第25話 臆病になるのは
神殿に行こうと決めれば、善は急げとフォルトはさっそく荷造りをはじめた。
「ねぇ、フォルトさん」
「着替えはこれで……あとは……。ん、どうした?」
「神殿に行くなら、私が連れて行くよ?」
「ああ、もちろん。一緒に行くんだ」
「そうじゃなくて、連れて行けるって」
首を傾げるフォルトに、蝶子は「勇者特典」と呟いた。
「私、一回行ったことがある場所なら、転移できるよ」
「へっ!?」
「パッと行ける。……フォルトさんは、便利に頼りすぎるとだめっていうけど、これくらいならいいと思うんだ……ほら、時間の節約にもなるし」
節約。
それはフォルトが好きな言葉のひとつだ。
時間の節約、それはなんと甘美な言葉だろう。
だが、神官として過ごしてきた日々が、それはちょっとどうなのかと待ったをかけてくる。
(おい、フォルト! ここに来た時のことを思い出せ! 大荷物抱えて、ひーひーいいながら時間をかけただろう! あれもまた精神修行! 神官らしく、ここはまた大荷物背負って鍛錬を……)
(馬鹿フォルト! チョーコは、元の世界に帰りたくて色々調べているんだぞ! はやければ、はやく着くほど喜ばしいにきまっている! それなのに、お前の主義主張を押しつけて、あの子の邪魔をする気か! けしからん!)
(だが神官であるならば――)
(大事なのは、あの子の心に寄り添うことだ!)
(ええい! だが、楽に流されるのは神官らしくない――)
(唸れ、黄金の右ぃぃっ!!)
脳内で神官フォルトと割烹着フォルトの分身が舌戦を繰り広げ、最終的には割烹着が神官を殴り飛ばし脳内から追い出し、結論が出た。
「そうか。それならば、よろしく頼むよ、チョーコ」
「う、うん。……役に立てそうで、よかった」
どう思われるか不安だったのか、蝶子は安心したように肩の力を抜いた。
フォルトはその様子を見て、自分(割烹着)の判断は間違っていなかったと知る。
「ああ、でも……チョーコは神殿を訪れたことがあるのか?」
「うん。一回だけ。神殿長って名乗った女の人が、旅に出る前に話があるからって」
「……神殿長が? なにか、言われたのか?」
フォルトが知る限り、神殿長である女性は人格者だ。
勇者に対するフォルトの偏った考えを咎めたのも彼女だったし、最初から勇者……蝶子よりの立場の人物だったといえる。
それでも、神殿長が蝶子とふたりきりで、しかも神殿に招いて話をしたことがあるとは知らなかった。
「旅の安全を祈らせてくれって、それだけ」
「……そうか」
あの方らしいとフォルトは呟く。
せめてもの罪滅ぼしだったんだろう。
いちはやく勇者の正体を見抜いていた神殿長にとって、年端もいかない少女のために祈ることは。
「あと、困ったことがあったらいつでも言ってって」
「え……」
前言撤回。それは、破格だ。
言い方は悪いが、勇者は王家の管轄下にある。
魔王討伐の旅が、不完全な形で終わった現在もそうだ。
それなのに、困りごとがあれば頼れとは――王家とぶつかる可能性だって高いのに、破格の対応なのだ。
「……忘れてた。今の今まで。……この世界にも、ちゃんとわたしを見てくれた人がいたのに」
「…………」
忘れてた?
そうだろうか。
蝶子は無意識に分かっていたのではないだろうか。
自分が神殿長を頼れば、彼女に迷惑をかけると。
自分が懇意にすればそれだけ王家の癇に障ると。
だからこそ、今も彼女はひとりきりで、森に閉じこもっているのだ。
「……蝶子」
「うん?」
「俺は今日までのことを神殿長に報告する。君のことを……君がどうしているか、知りたがっている人が結構いるんだ。世話係として、色々聞かれると思うから――」
「あ、そっか。……うん、大丈夫。フォルトさんが困らないよう、好きなように話していいよ」
それはつまり、蝶子の秘密を必要とあらば全部明かしてもいいということで――。
(……気付いてた?)
フォルトは、真っ黒な蝶子の瞳を見つめた。
――もしかして、この子は最初から、自分が特定の意図を持って近づいてきたと気付いていたのだろうか。
それなのに、信じて手の内を明かしたのか。
「君は……」
初めは気味が悪いと思っていた黒い瞳。
フォルトはこの時、初めて知った。
蝶子の瞳は、星空のようにキラキラと輝いていて、とても綺麗なのだと。
「……君は、強いなチョーコ」
「勇者だからね」
「勇者だからじゃない。――きっと、君自身の強さだ」
分からないと首を傾げる蝶子だが、少し照れくさそうに見えてフォルトもなんだか恥ずかしくなった。
(ああ、なんだろうな――胸が痛い)
辛いとか悲しいとか、腹立たしいとも違う。
蝶子を見ていると、胸が締め付けられて、手を伸ばしたくなる。
たぶん、衝動に任せてそうすればきっとこの、どこか甘い胸の痛みは治まるのだろうけれど……。
手を伸ばせば、壊れてしまうかもしれない関係が恐ろしいとも感じる。
(君は強い。俺は……意気地無しだな)
だって、そばにいたいと思ったのだ。
どんな形でも、この子が去るその時までそばにいたいと。
――抱いた思いは、これまで誰に対しても臆することがなかったフォルトを、少しだけ臆病にした。
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