第17話 神官にも、その傷は癒やせない
朝食を終え、後片付けをしていたフォルトは無意識にぐっと歯を食いしばった。
(あんな思いをしてたなんて……)
蝶子が吐露した内心は、ひどく悲しいものだった。
彼女の自覚がない分、余計にフォルトには痛々しく思えた。
それでも彼女は、間違っていたのではないかと自分を省みている。
こちら側を責めて、嫌って、恨んで当然なのに。
――勇者という存在は、みんなこうなのだろうか。
こんな風に、心がきれいで……きれいすぎて危ういからこそ、女神に絶大なる加護を授けられるのだろうか。
フォルトは、そんな風に思えて仕方がなかった。
どうして、自分は勇者を傲慢だなんて思えたのか。
己のことを棚上げするつもりは毛頭ないが、勇者に対する認識が神殿長のような特殊な人物をのぞき、だいたい似たり寄ったりだったことを思い出した。
そもそもの原因は、一年前の謁見の間――。
(……そういう風に、印象付けるのが狙いだった……?)
謁見の間で初めて見た勇者の姿は、不敬そのものだった。
さらに、そこだけ都合よく切り取れば、役目もそこそこに放棄して褒美だけを強請る、傲慢な勇者に映る。
本来なら、勇者の功績を広く知らしめることもできた。もっと環境のいい場所に家を建てることだって。
王家が、国が、勇者という存在を持て余しているのなら、神殿が保護することだってできたはず。
けれど、国の中枢は人々が抱いた勇者への失望を払拭せず放置し、静かに暮らしたいだろう彼女の元へ、世話係と偽り自分のようなものを送り込んできた……。
(神殿の保護は、王家が拒否したんだったか。力の偏りが起こるとか言って……。監視は、罪悪感からくるものだと思っていたが……)
少なくとも、フォルトが見た神殿長は罪悪感を抱えていた。
だが、この依頼をしてきた大本はどうなのか。
勇者の……いや、蝶子という自分たちの都合で呼び出した少女への扱いを思うと、いいように使って、使い道がなくなったら捨てて、でも他の誰かに拾われるのは許さない――そんな風に思える。
上に立つ者の……いや、救われることを、勇者が自分たちのために働くことを当然としてきた者達故の傲慢さなのか。
(――恥ずかしい)
自分もその一部であることを、フォルトは恥じた。
加害者意識がまるでなかった自分を、最低だと殴り飛ばしたいほどだ。
蝶子の思いは、蝶子がこの世界で受けた扱いは――決して無視していいものではない。なぜなら、それらは全て彼女の傷であり、不治の病だ。
(俺が治してやれたらな)
光属性が得意とする中に、治癒術がある。
フォルトは特に秀でた癒やし手だ
だが、それも万能でなく――心の傷は、癒やせないのだ。
「フォルトさん」
「うわぁっ!」
急に黒目がちな瞳が視界に入ってきて、フォルトは仰け反って叫んだ。
その拍子に、洗っていた皿がすぽんと手から抜けてしまう。
「あッ!」
「ん。びっくりした」
皿が無残なことになる前に、なんなくつかみ取った蝶子だが、特に驚いた様子もない。ただ、よく観察すれば目がパチパチと瞬きを繰り返している。
「わ、悪かった」
「ううん。考えごとしてたの? 急に声をかけてごめんなさい」
「い、いや、大丈夫だ。ぼーっとしていた俺が悪い。なにかあったのか」
「……えぇと……なにか手伝うことはないかなって、思って。……邪魔なら、上にいくけど……」
よく見れば、その黒い双眸が不安そうに揺れていたり、緊張を伝えるように頬が赤くなっていたり――彼女の変化を知る術は無数にある。
きっと謁見の時だって、きちんと見れば気付いただろう。
勇者という人間の人柄に。
こうして接して、一生懸命で心優しい女の子なんだと気付けたように。
その機会を逃した自分は、大馬鹿だと思う。
だから、今度は――。
「皿洗いが終わったら、ジャムを作ろうと思ってるんだ。チョーコ、手伝ってくれるだろ?」
「――っ! ……うん……、頑張る」
ほんの少しだけ持ち上がった口角を目の当たりにして、フォルトの胸の奥がきゅんと不可思議な音を立てる。
「……っ……よ、よし。なら速く洗ってしまわないとな」
「だったら、魔法でやるよ?」
「い、いや、それはダメだ! 楽に慣れたらいけない! 自分で出来ることは、できる限り自分でしないと」
「……そうなの?」
「そうだ」
「そうなんだ。……うん……フォルトさんは、すごいね」
純粋に尊敬の目を向けられて、フォルトは泣きたいんだか叫びたいんだか分からない衝動に襲われた。
――今度は、自分の目でしっかりと見るのだ。
そう決意して、分かってしまったことがある。
(……チョーコは、素直で優しくて健気で……だめだ……かわいい……つらい……)
そんな気持ちを抱いてしまったことが、いけないことのような気がして、フォルトはしばしチョーコの黒い目を見られなかった。
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