第7話



「これは一体?」


「直ぐに先ほどの上陸地点にまで引き返せ、これは油だ! あたしは自分の勘を信じ切れていなかった!」


 燃える無人の小舟が上流から多数流れて来ると、河が燃え上がって行く。軍船に火が移るまで長くはない。簡単に焼失することはない、上陸地点を目指して回頭して狭い場所へ向けて殺到する。その時、あの岩場から石が多数投射された。


「て、敵襲!」


 上陸地点には先ほどまで無かったはずの土砂や瓦礫が無造作に置かれていて邪魔をする。石が次々と船上に居る兵士にぶつかった。手で投げられる大きさでも飛距離でもない。バリスタと呼ばれる石を射出する兵器が設置されていたのは明らかだ。


 かといって上陸をやめて下流に行くには幅が狭すぎる。被害覚悟で上陸するしか道はない。


「くそっやられた! 構うな上陸を強行しなさい!」


 何とか上陸地点を確保したが、焼け焦げた船が下流へながされ、死体が下流域に漂着する。ミカ将軍は仕方なく戦っていたが、この一件を境に戦意を高揚させることになる。



 コーレ市を包囲するミカ将軍のアーグラ方面軍。数こそ三千に減少しているが、近く帆を張りなおした軍船が増援としてやって来る。過剰定員を承知で千五百が繰り返しやって来る予定。


 街から出て来れば戦い様もあったが、ゴルト軍務卿は意地悪く出てくることはなかった。ミカ将軍はこのまま内陸へ攻め込んでも良かったが、ここに来てオーニュクス宰相が姿を消したと聞いて警戒を強くしている。総指揮をとるべき人物がその所在を明らかにしていない、重要な任務に就いているのははっきりとしている。


 もし各個に撃破でもされては笑いものになる、ここはコーレ市を落としてラーヴァ要塞を降伏させるのが手堅い一手で、大国としての味を活かせる行動。両市の間に掛かっている橋にも砦が置かれていて、そこにもモジャウハラート軍が五百程詰めていた。


 こちらは完全に防御だけを考えている石造りの砦で、力で攻めてもどうしようもない。カタパルトで気長に岩を降らせれば、橋ごと落ちるかも知れないが、それになんの意味があるかを問われると返答のしようもなかった。


「しかし、コーレも簡単には落ちそうにないか」


 市の城壁には兵士が上がっていて、四方を警戒している。あの分では三千どころか五千は詰めて居そうだとミカ将軍が目を細める。戦略的に見れば、ラーヴァに押し込まれた兵と、コーレの兵以外は郷土防衛を出来るだけ。即ち最早モジャウハラートに勝ち目はない。無理押しする必要などなかった。


「風が冷たくなってきましたな。軍舎を設営して冬越えの準備をさせましょう」


 野宿や天幕で過ごすだけでは凍傷にかかる者が出てきてしまう、当初はそれまでに終わらせるつもりだったので準備が不足していた。対峙しているだけで兵士もやることが無いので、家を建てろと言われたらきっちりと働くだろう。


「そうさせなさい。それにしてもあの男、一体どこへ……」


 目の前の戦いはただの時間稼ぎではないかと思え始めえてきた、ではどうやってこの戦況を逆転させるか。可能かどうかは別として方法はいくつか浮かんだ。野戦軍で想像出来たのだから、王宮の謀士らが気づかないはずがない。風が頬を撫でる、どこか憂いを見せながらミカ将軍は天幕へと引き下がる。


 距離はそこそこ近いはずなのに、グルナ将軍との連絡には大回りをしなければならない。間道を越えて書簡を届けるだけでも、これから冬になると難しくなった。一旦王都へ届けて、その後にグラナトへ回す程に。その点ではコーレからは橋へ抜ければラーヴァまで一日あれば充分だった。


 にらみ合いが数日続いて、熱いコーヒーを淹れさせて書類に目を通していると、ふと立ち上がって外を見る。ついに白いものが落ちて来た。


「雪が来たか。こちらが奇襲を受けたとて、モジャウハラートなかなかやるわね……」


 農作物の収穫は滞りなく行われて、冬を越えるだけのものが手に入る。これを見込んで戦っているのだから、各国ギリギリではあるが。ミカ将軍の天幕は特別な設えで、革が分厚いため木造家屋よりも保温性が高かった。遊牧民の技術が使われているらしい。


