第5話

 正直乗り気ではなかった。ミカは今の国王が嫌いだった、その寵姫であるオニチェなど吐き気を催す程の存在にみえている。だからと役目を放るつもりは微塵も無い、無いが前向きになれないのも事実。


「ふん、大人と子供の喧嘩のようなことに駆り出されるとは思いもしなかったわ。大体にしてこれはあの豚女の後始末でしょう、冗談じゃないわ」


 オニチェの傍若無人な振る舞いは、王宮の外にも轟いている。そういう噂がされていると王が知らないはずもないが、それでも傍に置いているのだから、相当の入れ込みようだ。男女のことは当事者にしかわからない、それは良いが国政にまで関わらせるとなると話は違ってくる。


「マリン妃には気品と風格が御座いました。出来ればこのような戦はしたくありませんでしたが」


 初老の武人がミカ将軍を前にして所見を述べる。今や敵国の王女だった人物、正妃として籍をスフェールに移したとしてもその事実が変わることはない。


「豚女が大人しく豚小屋に籠もっていれば、クソ国王とてこうまで頭の悪い行いはしなかったでしょ。世の中狂ってるわ」


 口が悪いのは意識してのこと。未婚の侯爵、これに取り入って配偶者になり成人前の当主を殺害してしまえば全てを手にすることが出来る。そう考えてすり寄って来る奴らをあしらうのに都合が良かったから。


「同感ではありますが、今はコーレ市との戦いに集中を願いたいものですな」


 長いこと付き添っているせいで、老獪な言い回しで煙にまいてしまう。貴族が王室の悪口を言っても良いことなど起きないから。それでも言いたいことをいったのでミカ将軍も頷く。


「あのオーニュクス宰相が、なんの手立てもせずにコーレ市を放置しているとは思えないわ」


「兵を隠している可能性はありますが、そもモジャウハラートの正規兵はその殆どがグラナト方面へ出払っております。これは動かしようもない事実」


「そうなのよね、居ても二千が国内に分散してって感じよね。少し前後したとしても、あたしの兵力より上になることは絶対に無いわ」


 動員兵で数が増えるのと、戦力が増えるのとは別の話。頭数だけあってもそれは軍隊とは呼べない。ましてや輸送や警備ならばともかくとして、素人を集めて戦わせるなど無理難題だ。


「それをどうやって覆すか。自分には到底及びませぬが」


 ドゴン!


 急に振動があって床が揺れた。船だ、揺れることはあって普通だが今のはかなりの衝撃だった。直ぐに報せが舞い込んで来る。


「将軍、軍船の舵が効かずに衝突を起こしています!」


 ミカはついつい目を合わせてしまい、小さく笑う。この状況でどうして笑うのか、伝令兵には全く意味が理解出来なかった。


「なるほど、簡単明瞭な答えだわ。味方が少ないなら敵を減らせば帳尻があうわけね」


 戦場に辿り着けない兵など、それが何万居ても全くの無力。オーニュクスはコーレ市に水路で到達不能にすることで、防衛戦の代わりにするつもりだったというのが明らかになる。本人はラーヴァで座っているはずなのに、今まさに戦いを仕掛けられている。


「集めた軍船の点検はなされておりません。脱落するのは結構ですが、こうして衝突されると迷惑なことですな」


「仕方あるまい、我等があの男に劣ったというわけだ。このあたりならばアガート港か、緊急寄港して総点検をさせるわ、十日は足止めさせられるわね」


 この非常事態でそれだけの時間を浪費させられる、余程のことだったが、何故かミカ将軍は気分が爽快だった。機知を尽くして行動をする、敵わないと知って相手に挑む、そういう信念が好きだったから。


 東岸に強行接岸して、半数だけでも上陸させることも出来なくはなかった。だが彼女はそれをしなかった。将兵に無理をさせてそれでコーレを落としたとしても、喜ぶのが誰かと考えると、進んで協力などしたくなかったから。



 サフィールの王城には城下町がかなりの広さで存在している。上級管理区域からスラムのような場所まであり、初めて訪れた者はその巨大さに圧倒されてしまうことが多い。貴族や王家に連なる者達が住む管理区域には、屋敷とそれらを維持するための者達が場所を占めているので、商人などは一般区域に店を出していた。


 繁華街の大通りを朱色の旗を翻した王室馬車が通っている。全ての馬車を脇に控えさせて優先して道を走った。市民が注目するその馬車は、有名な仕立て屋の前で停まった。一緒に随伴してきていたフットマンが微かに汗をにじませながら馬車の扉を開けて主人を迎える。


 護衛として使われている従僕をフットマンと呼ぶが、それらは全て見栄えが良い大柄な男性で、これらを雇うことで貴族としてのステータスを見せびらかすものでもある。なにせ従僕一人を雇うのと、下級のキッチンメイドやランドリーメイド、ナースメイドと呼ばれる一般的な女性を二十人雇うのとさほど変わらない費用が掛かるから。


