第2話 動き出した時間

――あの日から僕の時間は止まったままだ。

同じ高校に行こうって2人で約束した。

全寮制の学校だったらあいつらの所から離れられる。

あと少しの辛抱だって。

何をされてるかは話してくれなかった。

隠しきれない身体の傷をみれば聞かなくてもわかる。



季節外れの大雨の中、全速力で走っていた。傘もささず。

喉の奥が乾いて呼吸がしにくい。

唾をのむ度に喉が痛い。

お願いだからそこにいてくれ、いつもと変わらぬ笑顔で。


学校に置かれた携帯の彼女からの最期のメッセージと位置情報の載っている画像。


『さようなら。』


一緒に家出をした時に見つけた廃墟となった老人ホーム。位置情報はそこを指していた。

裏口の扉が壊れていて簡単に侵入できる。

人目に付きにくく雨風をしのげるのでそれ以降も彼女が家に帰りたくないときはここに2人で来ていた。


嫌な予感がしていた、なんで、どうして。

あと少しで離れられたのに、一緒に居られたのに。

廃墟が見えたところで吐き気がとまらなかった。

悪寒で身体が震えて脳がぐわんと揺れている。


裏口の扉を開けよく2人でいた備品庫の中に入ると最悪の現実が目の前にまざまざと現れる。

天井に吊るされたロープにぶらぶらと揺れる身体。

足元には倒れた椅子に綺麗におかれた靴と手紙があった。


「りん!おい!りんっ!!!」



そこから僕の時間は止まったままだ。

わかってるつもりでいた、僕の前ではありのままの彼女だと思っていた。

何度後悔しても、泣いても変わらない。

2人で過ごしたあの場所で、一番最初に僕に見つけてほしくて、自ら命を絶ったのだ。


その時から自分は幸せになることもこれからの人生を歩む権利もないと思った。

雨が降ると思い出す。この日の事を。

陽香と初めて出会ったのも同じ雨の日だった。



――彼女と目があったほんの数秒がとても長く感じた。

先に口を開いたのは彼女だった。


「……あたしが…見えるの?」


狐にでも化かされたのかと思った。

でも彼女の顔は真剣で僕の次のリアクションをまっていた。


「見えるって君のこと?」


彼女は僕の返答に驚き目を丸くした、そして嬉しそうに言った。

「あたし意外に誰がいるのよ、他に幽霊でもいるっていうの?」


え?幽霊?

