第3話 デレ方を教えて

 ……一ヶ月後。



「へぇ、リンナのお母さんはエストニア出身なんだな」


「そうだよ、知ってんの?」


「エストニアといえば、バルト三国の一つだよな。美人が多いっていう」


「お、やるじゃん。ウチのママ、すっげぇ美人だよ」


「道理で、リンナもキレイだもんな」


「こ、こら〜。キモい事言うなよな〜」



 お母さんに頼まれた、お遣いの帰り道。



 途中の公園で、お兄ちゃんとリンナが話をしていて、だから私は物陰に隠れてしまった。



 なんでここにいるのよ。



「つーか、コウちんって普段何してんの? ずっと本読んでるワケ?」



 言って、リンナはお兄ちゃんの持っている手提げを指さした。どうやら、図書館に行っていたらしい。そこで、偶然会ったのかな。



 というか、コウちんって。



「別に、そうでもないよ。ただ、今日は本が読みたい気分だったんだ」


「買えばいいじゃん」


「あんまり、無駄遣いとか好きじゃないからさ」



 まぁ、まともに自分にお金使ってるの、見たことないし。バイト代も、ほとんど貯金してるらしいし。



「あと、古い本って言うほど売ってないだろ。だから、図書館がいいんだよ」


「古い本ってなんだ?」


「今日は、岩波の『茶の本』。千利休から、交際の礼法を学ぼうと思ってな」



 チョイスが渋すぎるよ。



「もしかして、アマネと話したから?」


「ありゃ、あの子バラしちゃったのか」


「……いけね」



 まぁ、リンナじゃなくても今のは口が滑るかも。



「べ、別に、アマネが話したワケじゃないんだよ。偶然、ウチが聞いちゃっただけで」



 リンナは、頭の回転が早くて気が利く。見た目より、ずっと大人なのだ。



 だから、私を目撃者に含めなかったのだろう。



「そうか。まぁ、俺はミコが迷惑にならなきゃそれでいいんだ。気を遣わせて、悪かったな」


「ミコっち、マジでコウちんの事嫌ってるっぽいしな」


「はは、そういうこと」



 ……。



「お二人とも、こんなところで何をしてるんですか?」



 その時、二人のところへアマネがやってきた。



 あの子は、この近くに住んでいる。ラフな服装を見るに、二人の姿が見えたから降りてきたのだろう。



「よっす」


「こんにちは」


「はい、こんにちは。いい天気ですね」



 無意識に、アマネはお兄ちゃんを見ていた。



 多分、私にも内緒で何度か会っている。



 そんな気がした。



「うふふ」



 それから、3人が楽しそうに話しているのを、私はコソコソ見ていた。



 本当に、何してんだろう。別に、帰るか出ていくかすればいいハズのに。



 嫌になっちゃう。



「つーか、なんでミコっちはコウちんのこと嫌いなワケ?」



 む。



「それ、私も気になってたんですよね。義理とはいえ、コウさんの性格で不仲になる方が不自然だと思うんですけど」


「妹が兄を嫌う事に、大した理由もないと思うけど」


「でも、普通の仲の悪さとは少し違うと思うんですよね。ミコって、そもそも凄くいい子ですし」



 アマネも、見た目通り頭がいい。だから、私の話と二人きりの時の会話の中で、違和感に気付いてしまったのだろう。



 私の周り、そんな人ばっかりだ。



「ミコっち、学校じゃかなり人気なんだぜ。性格も、優しくてかわいいしさ」


「そりゃ、兄として鼻が高いな」



 そ、それほどでも。別に、大した事じゃないよ。



 えへへ。



「だから、ミコっちに嫌われるような事をしたってことは、コウちんはすっげぇ変態なんじゃないかなって。ウチ、思ってんだよね」



 言って、リンナはケラケラと笑った。



「へ、変態なんですか?」



 続けて、若干引いたような仕草を見せるアマネ。



 エッチな話、嫌いだもんね。



「まぁ、そんな感じかな。俺、女の子に酷いことするし」



 お兄ちゃん、中学生にそのジョークは通用しないよ。



「げ、マジかよ。もしかして、ミコの事もそういう目で見てんの?」



 思ったよりもマジなトーンの返答に、リンナも少し戸惑っている。



「どうだろうね、そうかもしれない」


「うわ、ヤッバ。キモいなぁ」



 ……いや、違う。



「コウさん、それはちょっと良くないですよ。淫らな関係は、良くないです」


「はは、悪いとは思ってるんだけどね。血が繋がってないと、ついさ」



