第10話

「ペルル公爵閣下の軍がブライよりマルモアに向けて進軍、後にオーニュクス軍がブライを奪還。公爵閣下がブライにとって返し、現在対峙しております。それに先立ちツィン=ブロンセ大橋並びに、ラーヴァ=コーレ大橋が落とされ通行が出来なくなっております。またミカ将軍がアーグラ方面へ引き上げました」


 宰相の顔色が一気に悪くなる。拠点を失った侵攻軍が敵地に取り残され、増援も出来ない状況にあると知ったから。その上でミカ将軍まで撤退したとなると、いくら兵力で優っていてもどうころぶかわからない。


「ミカ将軍、いやモルトシュタイン侯爵に再度出撃しろとは言えぬぞ」


 何せ増税の対象にして、文句も言わずに無理なものを支払ってきた。その上で侯爵家の倉を開いて民の飢えを回避したという報告を受け取っていた。これでまた兵を集めて河を登って戦えとはならない。


「ですがこのままではペルル公爵が」


「グラナトへ至急伝令を。グルナ将軍に小舟でラーヴァより東岸へ渡るようにさせるのだ。最悪、公爵だけでも退避をさせるようにとも伝えよ」


「ですがそうなれば我等の敗戦ということになります」


 進軍した先から兵を引き上げる、それは即ち防衛に成功したと言わしめる行動。モジャウハラートはスフェールへの侵略に失敗、それは小国の行為だから何とも思われない、順当とすら言える。だがペルル公爵が折れて撤退すれば、スフェールが失敗したと喧伝されてしまう。


「外務卿は速やかに各国の公館を訪れて同盟の確認を行え。この際だ、多少の要求は呑んで構わん」


「畏まりました宰相閣下」


 エメロード宮はいつにない危機感を漂わせていた。全ての原因が解っていて取り除けていないのは、己の責任だと痛感しながら宰相は未来を想像する。



 行くことも退くことも出来なかったペルル公爵、ブライ近郊の野戦陣に籠もって暫く、補給を受けることも出来ずに食糧が底をついてしまった。兵の数も脱走のせいで激減し、一万を切ってしまっている。グルナ将軍がラーヴァから河を渡ろうとするもコーレ市に拠っているヤーデ将軍の妨害で上陸を出来ずにいた。


 一度多数による同時上陸戦を仕掛けて来たが、その際に例の丸太を上流から流すことで小舟が破壊されて大被害を出すと、その後は隙をついて上陸させようとする動きに終始してしまう。秋の終わりから姿を見せなかったオーニュクス宰相の軍団が、橋の破壊準備をしたり、木材の切り出しをしていたのが今になってようやく判明した。


 士気が下がり限界のペルル公爵、このまま待っていても死を迎えるだけ。体力がある内にラーヴァ要塞東岸へ行ければ、合流することが出来るかも知れないと望みをかけることにする。深夜に陣地を放棄してこっそりと南西へ軍を移動させると、決死隊を募りグルナ将軍との連絡を取ろうと試みた。


 河沿いに降って行き、夜明けに不在を気づかれる。ブライに駐屯している宰相は迷わずに「コーレ市方面へ出撃します」僅かな守備隊のみを残して追撃を始める。コーレ市にも早馬をたてて会敵に備えるようにさせ、決戦に臨んだ。


 コーレ市北東半日の河沿い、ゴルト軍務卿とヤーデ将軍が率いる軍がペルル公爵軍を発見する。河の西側にはグルナ将軍が小舟を多数用意して渡ってこようとしている姿が伺えた。北東の空には土煙が上がっている、もうすぐ宰相の軍団が到着するというのもわかり、双方ここ一番の戦いが始まるのを感じていた。


「直ぐに宰相閣下が到着される、挟撃して敵を殲滅せよ!」


 河岸に固まっているペルル軍を半包囲するような動きで攻撃を仕掛ける。何とか秩序を保っているだけで、戦うだけの力は失ってしまっていた。自分が死にたくない、そして逃げ場がないから防戦をする。降伏したら助かるだろうか? 許してくれるだろうか? そのような疑念が頭をよぎっているのか、様子を伺いながら交戦する兵が多い。


「公爵閣下を救出するぞ! 俺に続け!」


 小舟に乗ってグルナ将軍が先頭で河を横切ると、矢の雨を堪えて何とか崖のような場所に小舟を寄せる。梯子をかけて尖兵が陸地に登ると、杭を打ってそこに縄梯子を縛り付けた。どこと言わずに次々と設置し続けると、気力体力充実しているグラナト方面軍が百人くらいずつ固まって参戦した。


「おおグルナ将軍、援軍に感謝する!」


 見る影もないペルル公爵を前にして、何とも言えない感想を持ったが「閣下は退避してください、この場は自分が支えます! 半円陣を構築しろ!」陸揚げした大楯を並べて槍を突き出す。


 よろよろと縄梯子を下って公爵が小舟に乗ると、二人の大楯兵が張り付いて守り、岸を離れて西へと動き出す。大混雑する岸を見事に交通整理してグルナ将軍は重要人物を離脱させることに成功した。


 だがブライからオーニュクス宰相の軍が到着すると、一気に圧力を受けて力を失った公爵の残兵が河に追い落とされてゆく。最早この場を死守する必要は何も無い。


「紡錘陣を組んで南西へ強行突破するぞ! 死にたくなければついて来い!」


 がっちりと包囲しているヤーデ将軍とゴルト軍務卿の軍団の僅かな繋目を見切ると、そこへ精兵を集中して投入する。連携が弱い唯一の箇所をグイグイと衝き拡げると、ついに包囲を食い破る。左右に強引に道を拡げると二人が並んで通れるだけの空間を確保した。


「逃すな!」


 部隊指揮官が声をあげるが、穴を塞ぐことが出来ずにスフェール軍を逃がしてしまう。幅が徐々に広くなり、一気に兵が駆け抜ける。今まで力を失っていたが、一縷の光明を見いだすと全力を振り絞って走った。


 コーレ市を左袖に見ると重い装備を投げ捨てて身軽になると河沿いに南西へと逃げてゆく。追撃する側が武器を捨てるわけにはいかない、体力を犠牲にして何とか追いすがると脱落していた兵を刈り取って行った。


 数は少ないが騎兵が五十先回りして逃げ道を塞ごうとする。逃げるに逃げられなくなった兵が河に飛び込むか、諦めるかを迫られる。が、その時、河下から角笛の音が聞こえてくる。帆船に弓兵を並べて遠射をしてくるのはミカ将軍だった。


「あんたらには悪いがうちの若いのを返してもらうよ! 騎兵を狙いな!」


 その場に居座って遮断をすれば矢の雨が降って来る、後続の歩兵が来るまでにはまだ時間がかかる。自分達が全滅してでも足止めしていれば、十倍の敵を倒すことが出来る、だが。騎兵隊長は部下らの緊張する面持ちでの視線を集めた。


「……おのれ! 退け! 退け!」


 騎兵は東へ向けて駆けていき、悔しそうにスフェール軍が離脱していくのを睨むしかなかった。だがそれも望みすぎだと直ぐに気づかされる、上流から死体の山が流れて来るのが視界に入ったから。こうしてモジャウハラートへ侵入した軍は、恐ろしい被害を出してその全てが撤退した。


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