臆病者の恋文
藤村灯
第1話 臆病者の恋文
『ないしょだよ』
声に出さずにそう囁き、唇に立てた人差し指を添えてみせると、栞はその場を後にした。
昼休みの図書室。書架に並んだ本の隙間から、偶然視線が合っただけ――いや、偶然は嘘だ。わたしはいつも栞を目で追っているから、今回はうっかり見咎められたというほうが正しい。
いつも見詰めていたことに、気付かれてしまっただろうか。
焦燥と羞恥と罪悪感がない交ぜになった感情に心乱されながらも、わたしは栞の残した言葉の意味を考えていた。
いつも通りの昼休み。いつものように図書室へ向かう栞の後を、いつものようにわたしも付いてきた。
いつもと同じ昼休み。いったい何が『ないしょ』なんだろう?
書架ではなく中空に視線をさ迷わせるわたしに、貸出カウンターの中の図書委員が不思議そうな視線を向けている。
あいまいな笑みを浮かべてごまかすと、わたしはさっきまで栞が立っていた棚の前に移動した。
料理関連の本が並ぶコーナー。中には料理史のようなお堅いものもあるが、ほとんどは実用的なレシピの載るムックの類。女子校だからという訳でもないだろうが、その数は極めて多い。
良妻賢母。良き妻であり賢き母であれ。女だから料理をするのは当然だというのは、さすがに時代遅れの性差別だ。現にわたしがこの棚を眺めるのは、これが初めてなのだから。
料理関連書の棚は文芸書の棚のように、著者順、五十音で並んでいるわけではなく、どこか雑然としている。利用者が多く、整理が間に合わないという訳でもないだろうに。
簡単なお弁当のおかず、チョコやクッキーの作り方。クックパッドを見れば済む定番のものも多いが、発売されて間もない、料理好きで有名な芸能人のレシピ集は、普段キッチンに立たないわたしでも興味を惹かれた。
栞が本を選んでいたのはこの辺りか。見当を付け、確認しながら背表紙に指を滑らせる。『明日のお弁当にもう一品――レパートリーを増やせるアイデアレシピ集』、『イタリア料理史Ⅱ~ルネッサンス後期』、『自然満喫! アウトドアクッキング』、『テトラグラマトン~力ある言葉~』――
「?」
場違いなタイトルに、思わず指が停まった。黒い背表紙のハードカバー。見るからに怪しい本だ。
抜き出してあらすじに目を通し、パラパラとめくってみる。神や悪魔といった単語に、魔方陣のイラスト。詳しくはないけど、どうやらオカルト系の本のようだ。
「うー……ん?」
間違っても、料理に関係があることは、一文たりと書かれていない。借りるつもりで持ち歩いていたが気が変わり、元の場所に戻すのが面倒で押し込んだのだろうか。
思い返すとこの棚に来る前に、栞が黒い本を手にしていたのを見たような気がする。
「栞が、ここに?」
読書好きで図書室の常連である栞が、借りる気のなくなった本を適当な棚に置いて帰る姿は、どうにも想像できない。わたしの思い違いだろうか。それとも、
「秘密の文通だったり?」
そんなシーンを、漫画だか映画で見たような気がする。ページをめくり確認してみるも、メモや封筒が挟まれていることはなかった。
本を手に首を捻っていると、再びカウンター奥の図書委員と目があった。メガネの似合う、いかにもな文学少女――タイの色からすると三年、上級生だ。
にっこり笑って首を傾げる先輩に、同級生へのストーキング行為を見透かされている様な気分になったわたしは、探していたものを見付けたふりをして、黒いカバーのオカルト本を手にカウンターへと向かった。
「珍しいものに興味があるのね。恋のおまじないとか?」
「え? へへっ。……そんなところです」
図書委員がいちいち貸出する本の詮索をすることはないのだが、先輩にとってもやはり目を引くタイトルだったようだ。
そのまま空いてる席を見付けて読んでも良かったが、声を掛けてきた先輩の目の届くところでは気恥ずかしい。そそくさと図書室を後にしたわたしは、人の来ない屋上への階段に腰を下ろした。
流し読みした黒い本は、とてもじゃないが先輩の形容するような、可愛らしい代物ではなかった。
