第3話 キャンサー
――ハザードデイ
十二年前の六月六日六時六分六秒、空が割れた。
そこから出て来たのは、これまで映画の中でしかお目にかかれなかったようなエイリアンじみた怪物達。
後にキャンサーと呼ばれるようになる怪物達によって街は破壊され、人々は殺された。
空に発生した亀裂は日本だけに留まらず、世界中の国々に発生し甚大な被害をもたらした。
が、当然人類もやられっぱなしで終わることはなかった。
世界各国は山積みになった国際問題を棚に上げ、嫌々手を取り合いACTが設立。
今や街の至る所にシェルターが配備され、キャンサーが近くで出現した時にはそこに逃げ込むのが日常の一部になっている。
ACT隊員はRCユニットを装着したスーパーヒーロー(と言ってるのは僕くらいなものだけど)になってキャンサーと戦う。
とはいえ、超巨大な亀裂が世界各国で同時に発生するなんて事態はハザードデイ以降一度も無い。
キャンサーが何物なのかは、未だに判明していない。
他の星から襲来したエイリアンとか、異世界からの侵略兵器とか、怪しげな科学者が作り上げた人造生物とかまことしやかに囁かれてはいるけど、詳細は不明。
分かっていることは、極めて攻撃的で人間が視界に入るとすぐに殺しにかかるということだけ。
「……はあ」
特にに意味の無い溜息を零した。
キャンサーはとっくに倒されて、とっくに放課後になっている。
僕は教室に残って絵を描いていた。
他のクラスメイトの姿はない。
部活もそろそろ終わる時間帯で、太陽は地平線の彼方に沈もうとしている。
「よし、できた」
イラストの線画が完成した。
後は色を決める配色と、実際に色を付ける彩色、あとは細かいところの仕上げをすれば完璧だ。
オリジナルの場合は色も自由に出来るけど、元ネタがあるイラストはなるべく本物に近づけたいので、色を一つ選ぶのにもかなりの時間を使ってしまう。
多少の違いでも、全体像が大きく異なってしまうことなんてザラにあるからね。
「黛との約束もあるし、後は帰ってからにするか」
作業を保存して、今まで描いてきたイラストを眺める。
タブレットで描くようになってから四年くらいだが、二年前を境に一時期クオリティーがガクッと下がっている。
線がミミズがのたくったみたいに乱れていて、誰かに見せられたものではない。
今まで右手で描いていたのに、急に左手で描き始めたのだから無理もない話だけど。
しかし慣れというのはすごいもので、一年が経過する頃には元通りになっている。
風景をデッサンしたものもあるけど、一番多いのはアニメやライトノベルのファンアートだけど、その中には自分が考えたヒーローのデザインもちょくちょくある。
RCユニットのようなパワードスーツを装着したものが大半だ。
「……こう言うのを着ていた可能性もあったんだよな」
ヒーローに憧れて、渚沙と一緒にACTに入隊したまではよかった。
けどある日、基地内に突如現れた少女型のキャンサー――〈ビスクドール〉によって、全てが終わってしまった。
あの日僕は、第二世代RCユニット〈デスペラード〉を装着してビスクドールと戦った。
新米隊員の僕に、デスペラードの装着権限なんてないし、命令違反もいいところだったのだけど、気付いたら僕は戦っていた。
結果としてビスクドールを倒すことには成功した。
ビスクドールの体は木っ端微塵になって活動を停止したが、手放しにハッピーエンドと呼べる結末にはならなかった。
僕も右腕を失い、その他諸々の命令違反によってACTをクビになった。
勝手にデスペラードを持ち出した挙げ句大破させてしまったのだから、まあ怒られるよね、普通。
むしろ除隊だけで済んで、普通の暮らしを送れているだけ御の字だ。
「未練がない訳じゃないんだけど……」
他の先輩方に任せて、さっさと逃げてしまえばよかったのかもしれない。
成績が悪かった僕だって倒せたんだから、別の隊員が戦っても特に問題は無かっただろう。
今になってはそう思えるけど、残念ながら当時の僕はそこまで考えが至らなかった。
至らなかったから、利き手と夢を失う羽目になったんだ。
ふと、一枚のイラストが目に留まる。
「ビスクドール? いつ描いたんだっけ」
自分の腕を吹っ飛ばした相手のことなんて、描こうという発想が浮かばない気がするけど、彼女の絵は確かに存在している。
「……」
世界で初めて観測された人型のキャンサー。
