第1話 そんな未来はノーサンキュー
尊いな、ああソーマ様、ソーマ様。
うむ、いい句が出来た――なんて、ぼんやりと推しへの愛を思う。
なんだか、ずっとぬるま湯の中にいるような不思議な感じ。
目が覚めているようで、眠っているようで……ずっとこのままでいたいなぁ、なんて思っていた。
何の変化も刺激もない、この静かな世界で…………。
『母上!』
『お逃げなさい――! こちらに来てはなりません!』
……あれ?
なんか、うるさい?
『嫌です! 母上を置いていくなんて……!』
『あなたは、我が公爵家の嫡男! あなたさえ無事ならば、わたくしは……ああっ!』
『母上っ、母上ぇぇっ!』
いや、本当にうるさいな、何事!?
こんなんじゃ、目が覚めちゃうじゃん!!
ああ、もう、良い気分で寝てたのに……!!
(……は? なにこれ?)
のんびりとろとろの微睡み状態から意識覚醒した私が目にしたのは、病院の天井などではなく、薄暗い洋室……洋風のお屋敷か?
そして、男の子が私のすぐそばで震えていた。
(え、どこの子?)
男の子は一点を凝視している。
私は彼の視線を辿って、危うく悲鳴を上げそうになった。
ふかふか絨毯が敷かれた床に、なにか黒くて大きな塊が動いている。
よく見れば、その大きな塊の下には人がいる!
スカートが見えるから女の人だろう、けど……。
(ま、待って、なにあれ、た、食べてる?)
大きくて、うごうごカサカサ動く、黒い塊――。
(こーゆーの見たことある! めっちゃヤバい奴じゃん!)
我が、二十一年のオタ人生。
嗜んだゲームは、ジャンル問わずそこそこある。
その中の一つ……荒廃した近未来を旅するゲームに、多くの人が嫌う黒光りするアイツ――通称Gがモンスターとして出てきたのだ。
モザイクなし。
姿オフ機能なし。
問答無用で迫りくるそれは狂暴で雑食で、人を見るなり食料だと襲いかかってくる。序盤から出没するので、私はいつも鬼の形相で銃連射していたことを思い出す。
(つまり、女の人は狂暴な巨大Gに襲われて死んじゃって……次にアレが狙うのは……この子?)
――私の予想は外れなかった。カサカサと鳥肌物の音を立ててアレが動く。
中央に赤い球がふたつ。
なにあれ、目玉?
え? ゴ……――名前を言ってはいけないアレって、目赤いの?
(進化? え、なんのために? ビーム的なものを出すの? えぇ~?)
待って、これ、私の知ってるGと違う?
「く、来るな……!」
男の子が震えた声で叫ぶ。
カサカサカサと、黒い塊はまるで嘲笑するように音を立てた。
「父上、父上、助けて……!」
『無駄だ、貴様の父は今頃余所の子どもに夢中で助けになどこぬよ』
人の神経を逆なでするようなムカつく声が、どこからともなく聞こえる。
まさか、このG、喋ってる?
「う、嘘だ、父上、父っ……!」
『それとも、その鏡に縋ってみるか? 未だ覚醒できぬなり損ないの精霊にでも』
男の子がじわじわ後退してきて、私にぶつかった。
コツン、と固い音を立てる。
(ん? 固い音?)
そういえば、私はなんでこんな状況で黙っているんだろう。
どうして、動かないんだろう?
『お前も、精霊の幼体もまとめて食ってやるさ!」
「助けて……!」
自分の状態がよく分からないでいた私を、男の子が見上げた。
ぺたりと、私に……私たちを隔てるように存在する、一枚のガラスに手を置いて、彼は叫んだ。
「鏡よ鏡! お願いだから、応えてくれ……!」
――鏡? それってつまり……。
(私か!?)
『無駄だ!』
Gらしい素早い動きで飛びかかってきた黒いアレと、泣き叫ぶ男の子。
私は慌てて男の子の方へ手を伸ばす。
そのまま、Gに効くものと思い、とっさに思い浮かべたアイテムの名前を叫んだ。
「さっちゅうざーーいっっ!!!!」
伸ばした手は、どういう理屈かしらないけれど、たしかに鏡を通過して男の子に届いた。
同時に、目を開けていられないほどの光が部屋を満たして私は男の子を抱きしめ、きつく目を閉じる。
――しばしの沈黙。
「……おい」
「怖いよ怖いよ黒い悪魔怖いよぉぉ!」
「おい! いつまでしがみついているつもりだ!」
「え?」
目を開けると、思い切り振り払われた。
思わずよろけると、男の子が「あっ!」と小さく声を上げる。
だが、私がじっと見ていることに気付くと、たちまち目がつり上がりにらみ返してきた。
「お前、鏡の精だな?」
「え? えぇと……」
「鏡の精だろう! 鏡から出てきたし、変な呪文を唱えて
「殺虫剤は虫嫌いの心強い味方の象徴ってことで、とっさに口にしただけで呪文じゃないし、鏡から出たとか言われても必死だったから分からないし……そもそも、あれはゴキ……――待って、瘴魔?」
そう言っているだろうと、吐き捨てる男の子。
ずいぶんな態度だと思うが、瘴魔という言葉が気になった。
だってそれは、あるゲームで聞いた単語だったから。
「瘴魔って、まさか……邪霊が生み出したっていう……」
「……知っているんじゃないか。――ならばお前は、知っていて……っ」
男の子の目が潤んだ。
「知っていて、母上を見殺しにしたのか!」
「はぁ!? いやいやそれは……」
「なんでもっと早く出てきてくれなかったんだ! そうすれば、母上だって……! お前なんて、お前なんてっ……――消えてしまえ!」
まくしたてて、男の子は走り去った。
残された私は、どうしようか迷ったものの、倒れている女性へ近づく。
「あ、あの~……もしも……っ!」
そして、ひっと息を呑んだ。
女性は、息絶えていた。
このままにはしておけないだろうと、私は床に落ちていた布を拾い上げ彼女の体にかける。
そして、男の子の言葉を思い出した。
(鏡の精、瘴魔……)
ふたつの単語には、覚えがある。どちらも、同じゲームで聞いた言葉だ。
(……これって、アレだよね――異世界転生、それも乙女ゲームにってヤツ)
そのゲームのジャンルは乙女ゲームだが、いわゆる育成RPG要素が入ってて、瘴魔はいわゆるモンスターのことで、倒すと経験値が入った。
そして、鏡の精はというと……。
(あのゲームの黒幕で……瘴魔生み出してる邪霊そのものじゃなかったっけ?)
