第2話

 それは即ちスフェールと正面切って争うことに他ならない。国内で不満を持つ者らが宰相に何を訴えても、全て却下されていたので逆恨みを買ってすらいたというのに、その裏でそんなことを進めていたとは。王ですら騙せたならば、他国では誰も疑いようもない。


「オーニュクスよ、それは余への慰めか、それとも哀れみか」


「これは、決意で御座います」


 互いの瞳の奥を覗き込む。今この瞬間にどれだけ多くの者の未来を背負っているのか、王は決めなければならない。宰相が言葉を放ってしまった以上、最早後戻りはできない。王が宰相を処断するか、或いは。


「重臣らを明日の朝集めよ」


「御意」


 その場では言葉を交わすことなく解散する。翌朝、主だった者らが謁見の間に集う。久々に王が姿を現すとあって心なしか緊張しているように見受けられる者が居た。王が玉座に座ると宰相が皆と対面する。


「まずは報告をして頂きます。農務卿、食糧の徴税具合はいかがでしたか」


「はい、今年は農業にも専念出来備蓄が大幅に増える見込みです」


「それは何より。軍務卿、予備役の口頭試験はいかがですか」


「通知を出して新たな補完教育が出来るようにしてあります。しかし、随分な数になってしまいました」


「構いません。外務卿、公館の人員増加はどうでしょうか」


「交代人員と現任が重複する状態で、これからひき継ぎを行う予定です」


「そうですか。内務卿、街道の整備は進んでいますか」


「主要な街道を先行させています。国家間の一級街道は整備が行き届いております、冬までに大都市間の二級街道も概ね終わる見通しで」


 それぞれが全く別のことを宰相に指示されて、バラバラに動いていた。富国強兵、その動きであることは疑いが無い。宰相が王の方を向いて一礼する。


「陛下、もろもろの現況報告を終えさせていただきます」


 真っ直ぐに前を向く。その視線の意味を深く知っている王が大きく息を吸い込んだ。目を閉じると己の内面と向き合う。


「余は」目を開けると家臣の一人一人をそれぞれ確かめ「王国の民の行く末を憂えておる」


 何やら様子がおかしいと皆が雰囲気の変化を敏感に悟る。


「過ちを過ちだと言えず、正しきことを認めることが出来ぬ世に、良き未来は訪れぬ。道を知っていることと、実際に歩めることは同じとは言えぬ」


 宰相と視線をかわす、心を決めたと示した。


「真に弱きものとは悪を見逃し己の保身のみを画策し、正しくも険しき道を歩めぬ者のことを指す。理不尽なことが当たり前の世界など誰も望みはしない。余はスフェール王国に道理の何たるかを、行動で示すべく立ち上がるものとする!」


 宰相が膝をついて頭を垂れると、皆がそれに倣う。


「我等、陛下の御心のままに!」


 声が重なり謁見の間に響く、皆が望んでいた王の言葉を。ついにやって来たと心が燃え上がる。


「宰相オーニュクスよ、スフェール王国に宣戦布告だ。総指揮を任せる」


「御意!」


 立ち上がると段を登って行き王の左前に位置する。


「軍務卿。動員を掛け兵を集めよ、予備役に防衛を任せ軍をスフェールへ進めよ」


「ご命令確かに!」


 立ち上がると声高らかに応じる。このための予備役召集だったのかと得心いったようだった。その後も一人一人に命令を下す、どれもこれも宰相の事前の指示で殆ど準備が整っていることばかり。それから数日、スフェール王国を始めとして各国にモジャウハラート国の布告が報せられることとなった。



 宰相オーニュクスは総司令官として軍を指揮すべく、アイゼン宮がある王都を出て西の大都市ブライへ本営を置いた。ここはスフェール王国とモジャウハラート王国の間を南北に流れている河、国境の東岸にあたる。西岸には山脈があり断崖絶壁が続くので、スフェール王国へ入るには更に南へ進まなければならない。