メディアには一切報道されていないので、彼女の存在を知っているのはACT関係者のみ。
キャンサーは蝙蝠や蜘蛛など、この世界の生物と似たような外見や特性を持っているため、人を模した個体があっても不思議じゃない。
結局行ったのは他のキャンサーと同様の破壊活動だっため、そこまで深い意味はないとする声もあったらしい。
体がまるごと回収できれば研究のしようがあったけど、サンプルになるはずだった体を吹っ飛ばしてしまった下手人によってそれもパァになった。
回収できた肉片はほんの僅かで、もっと綺麗に倒せアホンダラと科学班の主任は大変ご立腹だったとか
本当に申し訳ない。
「ま、過去のことをウダウダ考えても仕方ないんだけどさ」
俺は今を生きる男。過去は振り返らねえ(キリッ)。とか簡単にできたら人生楽に生きていける気がするが、そう簡単に振り切れるものじゃない。
そう思いながら、僕はしばらくビスクドールの絵から目を離すことが出来なかった。
「どうですか草部君。なかなかの雰囲気でしょ?」
待ち合わせ場所である旧校舎の前で、黛は言った。
「確かに、これはなかなかだな……」
やはり日が傾きかけている時間帯の旧校舎を改めて見てみると、なるほどかなりの迫力だ。
昇降口が僕達を飲み込もうとしているかのようにぽっかり空いている。
「おや、おばけは苦手ですか」
「少なくとも積極的に出て来て欲しい連中じゃないな」
「てっきりこれはいいネタになるッ! とか言ってその場でスケッチを始めるのかなーって」
「僕にとってイラストはあくまで趣味だよ。命をかけるものじゃない。おばけが出たらさっさと退散するに限る」
「そして私は置いていかれるのですね……そのまま私はおばけの一人になって、図書室をさまようのでした……よよよ」
「置いていくとは一言も言ってないだろ」
こいつは僕を変人orクズにしないと気が済まないのか?
「冗談ですよ。けど、万が一の時は無理しないでくださいね? 他人のために無茶するのは草部君の欠点ですから」
「それって欠点か?」
「欠点ですよ。まずはなりふり構わず自分のことです。仮に置いていったとしても、それを責める資格は誰にもありませんから」
本当かなあ。
そもそも誰かのために無茶をした記憶なんてほぼ無いんだけど。
あちこちかび臭いけれど、旧校舎の内部は思ったより綺麗だ。
けれど床が抜けていたり、危険そうな場所にはテープが貼ってあって立入が制限されている。
何度か訪れているからか、黛は慣れた足取りですいすいと進んでいく。
図書室は旧校舎の隅にあり、生徒達から読まれなくなって久しい本達が僕達を待っていた。
全体の大きさはかなりのもので、規模だけで言えば僕達が利用している図書室よりも豪華と言っていい。
本棚はあらかた空っぽになっているが、中には全て本が収まっているものもちらほら見受けられる。
おそらく校舎の建て替えの際に入りきらなかった物が置いていかれたのだろう。
「図書室よ、私は帰ってきた!」
両手を広げて叫ぶや否や、黛は軽やかな足取りで本棚え向かい、本を取り出して検分を始めた。
「片っ端から回収するんじゃないか?」
「劣化が激しくて読むことが出来ない本もありますからねー
「ああなるほど」
「今日は草部君もいることですし、十五冊くらい回収しますよ。あ、これぼくらシリーズの初版本じゃないですか! こんなイラストだったんですねえ」
ひゅうと口笛を吹きながら、黛は本を紙袋に入れる。
「ん? でもそれ図書室に無かったっけ?」
「ちっちっち。間違っていますよ草部君。新装版と初版はまた違った味わいがあるんです。たまに時代が進んで表現も変わっていく場合もありますからね。その違いを見つけるのがまたイイんですよ」
「分かるような分からないような」
確かなのは黛がこの上なく楽しそうってことくらいだ。
「おっ、これは私が知らないタイトルですね。いざいざ尋常に……あれ、随分無理矢理入ってますねこりゃ」
黛が取ろうとしている本が並んでいる本棚はかなりぎゅうぎゅう詰めになっているらしく、中々取り出されようとしていなかった。
「よいしょっと……うわぁ!?」
お目当て以外の本も本棚から飛び出し、黛に向かって降り注ごうとしていた。
僕は黛の頭上に義手をかざして、降り注ぐ本達から彼女を守る。
ガンゴンと、本がぶつかったと言う感覚が義手から脳に伝達された。
「おわっ、大丈夫ですか草部君!?」
「ああ。義手に当たったくらいでなんともない」