 お兄ちゃんは、二人と距離を置こうとしてるんだ。



 きっと、好かれる事を嫌って。私に、迷惑がかかると思って。あぁやって、二人からの好感度を操作してるんだ。



 三年前に、私にしたように。



「だから、ミコは俺を嫌ってるワケ」


「うぇ~」


「気持ち悪いです、嫌われるに決まってますよ」


「ごめんごめん。まぁ、そんな感じさ」



 さっきまでとは打って変わって、お兄ちゃんを見る二人の目線は平行だ。



 距離を取って、見上げるのを止めたから。



「じゃ、俺はそろそろ行くよ。バイバイ」



 そう言って、お兄ちゃんは公園から出て行った。



「ミコっちに電話しよっか」


「うん。この前のこと、謝らないと」



 ……なんだか、泣いてしまいそうだ。



 そんなに頭がいいなら、私が嘘つきなのも見破ってくれればいいのに。



 × × ×



 あの後、お兄ちゃんはすぐには帰って来なかった。



 戻ってきたのは、お母さんが心配してウロウロし始めた23時頃。すっかり、夜になった後だった。



「ただいま」



 お兄ちゃんは、一人暮らしの時のクセが出たと誤魔化していたけど。それはそれでと、今度はお父さんにも怒られていた。



 でも、それが嘘だって、お父さんは知っている。



「……また、あそこに行ってたのか?」


「別に、そうじゃないって。本当に、つい本を読み耽ってただけ」



 『あそこ』って、一体なんの事だろう。どうして、お父さんはそれを思いついたんだろう。



 気になって、仕方がなかった。お兄ちゃんの事を、もっと知りたかった。



 だから、次の日。



「……ねぇ」



 私は、リビングで一人、お昼ご飯を食べるお兄ちゃんに声を掛けていた。



 二人が、電話で私を慰めてくれて。お兄ちゃんを、危ない人だと貶めて、心から心配してくれて。



 お父さんの切ない顔と、お母さんが心配するくらいの孤独と。



 他の女の子の好感度まで操作して、自分を嫌いだと宣う妹に、そこまでして優しくしてくれるのだって。



 色んな事が、もうぐちゃぐちゃになって。



 とうとう、我慢が出来なくなったのだ。



「どうした」



 お兄ちゃんは、持っていた茶碗をテーブルに置いて、私の顔をジッと見た。



 真剣で、かっこいい顔。



 この鋭い目が、私だけを見てくれてるって思うと。何だか、胸がポカポカしてきて、頭がボーっとする。



 ……はわわ。



「邪魔なんだけど。テレビ見るからどいて」



 ……。



 ああああ!!あああああああああ!!



 私は何を言ってるんだああああああああ!!!!



「悪い、食べ終わったらすぐにどく」


「ふん」



 いや、「ふん」じゃねぇだろおおおお!?



 素直じゃないにも程があるだろ!?一体、どんだけプライド高いんだよ!?



 つーか、見惚れて照れちゃったなら一回撤退するとか!そうじゃなくても、そこはシカトして質問だけはするとか!



 最悪、「アマネから電話が来た」って言えば察してくれるじゃん!?意味分かんない事するなって、怒ればいいじゃん!?



 なのに!



 ――邪魔なんだけど。テレビ見るからどいて。



 バカか私いいいいいい!? 



 ああああああああああああ!!



「ミコ、何をプルプルしてるんだ」


「は、はぁ!?」


「寒いか? 風邪でも引いたのか?」


「違うし! つーか、キモいからこっち見ないで!」


「そうか。まぁ、体調には気を付けろ。顔も、かなり赤くなってるぞ」



 自分の情けなさで恥ずかしいからです!



 体調はとってもいいです!



「それじゃ、兄ちゃんちょっと出掛けてくるから」


「勝手にすれば」



 そして、お兄ちゃんは皿を洗ってから、静かにリビングを出ていった。



「……死にたい」



 足音が遠のいていって、部屋の中には時計の音だけが聞こえる。



 私は、喪失感で何も出来なくて、カーテンの隙間から細く入った日差しが、少しずつ傾いて来るのをずっと眺めているだけ。



 やがて、カラスの声が聞こえて。寂しくて、パタリと倒れて、強くクッションを抱いた。



 私、なんでこんなに素直になれないんだろ。



 たった一言、「ありがとう」って。



 そう、伝えたいだけなのに。

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