 仕立て屋の前でマダム・テラと呼ばれる初老の女性店主が出迎えをする。エスコートされて降りて来たのはオニチェだった。寵姫の一人ではあっても、未だ正式に王家の一人と数えられない身分でしかない。それなのに朱色の王族座乗の旗を使っていた。


「オニチェ姫のご来店、お待ちしておりました」


「マダム、今日は来月の夜会用にドレスを新調しようと思ってきたわ」


 毎月一回ある特別な夜会は、日々あるようなものとは違ってエーデルシュタイン王も参列する行事の一つ。スフェール王国貴族のみが参加することを許された場。戦争が起こっていても関係なく必ず開催される。


 昼に着用するドレスだというのに、オニチェのそれは肩のあたりまで露出が大きい夜用のもの。正しい着用がなされていないのは明らかではあるが、マダムに拒否権などなかった。


「それは宜しいですわ。どうぞこちらへ」


 店内へ案内するがオニチェは自身のドレスの裾を上げるわけでもなく歩いた。メイドが二人、その裾を引きずらないように抱えるので大変な目に合っている。作法が全くなっていない、やれやれと思いながらもマダムは笑顔を絶やすことはない。


「きゃ!」


 周りに目がいかなかったのはドレスのせい、だからメイドが一人ドアにぶつかってよろめいてしまった。オニチェが歩く速さが早すぎたのも原因だ。


「ちょっと何をしているのよグズね! そんなことも出来ないの? クビよクビ、もう二度と私の前に顔を出さないで頂戴!」


「ひ、姫様、それはご勘弁を! お願いします!」


 その場で膝をついて頭を地面につけて懇願する。せかっく王宮メイドになれたというのに、これで解雇されてしまうのはあまりに酷だった。いつもの癇癪をおこしているだけ、この場を凌げば忘れてしまう。


「姫、私が注意を促せなかったせいです。どうぞお許しを」


 ファーストフットマンと呼ばれるリーダーが言葉を添えた。彼はいわゆる親衛隊の指揮者になることがある近習の上級雇用人だ。


「なによ主人よりもそのメイドの肩を持つつもりなの? いいわ、二人ともクビよ! さっさと消えなさい!」


 まさかそのようなことを言われるとは思ってもいなかったファーストフットマンは言葉が出なかった。ここで逆らっても仕方ない、メイドを立ち上がらせると「承知しました。それでは失礼いたします」二人で店を後にして歩いていく。


「さあマダム行きましょう」


「は、はい」


 長年この仕立て屋をしてきたので、気性が荒い令嬢をたくさん見て来た。そのマダムにしてもオニチェは特別と言えるほど荒れているように見える。一室に入り流行の布地から選び、イメージをすり合わせていく。


「こちらの生地は――柄につきましてはいま一番のデザイナーの――」


 本職のベテラン、マダムの説明にオニチェは表情を輝かせて色々と注文を付けていく。


「この仕立てでしたら赤の宝石が――スカート部分と、胸の部分のどちらかに――」


「両方にあしらって頂戴、ゴミみたいな小さな宝石じゃ嫌よ」 


 言われたサイズと場所を数えて行き、個数を計算して装飾の宝石費用を概算すると、恐ろしい金額になる。間違っているかと思って二度計算をし直してしまう。


「あの姫様、このような費用になってしまいますが、宜しいのでしょうか?」


 請求は王室なのでキャンセルされることもなければ未払いも無い、とはいえもしそうなれば店にも多大な被害が出るだけでなく、王室にも不名誉な噂が流れてしまう。店の一年分の売り上げがこの一着で達成されてしまう程の額に躊躇した。


「構わないわ。素晴らしいドレスが出来るなら安いものよ」


 とうのオニチェは自分で払うわけではないので気軽に注文をする。断るわけにいかないので「畏まりました姫様」マダムは承諾した。オニチェが馬車に乗り込み、その姿が見えなくなるまで頭を下げて見送る。ようやく頭をあげるとマダムは「出かけるので準備をお願いします」直ぐに店員にそう伝えた。


 王室の財務卿に一報を入れた方がいいのか、それとも少府卿と呼ばれる王室生活責任者にしたほうが良いのかと悩む。結局はどちらに言っても直ぐに双方で共有されるだろうと、城に居る方に大至急面会を申し出ることにした。



 戦とは数だ。総合力が高く、失敗が少ない方が勝つように変化していく。余程の大異変が無ければこれが覆されることなど無い。山間砦を造り防衛をしていたヤーデ軍団だったが、グルナ将軍の正面攻勢を二度弾き返した。が、サフィールで編制された増援が更に一万加わったことで勢いを増した攻撃を耐えることが出来ずにグラナトへ退いてしまう。


 守るべき場所が増えてしまう市街地、ここを確保し続けることは無理だと判断したゴルト軍務卿は、グラナトを無血開城すると申し出てこれを認められる。市民もここで争われるのは困るのでその話を大歓迎した。とはいえモジャウハラートの統治でこれといって不便も不快も無かった。


 街の西側にある豪農の屋敷を借り切って、そこで調印式が行われる。グルナ将軍とゴルト軍務卿が参加した、こうやって顔を会わせるのは初めてではない。


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