第2話   契約

 わたくしは朝食を終えると、馬車を借りようとした。けれど、馬車は旦那様が使うとおっしゃって、使うことはできなかった。仕方なく、辻馬車に乗って叔父のビオニールお兄様の事務所に向かった。


 忙しい人なので、会えるかどうか分からないが、気楽に相談できるのは、ビオニールお兄様くらいだ。


 昨日、もらった書類は鞄に入れてきた。


 昼前に、事務所に到着した。


 エリナと供に、馬車を降りて、事務所の扉をノックすると、事務員によってすぐに扉は開けられた。



「マリアーノお嬢様、いらっしゃいませ」


「ビオニールお兄様にお目にかかりたいの」



 事務員が対応してくれる。


 見知った相手なので、すぐに取り次いでくれた。



「マリア、よく来た。こちらにおいで」



 ビオニールお兄様は席を立ち、面談室に招いてくれた。


 個室になっていて、プライベートが守られる。



「椅子に座って」


「はい」



 ここの椅子は大きく、わたくしのような子供が座ると、わたくしは人形になったように思えるの。


 ノックがして、事務員がお茶を並べていった。



「エリナも座って」


「それでは失礼します」



 エリナの分のお茶も準備されていた。


 エリナが椅子に座ると、やっとビオニールお兄様は、話を始めた。



「昨日は、マリアが天使のように見えたが、結婚式の翌日にどうかしたのか?」


「相談したいことがあって」


「なんだい」



 わたくしは、鞄から書類を出して、見てもらった。






 ①  この結婚に愛情は求めない。

 ②  白い結婚とする

 ③  私の交際に口出しはしない

 ④  私の金は勝手に使うな

 ⑤  国王陛下主催のダンスパーティー以外は共に出席しない

 ⑥  食事は一緒にしない

 ⑦  ネアンを虐めない






「これはなんだい?」


「昨日、結婚式が終わって邸に戻った時に渡されました」


「叔父さんにすぐに言うべきだ。すぐに離婚の手続きをした方がいい」


「お父様は悲しむわ。白い結婚ならば、3年我慢をすれば、離婚ができるわ。ビオニールお兄様に、この書類を正式な物にしていただきたいの」


「それは構わないが、僕は離婚を勧める」



 フワフワの淡い金髪に、薄いブルーの瞳が、わたくしの目をじっと見つめる。



「3年も我慢する必要はない。このまま実家に帰ったって、この書類があれば、叔父さんは文句は言わないと思うよ。離婚手続きもできる」


「そうかもしれないけれど、ケチのついた娘に嫁ぎ先はないわ。実家はもうラビリントお兄様が継いでいるんですもの。結婚もしているのに、出戻りのわたくしに居場所はないわ。歳を取ったお方の元に嫁げと言われたら、やっぱり嫌なの。今度結婚するときは、好きになった人と結婚したいの。万が一、平民になっても生きていけるように、3年で地盤を固めたいの」



 ビオニールお兄様は、暫く、わたくしを見ていたが、ペンを持った。


 元の書類に手直しをしていく。






 ①  (私達は)この結婚に愛情は求めない。

 ②  (私達は)白い結婚とする

 ③  私(私達)の交際に口出しはしない

 ④  私(私達)の金は勝手に使うな

 ⑤  (私達は)国王陛下主催のダンスパーティー以外は共に出席しない

 ⑥  (私達は)食事は一緒にしない

 ⑦  ネアンを虐めない

 ⑧  私はアンテレ・インテレッサ侯爵令息の借金の肩代わりはしない。






 ビオニールお兄様は、全ての項目に(私達)と書き足した。


 そうして、もう一つ。


 わたくしを守る一言を書き加えた。



「これで、マリアの稼いだお金もインテレッサ侯爵令息は勝手に使えない。マリアの父上が多額な借金の肩代わりをしたが、あの家は裕福ではない。これでたかられることはないだろう。何かあれば、裁判に掛けられる」



