ご心配要りません、私も貴方を愛していません

綾月百花

第1話   結婚

 わたくしは今日、結婚式を挙げました。


 お相手は、アンテレ・インテレッサ侯爵令息様で、お歳はわたくしよりも8歳年上の殿方です。


 お相手のお顔は、初めて拝見しました。


 髪も瞳も黒い、凜々しいお顔で、背も私よりずいぶん高く、難しいお顔をしておられるお方でした。


 式は滞りなく行われ、わたくしは父と兄と別れ、インテレッサ侯爵様のお宅に旦那様と一緒に馬車に乗り、移動しました。


 旦那様のお父様は、急な仕事があるそうで、領地に戻って行かれました。


 お母様はいらっしゃらないようです。


 邸はタウンハウスにあるようです。


 馬車から降りて、邸を見ると、かなり大きな邸のようです。庭園もあり、綺麗に花も咲いています。


 わたくしの母は、わたくしの結婚が決まった直後に、馬車の事故で亡くなりました。


 まだ喪中ですが、先に結婚の日取りが決まっていたので、結婚式は予定通り行われました。


 婚約から結婚までは短く、旦那様になる侯爵令息様が、わたくしを訪ねてくることもなく、教会で初めて顔合わせとなったのです。


 邸の中に入ると、使用人達が並んで歓迎してくださいました。


 わたくしはクリュシタ伯爵令嬢、マリアーノと申します。


 結婚したので、インテレッサ侯爵令息夫人になりました。


 この結婚は、正真正銘、名ばかりの政略結婚です。


 インテレッサ侯爵家には、多額の借金があり、我がクリュシタ伯爵家から資金援助をして、家柄だけはいいインテレッサ侯爵家に娘を嫁がせて、少しでもわたくしを位の高い家の夫人とするという父の思惑もあったのです。


