第2話 夢破れて日常あり

 着替えて朝食を食べて学校に行って授業を受ける。

 判を押したような、いつも通りの生活がそこにあった。

 不満がまるで無いという訳じゃないけど、何か行動を起こそうと思う程のものはない。


 四限までの授業をあくびをかみ殺しながら乗り切り、購買で買ったパンとipadを片手に図書室に向かう。

 戸を開くと、カウンターに一人の女子生徒が本を読んでいたのが見えた。


「よ、黛」


 手を上げると、女子生徒は顔を上げてはにかんだ。


「こんにちは。さっきぶりですね、草部君」

 黛流歌まゆずみるか

 三つ編みにした栗色の髪と厚ぼったい眼鏡が印象的な彼女は、教室では隣の席に座っていて、その縁で友人になったクラスメイト。


 生粋の本の虫であり、空いた時間はいつも物語の世界に旅立っている。

 当然とばかりに図書委員で、昼休みには今みたいにカウンターに座って本を読んでいるのだが……黛以外の図書委員を見たことがない。


「どうだい、景気は?」

「どうも不景気でいけませんねえ」

 図書室に好景気も不景気あったもんじゃないんだけど、このやり取りは半ばお約束だ。

 実際、この図書室は僕と黛以外の人間がいることは極めて稀で、半ば黛の城と化している。

 いっそのこと図書室を『風雲黛城』と改名させるのはどうだろうか。


「いいですねえ。兵糧は沢山ありますし」

「本で栄養を摂取しているのか?」

「本でしか摂れない栄養素はちゃんとありますよ?」

「全てのエネルギーは賄えないだろ」


 可能だったら人類は次のステージに上がってるに違いない。

 焼きそばパンをかじりながら、周囲を見渡す。

 大体の図書室は飲食が御法度なところが多いらしいが、先代の図書委員長がなんとしても図書室に人を呼び込もうと考えた起死回生の一手が、図書室内での飲食許可だった。


 しかし蓋を開けてみれば、図書室を利用するようになったのは草部仁1人だけという有様。

今日も今日とて、人がいない。

 この現状に、先代図書委員長が何を思うのかは気になるが、死人とOBに口は無しだ。


 昼休みの図書室に僕と黛以外の人間がいるというのは極めてイレギュラーで、この学校に入学してから片手で数える事も難しいくらいだ。


「閑古鳥が鳴くってヤツか……」

「閑古鳥ですかー。実際どんな鳴き声なんでしょうね?」

「少なくともコケコッコーではなさそうだな」

「ちょっと晴れ晴れとしすぎですもんね。やっぱり、ぐえーっ、とかですか? お店の断末魔的な」

「それ鳥じゃなくてモンスターだよね?」


 もはや死神的な存在である。

 念のため調べてみたら閑古鳥はカッコウのことだった。

 全然モンスターじゃなかった。


「図書委員で呼び込みとかはやらないのか? キャンペーンみたいなやつとかさ」


 ipadのお絵かきアプリを開いて、ラノベの表紙を参考しながらキャラクターのイラストを描いていく。

 閑散としているが、この図書室はかなり品揃えが豊富で、資料には困らない。

 趣味のイラスト制作には持ってこいの場所だ。


「先生からは言われるんですけど、効果なんてたかが知れてるので労力の無駄なんですよ。そんなことしてる暇があったら本を読みます」


 なるほど、黛らしい。


「むしろ友達以外来て欲しくありませんしね!」

「鎖国政策かよ。まあ、確かにそっちの方が煩わしくはないけどさ」


 黛と気兼ねなく喋れるのは、僕達以外の人間が誰もいないということが大きいし、絵を描くに色々ちょっかいをかけられるのは面倒だ。


 ふと、カウンターに妙に古い本が積み上がっているのが目に入った。


「なあ黛、それなんだ?」


 黛はキラリーンと眼鏡を輝かせて怪しげな笑みを浮かべた。


「ふっふふ、実はですね。これらの本は旧校舎の図書室から回収したものなんですよ」


 この学校は、普段使われている校舎の隣に木造の旧校舎が存在する。

 部活が終わる時間帯に見ると、ボロさも相まってかなりホラーな光景なんだとか。


「でもあそこ閉まってるだろ。不法侵入か?」

「いえいえ。ちゃーんと先生に許可は取りました。何回か床が抜けましたが、心配ご無用ですとも」

「安心出来る要素がないんだけど!?」


 うっかり落ちたらどうするつもりなんだ。


