こころは荒地
とんでもない。
地方転勤の矢先に疎遠になっていた母方の祖母が死んだ。
その死んだ祖母の土地を相続するハメになって、その土地の荒れ具合といったら目も当てられない。
駅徒歩なん分という次元ではない。
車で何分……。
電車なんて単線で、一時間に一本走るかどうか。
こんな僻地の営業所は二年間だけ我慢すれば、東京の本社へと帰れるんだ。
そう意気込んでいた、矢先だったのに。
「あんた××県の営業所でしょ? そっちに住んでるんだから、おばあちゃんの家を使いなさいよ」
数年ぶりに連絡をしてきた母親は相変わらず強引に話を進める。
もらえるものはもらっておくか、という精神だったこと。
東京の土地が高騰していて、地方であっても『土地がもらえるならもらっておくか』と安易に考えていた事などが災いして……あの荒地を相続する事になったのだ。
僕はシゴトが休みの日に、相続した当該の荒地にやってきてため息をつく。
深緑とは言えない、鬱蒼とした雑木林のような土地である。
どこに家があるのか。
家なんてないんじゃないか。
そもそも、どこまでが自分の土地かもわからない。
平坦地なの? 丘陵地なの? 落とし穴でもあるんじゃないの?
「ああああああ! くっそ、こんな場所を相続するんじゃなかったあああ!」
頭をわしわしと引っ掻いていたとき。
「お困りですかァ?」
「ひやっ!」
「あら、ごめんなさい。驚かせてしまったようですね」
学校帰り……?
今日は休日だし、まだ正午前である。
目の前で小首を傾げているのはすらりとした体躯の女子高生で、田舎の娘にしては妙に大人びた子だった。
色白の肌はきめが細かくて、吸い付くようなみずみずしさを湛えていた。
それでいて一対の大きな目と長くて黒い髪は、妖怪でした、と言われても「後悔ありません」と答えるぐらい、人間離れした美しさを持っていた。
「お、驚いた」
「なんだか困っていたみたいだから」
「ええ。困っていました。困っていたけど、どうしようもないんです」
こんな女の子に事情を説明しても仕方がない。
でも、久しぶりにプライベートな話が出来る異性――しかも若い!――と会話が出来たものだから、僕はかくかくしかじかで、と端的に相続した荒地の話をした。
すると少女は膝を折って足元の草花を手折った。
「これも何かの縁ですから、思い切り楽しんでみてはどうでしょうか」
「楽しむって、なにを?」
「この荒れ地を、です」
「……荒れ地を楽しむ?」
「どうせ、売り払おうとしても買手なんてつきません。ついたとしても、損をするような金額でしょう。つまり、あなたは親類の不用品を押し付けられたわけです。だから、その不用品をとことん楽しんだらいいじゃないですか!」
明るく言う彼女に僕は「なはは……」と笑いつつ。
「楽しめたら、そりゃ幸せだよ」
「じゃあ、幸せにしてあげますよ。森は素敵な場所ですから」
不意に彼女は抱きついて来て、僕の首に両腕を廻した。
そうしてなにがなんだかわからないうちに、首筋に痛みが走った。
かぷりと噛まれた首筋の感触に驚きながら、びりびりと視界が痺れ、脳天が震えた。
僕が再び目を覚ましたとき、すでに日は落ちようとしていた。
遠くの山が紅色に染まり、僕と乗ってきた自動車だけが残されている。
「なんだ……夢だったのか?」
首筋には違和感が残っているし、寝起きの当惑がひどい。
ふと見れば、荒地は風に揺れていた。
けれども、その荒れ地が……妙にあでやかに見えたのだ。
翌日、僕はシゴトを休んだ。
伐採のために重機を借り、チェーンソーを買い、バリバリガンガン音を立てて荒れ地を開墾する。
一日では終わらない。
一週間、二週間……。
会社から連絡が来る。
一か月、二か月……。
やっと荒地は更地に近くなった。
会社から解雇通知が届いていた。
僕は花を植え始めた。
ブロック塀で花壇を作り、飛び石で通路を敷き、高い木を植えた。
これまで荒れ果てていた土地は、いつしか公共の植物園のように開けた美しい場所になった。
近所の人たちがお弁当を片手に「手伝いましょうかー?」とやってくる。
彼らは花をめでたり、お手製のベンチを寄付してくれたりした。
一年、二年、三年……。
東京に戻るつもりなんて、さらさらなかった。
誰かが青い薔薇を持ってきた。
誰かが薄紫のアジサイを持ってきた。
朝顔がひどく美しく咲き誇る。
四季折々の美しい世界が、僕の手によって開かれる。
それだけで、感動だった。
また、来年も美しい世界が見えればいいな。
気が付けば、荒地のおかげで僕の人生は豊かになっていた。
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