2 大人と羊の関係
このように、羊とはすこぶる相性が悪いアイシャだったので、ましてや彼らよりも巨大で気性が荒い
それなのに、駱駝よりも更に立派な体躯を持つ
理由は分からない。だが、彼らの知的な瞳や、灼熱の陽光に煌めく
「アイシャは竜が好きか。さすがはあたしの子だな」
飛べぬ翼を持つ巨大な
母が誇らしげにしてくれるから竜が好きなのかと問われれば、もちろんそういう面もあるのだろうけれど、断じてそんな可愛らしい甘えばかりではない。母のことがなくとも、アイシャは砂竜に魅せられていた。羊はあれほど恐ろしいというのに、我が事ながら心底奇妙なくらいであった。
砂竜の世話は若者の仕事であったのだが、竜は気高く、人を選ぶ。若者ならば誰でもこの聖なる獣を
ナージファは頻繁に、自身の相棒である砂竜マハの元へアイシャを伴った。アイシャもそれを楽しみにしていたし、マハの方も黒髪の小さな女の子が相棒ナージファの娘であることを理解しているようで、まるで姉が妹を見るような眼差しをこちらに送るのだった。
「アイシャも自分の砂竜が欲しいだろう」
砂漠の枯れかけた
「砂竜! くれるの?」
無邪気な問いかけに、ナージファは虚を突かれたような顔をした後、豪快な笑い声を上げて身体を起こす。なぜ笑われたのか分からないアイシャは頬を膨らませたが、その膨らみをつんと突かれたので、引っ込めた。
「ああ、大人になったらな」
アイシャは顔を顰める。大人になるとはつまり、何年も待たなくてはいけないということか。不満気なアイシャの表情を束の間観察して、ナージファはいっそう笑みを深めた。隻眼を囲む目元に年相応の皺が深まる。
「無条件に大人になれる訳じゃないんだぞ。羊を怖がっているうちはずっと子供のままだ」
「羊なんかより、マハとの方が仲良しだよ」
「それでもだめ。思い出してみなよ。羊に触れない大人、集落にいるか?」
いないのだから、反論の余地はない。だが、どうも腑に落ちなかった。
「でも、大人には勝手になれるんだって」
「誰がそんなことを」
「セルマ」
何の配慮もなくセルマを売った形になるのだが、幼いアイシャに悪気はない。
ナージファは額を抱え「あの婆」と小声で悪態を吐いてから、膝を屈めて幼子と視線を合わせた。
「そう。身体はね、生きて歳を重ねさえすれば大人になる。でもね、心は自分で育てるしかないんだよ。身体だけ大人で心が子供なんて、恥ずかしいだろ」
「どうして?」
「どうしてって……。変じゃないか」
「変。どうして?」
アイシャは首を傾ける。ナージファは何やらしどろもどろになりつつある。
「ほら、ナツメヤシ。見た目が立派でも、いざ噛んで中身が詰まってなかった時は残念に思うだろう」
「うん」
「それと一緒だよ」
「でもあたし、ナツメヤシじゃないよ。どうしてナツメヤシなの?」
「いや、それはたとえ話で」
きょとんとした表情の娘に、ナージファは閉口する。しばらく黙り込んだ後、いきなり頭を搔き乱してから、呻いた。
「ああ、あたしには真っ当なことを教えるのは無理だ! セルマ! セルマぁ!」
ここは集落からやや離れた砂丘の側。セルマが近くにいるとは初耳である。ナージファが悲痛な叫びを上げて初めて、腰の曲がった老女は砂丘の裏から現れる。情けないナージファの様子にセルマは、心底呆れた、といった表情をしたのだが、渋々こちらにやって来て、アイシャの頭を撫でた。
「アイシャ。砂竜の相棒はねえ、羊を怖がるような大人の所にはやって来てくれないんだよ」
なるほど、それは一大事である。放っておいても大人にはなるけれど、砂竜と相棒になるためには、どうしても羊を克服しなければいけないらしい。
アイシャはマハの黒々した瞳を見上げ、赤みを帯びた銀色に煌めく身体を視線で撫でた。砂竜が好きだ。その気持ちは、何にも代えがたい。アイシャは視線を戻し、セルマに頷いた。
「わかった。羊と仲良くなる」
セルマの皺だらけの手のひらが、スカーフ越しにアイシャの黒髪をくしゃりと撫でる。
「いい子だねえ」
「えへへ」
セルマは口の端を持ち上げて笑み、思わせぶりな流し目をナージファに送る。
仲睦まじく笑い合う二人を眺め、ナージファは苦虫を嚙み潰したかのような顔をしていたが、幼いアイシャにはその表情の意味は
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます