第6話

「ゴルト卿の申し出に感謝する。市民を苦しめるのは私とて本意ではない」


「こちらこそグルナ卿の受諾に感謝しています」


 この場で代表を害することはない、だがそんなことを信じていない護衛らが神経を尖らせて互いを監視していた。一秒をいくつか分割するだけの時間があれば剣を抜いて守れるようにと。


「此度の戦、グルナ卿はどのようにお考えでしょうか」


 署名をしながら雑談をする。とても気楽に答えられるような話題ではないが。


「マリン王女殿下の件については、何一つ弁解の余地はない。しかし、主君の領地に侵入者がいるというのに黙ってはいられまい」


 互いの文書にサインをして、思いの程を口にする。グルナ将軍とてこんな理由で部下が命を落とすのは納得いかなかった、だが侵略に対抗せずにいるわけにもいかない。


「モジャウハラートは小国、ですが王族を戯れで害されて黙っているわけにはいきません」


「互いに主を持つ身、遠慮などいらぬ」


 怒っているわけではない、道理という価値観は共有されていた。忠誠を捧げる相手が王ならば、王の意志は絶対、これに背くときは己の存在価値を失う時だ。


「ならば、誤った道を行く王を諫めるのは臣たる者の務めと考えている次第。シュタール王は決して誤っておりません」


 ではどうして戦争になっているか。正義は一つだけではない、そんなことは常識だ。だからと相反することがらが共に正義だということはそんなに多くないのも事実。


「……そうだな、私がモジャウハラートの将軍だったとしても同じだろう」


「グルナ卿のプライドがこの戦いにありますか?」


 調印書類を閉じて目の前に差し出す。それを手にしてグルナ将軍はじっと自分の手を見詰める。戦場で戦い、血にまみれて切ったはったしているだけの頃がどれだけ気分爽快だったか。


「……それでも、私が仕えるのはたった一人なのだ。約定通り追撃はしない、どこへなりと去られるがよろしい」


 双方文明国家、約束を違える野蛮人ではない。ゴルト軍務卿率いる軍がラーヴァ要塞都市まで引き上げて来る。この要塞都市、当然だがスフェールを守るために設置されている。なのでグラナト方面からの攻撃に耐えるようには出来ていない。正面はあくまでコーレ市側、橋の方を向いて計算されているのだ。


 だったが、これまでの時間でオーニュクス宰相が双方からの防御を可能になるように改築を行っていた。時間を稼いでいたのが無駄ではなかった、ゴルトは入城する時に感じる。


「宰相、情けなくもグラナトを失ってしまいました」


「ご苦労です。充分に役目を果たしました、二人ともよく戦ってくれましたね」


 白い羽扇を手にして微笑を浮かべている。ゴルトもヤーデも宰相を前にすると、もしかすると何とかなるのではないかと思えてしまった。グルナ将軍と宰相を比べると、やはり信念がどこにあるかで随分と心持ちが変わるものだと確信する。


「今後はどのようにすれば良いでしょうか?」


 再侵攻することは出来ない、こうやってスフェールで戦って居られるのも長くて一か月くらいだろう。そうなれば冬がやって来る、雪が降ってきたら攻める側はたまったものではない、寒さで軍が壊滅してしまうことすら考えられた。


「ヤーデ将軍は五千の兵でここラーヴァを防衛してください。ゴルト軍務卿は三千でコーレ市に詰めて貰います」


 そうなると残りの兵士は後送される兵士千を減じて、千しか残らない計算になる。本営機能だけを維持するためにはそれだけ居れば充分ではあるが、戦いには少なすぎる。


「宰相閣下はどうなさるおつもりですか?」


 ゴルト軍務卿の問いに目を閉じて笑うだけで答えない。知らない方が良いならばそれ以上は問わない、求められているのはラーヴァ、コーレ両市の防衛だと割り切る。


「グルナ将軍ですが、恐らくは積極的に攻め寄せることは無いでしょう。降雪まで耐えれば春までは動かないかと」


「ゴルト卿がそう言うならばそうなのでしょう。ならば理由を与えるとしましょう」


「理由、ですか?」


「ええ、グルナ将軍が攻撃を積極的に行うことが出来ないようになる理由です。それはこちらでしておきます、防衛の件を頼みます」


 些細なことだと言わんばかりの態度、オーニュクス宰相がどこまでを見通しているのか、二人はただただ低頭して従うのみ。何せ今の今まで指示に従って間違ったことが無い、宰相とはそう言う人物なのだ。


11 ラーツリ河に石が降る


 あわただしい船着き場を見てミカ将軍は呆れかえっていた。舵を修理して兵を揃えて再出港する前夜、軍船の帆が盛大に燃え上がっているのを見たからだ。マストに掛かる帆、どんな布でも良いはずがない。それだけに警備は厳重にしていたというのに、こうも見事に焼かれてしまい怒る気すらなくなった。


「警備責任者だけは無罪放免には出来ないわよ」


 つまり一人以外はこれといって咎めるなと言うことでもある。戦う前に味方を斬る、それがどれだけマイナスかを知っているから。だからと全員が無罪では今後に支障をきたす。元より責任を取るために存在する役職、今回は丸被りさせるしかない。


「官職剥奪の上、棒叩きですな。国家の大切な財産を管理出来ぬとは」


 これで戦に負ければ司令官が斬首になることだってある、ならば棒叩き位は笑って受け入れて貰わなければ困った。予備の帆を使っても全ての船は動かせない、更に総数を減らして遡上するしかなくなる。それでもやめるわけにはいかなかった、何せラーヴァ要塞都市が頑強な抵抗を見せているから。


 どうにもグルナ将軍が積極的に攻勢を仕掛けていない、そんな噂を耳にする。気持ちが解らなくも無かったが、これ以上国土を侵略されて黙っているわけにもいかない。


「コーレ市にはゴルト軍務卿が入ったらしいわね、少しは楽しめそうじゃない?」


 前線を退いた将軍が大臣として王宮に登る。武官として一つの最高の形がこれで、唯一の席次が埋まっているうちは将軍を引退するしかない、或いは現役のまま最前線で戦う。


「兵力は三千前後。軍船がこれではどうにも」


 腕組をして暗夜燃え盛る帆を見詰めている。八割はこの場を考え、残る二割でなにかしらの陽動を疑う。永年武官をしていれば、一つの事象に複数の意味があるのではと疑うのが常になった。


「鎖を用意するのよ。ガレーに一隻曳航させて、強引に数を寄せるわ」


 そうすればやはり五千を上陸させることが出来る計算になる。帆を張りなおすだけの時間が新たにかかるのだけは仕方ないけれど。


「帆を失った夜間警備と舵を壊された船の兵は漕ぎ手の交代要員ですな」


 漕ぎ手の消費が激しくなるので人手が不足する。きつい労役を課す対象は落ち度があった隊の兵士、これならば不満はあってもある程度認められるだろう。風があれば船も走るが、無風に近いと足が鈍る。だが秋口も終わりが近づいてきている、ガレー次第で足が引っ張られる方が可能性としては高い。ならばこの采配が正しいと判断出来た。


 数日帆の張り替えで時間を取られてようやく出港。順調に遡上していると思っていたらある時、上流から先を尖らせた丸太が怒涛の押し寄せをしてきた。


「丸太をかわせ!」


 船と言うのは基本的に機敏な動きなど出来ない、ましてや直進するものどうしが距離を詰めているならなおさらだ。次々と丸太がぶつかると、一部で穴が開く。多少の浸水が見られたが沈没する程では無かった。喫水線に傷がついて水の抵抗が増した。


「モジャウハラートではこれで船が沈むのでしょうか?」


「こんなものは何かの前置きでしかないわ。……良くないわね、このあたり東岸は接岸出来そうかしら」


 仮に接岸したとしても、ここからコーレ市に向けて歩きで進めば結構な労力になる。だからこそのやり口なのは頷ける。それでも航行にはさして問題はない、このままでも良いと言えば良いが、何か嫌な予感がした。


「小舟を出して調査させます」


 探している間も常に船は前進を続ける、西側は絶壁なのでどうすることも出来ないが、東岸ならば何とかなりそうな気はしている。暫く捜索させていると、上流から何かが流れて来た。舳先で見張りをしている兵が「漁業用の網?」網や布が小さな突起が付いた針と一緒に巻き付けられて、幅広く多数流れて来る。


 それらが船に絡みついた。丸太で傷を受けた箇所に針が引っ掛かり、それでまとわりつく。航行するのに問題は一切無い、ガレーの櫂に絡んだモノだけはすぐに除去したがそれだけ。そのうち小舟が帰って来て、暫く先に上陸可能地点があったと報告する。


「地形が随分ときな臭いわね。狭くなった先の上流地点で上陸が出来る、か」


「狭い箇所では流れが速く、遡上困難です。そこを通さないつもりでは?」


 防衛するのが有利といえば確かにここだった。兵を隠すのにも適切な地形、恐らくは襲撃が予測される。


「総員に戦闘態勢を取らせなさい。上陸するかはまだ未定だけど、危険地帯よ」


 件の箇所を恐る恐る警戒しながら通り抜ける、だが全く襲撃はされなかった。河を狭めている出っ張りの岩場には木々が生い茂っているが、兵気は感じられない。


「……あたしの思い過ごしか? いや、必ず敵が来る」


 狭い箇所を通り抜けて暫し、上流から河の色が変色するほどの何かが流れて来た。どろどろの液体と木っ端が船体にまとわりつく。今までの網などが起点となり、かなりの量が付着して漂った。

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