第5話 助けてあげたいって思った
「なんだ」
……何も考えていなかったから、言葉が出なかった。
いや、正確には言いたい事は分かってるんだけど。どうすれば伝えられるのか、それが分からないって感じ。
「なに、相談役なんて偽善者ぶった事してんの? 私のこと、あんなに辛い目に合わせたくせに!」
「まぁ、生徒会長だからな」
言って、お兄ちゃんはすぐにノートと参考書に目を落とした。
「答えになってない!」
「集団である以上、問題は必ず起こるからな。先に手を打って、少しでも被害を食い止められるようにしようと思ってるんだよ」
「だから、全然答えになってないって!」
「あの頃より、兄ちゃんは少しだけ成長したんだ」
……思わず、言葉を失ってしまう。
どうして、この人は。
「学校、楽しめそうか?」
「あんたが出しゃばってくるから、初日から面倒だった」
悲しむよりも先に、反射的に憎まれ口を叩いてしまった。
もう、これはクセになってるんだと思う。
「妹だって、バラしたのか」
「口が滑ったの、仕方ないでしょ?」
「そうか、面倒なのによく頑張ったな」
眼鏡を外して、コーヒーを飲んだ。
「うっざ、兄貴気取りかよ」
「いいや、そうじゃない。お前には、兄貴だなんて呼ばなくていいって言ってるしな」
「そういう余裕な態度が――」
「でも、嬉しいよ」
そして、再び眼鏡をかけ直し。
「は? 嬉しい?」
「あぁ。曲がりなりにも、兄貴として見てくれてたんだろ」
「そ、それは、言葉の綾だから」
「そうか」
その時、私には少しだけ、お兄ちゃんが疲れている様に見えた。
……でも、それって当たり前だ。
だって、学校で一番の成績を維持する為にいつも勉強をして、全校生徒の悩みを解決する為に働いて。夕方にはアルバイトもやって、家ではこうして私に悪口言われて。
たまの休日だって、お母さんの手伝いばっかだし。寝てる時くらいしか、気を落ち着かせられないんじゃないだろうか。
いや。
もしかしたら、夢の中でも忙しいのかも。
「……ねぇ」
そうやって、今まで見えなかったお兄ちゃんの、影の努力を想像すると。
「ん?」
少しだけ、素直になる勇気が湧いてきた。
「ウチのクラスに来た時、一緒にいた女はだれ?」
「副会長だ、兄ちゃんのサポートをしてくれてる」
「いっつも、一緒にいるワケ?」
「そうだな。二人きり、というワケではないが。生徒会室にいる間は、大抵一緒だ」
ズルい。
ズルいズルいズルい。
「……付き合ってるの?」
「いや、付き合ってない」
「彼女、いるの?」
「いない。なんだ、ミコには出来たのか?」
「違う、違うけど」
別に、続きの言葉なんて考えてない。お兄ちゃんを否定するクセが、そのまま出ちゃっただけ。
「彼女は作れないよ。兄ちゃん、モテないからな」
……嘘つき。
「なんでよ、好きだって言ってくる女はたくさんいるんでしょ?」
でも、そこまで言って、気が付いた。
「いや、そんなことないよ。告白された事だって、一回もない」
される前に、相手の好感度をコントロールするのだから。お兄ちゃんが告白されるだなんて、絶対にないんだって。
「ふぅん」
……どうしてか、穏やかでいられた。
疲れが溜まったお兄ちゃんは、弱ってるように見えるからかな。それとも、少しだけお兄ちゃんって人の内側が分かった気がするから?
忙しいっていうのが、本当に全ての真実なのかもしれないのに。
頭の悪い私には、お兄ちゃんの言葉を信じずに、疑って可能性を探すことしか出来なかった。
「いつか、そういう相手が欲しいって思うよ」
「そっか」
……なんか、助けてあげたくなってきちゃった。
ホントに、少しだけ。
「生徒会って、一年でも入れるの?」
「会計と書記、それぞれの補佐。あと、庶務係は一年でも請け負える」
「へぇ」
多分、その人のすべてを知っていたいっていうのは、女の本能的な欲望なんだと思う。
実際、謎が少しだけ解消されて、私はお兄ちゃんと話が出来てるし。誰かを想って不安になるのが、凄く嫌なんだって思う。
まぁ。そう出来なかったのは、勝手に怒ってた私のせいなんだけど。
全部、自覚してるから。今さら、そこのところを弄らないでよね。
「やるなら、書記の補佐にしておけ。多分、一番仕事量が少なくて、内申のコスパもいい」
自分以外の人には、楽で効率のいい方法を勧めるんだ。
ばか。
「一番、忙しいのは?」
「庶務係だな。基本的に、俺や副会長と動く事になる。書類作業のカンヅメも、付き合う事になるかもしれない」
「そう、じゃあ庶務だけは絶対やんない」
「それがいい」
呟いて、お兄ちゃんはノートと参考書を畳んだ。
気が付けば、既に0時を過ぎている。薄着だから、ひんやりと肌寒い。
「寝よう、俺は風呂に入ってくる」
「うん」
そして、お兄ちゃんは私を置いて、お風呂場へ向かって行った。
だから、私は素直になった自分へのご褒美として、こっそりお兄ちゃんのパーカーを盗んで部屋に戻ったのだった。
勘違いしないで、寒いからってだけだから。大きいと、寝やすいだけだから。
ホントだから。
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