そう、ラスボスです。
(――じゃあ、私は自分が産みだしたものに襲われたの?)
でも瘴魔って、ゲーム画面だと黒いモヤモヤの塊で目らしきものが光ってるっていう平和的なグラフィックだったんだけど?
(現物って、あんな……Gもどきなの? さすがに、あんなもん画面にでーんと表示されたら乙女泣くわ。スタッフさん、グッジョブ! ん……あれ? っていうか……私がラスボスと仮定すれば、あのGみたいなのって……私が作ったの!?)
まさかの製造主、私?
うげー、あり得ない!
私ならもっとファンシーで可愛いの生み出すよ!
人を襲わないで、霞だけ食べて生きていけるような、超無害なヤツ!!
(……なーんてこと言って、現実逃避してる場合じゃないな)
――本当にもう、冗談じゃない。夢なら早くさめてほしい。病院のベッドあたりで目を覚まして、心配かけるなと幼馴染みに怒られたい。
だって、私が本当に鏡の精なら、最期は復活を目の前にしてプレイヤーの分身であるヒロインと攻略キャラに倒され、鏡砕かれて消滅エンドが確定してる。
だけど、恐ろしいことにこの夢、いつまでも覚める気配はない。
そして、申し訳ないがいつまでも死体とふたりきりは嫌だ。
あの子もキレ散らかして出て行って、戻ってくる様子もないし――。
(よし! ――逃げよう)
超高速で、答えは出た。
だって、ここには不吉なキーワードが揃いすぎている。
瘴魔、鏡の精――それから、あの男の子。
鏡の精がラスボスの乙女ゲームには、ヒロインに屈折した思いを抱える敵キャラが出てくる。
黒幕である鏡の精に魅入られ、手足のごとく使われている彼は、ファンの間では「かませ令息」としていじられていた。
なにせ、やることなすこと中途半端、攻略対象やヒロインを嵌めようとしても、詰めが甘い。「今日はこれくらいにしておいてやる」というセリフを素で言う。
本人は自分は魔力が高く優れた人間だから、鏡の精を使役している側だと思い込んでいる――等々「あらら」感の強い悪役だ。
だが、それよりもなによりも重要なのは、彼……――悪役かませなお坊ちゃんこと、ルヴァイド・フォン・ルーカッセンは、声帯が我が最愛の推しソーマ様と同じだったことだ。
だけど、辿る末路は磁石のS極とN極ほど違う。
ルヴァイドの最後は、操られていただけだからとフォローが入り、庶民落ちでエンドを迎える。
そう、ルヴァイド・フォン・ルーカッセンは、死なないのだ。
おかしいでしょ!
中途半端な悪役(笑)って言われてるけどルヴァイド、けっこうエグい事もしてるんだよ?
人を使ってヒロインを襲わせたり、家柄の低い子をいじめたり、手柄を奪ったり、悪評を流してヒロインの評判を落としたり……それなのに、「操られてたから仕方ない」という謎の恩情をかけられ、庶民落ちで解決!
対してソーマ様は「悪役向いてない(笑)」とファンに言われるようなキャラだった。仲間内で諍いがあれば真っ先に仲裁役にまわり、落ち込む仲間を励まし、下っ端戦闘員を庇い……なんで貴方、敵側なのってくらい善良だったのに――最期は爆発四散で誰にも触れられずお終い。
そんなんだから、ふと思ってしまった。
――お前はいいよなぁ、って。
同じ声帯を持つのに、お前はいいよなぁ。
庶民落ち程度ですんで、人生やり直せる可能性あるもんなぁ?
え? 私のソーマ様? この間、人生終了したよ。
ワンチャン、転生にかけるしかないんじゃない?
私みたいにね!!
(ハッ! 違う、違う、そうじゃない――いくら妬ましくても、他作品キャラ下げはよくない! どんなキャラも、それぞれ推す人がいるんだから。自萎えは他萌え! よし、忘れないようにしないと!)
訳の分からない状況に混乱して、闇堕ちするとこだった。
これは、よくないと私は首を振って気合いを入れ直す。
(とにかく、いつまでもここにいるからダメなんだ。早く離れよう!)
決意し、私は窓を開いて外に飛び出した。
――そこから先は、よく覚えていない。
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