第26話 それは多分愛だった
「まぁフォルト」
ふわりと体が浮遊する感覚に思わず目を閉じて、次の瞬間には神殿長の声がしたためフォルトはパッと目を開ける。
そこは、覚えのある場所。
王都にある神殿、神殿長の執務室だった。
「神殿長……!」
「大きな声を出さずとも、聞こえています。よく戻りました、神官フォルト。そして……」
膝をついたままのフォルトに手を差し伸べつつ、神殿長はその隣へと視線を滑らせると、口元に控えめな笑みを浮かべる。
「――ようこそいらっしゃいました、勇者様」
「……お久しぶりです」
「覚えていて下さいましたか……光栄でございます」
蝶子が自分を覚えているとは思わなかったのか、神殿長は少し驚いた様子で声が上擦った。
「神殿長、今日は……請け負っていた件に関しての報告に参りました」
「それだけのために、勇者様までお連れしたのですか?」
咎めるような響きが含まれた声。
自分が命じられていた仕事の内容を考えれば、神殿長がそんな声を出すのもおかしくないとフォルトは考えた。
(チョーコの前で話すことではないだろって、言いたいんだろうな)
蝶子を気にかけている人だ。
決して愉快ではない話題に、蝶子を立ち会わせたくないのだろう。
「もちろん、それだけのためではありません。チョーコが書庫に立ち入る許可をいただきたいのです」
「……チョーコ……?」
フォルトの言葉に、険を含んでいた神殿長の眼差しが和らぐ。
不思議そうにフォルトが呼んだ、耳慣れぬ名を繰り返して……それから、ハッとする。
「チョーコというのは……まさか、勇者様のお名前では……?」
「はい。……初めまして、ではないけれど……自己紹介するのは初めてですね。私の名前は、内凪 蝶子……あ、蝶子が名前です」
「チョーコ様……」
様はいらないと蝶子は首を横に振るが、神殿長は「我らのために戦って下さった貴方様に敬意を払うのは当然のこと」として譲らなかった。
それから、ゆっくりとした動作でお辞儀をする。
「わたくしは、アメリアと申しますチョーコ様」
「アメリアさん……」
「はい。こちらの神殿を預かる身として……そして、聖女の称号を賜った身として、貴方様の来訪を歓迎いたします」
ぽかんと蝶子が口を開けた。
それから、確認するようにフォルトを見る。
フォルトは、こくりと頷いた。
「……チョーコ、聖の称号を持つ者は、中央に組み込まれると話したが……例外があるんだ。その場合、本人の意向もあって公にはしない。だから、あの場では説明できなかったが……」
神殿長が自ら明かしたとなれば話は別だ。
もしも、神殿長がここで名乗らなければ、蝶子を書庫に向かわせた後で説得を試みるつもりだったフォルトは、少しだけ肩の荷が下りて力を抜く。
「どういうことですか?」
不思議そうな神殿長に、フォルトは実はと蝶子と共に戻ってきた理由を説明した。
すると、神殿長は少しだけ表情を曇らせる。
「……チョーコ様、わたくしはたしかに女神様のお声を聞くことができます。ですが、こちらから話しかけて答えが返ってくるというものではないのです」
聞きたいことを聞けるわけではない。
疑問に解答を示されるわけでもない。
神託として、一方的に声が降りてくるだけ。
「……それに、チョーコ様……わたくしは、すでに女神様から神託をいただいております。もしも、勇者であるチョーコ様が自らのことを尋ねて神殿の門を叩いたならば……こうお伝えしろと」
「……女神様が?」
神殿長は顔を曇らせ、すっと視線だけでフォルトに退出を促した。
あまり、他人に聞かれたくはない話なのだろう。
フォルトは承知したと頷いて部屋を出ようとすると、止めるように蝶子がフォルトの袖を掴む。
「……チョーコ?」
「……行かないで」
端っこを僅かに摘まむ程度。
これくらいならば、いくらでも振りほどける。
けれど、袖を掴む蝶子の指が、微かに震えていることに気付いたフォルトは瞠目し、それから――蝶子の指を袖から外すと、震えを押さえるように手を握った。
「大丈夫だ。ここにいる」
「……っ」
「俺は君の手が届く場所に、いつだっている」
「……う、うん……!」
安心したように蝶子から強ばりがとれた。
フォルトは手を握ったまま、神殿長を見る。
「神殿長――」
「……チョーコ様が、良しというのならば、わたくしが否とは申せません。ですが、他言は無用……それは、分かっておりますねフォルト?」
「もちろんです」
「でしょうね。貴方は、チョーコ様の不利益になるようなことはしない。見ていれば、分かります」
ふと微笑んだ神殿長だが、すぐに表情が引き締まる。
「お伝えいたします、チョーコ様。わたくしが託された、あの方の言葉を」
雰囲気が変わった。
周りの音が一切聞こえなくなり、三人だけが切り取られたような空間に立っているような錯覚。
そして――。
「《愛し子よ》」
神殿長の口から、本人の声ともうひとつ、ゆらゆらと判別できない音が重なり、頭の中に直接響くような不思議な感覚に襲われた。
フォルトだって神官だ。この奇妙な状況を作り出しているのは、圧倒的な力だと分かった。
そこにいるのは、見知った神殿長であって違う。
