第3節 ―「誰のお陰で、今の自分があると思っている!?」―(2)
(2)
「はぁ…! はぁ、はぁ…!!」
アンナはあのあと、全速力で、宮殿敷地内のとある方向へと走っていた。
息を切らし、大きく腕を振って走り続ける、1人のメイド姿の若い女性。先程まで腹痛を訴えていた彼女が、今はまるで、その事が嘘であるかのように元気だ。
それもそのはず。アンナが告げた、あの腹痛での離席は、じつは“仮病”であった。
なぜ、仮病を使ってまで離席したのか? それは、アンナなりにどうしても解決させたい、正義というものがあったからである。その事を「あの方」へ告げ、助ける道を選んだのだ。
――こんなの、絶対におかしいよ! 明らかに「虐待」だよ!!
――聖子様なら流石に…! ううん。もう、気づいているのだと信じたい!!
――子供が、苦しみ続ける姿を見るなんて、もうイヤ! 私は、聖子様達を助けたい!!
「あ、いた…! 聖子さまー!!」
アンナが向かった先は、跳ね橋を通して渡れる正門とは別の、城壁裏側の地下トンネルをくぐった先に辿り着く、裏門奥の庭。
ハイビスカスやプルメリアの低木が数多く植えられている、南国らしい色彩をもったその庭園にて、2台の紺色に輝く日本製の
「あら、アンナ。どうしたの? 緊急かしら?」
聖子は降車して即、駆けつけてきたアンナに気づき足を止めた。ほか、使用人たちも同行している中での宮殿帰りだったが、聖子の対応に合わせ使用人たちも制止した形だ。
聖子は公務を全うしたのか、アンナが慌てた表情でかけつけてきてもなお、たおやかな面持ちだ。伊達に、国王の妃として身を置く人物ではない。アンナは悲しい顔でこう嘆いた。
「はぁ…! はぁ…! 聖子様…! はやく、礼治様たちお子さんを連れて、実家に帰られた方がいいです!! このままだと、危険です! 早く、ここから逃げて下さい…!!」
「え?」
なんと、アンナが申してきたのは、聖子に、彼女の子供達である礼治と聖治を連れて、あの国王から「逃げろ」という突然の通告であった。聖子は、目を泳がせながらこういう。
「どうして、急にそんなことを? アンナ、あなた大丈夫なの…?」
「陛下が… 礼治様を、新生児と同じように身体を縛りつけ、おくるみと哺乳瓶だけの生活をさせ、無理やり魔法を覚醒させろと、私達に命令したんです…! 二足歩行を禁止させ、食事はミルク以外、与えるなと…! そんな事をさせたら、礼治様が栄養失調で倒れてしまいます! こんなの、どう見ても『虐待』です!! 魔法の為だとかいって、まだ2歳の子に、そんな無茶な躾を与えるなんてあんまりですよ!! 信じて下さい、聖子さまっ…!!」
「え… うそ…!? あの人が、そんな事を…!!?」
アンナが告げた内容は、少し話の時系列が突飛してしまっているかもしれない。慌てているからが故、語彙力を失っているのだろう。多少は致し方がないのかもしれないが、それでも聖子には、アンナが一体何を言いたいのかが嫌なくらいに理解できた。
英治は、礼治をなんとしても「荒樫の第一王子」として恥じない存在にさせたいという名目で、無理やり聖治と同じ魔法が使えるようになるまで、どんな手でも使おうとしている。
聖子は心の中で、夫である英治に対し、初めて「許せない」という感情が湧いた。
子供が魔法を持っている、持っていないの差だけで、ここまで礼治が蔑まれるなんて――。それは妃である以前に、1人の“母親”として、到底無視できない問題であった。
聖子は、アンナを信じたのだ。なぜなら自分も少し前から、酷く心当たりがあるから。
「あっ… アンナ、後ろ」
聖子はアンナの意見に対し、賛同しようとしていた。が、その判断は大きな過ちに繋がる事を、すぐ視線の先に察したのだ。アンナが「え…?」と、涙声で顔を上げるが――。
「ほう? 私のしている事が『虐待』だと?? 国のトップに楯突くとは、随分といい度胸をしているではないか。世間知らずの生娘が」
「ひっ…!」
遅かった。気づかれてしまった。まさか、国王がまだ城に残っていたとは。
アンナは、もう逃げ場はないのだと絶望の表情を浮かべた。聖子も、一気に顔を青ざめる。
「忘れ物があって、城へ戻ったらこのザマだ。まさか女同士、そうやってヒソヒソと陰口を叩いていたとはな。私という王のお陰で、これ以上ない贅沢ができているというのに?」
「へ、陛下…! 違うんです…!! これには訳が!!」
「お前のような裏切り者の言い訳など、聞きたくもない。すぐにでも大臣に話をつけ、お前の人権をはく奪する禁固刑に処す。お前の家族や親戚を含め全員、禁固17年の求刑だ」
「!!」
耳を疑うような通告だ。まだ20歳そこそこの教育係に対し、この国王は自らの教育方針を否定されただけで、人権はく奪の重罪に課すと命じたのである。しかも、何の関係もないアンナの家族まで、17年もの禁固刑に処すという卑劣極まりない“おまけ付き”で。
「え、英治…! なにも、そこまでしなくていいじゃない…! それに何故家族まで!?」
聖子は、そのあまりのオーバーな通告に対し夫に否定を示した。赤子の聖治を抱えている中で「国王への指図」という、今の英治の精神状態を考えたら危険極まりない行為だが、若気の至りとはいえアンナをこんな理不尽から救いたいがための、聖子の優しさであった。
英治は、途端に人が変わったかのように、聖子を憂うような目で見つめた。
「聖子… お前も洗脳されている様だな。今夜、聖治が眠った後、2人きりで話がある」
質問の答えになっていない。
聖子は不安と恐怖に内心怯えながらも、英治を静かに睨み続けた。英治が時間の無駄にしたくないとばかりに、聖子の周辺にいる使用人たちにこう命令する。
「このアンナという裏切り者を、地下の牢屋へぶち込め! 処罰は、あとで私が呼び出した大臣が来てから、正式な通告を出す! あとは、お前たちの好きに甚振って構わない」
「!? 英治、あなたなんてことを…!」
鬼だ。悪魔そのものだ――。聖治の誕生、そして魔法の存在というだけで、誰がここまで国王が悪魔の様な存在と化す未来を、予想していたのだろう?
