背の硬さ、肌
娘を買った。
出張で東京へ出てきたついでだった。
新宿で三日間の商談と本社会議を終えて、僕は会社が用意した赤羽のビジネスホテルに帰る。
どうして新宿に本社があるのに、赤羽のビジネスホテルを用意されているのかわからない。
でも、会社の上層部がそう判断したのだから、きっと正しい判断なのだろう。
赤羽と新宿がそれなりの距離がある事も、ひどい通勤混雑で息苦しいことも、なにもかもがよくわからなくて、僕は四苦八苦した。
そんな赤羽が、数万円単位で異性を買える街だという事も……その時初めて知った。
宿泊しているビジネスホテルにやってきたのは、22歳だという女の子だった。
彼女は細身ではなかったが太りすぎてもいなかった。
少し丸顔で髪の毛は長く、隣に座ってくれた時にはふんわりとした甘い匂いが漂った。その甘さのなかに妙な刺々しさがあったのは気のせいだろうか。
彼女は僕の太腿に手を置いて、慣れた様子で下から覗き込んでくる。
「おにーさん、若いんだね」
「今年で、23なんだ」
「ふうん」
彼女はそう答えたけれども、僕は無意識に太腿に置かれた手をそっと握っていた。
その所作がおかしかったのか、彼女はくすくすと笑ってから。
「もしかして、あんまりこういうの慣れてない?」
そんな質問を投げてきた。
僕はどう答えるべきか迷っていたけれども、その迷いのせいで強がるタイミングを逸してしまった。
虚勢を張っても仕方がないし、この場で彼女とは別れる。たぶん、永遠に。
「女の子と……その、したことが無くて」
正直に告白した。
彼女がそれを玄人の嘘と受け取ったか、素人の本音と受け取ったかはわからない。
女の子は「そっか」と短く答えてから……不思議と柔らかい笑みを浮かべた。
「じゃあ、いい思い出にしたほうがいいね」
そう言って彼女は僕の隣から立ち上がると着ていたものを一枚ずつ脱ぎ始めた。
女の子がやすやすと服を脱ぎ始める光景を目の当たりにするのも初めてだったし、羞恥心のようなものを持っていない事にも驚いた。
学生時代に経験した「あっ、ごめん」「きゃーっ!」みたいな瞬発的な問答は、ビジネスホテルの一室には存在していなかった。
こちらに背を向けて渋めの色のワンピースを脱いだ。
深い紅色のブラジャーとショーツが現れたけれども、僕はそれ以上に彼女の白くてもっちりとした肌に目を奪われた。
その瑞々しくて柔らかく、少し触れると指が呑み込まれてしまうのではないかと言う肌に当惑した。
「ねえ、そんな見ないでよ」
くすくすと彼女は笑う。
きっと僕の顔を見て、先ほどの『告白』が『素人の本音』であったと確信しただろう。
彼女は少し肩の力を抜いたように微笑んで、また僕の隣に腰を降ろした。
「残念だけどさ」
耳元でそう呟いて、かぷりと耳朶を噛んだ。
ひゃっ、という声は噛み殺したが、胸の奥がぎょろりと反転するような衝撃を感じた。
女の子は舌の先を硬くしつつ、前歯で僕の耳たぶを軽く噛んでから。
「うちね、最後までじゃないの。そういうサービスじゃないの」
「えっ……?」
「おにーさん、今日も明日も童貞のままってこと」
そんな……という顔に見えただろうか。
どうして……という表情に映っただろうか。
右に振り返れば、鼻と鼻が当たってしまうほどの近い場所に女の子の顔があった。
真っ黒い一対の美しい瞳に、哀れな田舎サラリーマンの当惑が浮かんでいる。
「でもね。ふたりだけの内緒にしてくれるなら、特別ってコトでいいよ?」
彼女はそう言って艶めかしく笑って、右肩で自らの右頬を撫でるようなしぐさを見せてから、両腕を広げて僕の首周りに絡めてきた。
そのまま僕は押し倒されて、想像していた通りの柔らかくて吸い付くような身体を抱きしめた。
想像と違っていたのは、その身体はひんやりとしていて冷たかった。
腰回りや背中は冷たいのに、腋の下に近づいていくと温かい。
二の腕は柔らかくて、首筋や肩は想像していたよりも硬かった。
僕はベッドの上で彼女を抱きしめながら、静かに夜の時間を楽しんだ。
時間が来て、僕は彼女と別れる。
永遠の別れ。
二万円を払った。
安くない。
安くないし、彼女自身も安くない。
いい女だった。
でも、結局僕は彼女の言う通り……今日も明日も童貞だった。
だって、彼女はそんな安くないから。
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