 たった13歳の子供の花嫁など、嬉しくもない結婚です。


 本来なら、王立学校に通う予定でしたが、楽しみしていた学校生活もなくなりました。


 父は、「マリアのためだから」とわたくしのことを案じていましたが、わたくしの心はとても冷めていました。


 結婚式で出会った男性も、確かに凜々しいお顔していましたが、とても無口で、お声をまだ殆ど聞いてはいません。わたくしはただ不安で、仕方がなかったのです。



「まずは、俺の執務室で契約書を交わしたい」


「契約書ですか?」


「話はそれからだ」


「はい」



 扉が開けられると、使用人が左右に分かれて、並んでいた。



「ご結婚おめでとうございます」



 家令が述べると、使用人達は頭を下げた。


 その中を旦那様は一人でさっさと歩いて行く。


 わたくしは、丁寧に頭を下げてくれる使用人に頭を下げて、旦那様の後をついて行く。


 エスコートもなく、階段をさっさと歩いて行ってしまう旦那様は、わたくしを振り返ることもなく、先に行ってしまう。



「マリアーノお嬢様、お手をどうぞ」


「ありがとう。エリナ」



 実家から一緒に来てくれた7つ年上の侍女のエリナが、見るに見かねて、わたくしの元にやってきて、そっと手を取ってくれる。


 まだウエディングドレス姿のわたくしのことなど、少しも気に掛けない旦那様に、エリナは心の底から怒っているのを感じます。


 わたくしも、これが結婚ならば、先は暗いと思いました。


 優しさの欠片もありません。


 旦那様は一つの扉の前で、立って待っていました。



「遅い!」



 低い声がしました。けれど、父が用意してくれたウエディングドレスは、裾が長く、足下がもたついて、うまく歩けません。


 一生懸命歩いているのに、責められて、せっかくの美しいドレスを着ていても、褒めてももらえない。気持ちは沈む一方です。



「すみません」



 やっと辿り着いて、わたくしは頭を下げました。


 理不尽よね、とても理不尽だと思うの。


 紳士なら、エスコートくらいして当たり前でしょうと、叫びたくなりました。



「恐れながら、旦那様、奥様は重いウエディングドレスをお召しになっておられるのですよ。エスコートはしていただけないのでしょうか?」


 エリナが物申すと、旦那様は眉をしかめた。



「話は、すぐ済む。もう少し我慢しなさい」


「はい」



 旦那様が、部屋の中に入った。



「メイドは外で待て」



 一緒にエリナが部屋の中に入ろうとしたら、それを拒絶されました。



「エリナ、大丈夫よ」



 心配そうな顔をするエリナに、わたくしは、一つ頷いた。


 そっと手が離れて、わたくしは一人で旦那様の後をついて行く。


 扉は閉められた。



「まずは契約書だ」



 この部屋は旦那様の執務室なのだろう。


 大きな机の前には、ソファーセットが並んでいる。


 大きな机の前に座ると、「ここに来なさい」と旦那様はわたくしを机の前に呼んだ。


 旦那様は、まだわたくしの名前すら呼んではくれない。



「この書類を読んでくれ」



 書類は机の上を滑って、わたくしの前で止まりました。


 ずいぶん乱暴な渡し方です。


 礼儀がなっていません。


 その書類を手に持ち、読んでいく。







 ① この結婚に愛情は求めるな

 ② 白い結婚とする

 ③ 私の行動、交際に口出しはしない

 ④ 私の金は勝手に使うな

 ⑤ 国王陛下主催のダンスパーティー以外は共に出席しない

 ⑥ 食事は一緒にしない

 ⑦ ネアンを虐めない


 アンテレ・インテレッサ侯爵と署名がされています。






 わたくしは、読みながら悲しくて涙が流れた。


 あまりに残酷な結婚だ。



「ちっ、これだから、子供は!すぐ泣く。だから、嫌いなんだ」



 旦那様は、この結婚をいやいや認めたのだと思った。


 わたくしのことを嫌いとおっしゃった。


 誓いのキスも頬に、フリだけでした。


 神への誓いは、全て嘘だった。


 なんて滑稽な結婚式だったのでしょう。


 たった13歳で、わたくしの人生がガラッと変わってしまいました。



「旦那様、ネアンとは何でしょうか?」


「俺の幼馴染みだ。体が弱く、俺が面倒を見てやらなければ、死んでしまう。明日には、この邸に来るだろう」


「男ですか?女ですか?」


「女だ」


「愛人ですか?」


「幼馴染みだと言ったであろう」



(愛人、なのね……)



「この書類を少し預かっても宜しいでしょうか?わたくし、動揺してしまいまして、今は考えられません」


「ああ、いいだろう。早めに書いてくれ」


「はい」


「分かったら、この部屋から出て行け。この部屋にも近寄るな。おまえの部屋は、客間を使え」


「……畏まりました」



 わたくしは書類を持って、旦那様の執務室を出た。


 扉の外には、エリナが立っていた。



「お嬢様」



 わたくしは、書類をエリナに見せた。


 エリナはすぐに書類を読んで、眉を寄せた。


 お父様は伯爵の位を戴いているが、貿易も含めた商人をしていた。


 書類はすぐに署名をせずに、一度持ち帰り、よく考えて、記名をするようにと注意をされていた。


 だから、その場で署名はしなかった。



「着替えたいわ」


「そうですね。すぐに着替えましょう」


「お部屋は客間だそうです」


「では、そちらに向かいましょう」


「ええ」



 エリナに手を引かれて、客間に向かう。


 どこに客間があるか分からないと思っていたら、この家の家令が一つの部屋の前に立っていた。



「奥様、お怒りだと思いますが、もう暫くお待ちください。我々もこのような結婚はあってはならないと思いますので、アンテレ様を説得いたします」


「いいえ、いいのです。どの部屋でも構いません。愛人がいるなら、それでも構いません。3年の我慢です」


「奥様」



 わたくしは深く頭を下げた。


 白い結婚ならば、3年我慢したら、離婚ができる。


 それまでの我慢だ。3年の間に自立できるようにしたい。



「お嬢様、お部屋に入りましょう」


「そうね」



 家令に再びお辞儀をして、部屋の中に入る。


 先に送っていた荷物は、箱に入れられていた。


 特に広い部屋ではないが、すごく狭い部屋でもない。


 部屋に狭いがお風呂があったので、お風呂はそこで済ませられそうです。



「明日、ビオニールお兄様の元に行き、正式な書類にしていただきます」


「それがいいでしょう」



 わたくしは机に書類を置いた。


 ビオニールお兄様は、弁護士をしている、母の末の弟になる。叔父さんだけれど、年齢が若いからお兄様と呼んでいる。お兄様は、父の仕事の補佐もしている。お父様に告げ口をするつもりはないが、この先のことを考えなければならない。



「それにしても、巫山戯た男ですね。白い結婚で良かったですわ」


「本当に、そうだわ。わたくしの人生に汚点を残して、許せないわ」



 わたくしは乱暴にウエディングドレスを脱いでいく。


 繊細なレースが破れてもなんとも思わない。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る