 一級街道が整備されていたいので、大勢が進んでもぬかるむこともなく速やかな移動を終える。ブライに近隣から人が集まり、引っ切り無しに軍営へ志願者がやって来た。みなスフェールに敵愾心を持ち、何かをしたいと申し出て来る。


 初動が極めて速かったので、オーニュクスは最初の難関に挑む機会を得ることが出来た。スフェールの国門と呼ばれる要塞都市ラーヴァへの挑戦。河を挟んだ向こうに山脈の切れ目があり、互いの国を結ぶ交通の要衝がある。


 ブライから南へ行ったところにある都市コーレとラーヴァの間にある橋を巡る戦い。今ならば国境の警備隊しか存在せず、守りを固められる前に突破が可能かもしれない。増援が入ってしまえば正面から抜くのは一年経っても無理、要塞都市を見たものならば素人でもそれは感じられるだろう。


「軍務卿ゴルトへ命じる、一軍をもってして渡橋し要塞都市ラーヴァに南東正面より迫れ」


 総司令官が命じた初めての攻撃命令。先頭を行くのは喪服を着た騎士、クプファーだった。彼は少しでもマリン王女の近くに在りたいと、近衛を辞してまでスフェールの公館付として赴任をしていた。王女の事が悔しくて、無念でたまらない。


「抵抗をせず降れ! 無暗に殺生をするつもりはないのだ!」


 侵略が行われて直ぐに国境警備隊が要塞都市に引きこもってしまう。勝てない相手に立ち向かう必要はない、何せここは要塞なのだから。待っていれば援軍が来る、それまで殻に閉じこもるだけで良い。クプファーの呼びかけに一切応じずに無視を決め込んでしまう。


 山脈の間は狭い。僅か三キロメートルほどの距離しかないので、その全てを塞いで壁を作っていた。中央に大きな門があって、今は固く閉じられている。これを力で抜こうとすれば恐ろしい犠牲が必要になるだろう。だが今はそれすら厭わないという気持ちを持った者が多い。


「降伏の意志無しとみなし、これより攻略を開始する。司令官ゴルトより下命、城壁を乗り越えよ!」


 数千の軍が投射をしながらラーヴァの城壁へ押し寄せた。喚声があがり長い梯子があちこちで立てかけられる。スフェール国境警備隊もラーヴァ守備隊も黙ってはいられない、総員で対峙して城壁に上がると必死になってこれを防ぐ。


「この戦、王女殿下の復讐戦ではないぞ。モジャウハラートに住まう者が、いわれなき辱めに晒されるであろう未来を振り払うための戦いである!」


 小国にならば何をしても良い、そんな考えが広がってしまえば大国は次々と無茶を押し付けてくる。シュタール王が示す意がこれだ。私怨での戦ではない、公憤であり主権を持つ者達の声でもある。声明の価値とは行動で決まる、ただ喚くだけでは何の価値も認められない。


 何時間も城壁を巡る戦いが続くが、陽が傾いてきてしまったので仕方なく撤退の合図がなされた。負傷者は両手足を持たれて後方へやられ、死者は後回しにされてしまう。今は生きている者だけを優先する、何せ戦場だから。


 翌朝からまた軍務卿ゴルトの軍はラーヴァを攻め続ける、宣戦布告はしたものの奇襲効果があったのは事実、守りを固める前に押し寄せたはずなのに最初の城壁を抜くことすらできない。これが大国と小国の差。


「ゴルト様、ラーヴァ要塞が思いのほかに頑強で膠着の兆しが」


 側近が申し訳なさそうに報告を上げて来る。コーレ市からラーヴァを見据えるゴルトは軽く手を払って側近を下がらせる。そこから三日、未だにラーヴァが陥落せずに手をこまねいていた。最悪ここを無視して南方から迂回する道があるにはあったが、初戦で負けていては先など求められるはずがない。