「リターンを得るにはリスクを被る必要があるということですよ。浪漫がありませんか?昔の学生が読んだ本を読めるんですよ? 本を通じて古の時代と繋がる、みたいな!」


「あー……古民家に泊まるみたいな感覚か?」

「そんな感じです! というわけで今日も眠れる本達を救出してきますとも! 草部君もどうですか?」

「僕も?」


 旧校舎に入るなんて機会はそうそう無いし、放課後は特に予定はない。


「じゃあ、お言葉に甘えて」

「ありがとうございます荷物も――じゃない草部君」


 なるほど黛の意図が理解できたぞ。

 一人より二人の方がより多くの本を運び出せるということか……まあ別にいいんだけど。

 喉が渇いたのでいつもペットボトルをおいてある場所に手を彷徨わせるが、手は空気を掴むばかり。


 そう言えば、自販機に寄るのを忘れていた。


「なんですか草部君。おっぱいを揉むシュミレーションですかいやらしい」

「冤罪だぞそりゃ」


 さっと両腕で自分の胸を隠す黛。


「はっ、まさか私じゃなくて波沢先輩ですか!?」

「なんでそうなる」

「きーっ、巨乳ですか。やはり男は巨乳がいいんですね!?」

「ノーコメント」


 そんな見るからに地雷と分かる質問に答えてやる義理はないので、席を立って図書室を後にした。

 図書室から自販機に向かうには、中庭を突っ切る必要があるのだが、中庭はどこぞの図書室と違っていつも満員御礼である――


「……あ」


 その中に見知った顔がいた。


 波沢渚沙なみさわなぎさ


 黒く艶やかな黒髪を一本に束ねている彼女は、その抜群のプロポーションと凜々しい顔立ちで男女共に絶大な支持を集める一つ年上の先輩だ。


 ちなみに支持層の比率は何故か女子の方が多い。

 なんでもないように中庭を素通りして、我が校のオアシス――もとい自販機の前に辿り付く。


 カードをタッチする場所に、義手の手の平をかざした。

 チャリリと軽快な音と共に、ボタンにランプが灯る。

 この義手には普通の義手以外にも様々な機能が付いている。

 電子マネーもその一つで、何も知らない人の前でやるとぎょっとされるけど、日常の買い物は腕一本で済ませることができるので結構便利だ。


 キャッシュレスの次はカードレスと叫ばれる世の中だが、ある意味今の僕の状況は何よりも最先端じゃないだろうか。

 スタートするにはキャンサーと戦って腕を一本吹っ飛ばされる必要があります。


 うん、絶対に浸透しない。

 今日はミルクティーの気分だなと思っていると、横からにゅっと伸びてきた指がミルクティーのボタンを押した。

 ごとん、とペットボトルが落ちる音が聞こえる。


「……」


 何物だ! と振り向くことはしない。

黙って、ミルクティーを回収する。


「なんだ、振り向かんのか」


 つまらなそうな声に、はあと嘆息する。


「前にそうしたら窒息死しかけたからな。で、何の用だよ、ナギ」


 距離を取ってから振り向くと、視界いっぱいに見えるのはたわわな二つの果実。

 普通の目線でこれって、どんだけ背が高いんだよこいつは……

 170センチもない自分の身長が呪わしい。


「可愛い弟が目に入ったものでな。それに、用がなくては話しかけてはいけない関係でもあるまい?」


 ふふんと、何故かドヤ顔で渚沙は言った。


「何度も言っているけど、僕はナギの弟じゃない。血も繋がってないし」

「繋がっているとも、魂の絆というヤツでな」


 彼女とは孤児院で生活していた時からの付き合いなのだが、その時から僕のことを弟と呼んで憚らない。

 そのお陰で、色々変な噂が経って大変だったのだが、当の本人は、


「むしろ望むところだ!」


 とのことだった。

 何を望んでるんだ本当に。

 今も面識がないのにも関わらず、取り巻きの人達からすっごい顔で睨まれてるんですけど。


「て言うか、勝手にボタン押すなよ。もし僕がミルクティーの気分じゃなかったらどうするつもりだったんだよ」

「それはないな。おまえは木曜日の昼休みには必ずミルクティーを購入している。それ以外を購入したのはこの学校に入学してから一度もない」

「なんでそんなこと知ってるの!?」


 そんな細かい事なんて、僕自身も知らないぞ。


「私は姉だからな。弟の趣味嗜好くらいはちゃんと把握しているとも」


