第15話 兄より優れた妹がいてもいいでしょ
「ほんと、広い部屋だね」
「東京の感覚じゃあり得ないよな」
お兄ちゃんとの同棲が許された理由は、私には分からない。
表向きには、私がバイトばかりで学業を疎かにしないように、とか。女の子の一人暮らしは不安だから、とか。そんな感じだと思うけど。
お母さんもお父さんも、もちろんお兄ちゃんも、決して理由を話したりはしたなかった。
まぁ、私にとっては同棲するという結果が全てだ。みんなが裏で何を話し合ったのかとか、はっきり言ってどうでもいい。
大学生になっても、お兄ちゃんが大好きで離れられないブラコンな妹。
私の正体なんて、それで充分なのだ。
「サークルとか、決まってるのか?」
「何も決めてない。高校生の間、ずっと勉強してたし」
「新入生のライングループとか、ちゃんと参加してるか?」
「うん。ツイッターで誘われたし、お兄ちゃんにも言われてたし」
「ならよかった。楽しく過ごしなよ」
大学生活は、初見殺しだらけだ。
私はあまりSNSに触らないから、お兄ちゃんに言われるまで気が付きもしなかったけど、どうやら交友は入学前から始まっているらしい。
これでいて、更に縦の繋がりも作らなければ単位取得に難が出るという。どうにも、人脈は大学生活において重要なファクターであるらしい。
まぁ、お兄ちゃんさえ居れば、私的にはどうでもいいけど。
「お兄ちゃんは、何のサークルに入ってるの?」
「考古学研究会。研究論文にも積極的で、コンクールなんかにもよく参加してるんだ」
「なら、私もそこでいいや」
「やりたいこと、ないのか?」
「もう叶ってる」
言うと、お兄ちゃんは小さく笑って私の荷物を片付け始めた。
照れて赤くなってくれたら、かわいくていいのに。
「ね〜え」
構ってほしくて、また背中に引っ付いた。何もないこの部屋は、春でも震えるくらい寒い。
「荷解きしなさい。暗くなる前に、買い物に行きたいから」
言って、お兄ちゃんは私を離した。
好意がバレている私は、フラれる心配をしなくていいのが楽でいい。
おまけに、やり過ぎて引かれる何てことも、切りつけたって許された今となってはまったく悩む必要もない。
というか、考えてみればどうせ断られると分かっているのだから、ある意味私の素直をブツケてアタックし放題なのだ。
だから、最後に力で負けるまでの間、私はずっと攻撃する。長い間我慢してたんだから、それくらい許されたっていいと思うの。
羨ましいでしょ、私の片想い。
「ご飯、いつもは何食べてるの?」
「カップ麺とか、冷凍の焼きおにぎりとか」
「他は?」
「大豆バー」
「他は?」
「えっと、生ハム」
なんだこいつ。
「ちょっと、冷蔵庫見るから」
パカッと開けると、幾つかの生ハムが雑に置かれているだけ。冷凍庫には、焼きおにぎりと大量の氷。
戸棚を見ると、大きなウィスキーの瓶と炭酸水。他には、チョコレート、大豆バー、後は色んなカップ麺。
そりゃ、目の下も真っ黒になりますよ。
「その生ハムな、結構高いんだ。いいことがあった時に買ってきて、チマチマ食べるんだよ」
今までにないくらい、説明するときの声がウキウキだった。値段は、一つ698円だ。
確かに、ちょっと高級だけど。この人、本当に自分にお金を使わないんだなぁ。
「いい事って?」
「仕事が片付いたり、論文で賞を取ったり」
「じゃあ、今日はそういうことがあったの?」
「いや、ない」
「なら、どうして生ハムが?」
聞くと、お兄ちゃんは首を傾げて誤魔化した。
「いや、カッコいい顔しても分かんないけど」
私、何か変なこと言ったかしら。意味不明過ぎて、反応に困る。
「そっちのクローゼット、自由に使ってくれ。俺のシャツとコートは、端っこに寄せといて」
そんな感じで片付けを終え、買い物してから帰って来た。
夕飯は、野菜炒めとお味噌汁。私も大して料理が得意なワケじゃないけど、お兄ちゃんよりはよっぽどマシだ。
どうやら、この人は全然料理が出来ないらしい。
なるほど、初めて苦手分野を見つけたよ。
