振り出しに戻っていた。『岩の鎧』はこれからだとばかりに喉を鳴らす。
「なんてしぶといやつだ……。大丈夫なのか?」
スノウはかつてない長丁場に不安があった。思わず横にいた老人に答えを求めた。
「ふぅむ……。シア様がいる限り敗北はありませぬが、それまでに我々が死ぬことはあり得るでしょうなぁ」
「……そうかい」
「しかし彼らも歴戦の強者、このまま終わるとは思えませぬぞ」
戦いは次のステージに入ろうとしていた。
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