 ビオニールお兄様は署名をしてくれた。


 その後に、書類をわたくしの前に置いた。


 わたくしも書類に名を書いた。


 悔しいけれど、結婚式を挙げてしまったので、名はマリアーノ・インテレッサ侯爵令息夫人となる。

 できあがった書類を、転写機で同じ物をあと二つ用意してくれた。



「ビオニールお兄様、ありがとうございます」


「困ったことがあれば、いつでも来ていい。無理や無茶はするな?それで、どんなことをするつもりなんだ?」


「わたくし、父から領地を少し分けていただいたのです。わたくし、10歳の頃に王妃様のお茶会に参加させていただいたことがあって、それで化粧品のことを詳しく教わったのです。邸に帰って、お父様に相談したら、王妃様の母国に行く用事があるからと一緒に連れて行ってもらったのです。そこで、王妃様がおっしゃっていた薬草を入手することができたのです。化粧品の工場も見学させてもらって、いろいろ教わったのです。わたくしが子供だから、きっと企業秘密を教えていただけたのだと思います。電気のことを学ぶために、留学もしました。お父様にお金を借りて、研究所を作ったの。そこで美白化粧品の研究をしていて、何度も試作品を作って、やっと完成できそうなのです。それを製造して、販売したらどうかと思うの。今、王妃様ブームで、皆さん、美しい白い肌に憧れているでしょう。薬草の栽培も順調で、完成したら、特許を取りなさいとお父様に言われていますの。完成した商品を貴族街近くでお店を借りて販売したらどうかと思うの。医薬品などはもう売っているのよ。その売り上げで、もうお父様に借りたお金は完済しているの」


「さすが姉さんと義兄さんの子だ。商売のノウハウはしっかり身につけているようだね」


「そんなことはないわ。本当はとても不安なの。今までは父が手伝ってくださったけれど、これからは自分で試してご覧って言われたの。失敗したら赤字だし。領地の者にも迷惑を掛けてしまうわ」


「迷った時は、きっと手を貸してくれる。僕も力になる。頑張りなさい」


「ありがとうございます」



 ビオニールお兄様は、わたくしの手を握って、微笑んでくれた。


 その微笑みはわたくしの弱気な気持ちを包み込んでくださるほど、温かだった。



「エリナ、アンテレ様はどの様な方だ?」


「昨日の結婚式の後、マリアーノお嬢様をエスコートすることもなく、さっさと一人で歩いて行かれました。口調も高圧的で、優しさの欠片もございません。部屋は客間を使うように言われましたわ。とても屈辱的です」


「エリナ、それ以上は黙って」


「いいえ、お嬢様、秘密にしても、この契約書を見れば、予想は付くでしょう。お嬢様のお名前も、まだ一度も呼んでおりませんわ。とても非礼です」


「エリナ、ありがとう。よく分かったよ」



 エリナはお辞儀をした。


 わたくしは、とても肩身の狭い思いになってきました。


 ため息も漏れてしまう。



「そろそろ、戻りますわ。辻馬車がなくなってしまうわ。夜遅くなると危険ですもの」


「騎士を雇うといい。今日の帰りは、僕の馬車を使いなさい。侯爵家の馬車は使えないの?」


「旦那様が使われるそうなの」


「それなら、実家から馬車を一台、手配しておこう」


「このことは秘密にしてくれるの?」


「マリアが秘密にしないなら?」


「しないわ」



 わたくしは、瞳を見て頷いた。



「さあ、馬車まで送っていこう」


「ありがとう」


「気にするな」



 そっと肩を抱かれて、馬車まで連れて行かれた。



「インテレッサ侯爵家まで頼む」


「畏まりました」



 御者は頭を下げた。



「マリア、いつでもおいで」


「はい」


「エリナ、マリアを頼むよ」


「はい」



 馬車は静かに走り出した。



 +



 邸に到着すると、御者がエスコートして、馬車から降ろしてくれた。



「ありがとうございました」


「またいらしてください」



 顔見知りの御者は、会釈して、戻っていった。


 辺りは、もう薄暗くなっている。


 エリナと供に、邸の中に入ると、まずは自室に戻って荷物を片付けた。


 書類を持ち旦那様の部屋に行くが、ノックをしても返事がない。しかし、部屋から灯りが零れている。


 そっと開けて、書類をテーブルに置こうとした時、奥の扉の向こうで、旦那様の声が聞こえた。


 その扉をノックして、そっと開けると、そこは寝室だった。


 裸の旦那様と見知らぬ裸の女性がまぐわっていた。


 わたくしは、そっと扉を閉めて、部屋から出て行った。


 書類は手渡しがいいだろう。


 なかったと言われるのは癪に障る。


 部屋に戻り、書類を引き出しに片付けると、先に食事をいただくことにした。




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