 パチンとウィンクをしているが、冗談に聞こえないのが本当に怖い。

 渚沙はこの通り少し――いやかなり変わり者のだけど、凄い奴ではあるんだよな。


「どうした?」

「あーいや、その……昨日は大活躍だったんだなって思って。ニュースで見たよ。本当に、すごかった」


 誤魔化すように言うと、渚沙はパチパチと目を瞬かせていたが、やがてぽりぽりと頬をかいた。


「ふふっ、面と向かって言われるとどこか照れくさいな」


 渚沙はACTに所属する隊員であり、その実力は水戸支部の中でもトップクラス。

 テレビに映っていたブラストリアは、彼女の専用機。

 同じタイミングで入隊したというのに、よくもまあここまで差がついたものだ。


 ヒーローなんてものに本気で憧れて、スタートラインに立ったまではいいけれど、走り出す直前で右腕を失って、夢も失った。

 今の生活が唾棄すべき無価値なものかと問われれば、決してそうじゃないんだけど。


 それに渚沙が今の地位にいるのは彼女のたゆまぬ努力のたまものだ。

 尊敬こそすれ、嫉妬すると言うのは見当違いもいいところじゃないか――


「うにゃっ」


 とか思っていると、渚沙は二本の指で僕の口元をぐいと持ち上げた。


「笑顔だぞ、仁。そんな辛気くさい顔はおまえには似合わん」


 そんな辛気くさい顔になっていたのか……?

 自分で言うのもなんだが、僕は感情を表に出すことが凄まじく苦手だ。

 旅行や誕生日などの集合を見ていただければ一目瞭然、ほぼ無表情のかわいげの無いガキが一人映り込んでいる。


 で、それが僕だ。悲しいことに。

 感情を喪失している……とかそう言う中学二年生なアレではなく、意識して感情を表現するのが苦手なのだ。

 写真で笑おうとするとどうも嘘っぽくなってしまうので、結局プラマイゼロの無表情……と言うわけ。


 しかし渚沙が口の端を持ち上げても、滅茶引きつった笑顔になっているんじゃないかと思うんだけど、彼女それでご満悦のようだった。

 渚沙の指から逃れながらそのことを指摘すると、渚沙は胸を張って答えた。


「姉たるもの、表情の機微を読み取るなど朝飯前だ。正確には昼飯中だがな」

「姉じゃないだろ」


 油断するとすぐにこれだ。


「うむむ素直ではない奴め……まあいい。おまえもこれから昼食なのだろう。一緒にどうだ?」


 どうやらこっちが本題らしい。

 それ自体は別に問題は無いんだけど……

 チラリと渚沙のご学友の方に視線を向けると、


『オマエ、コロス』

「あー……ごめん、今日は遠慮しておく」


 ノコノコ近づいたら、このミルクティーが最後の晩餐になってしまう。

 渚沙がここまで狂信……いや熱狂的な御友人がいるのは、別に彼女がACTのエースだから、と言う訳ではなく、彼女の人徳故のものだ。

 母数が多いと当然変なファンもいるわけで。


「それに昼食前じゃなくて昼飯中なんだ。さっきまで図書室で食べてたし」

「図書室……?」


 ぴくり、渚沙の眉が動く。


「やはりあの女か……おのれ忌々しい」


 まるで宿命の怨敵みたいな口ぶりだが、相手は別に恐怖の大魔王というわけではなく、親愛なるマイフレンド黛流歌嬢だ。

 二人は初対面の時から、何故か仲が悪い。

 なにせあの渚沙が彼女の存在を知る否や、僕の肩を掴んで、


「仁。おまえにはおまえの人生がある。生き方や交友関係に口出しする気は毛頭無い。だがあの女だけはやめておけ」


 と言ったのだ。

 いや、バリバリ口出してるよね?

 共通の知り合いとしてさっさと仲直りして欲しいんだけど……いや、そもそもスタートからいきなり開戦状態だったのだから、これがデフォルトの仲なのか。

 となると結ぶべきは仲直りではなく停戦条約だ。。


「あ、じゃあナギも図書室に……やっぱなんでもない」


 視界の端で御友人の皆様が箸やフォークを構えだしたので慌てて撤回する。


「悔しいがあの場では私は手出しが出来んのだ。昼食はまた今度だな」


 訳の分からないことを言って、渚沙は颯爽と取り巻き達の元へ還って言った。

 別に図書室は黛の固有結界でも術式必中の領域でも無いんだけどな……

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