「……宰相閣下は確か……」


 弱気を払拭するかのようにゴルトはその居場所を橋の先移して、ラーヴァの眼前に進める。未だ士気は極めて高い、軽い負傷くらいならば後方へ下がらずに攻め続けるほどに。更に二日が経過して、そろそろ疲れが見え始めて来た前衛。


「報告致します。ラーヴァの様子に異常が見られます!」


 陣幕を出て要塞を見上げる。確かに守備兵らの動き、足が地についていない感じが見受けられた。いつにもまして戦の喧騒が大きい気がする。後方ブライ市から鉄十字の印を胸に下げた騎士が駆けてくる、伝令だ。


「前軍司令官ゴルト軍務卿に報告致します。ヤーデ将軍の別動隊が北方よりブロンセの山道を迂回し、グラナト市を占拠の後にラーヴァ要塞後方に向かっております!」


「なるほど、要塞が浮足立っている理由はそれか。ご苦労、これより前軍は総攻撃を行うと総司令官にお伝えせよ」


 近習を連れて前衛部隊の傍にまで歩んで来ると腰に履いた剣を抜き天に掲げた。


 ドーン! 


 大きな太鼓の音が戦場に響くと、ゴルドに注目が集まる。前軍の軍旗を翻し、腹の底から声を出す。


「ラーヴァ要塞後方に我が軍の別動隊が回り込んだ。緒戦で勝てねばモジャウハラートの民に申し訳が立たぬぞ! これより挟撃を行う、総員掛かれ!」


 挟撃という言葉に大歓声が上がると、一気に城壁に取り付く。今までとは違い、盾を翳して梯子を登るだけでなく、上半身だけ鎧を二重にして体力が一気に擦り減ろうと構わずに突き進んだ。


「クプファーが城壁一番乗りを果たしたぞ!」


 矢傷を負っていようと、切り傷があろうと関係ない、クプファーは強引に城壁に割り込むと大暴れをした。後続が次々と乗り込むと徐々に勢力を拡げ、ついには橋頭保を築く。ラーヴァに警鐘が激しく響く、城壁の上から北に翻るモジャウハラート国旗が見えた。


「勝鬨をあげろ! 我等の勝利だ!」


 大陸歴三百二十二年。大国スフェール王国のラーヴァ要塞都市が、モジャウハラート軍により陥落。国境警備隊、並びにラーヴァ守備隊はその全てが投降した。小国が大国の軍に勝つ、歴史的な事件が大陸を駆け巡った。



 宰相オーニュクスはブライから本営をラーヴァ要塞都市に進出させた。投降した数千の兵士を養うのは並大抵のことではない、かといって解放するわけにもいかない。一定階級以上の者を除き、戦争捕虜は本国へ護送されると少人数に分割されて盗賊や野獣への警備に充てられることになった。


 大人しく警備に従事するならば衣食住を保証したうえで給与も与えるとして。殆どの投降兵はそれに応じたが、一部は敵国に奉仕するのを拒否し望んで牢獄へと下った。それらの投降者は全て法務卿が管理し、適切な待遇を厳守させる。


 ヤーデ将軍を従えてゴルト軍務卿はグラナト市へと前線を押し上げた、ここは丁度双方の王都の直線距離の中間地点にあたる大都市で、山脈を越えて北東にはブロンセ市がある交通の中継地点。もっともエメロード宮がある王都サフィールへは曲がりくねった山間の街道を進まねばならないが。


 戦線布告を受けてから物資や兵士を集め始めたスフェール王国は、ようやく今頃になり動員が掛かった。近隣から徴兵した前軍が隣のレーム市に向けて行軍を開始したと密偵から情報が入って来る。サフィールからレーム、マイカときてグラナトへ繋がっている街道、どちらが先にマイカを押さえるかで今後の展開が変わって来る。


「ヤーデ将軍、山越えをして疲れているところ悪いが、軽装兵を中心とした部隊を率い、いち早くマイカ市を制圧せよ」


「ことは一刻を争う、強行軍をかける!」


 命令を受けたヤーデ軍団は二日分の物資だけを携えて速やかにグラナトを出撃。四日掛かる道のりを半分に出来るかどうかで勝負が決まる。一方でレームに進出したグルナ将軍の部隊もマイカへと急行していた。レームからの方が距離が近い、そして疲労していない軍なので圧倒的に有利。