「それってマズくないんですかね。不具合を起こしちゃうとか」
「これくらいじゃそうはならないと思うよ。多分この体の中で一番頑丈だからね」
「痛くないんですか?」
「痛みは感じてないかな。何かにぶつかったっていう感覚はあるけど」
この義手はかなり精巧に作られていて、普通の手と全く同じ感覚で動かすことが出来る。
しかしメンテナンスや破損したときに支障があるため痛覚は大きく制限されていて、『何かに触れている』という最低限の感覚に留めてある。
生身の腕で守ったら、かなり痛かっただろうな。
「科学の力ってすげー!って奴ですね」
「まあそう言う事かな」
黛はジロジロと手を見ていたが、やがてぽんと両手を合わせて言った。
「じゃあ草部君。義手を拝借」
「?」
言われるままに義手を黛の方に差し出すと、彼女は両手でそれを包み込んだ。
「温かいですか?」
夕焼けに照らされながらはにかむように笑う黛の姿に、少しばかり反応するのが遅れた。
「……そこまでは分からないけど、黛が僕に触れてることくらいなら」
「うーん。物語的には温もりだけは感じるって言う方がグッとくるんですけどね」
「そんな都合のいいことがあってたまるか。それにしても珍しいよな。黛が義手の事について触れるのって」
去年の春からの付き合いだが、黛が義手の話題を出すのはかなり
「だって、付き合いが浅い人からその手の話題をずけずけと言われるのって嫌じゃありません?」
「無駄に同情されるよりはよっぽど気楽だよ。ずけずけと踏み込んでくれたほうが」
僕が義手であることを知った人間の大半は、大抵痛ましい顔をして同情の視線を送ってくる。
彼らに悪意はなく、僕を気遣ってくれることは分かっている。
その気遣いはありがたいんだけど、やはりフランクに接してくれた方がこちらとしても気楽なのだ。
「ほーん……つまりこれからは仁君の義手はおさわりし放題と言うことでいいんですね?」
ギラーンと分厚いレンズが鈍い輝きを帯びる。
「一分三百円とかにしようかな……」
「じゃあ30分コースで」
「冗談に決まってるだろ早くその財布ひっこめろ」
義手を触らせるだけでトータル九千円とか、ぼったくりにも程がある。
「ふふっ」
何がおかしいのか、黛はくすくすと笑い出す。
「いえ、なんというか、こう言うのもまた青春なのかなーって」
「友人に義手を触られる青春ってニッチすぎないか?」
どこに需要があるというのだ。
「何を言うんです。ニッチだからこそ刺さる人にはぶっささるんですよ。三人寄れば三つの癖です」
「なんだよそれ」
苦笑を漏らしたそのときだった。
どくん
「……え?」
どくんどくんどくん
妙に大きな鼓動を感じた。
心臓に手を当てても、とくにおかしいところはない。
おかしいのは、僕の義手だった。
義手が、脈動している。
「嘘だろ……なんの冗談だ、これ」
「草部君……?」
この義手は機械製の義手だ。
生き物みたいに脈動しているなんてあり得ない。
あり得ないはずなのに、現実として目の前にある。
まるで腕に心臓が入り込んだみたい。
体のリズムが狂わされるような不快感が全身を駆け巡る。
けど、それとは違う異物感がある。
ぼとりと、何か落ちる音がした。
「――!」
黛が小さな悲鳴を上げる。
それはネズミの頭だった。
傷口からは赤い血が流れている。
――いつ殺された?
おそらくついさっき。
――どこで殺された?
決まっている。
首が転がっている、真上だ。
義手の鼓動はますます大きくなっていく。
――そこにいるのは、誰だ?
目にはしていないけど、本能ようなもので感じ取っていた。
ここにいてはいけないモノ。
この世界に拒絶されているモノ。
この世界を蝕む――
天井にぶら下がっているのは蝙蝠型のキャンサー。
翼を畳んでいるので全身の詳細は見えないが、口元にはネズミの胴体が咥えられていた。
やがて吐き出されたネズミの胴体は、首を失っているというのに出血していない。
蝙蝠型の特性……生物の生き血を好んで摂取する。
それは人間も例外では無く、ACT時代には血を吸われて蒼白に――酷いときはミイラと化した犠牲者をいやというほど見てきた。
それにしても、おかしい。
亀裂は発生していなかったのに、なんだってキャンサーがここにいるんだ――!?
『――』
キャンサーの無機質な瞳が、戦慄している僕達を捕らえた。
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