第46話 北へ向かう

 セレステに戻ってからは特に大きな事件もなく、たまに酔っぱらいが転がっているのを運んだくらいだった。

 平和だなー。

 休みの時に剣とか弓を訓練したくらいで、武器には殆ど触っていない。

 こんな穏やかな日常に慣れてしまった俺が、このままストレステに行って大丈夫なんだろうか……


「頼む、ガイエスも一緒に考えてくれ!」

 やたら真剣な顔でそう言ってきたキエムに何事かと尋ねたら、港の印章を作ってもらった対価に何を用意していいか解らない……という平和な悩みだった。

「すっごく格好良い印章を作ってもらえたからさ、うちの港の自慢のものを送りたいんだけど……」

「自慢……って……不銹鋼か?」

「いや、その人、不銹鋼を作ってる町の人なんだよ」

「なるほど。そりゃ、意味がねぇな」


 セレステの港は造船港で何かを水揚げしたりしていないし、作物なんかを育ててもいないし、他の土地からの物品が入ってくるわけでもない。

 このセレステで最も自慢のものは『技術』だ。


「あんた達の造船で培った技術を、見せてやったらいいんじゃないのか?」

「技術? つまり、なんか作って、それを送るってことか。確かに……素材や食い物じゃなきゃいけねぇとは、言われていないもんな」


 キエムがぶつぶつと言いながら考え込んでしまったので、俺は警備の仕事に戻った。

 見せてもらった印章は、確かに格好良かったな。

 これからはこの港で作られたもの全てに、あの印章が付くらしい。

 俺がいる間には……見られないかもな。



 冬の冷たかった風が緩んできた。

 海から温かい風が、港に流れ込んでくるようになった。

 ストレステとの国境はセーラントの最も北の山間だからまだ寒いだろうが、そろそろここを発つ時期だ。


 バイスがしょんぼりとした顔で、もっといればいいのに……なんて言う。

 キエムからも本当ならずっといて欲しい、と言われた時はちと心が揺れたが、やっぱり迷宮の魅力には逆らえない。


「いつでも戻ってきてくれ。あんたはもう、この港の一員なんだからな!」

「ありがとう……世話になったな」


 キエムと握手をして別れる。

 バイスもリーバンも、他の港の連中もみんなが見送ってくれた。

 また必ず来る、と約束はできないから何も言わずに、ただ手を大きく振って港を出る。


 こういう時、方陣門は便利だ。

 あっという間に、まったく別れの感情が届かない所まで移動できる。

 魔法師組合の事務所に立ち寄り、依頼完了報告をする。

 報酬額が上乗せされたのか、とんでもない金額を受け取ることになった。


 その後、ロカエの冒険者組合にも寄って段位の確認を頼んだ。

「あなたの仕事は、とても良い評価ばかりですのね」

 受付の女性にそう言われて身分証を確認したら、『金段二位』まで上がっていやがった。


 まったく、イグロストの連中はお人好しばっかりだ。

 おかしいな、嬉しいはずなのに。

 なんでこんなに泣きそうな気分になるんだろう。


 絶対に生きて帰って、必ずまたセレステに行こう。



 ロートアに寄って燻製肉と干し肉、そして堅めの乾酪と何種かの香辛料と調味料を買い込み、国境に一番近い町・ガエテを目指す。

 ガエテでは新年になると同時に、国境越えに出発する冒険者で溢れるのだという。

 だが、焦る必要はない。


 馬車移動で半日。

 俺は、ガエテの少し手前の村に立ち寄った。

 この村はガエテまで歩いて行ける位置にあるのに、殆ど冒険者達はおらず宿が取りやすい、と魔法師組合で確認してきている。

 そしてその通り、いい宿が取れてゆったりと寛げている。

 ガエテまで行った連中はこの時間になど宿が取れず、また時間的に引き返すこともできずに、町中で野宿する奴も出るのだそうだ。


「ほほぅ、あんたさんは賢いお人のようじゃの」

 そう言って、ほっほっほっ、と笑う爺さんの宿は、食事も旨くて寝床もめちゃくちゃ気持ちが良い。

 冒険者の中にも幾人かはそういう奴もいたようで、俺の他に五人程同じ宿に泊まっている。

 互いに自己紹介などすることはないが、目的地は同じだろう。


 三日程、その宿で過ごす。

 そうしている間に焦ってガエテに入った奴等が国境の山へと入ってしまうので、それからゆっくりとガエテに向かうのだ。

 俺が辿り着く頃には、国境門の混雑も緩和しているだろう。

 一日目に一度、歩いてガエテに入っておく。

 店や組合事務所の位置などを確認し、必要そうな買い物だけをして村へ戻る。


 これで俺は方陣門での移動ができるようになったので、国境を越えるために必要な手続き書を魔法師組合に発行してもらう。

 冒険者は身分証を見せるだけで国境を越えられるのだが、イグロストで魔法師として登録している俺は出国の報告をしなくてはいけないのだ。

 そうでないと行方不明扱いになってしまうらしく、下手すると捜索隊が出ちゃうらしい。

 流石にそういう事態は避けたいので、手続きはちゃんとしなくては。


 二日目、ガエテの魔法師組合で出国の手続き完了。

 他国在籍であっても二等位魔法師は無条件で再入国が許可される上、入国税がかなり安くなるのだという。


 そして三日目の朝、村の宿で朝食を食べてすぐにガエテの国境門へ続く道に入った。

 朝イチでこの道に入れば、昼前に国境門に着ける。

 そしてその後、山を下っていけば今日の夕刻までには、ストレステ国内に入ることができるわけだ。


 同じように考えた者はそれなりに多かったようで、二十人くらいでの移動となってしまった。

 だが、思っていたほど歩く速度が遅くはならず、順調に山道を登っていくと予定通り昼前に山頂付近の国境門に辿り着いた。


 門は、大きく開いているわけではない。

 この国境への山道は、馬車や馬を使うことができないので全員が徒歩だ。

 だから特別に大きな門など必要なく、ひとりずつ通れる扉が四つある。

 どの扉に入るべきかは、門の前に立つストレステの役人が決めるみたいだ。


 身分証を確認しそれぞれの扉へと振り分けていくが、一番右とその次の扉が列になっている。

 何を基準に振り分けているのだろう?

「次、おまえの名を言え」

 横柄な門番だが、下手したでに出たら舐められる冒険者相手なのだから仕方あるまい。


 俺は名を告げて、取り出した身分証を裏返し、鑑定板の上に乗せる。

 ぴくっと門番の眉が動き、俺と身分証を見比べてにやり、と笑った。

「ようこそ、ストレステへ」

 そう言われて、俺が案内されたのは……一番左の門だった。


 誰ひとり並んでいない門からあっさりと入国を許可され、しかもその後に身体検査も何もない。

 あとは急な山道を下り、第二外壁まで辿り着くだけ……と思ったのだが、目の前にその外壁門があった。

 後ろを見ると俺がたった今通ったはずの門は、はるか彼方の上方にある。


「なるほど……一番左は方陣門だったのか」

 これはおそらく、優遇措置という奴だろう。

 金段だからなのか、イグロストの魔法師だからなのか。


 第二外壁の門は大きく開かれ、その日一番の到着者である俺のために開けられているかのようだった。

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