「練習しないの?」
「カップ麺よりうまい飯を作れる自信が無くてな」
「美味しいの意味が違うでしょ」
……そして、夜。
お兄ちゃんは、ずっと論文を書いていた。どうやら、近いうちに発表会があるらしい。
理系の大学生には休みが無いって聞いてたけど、本当なんだ。
「研究室に泊まり込む数が少ないゼミを選んでるし、俺はまだマシだよ」
「その割には、全然寝てないみたいじゃん」
クマを親指で撫でて、耳元で囁く。
「NPOの活動もあるからな。俺にとっては、そっちが本業だ」
「ふぅん」
大変そうだったから、カタカタとキーボードを叩くお兄ちゃんの頭を、何も言わずに優しく撫でた。前に一度お願いされてるから、全然抵抗はない。
「偉い偉い」
「ありがと」
頭を撫でながら、背中から手を回して肩に顎を乗せた。部屋の中には、籠ったようなエアコンの音だけが聞こえている。
勉強からの鬱憤から解放されたからか、それともお兄ちゃんの匂いをずっと嗅いでいたからか。なんだか、気分が少し大胆になってきてしまった。
「ねぇ」
「なんだ」
「一緒にお風呂入ろ」
「入らない」
「なんで?」
「ミコが大人だからだ」
こんな下らない質問にも、ちゃんと理由を答えるのがお兄ちゃんらしい。
「じゃあ、キスしよ」
「しない」
「なんで?」
「兄妹のスキンシップを超えてるからだ」
断られて、私は引き寄せるように腕の力を強くする。唇も、首元にくっつけて強く押し付けた。
「やり過ぎだっての」
「私が来たら、こうなるって分かってたでしょ」
「……まぁ、否定はしないよ」
「じゃあ、仕方ないじゃん」
そう、仕方ない。
男は、女の子と二人きりになって、それで襲われたって自己責任だなんて言うのだから。その逆だって、また然りのハズだ。
お兄ちゃんは、私に襲われたって文句は言えない。全部、自己責任だよ。
「たった一ヶ月だ、何とでもなる」
「ううん、四年だよ」
言うと、お兄ちゃんは私の頭をどかして椅子ごと振り返った。
「なに?」
「私は、在学中ずっとここに住むよ」
「母さんからは、新しい部屋を見つけるまでの間だと聞いてるけど」
「でも、私は新しい部屋を見つける気は無いし、ここから出て行く気もないよ」
「俺を嵌めたのか?」
「うん。まともにやったって、お兄ちゃんには通用しないし」
言うと、お兄ちゃんは深くため息を吐いて小さく笑った。
ほら、やっぱり許してくれた。
「悪い妹だな」
「私が嘘つきなのは、ずっと知ってたでしょ」
優しさを逆手にとって、私からの連絡を絶って、得意な嘘で塗り固めて。私は、初めてお兄ちゃんとの知恵比べに勝った。
やったね。
「笑いしか出ないよ」
「でも、嬉しいでしょ?」
そのまま膝の上に乗って、今度は私が甘えるように頭を預け見上げた。もちろん、答えはない。
ため息の後にこめかみをポリポリとかくと、お兄ちゃんはすぐに私を降ろした。やっぱり、こうなってしまうとどうしようもない。
残念だ。
「寝よう、明日はミコの日用品を買いに行かないと」
「パジャマとか、お揃いがいい」
「ユニクロのスウェットくらい、好きにしたらいい」
「もっとかわいいのにしようよ」
「しない」
そして、お兄ちゃんはお風呂へ向かった。
パソコンのモニターを覗くと、そこには英語で書かれた文章と図形がズラリと並んでいる。どうやら、素数と文化遺産の美的関連性について述べているようだけど、今の私にはイマイチ内容が分からなかった。
「リーマン予想って、何にでも応用出来るんだなぁ」
なんて、ちょっと知ったかぶり。私には、大学受験程度の知識しかないよ。
どこか、一文だけ書き換えてイタズラでもしちゃおうかと考えたけど。それは何か違うと考え直して、寒さから逃げるようにベッドへ潜り込む。
……どうやら、思っていたより疲れていたらしい。
私は、お兄ちゃんが戻って来るより先に、すっかり眠ってしまったようだった。
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