「将軍、本国より書簡で御座います」


「ご苦労」


 蝋封を確かめると財務卿からのものだった。てっきり軍務卿からの指示だとばかり思っていた。開けて中に目を通してい見ると、みるみると不機嫌になっていく。傍仕えの武官が「どうされました」聞いて欲しそうな雰囲気だったので役目として声をかける。そこは長年の付き合いから、というものだ。


「メス豚がまたやらかした。臨時徴税で収穫物の一割を特別に納めろと、領主らに通知だそうだ」


「一割ですと? それはまた乱暴な」


 そもそもが農民の手元に残るのが一割かそこらでしかない、それで一割を増税するということは物理的に領主が被るしかない。そうでなければ餓死しろということになる。領主の権利である徴税権に手を突っ込む、それがいかに危険なことかを知らないはずがない。


「スフェールが毒されていく様を見続けなければならないのか」


 こんなことが何度も行われている。最初のうちは仕方ないと顔をしかめるだけで終わらせていたが、こうも頻繁にとなるとそれだけで済むはずがない。では耐えられない領主はどうするだろうか。


「王に諫言されますか?」


 まともな神経を持ち合わせつつ、そういった立場にあるならばしていたかもしれない。だが王に顔をあわせるのも嫌だった。


「言って聞き入れるようなら誰かがしているわ。領地に伝令を走らせなさい。侯爵家の倉を開いて餓死者が出ないようにと」


 幸いモルトシュタイン侯爵家は裕福と分類して差し支えない財力を持ち合わせている。それもこれも功績による恩賞で鉱山などを下賜されていたからに他ならない。定期的な収入をもたらしてくれる意味では、街を貰うよりも大きかった。

 

「では増税には従うと」


「今はそうするわ。でも忘れないで頂戴、あたしが忠誠を誓っているのはあのクソ王ではなくて、このスフェール王国そのものだということを」


 代替わりすればまた光が見えてくるかもしれない。更生出来るならばそれでも良い。どちらにしても戦場に出ている今は手が回らないので、一時しのぎに徹するしかない。せめて兵士には暖かい場所と、メシ位は与えてやりたい。軍の既定よりも多めに支給するようにと指示を与え、王宮への報告書には少々改ざんした結果を報告する。軍務卿がそれに気づくが、承認印をためらわずに捺してくれたと後に聞かされるミカ将軍だった。



 スフェール王国は大国だ。王都サフィールが国内でもかなり東に寄っているせいで、モジャウハラート王国に迫られているだけで、国土全体を見ればかなり深い位置にある。降雪のせいで戦線が膠着してしまい、春を待つと報告を受けたエーデルシュタイン王だが「ペルルの軍に攻撃をさせろ、これは勅令だ!」厳しい言葉を受けてしまったので実行させる。


 国土の中央付近から兵を集めながら進み、サフィールに到着すると司令官任を受けたペルル公爵はグラナトを通過し北東の山道を抜けた。ブロンセ市を越えて北方からラーツリ河を渡り、モジャウハラートの都市であるツィン市を占拠した。


 そこには少数の監視兵だけを残して進む。大都市ブライへの一報があったので、緊急動員を行い守りを固める。元から居た守備兵は千のみ、そこに市民兵が数千加わるが武装も不足し、ペルル軍団の猛攻により城壁を乗り越えられてしまい守備隊は敗走することになる。


 積雪がある中、なんとペルル公爵はブライすらも後にして王都マルモアを目指して進軍を続けた。ほぼ無防備である王都ではあるが、千の留守部隊を中心にした志願兵と、予備役軍団とで何とか一万を揃えて打って出た。主将は老年のアハート将軍。


 両方の軍が会敵したのは王都マルモアの西、一日程の距離。いつもよりも冷え込みがかなり厳しい日の夕方、かじかんでしまい武器もまともに握れない位の極寒だった。


 ペルル公爵が白い虎の毛皮をまとい、馬上から戦口上を述べる。


「スフェール国王に刃を向ける不届き者よ、この地に屍を晒し反省せよ!」


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