「《愛し子よ、聖剣を使い魔王と戦いなさい。大きな魔力のぶつかり合いが引き起こす暴走は、肉体の修復速度を上回る。そうすれば、貴方は魂だけの存在となり我が元へ召されるでしょう》」
「……それ……聞いたことある。勇者が元の世界へ帰るには、聖剣で魔王を倒したときに出るたくさんの力が必要だって……でも、魔王を倒したらダメってなったから……だから私は、違う方法を……」
蝶子が不安そうな口調で呟いた。
それは彼女がもう知っていることで、彼女が求めているのは別の答えなのだ。
だが――。
「《愛し子。もしも貴方が元の世界へ戻りたいというのならば、それは過ぎたる願いです。貴方は死んだが故に、世界を超えられた。一度死んだ人間は同じ世界に蘇ってはいけない――たとえ世界が異なろうとも、これは侵してはならない不文律》」
まるで蝶子がなにを問いにくるか分かっていたかのように、女神は言葉を残していった。
「《思い出しなさい。どうして、この世界へ来たか。元の世界で、あなたはどうなったか――我は貴方を見守っています、貴方がいずれ役目を終えて、肉の器を捨て、我が元へ来るその日まで、ずっと》」
「……私……」
小さな蝶子の呟きが、妙に響いたかと思うと、一気に外の音や生活の匂いなどが戻ってくる。
あの奇妙な感覚は完全に消え、神殿長はその場に座り込んでいた。
「……チョーコ様。今のが、わたくしに下された神託でございます」
疲れているのだろうが、その顔色がよくないのは疲労のせいだけではない。
神殿長が蝶子を見る目は、痛ましげだ。
「……はは……」
蝶子の震える声がして、フォルトが彼女を見れば、彼女は不格好な笑みを浮かべていた。
「……思い出した。私、思い出しちゃったよ、フォルトさん」
「チョーコ?」
「……バカだなぁ、私――帰る場所なんか、もうなかったんだ」
ひくっと無理矢理持ち上げようとした口角が引きつり、蝶子の黒々とした目からぽろっと雫がこぼれた。
「あの日、私つぶされて死んだんだった――」
「違う! 君は生きてる!」
「……死んでるんだよ。元の世界では、もう死んでるの……! 内凪 蝶子は死んじゃってるから、元の世界に帰れるわけないんだよ……!」
ぱっと繋いでいた手が解かれた。
「……ははは、私、なに悲劇のヒロインぶってたんだろ。……この世界に来た時から……最初から、化け物だったんじゃん……」
自嘲する蝶子は、俯いている。
出会った時のような――いや、謁見の間で見た時のような、からっぽで疲れ切って、それ以上にどこか荒んだ……ただこのまま堕ちていくだけのような、危うさが滲む。
投げやりな言葉は、自分で自分を傷つけるものだろう。
一緒にいて、徐々に自分を取り戻してきた彼女を見てきたフォルトにとって、それは看過出来ない言い分だった。
「――違うだろ」
「……え」
「違うだろう、それは……!」
思わず肩を掴んで、フォルトは蝶子に言い募った。
「君は人間だろう! 今日までひとりで背負い込んで必死に頑張ってきた、ただのお女の子だろう! ――俺が見てきた君を、他でもない君自身が蔑むな……!」
「…………フォルトさんは、知らないから。私がここに来た理由、知らないし、見てもいないから――」
「見てもいなければ、知りもしない。そういう男の言葉は、信じられないか」
「……っ」
「君の全てを知っていなければ、俺の言葉は届かないか?」
「……違うよ……」
でも、だって。
蝶子は繰り返すが、結局それ以上は言葉が出て来ない。
「フォルトさんの言葉は、ちゃんと届いてるよぉ……でも、なんでこんな大事なこと、忘れてたんだろうって……なんで――」
家族のことも、この世界に呼ばれる前になにがあったのかも。
覚えていれば、なにかが変わっていたかもしれない。
蝶子は必死になって魔族と戦わなかったかもしれないし、勇者なんてやらないと言って他の生き方を選んだかもしれない。
あるいは、やけになって魔王に最初から挑みに向かったかもしれない。
かもしれない。
かもしれない。
かもしれない。
せき止められていた蝶子の感情が、決壊したかのようにあふれ出して、あり得なかった「かもしれない」を語る。
そんな蝶子を抱きしめたフォルトは「うん、うん」と頷くことしか出来なかった。
全ては終わったことだ。後悔という形で語られて消えるだけのたとえ話。
だけれど、元の世界に帰るという唯一の希望を潰された蝶子に突きつけるには酷な現実。
フォルトは神殿長と目が合った。
彼女は黙って首を振る。
ふたりには通じるものがあった。
――どうして、こんな大事なことを忘れていたのか。
蝶子はそう言って嘆いた。
だが、感情を取り戻してきた蝶子を見て、フォルトは薄々感じていたことがあった。
それが今、この場で確信に変わった。
――どうして、こんな大事なことを忘れていたのか。
(それが女神の加護だった)
勇者が――呼びかけを信じるなら己の愛し子が壊れてしまわないようにと与えた加護と呼ばれる力。
人間から見れば呪いに近しいそれは、過酷な状況に置かれた人の子に、せめてもと女神が与えた愛だった。
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