まるで、聖治の魔法という概念に、操られているみたいだ。だけど、それは違う気がした。なぜなら、その聖治の魔法に触れているはずの礼治が、歪む事なく純粋なままだからである。つまり、英治のその行動、その立ち振る舞いは、彼の“本性”である事を表していた。
アンナはその場から立ち上がる事もできず、全身を震わせ、目から大粒の涙を流していた。その両肩を、英治に命令された使用人たちが担ぎ、容赦なく城内へと連れていく。
聖子にとって、これ以上ない恐怖政治を見せられた瞬間であった。だけど、自分は王妃という強い身分を持っている。その“カード”を手に、聖子は怒りを吐露した。
「あなた、どうかしているわ! 一体、どうしちゃったのよ!? 聖治が生まれてから、明らかにおかしくなった! 今までそんな事をする様な人じゃなかったのに、どうして!」
英治は、そういって聖治を抱えたまま詰め寄る聖子から、背を向けるだけ。使用人たちはみな、憔悴したアンナを地下牢獄へと連れていって不在であった。英治は鬱陶しそうに呟く。
「私は仕事なんだ、邪魔しないでおくれ。さっきも言った通り、話の続きはまた後でな」
英治は、そういって正門の通りへと去っていった。聖子は、怒りで身を震わせた。
………。
だが、そんな聖子の怒りは、ほんの一瞬にして打ち砕かれた。“暴力”によって。
「いやぁー!!」
聖子はこの日の夜、聖治が寝静まったタイミングで、一寝室の壁へと突き飛ばされた。
聖子の左頬には、大きな青痣が出来た。それ以外にも、右目の上瞼には小さなタンコブまで出来ている。同室している英治に殴打され、壁に投げ飛ばされたのだ。
英治は悪霊に取り憑かれたのかといわんばかりに、鬼の様な形相で聖子を睨んでいた。英治の右拳には血が付着しており、聖子が鼻から出している血がついたものだと分かる。
「うっ…うぅぅっ…!!」
聖子は、曲がりなりにも配偶者である男に暴力を振られた事で、その痛みと悔しさに泣き腫らしていた。壁に打ちつけられ、膝を落とし、嗚咽を上げる女性を前に、英治は激昂する。
「どいつもこいつも、私のやり方に口を出しおって! あの生意気な生娘といい、お前もだ清水聖子!! 私を一体、誰だと思っている!? この荒樫国の『王』だぞ!!?」
聖子は殴られた顔を逸らし、震えた声で泣きじゃくりながら、とある2文字を脳内に浮かび上がらせながら嘆いた。
「離婚」の2文字だ。
アンナのいう通り、ここはもう子供2人を連れて、身一つの状態であろうが逃げた方がいいかもしれない。こんな暴君と一緒にいては、子供がこの先もっと不幸になる。母親なら、きっと誰もがそう思う光景だ。だが、聖子に限ってそう簡単にはいかなかった。なぜなら、
「なんだお前…? いったい、頭の中で何を考えている…? まさか実家の父親にでも頼んで、私をどうにかしてくれとでも思っているのか? それとも、離婚して身一つでこの島国から脱出するとでも? ハッ! そんな事がお前にできるのか? やれるものならやってみればいい! 私が何か悪い事でもしたのか、そんな証拠どこにもないだろう? 妃が1人海に囲まれたこの島をうろついた所で、誰も国外へ放つわけがないのだよバカめ!」
現代の用語でいえば、英治のしている事は正に「モラルハラスメント」そのものである。
聖子は、殴られた頬を押さえながら、歩いてくる英治から必死に後ずさりをした。男の暴力に恐怖を植え付けられ、死にたくないという極端な思考が働いてしまっているのだ。
英治は、計画通りといわんばかりの表情。相手を見下すような“黒い”笑みを浮かべた。
「フン、何もいえないか… そうだろうな。私はこの国の王に即位してから、早20年!父が早くに亡くなり、齢12でこの国を統治し続け、
【(3)に続く】
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