頭のなかを整理するのに時間がかかった。

訳も分からず口をパクパクさせていると彼女はクスっといたずら笑いながら「ぷ…くくっ…魚みたい…あははっ。」

彼女はお腹をかかえながらケタケタわらっている。


僕が何も答えられずにいると彼女はスッと立ち上がりこちらに歩み寄ってきた。

ニコッと笑いながら「あたし、新宮陽香、はるでいいよ。」

そういうと彼女は右手を差し出した。

「さ、佐伯優です…よ、よろしく…。」

僕の名前を聞いて彼女は少し驚いたようだった。

僕は右手を出し手を握ろうとするとそのまま彼女の手を抜けて空を切った。

確かにそこにある彼女の手に触れられなかった。


「うわっ!」

僕は情けない声を出しながら腕を引っ込めると彼女はいたずらそうに笑った。

「ぷ…あははっ!びっくりした?!」

こうなることが分かっていた様で彼女は僕の反応を楽しんでいた。

意識が飛びそうなくらいびっくりした。

ありえない事が目の前で起こり、腰が抜けそうになった。

良く見ると雨に当たっても濡れていない。

サラッとした髪が笑う度にフワッと揺れるのは雨の日ではありえないことだ。


ただもっと不思議なのは彼女の動向だった。

なんなんだ…幽霊ってもっとうらめしや~って感じじゃないのか…。

貞子とか口裂け女みたいに、出会ってしまったら殺される…とか。

目の前の幽霊は僕よりも生き生きしている。

幻でも見てるのではないかと思った。

ひとしきり笑ったあと彼女は

「まあ立ち話もなんだし中で話そうよ、雨だし、風邪引いちゃうよ。」

「あたしは大丈夫だけど笑」


彼女は軽やかなステップで拝殿の中に入っていった。

身体が透けて扉の奥にすっと消えると顔だけスッとだして口を尖らせながら「ほら、なにボーッとしてるのよ、はやくはやく!」


本当に幽霊なんだ。

それにこの子、新宮陽香って…失踪事件の女子高生。

僕は拝殿の階段を上り扉を手をかけた。

鍵はかかっていない。

キイィ~ッッと音を立てながらゆっくり扉が開く。


薄暗い部屋には雨音と床の軋む音が響いた。

ここでも彼女の足から軋む音は聞こえず僕は本当に彼女は幽霊なのだと改めて感じた。

拝殿の中は空っぽでお賽銭箱も何もない。

立派な御神体などを想像していたがあるのは空っぽの酒瓶やたばこの吸い殻。

きっと不良の溜まり場にでもなっているのだろう。

忘れ去られた神社。ここはりんと一緒に過ごした、りんが命を絶ったあの小屋を思い出させた。



彼女は床胡座をかいてニコニコしながら

「さあ、狭いところですが楽にしてください。」と言いながら床の1ヶ所を差した。

まるで自分の家かのような台詞に少し笑ってしまいそうになった。


「それじゃあ…失礼します。」

僕は差しだられた床に正座すると改めて彼女を見た。

とても幽霊には見えない。目もキラキラしていて生気が感じられた。

彼女は少し真剣な顔になると少し上を向いて考えながら言った


「まず、どこから話そうか…」


反射的に言葉が出た。

「君、失踪事件の子だよね?」


彼女は少しむっとしながら

「君じゃなくて陽香、はるでいいってば。」

「…ごめん。」

「あたし、失踪て事になってるんだ。」


少し悲しそうに彼女は呟いた。


「みんな君…はるの事探してるよ。」

僕はそういうとクラスで流れてきた探し人のメッセージを見せた。


彼女は画面を食い入るように見ると自分の写真を見て

「げ~!この写真全然盛れてないじゃん!!最悪~。」

「どうせ出回るならもっとかわいいのにしてよ~。」


そこかよ!っとこころのなかでつっこむと彼女の顔をしっかり見ながらこう言った。

「まず改めて聞きたいんだけどさ、君…はるは本当に幽霊なの?」


彼女はあっけらかんと「うん、そうだよ!」と言うと僕の顔に腕を伸ばし彼女の手と僕の顔が重ねた。反射的に目をつむってしまった。

さっきの握手が空振りしたのと同様触れられることはなく目を開けると彼女の腕が僕の頭を透過していた。

「うわっ!」

反射的に後ろにのけ反ると彼女は笑っていた。

「これが証拠。」

言葉が出ず呆然とした。

「あたしが見えるのはすぐるが初めてだよ。」

「他の人には見えないの?」

「そうみたいだね。」



「一昨日ここを溜まり場にしている不良達が来たんだけど誰もあたしに気がつかないの、こんなに良い女が深夜にひとりでいるのに、見えてたら普通襲っちゃうよね。」

「昨日は散歩してたおじいちゃんが来たけどおんなじ。」

「目の前で変顔しても、スカートめくりあげてもなんの反応もないの。」

あっけらかんと彼女は言った。

「目が覚めたらこの神社にいたの。」

「あと…なぜだか鳥居より外に出られないの、一歩でも足を踏み出したらこの中戻ってきちゃうの。」

「何も出来なくてどうしようって思ってたらすぐるが来たってわけ!」

にわかに信じがたい話を彼女はあっけらかんと話している。

いきなり過ぎて信じられないが現に彼女の体は透けていて雨が降っても身体は濡れていなかった。

信じる他なかった。


「君が…はるが幽霊ってことは、死んじゃったってことだよね?」

その時僕は彼女の鞄が荒らされて河川敷の橋の下に捨てられていたことを思い出した。

きっと彼女は誰かに…。

そう思った時彼女が口を開いた。


「…殺された。」

ドキッとした。さっきまでの笑顔が消えて怒りや悲しみが混ざったような表情になっていた。


「……殺されたって誰に?」

単刀直入に問う。


「……わからない。」


「…詳しく聞かせてくれないかな。」

「うん、でもその前に約束してくれない?」


約束、その言葉にドキッとした。

「約束って…なに?」


「私、あなたのこと知ってるんだ。」

「…え?」

「りん…三島凛、知ってるよね。」


心臓を針で貫かれたような痛みが走った。

「……なんで君が、その名前を。」


彼女はまっすぐ僕を見つめて言った。

「あたしは……りんの事件の秘密を知っている。」

「りんの事件を調べていて、多分それが理由で殺された。警察もあなたも知らない秘密を知ってるの。」


曇りひとつない彼女の顔はこれまでの表情よりも真剣だった。


「あたしには!やり残したことがある。りんの事だけじゃない!あたしには生きてるうちにやりたかったことがあるの。あなた…すぐるが協力してくれるなら、真実を全部話す。」

彼女の必死な表情に驚いた。


「だからお願い、あたしに協力して。あたしのやり残したことを、すぐるが代わりやり遂げてほしいの!」


彼女の表情は真剣だった。噓偽りのない瞳でまっすぐ僕を見ていた。

……すごく迷って考え込んだ。

はるの事を信じられないわけじゃない、だけどもう終わったことだ、真実なんてどうでもいい、知ったところで彼女が死んだ事実は変わらない。

追い詰められていたりんに寄り添ってあげられなかった。

助けてあげられなかった……。

彼女は…りんは、死んだんだ。

思い出したくなかった。はやく忘れたかった。

それにもし僕を恨んでいるのかもしれないと思うと、真実を知るのが怖かった。


「…ごめん。やっぱり協力は」

そう言いかけた時に彼女は言った

「りんは自殺じゃない、殺されたの。」


「…え?」

少しの沈黙の後、怒りにも似た感情が沸いて出てきた。

うそだ…そんなわけない!僕は確かにこの目で見た。

忘れようとしても忘れられるわけがない。

天井に吊るされたロープに首をくくられ床から足が離れてブランと揺れて……。

傍には綺麗に並んだ靴と彼女直筆の遺書があったあの光景を。


「うそだっ!!僕はこの目で見たんだ!!」

思わず感情が高ぶっり頭がぐわんぐわんと揺れているような感覚になった。


「りんは義理の父と兄に殴れて虐待されていた!部活を辞めたのも身体の傷を隠すためだ!口に出せないような酷い事をいっぱいされて、それでも我慢して…それなのに…助けてあげられなかったっ!」

涙が出そうになるのを必死で我慢した。


「遺書もあったし何より、あの廃墟は僕とりんしか知らないんだよ!?」


「そうだったとしても、彼女は自殺なんてしてない!」

彼女ははっきりそう言った。


「…お願い協力して、あなたの力が必要なの。」

そう懇願する彼女の目には涙が浮かんでいた。

嘘じゃない。彼女の言っていることは本当なんだ。


彼女を信じようと思った。

そう思ったのと同時に栓が外れたように涙が溢れ、様々な思いが込み上げてきた。

後悔や悲しみは勿論、りんに恨まれているのではないかとも思っていた。

死ぬ場所をあの廃墟にしたのも、位置情報を送ったのも僕が最初に見つけるように彼女が選んだのだと、そう思っていた。

本当は僕に助けてほしくて、本当の自分を僕に見つけてほしくて。



でもそれが違うのだとしたら、本当に彼女が殺されたのだとしたら…。

僕は涙を拭い、まっすぐ彼女の方を見た。


「協力するよ。」

「え?」

「君の…はるのやり残したことを僕がやる。」

「そしてりんの事件の真相も。」



「ありがとう。」

「それと…脅すようなこと言ってごめん。」

彼女はペコッと頭を下げた。



「ねえ、どうしてこの神社に来たの?」

「…風で帽子が飛ばされて、兎を追いかけてきたらここに。」

「兎…?ぷ…あははっ!なにそれ?笑」

笑われても仕方ないが全部本当の事だ。


「それにしてもなんではるは幽霊になったんだろうね。」


彼女は腕を組ながらうーんと考え込んだ。

「この世に未練があるから、かな。」

「……未練?」

「うん、大きいのはあたしとりんは誰に殺されたのかってこと。」

「小さいのもいれたら…うーん…。」


こめかみに人差し指を当ててしばらく考えると

「10個!」

「10個?」

「うん!あたしがこの世でやり残したこと!」

「これを全部叶えたらきっと成仏できると思う!」

両手をパーにして10を表すと満面の笑みを浮かべた。


「…なんか多くない?」

「細かいことは気にしないの、男の子でしょ!」


彼女といるとりんと話しているような気持ちになる。

はるとりんはなんだか似ている。

見た目や性格は違うけど芯の強さやまっすぐなところは本当にそっくりだ。

小さく深呼吸をして、今度は僕が彼女の顔をまっすぐ見て立ち上がって言った。


「改めてよろしくね。はる。」


僕は彼女に手を差し出し握手を求めた。

彼女は嬉しそうにスッと立ち上がると僕に手を差し出した。

そしていたずらっぽく言った。


「交渉成立ね。」

「こちらこそよろしくね、相棒っ!」


握手の形になった手を見て、触れることはできなかったけど、決意は固まった。

雨が降りやんでオレンジ色の光が窓から射し込む。

止まった時間が動き出した気がした。





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