第4話

 次から次へと押し寄せてくるレギオンに、ヤーデ軍団は徐々に陣地を奪われていく。多勢に無勢、どうしても地力で劣っているので維持は出来ても奪還までは出来なかった。


「ヤーデ将軍、ここは限界です。離脱をしてください、私が残ります!」


 副官として従っている青年が、ヤーデ将軍の軍旗を手にして一人で司令部に残ると申し出る。全員が退けば軍団は崩壊して、足止めすら出来なくなってしまうから。


「俺の身代わりをさせて見捨てろと? 馬鹿にするな!」


「……申し訳ありません」


「くだらんことを言っている暇があるならば、全軍を撤退させる準備を行え。逃げるぞ」


 臆面もなく逃げると言葉にした。軍人にとって勝ち負けなど日常の事、不利になったら引き下がることなど当然の話でしかない。それを解らない、或いは理解していても恥だと考える若い者が命を落とすのがヤーデは不憫でならなかった。


 一部隊だけをグラナト方面へ先に下がらせて、街道に簡易陣地を定期的に作らせてまわる。撤退時にそれを利用して、守りながら全軍を引き下げていく。撤退戦は軍指揮が極めて困難な作戦の筆頭だ。


 二時間耐えた。最早マイカ市の八割がスフェール軍により奪還されてしまって居る。残っているのは東部地区の一画だけ、ここらが抵抗の潮時だと見る。


「各部隊に通達だ、一斉に火を放て!」


 民家に火を放つわけではない、あちこちに設置された煙幕用のかまどに点火した。程なくして真っ白の煙が当たりに充満する。


「か、火災発生! やつら火を放ったぞ、消火するんだ!」


「いまだ、逃げるぞ!」


 スフェール軍が混乱しているのをしり目に、ヤーデ将軍の号令で東へ向けて兵等が一斉に走った。戦場で歩兵を走らせるのは指揮官の落ち度とは言うが、これが離脱と言うならば話は別だった。距離を置くことで警戒する度合いも格段に低くなり、背を向けて走ることが可能になる。


 離れた場所に集まると、負傷者を抱えたものらが最初に北東へと出発する。時間稼ぎの足止めをする者達は、飛び道具を手にして先行して撤退した工作兵が残した簡易陣地に身を隠して、置いてある水や食料で軽く腹をみたした。食べ過ぎると腹を刺されたら死んでしまうから、腹五分目以下にする。


 煙の先に逃げるヤーデ軍団を見つけたスフェール兵が追撃を仕掛ける。それらに一撃を与えて後に、殿軍が後退しながら戦うことを繰り返した。こうすることで追撃をかける側も警戒しながらの歩みにならざるを得ないので、負傷者を抱えている一隊は何とか攻撃に晒されずにグラナトへと到達した。


 馬上にある体躯も素晴らしく、豪奢な装備の中年男性が鋭く命じる。


「追え! ヤーデ将軍を逃すな!」


 グルナ将軍自らが部隊を率いて追撃すること三日、山道の両脇に柵を築いて弓手を置いていることに気づく。旗印を見るとヤーデ将軍の部隊ではない。


「あれはゴルト軍務卿の印。罠があるかも知れん、追撃を中止して引き上げるぞ!」


 グラナトに撤退すると伝令がやって来て直ぐに、正規兵による撤退支援を開始。隘路に陣地を築いて高地を確保、逃げて来る味方だけを通して敵をここで挟み撃ちにする。諦めるならそれはそれで良いと見逃し、そうでなければ圧倒的に有利な地形に拠って戦うだけ。


 敗残軍を率いて戻って来たヤーデ将軍が、ゴルト軍務卿の目の前で膝をついて謝罪する。


「マイカ市を奪われ、おめおめと逃げ帰りました。処分は何なりとお受けいたします」


 その代わりに部下らは不問にするように、と。ゴルトはヤーデ将軍の肩に手をやって立ち上がらせる。


「勝敗は平家の常だ。そのようなことよりも、今後どのようにしてグラナトを防衛するかの知恵を貸して貰いたい」


「閣下の寛大な処置に感謝します。我等は少数、地形を最大限利用するしかありません」


 あの隘路を強化して、ここで敵を食い止めるようにとヤーデが提案する。それには同意しつつも、他にも備えが幾つも必要になるだろうとゴルトが悩む。


「正直なところ、マイカ市まで食い込めたのはかなりの僥倖。恐らくは最高到達点だろうと思っている」


 それが非常に常識的な戦力差の結果。この先は衝撃力も無く、押し返されていく未来しか見えない。


「ならば、少しでも有利な和睦を結べるようにグラナトの防衛に注力するのみです」


「うむ。宰相ならばきっとまとめあげてくれると信じ、我等はこの場を死守するのみ。休む暇も与えられぬが山間砦の構築と防衛を命じる」


「負傷者のことを頼みます。準備を整え出撃します、先任が居る現場の指揮権もいただきます」


「全てヤーデ将軍に任せる」


 数が少ない側は交代で休むことも出来ない、それでも描く理想の未来を掴もうと、皆が努力することをやめようとはしなかった。



 アーグラ市の河港から軍船が出港していく、それらにはスフェール王国の国旗が掲げられていた。大小多数の軍船は幅が広いラーツリ河を遡上して北東へとゆっくり進んだ。風が弱くてうまい事進めることが出来ない、自然相手ではどうしよもなかった。


 櫂を使った軍船もあるが、それだけを先に進めるようなことはせずに、帆船の足に合わせていた。主将はミカ将軍。アーグラ方面軍の司令官。彼女はアーグラへの侵攻が無いと判断してすぐに、逆撃を行うべきだとして河下の領内から急きょ軍船を集めた。


 全てを乗船させることは出来なかったが、それでも半数の五千余りを水上にやれたのでよしとして、モジャウハラートのコーレ市へ奇襲をかけようとしている。もしこれを奪取出来れば、補給を遮断してスフェール内に孤立させることが出来るので、かなりの致命傷になることは明らか。


「ミカ将軍、密偵の調べではコーレ市には僅かな守備隊と、志願民兵しかおりません」


 若い。将軍だというのにミカは未だ三十歳、モントシュタイン侯爵でもある。未婚で侯爵家の当主代行をしていた。本来の当主になるべき人物は未成年で、成人するまで彼女が代行することで権利と義務を背負っている。この時代、三十歳の未婚は最早行かず後家として生涯独身、恐らくは修道院にでも入るのだろうと見られていた。


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