愛や信用を勝ち取る魔術といった、それらしい記述もあるにはあったが、目に付くのは呪いだの悪魔だのといった物騒な言葉ばかり。実効性のあるなしはともかくとして、あまり穏やかな気持ちで読むような本とは思えなかった。
「栞、なにか悩みがあるのかな……」
午後の授業の間じゅう、後ろの席から盗み見る栞の表情はいつもと変わらない。栞が抱える憂いがどんな種類のものなのか、わたしには見当もつかなかった。
放課後。栞がいつも通り図書館へ向かうのを見送ってから、わたしは例の本を取り出した。何度調べてみても、書き込みやドッグイヤーのたぐいも見当たらない。そぞろなままページを繰るわたしの前に、いつの間にか退室したはずの栞が立っていた。
「かなめ、今日は図書室行かないの?」
忘れ物でもして引き返してきたらしい。わたしが慌てて机に仕舞い込む前に、栞の視線は黒い本に絡んでいた。
「それ……借りたの?」
「え、あ……違っ――」
困惑。怒り。羞恥。焦燥。落胆。栞の浮かべた複雑な表情の意味を掴めず、狼狽えるだけのわたしに、栞は
「……そう」
とだけ小さく言い残し、教室を後にした。
どれだけそうしていただろう。いつものように栞を追って帰ることも出来ないわたしは、ひとり夕日のさし込む廊下を歩き、図書室へと向かった。
「あら、もういいの?」
黒い本をカウンターに置くと、返却された本を書架に戻す作業をしていた先輩がわたしに声を掛けた。
「結局わたしには、なにも分からなかったみたいで……」
からっぽの心のまま、料理コーナーの前に立つ。『明日のお弁当にもう一品――レパートリーを増やせるアイデアレシピ集』、『イタリア料理史Ⅱ~ルネッサンス後期』、『自然満喫! アウトドアクッキング』。一冊分のスペースのあと、『ル・ジャルダンドオル』。わたしが借りたオカルト本は、この棚に戻ることはないだろう。
「……先輩が一人で返却作業までするんですか?」
「いつもは二人で当番になるんだけど、今日はたまたまね。棚整理が性に合ってるから、二人の時もカウンターの方は相方に任せることが多いのだけど」
『明日のお弁当にもう一品――レパートリーを増やせるアイデアレシピ集』、『イタリア料理史Ⅱ~ルネッサンス後期』、『自然満喫! アウトドアクッキング』、『テトラグラマトン~力ある言葉~』、『ル・ジャルダンドオル』。空いたスペースに黒い背表紙を思い浮かべる。 『ないしょだよ』という仕草をする前に栞が見ていたのは、カウンターの中の先輩だったということに、わたしは遅まきながらようやく気付けた。
「ああ、その棚ね。ひとりではなかなか手が回らないけど、私も気になってたから今日にでも整理するつもりだったの」
ばかだ。毎日図書館に来て眺めるだけで。少し言葉を交わせればそれだけで、天にも昇るほど嬉しかったのだろう。
『明日のお弁当にもう一品――レパートリーを増やせるアイデアレシピ集』、『イタリア料理史Ⅱ~ルネッサンス後期』、『自然満喫! アウトドアクッキング』、『テトラグラマトン~力ある言葉~』、『ル・ジャルダンドオル』。
ばかだ。図書委員の中で、先輩が一番几帳面だというただそれだけで。目を引くオカルト本を組み込んでみたところで、頭の文字に仕掛けた恋文に気付いてもらえる可能性どころか、見てもらえるかすら確かではないのに。
ほんとうにばかで臆病者だ。でも、同じばかで臆病者のわたしには、栞の気持ちは痛いほど良く分かる。
『自然満喫! アウトドアクッキング』、『お料理レシピ集 主婦の味方別冊5』、『料理だいすき! ナカちゃんと作る愛情弁当』、『外食・中食産業振興報告'18』、『スイーツいっぱいグルメレストラン巡り』、『キッチンファイター諒』
返却作業を続ける先輩の目を盗み、本を選んでこっそり並べ替えた。これから整えられる棚に仕掛けたわたしの告白は、決して栞には届かない。
END
臆病者の恋文 藤村灯 @fujimura
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