 ゴルト軍務卿は補給部隊を編制し、ヤーデ軍団へ三日分の武器食糧を届けるようにし、グラナトの掌握に力を注ぐ。補給の第二陣からは現地に余剰物資を出す位を見込んで用意させる。この戦いの間も、外務卿の指揮で各国と外交交渉が粘り強く行われていた。


 ラーヴァ要塞が陥落したことで、今まで無視していた他国も話を聞く態度に変わったとゴルトの耳にも入って来る。グラナトを占領して、ここで一歩を踏み出すことが出来れば光が見えてくるだろう。何とか小部隊でも山を越えて後方へ出すことが出来ないかと、情報を集めては繰り出していく。


 前軍が戦っている間に、ラーヴァ要塞で宰相が支援を開始していた。国境ラーツリ河を船で下り、サフィール南方の平原に出るための準備を行っている。正直軍を別けるだけの人数は居ない、それでも軍船に多数の旗を立てて河沿いのアングラ市に迫れば、サフィールから増援を出さないわけにはいかないから。


「食事の後に移動を再開、陽が落ちても行軍を継続するぞ!」


 ヤーデ軍団は昼夜を問わずに前進を続け、マイカまであと一息の場所にまでやって来る。夜明けと共に進もうとすると、マイカ市には多数のスフェール国旗が掲げられていた。出遅れた、やはり無理があったのだと肩を落とす……はずだった。


「マイカ市は最早指呼の点にある、進軍するぞ、続け!」


 何故かヤーデ将軍は迷わずに軍を進めた。衝突すれば力負けするだろうことは明らかな軽装軍団なのに。

 が、軍旗を押し立てて進んだ部隊は小さな抵抗を受けるだけでマイカ市を占拠することに成功した。国旗だけが林立する市街地、少数の守備兵、辿り着いていないグルナ将軍の兵。


 この地方の領主に宰相オーニュクスが裏交渉を持ちかけていた。増援部隊の足を鈍らせるだけ、それだけでもしモジャウハラートが勝利したら功績を大きく取り上げると。もしスフェールが勝てば些細なことは問われないだろうとも入れ知恵をして。


 軍が局地戦で競り負けるだけ、それならば幾らでも取り返しも効く。領主にとっては成功しても失敗してもどちらでも領土を安堵出来る妙手に聞こえた。人知れず真夜中街道に一日だけ馬車から縄が切れて丸太が転がったり、橋が老朽化して落ちて迂回をしなければならなかったりするだけのこと。


 それと、領主は今の王が聡明ではないことに嫌気がさしていたこともある。一度負けて恥をかけばいい位の思いがどこかにあったのだ。


 全てのスフェール国旗を引き下げさせて、モジャウハラート国旗を掲げ兵を横並びにして警戒に立たせた。市の北側には逆茂木を始めとした障害物を市民を動員して行わせて、突貫工事で防御を厚くする。市の倉を開いて日当を多めに払うことで、市民も喜んでそれに従ったのが大きい。何せ最近は増税の嵐だったから。理由は寵姫オニチェのドレスを新調するのに多額の費用が掛かるから。


 正直馬鹿らしくてやってられなかった。無論名目は違ったが、豪華なドレスを一着新調するとどれだけの費用が掛かるかを庶民は想像できない。実際は人口数千の町からの税金一年分に相当するほどの高額なものだ。何せ糸から布を仕立て、一つ一つを手縫いで縫製し、宝石をちりばめるのに多額の費用が掛かる。


 男爵あたりの家ならば娘が社交界にデビューする為に新調するのに、借金をしなければならないくらいに高額なのだ。


 急いで駆け付けたグルナ将軍だったが、既に防備を整えているマイカ市のヤーデ軍団を見ると地団太踏んで叫んだという。


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