こちら社畜メイドですが知らん騎士の胃袋を掴んでしまったようです
カラフルロック
1
仕事がきつい。シンプルに仕事がきつい。ぶっ倒れる3秒前だ。
胃も「もう無理です」と悲鳴をあげている。
なんとか身体にムチを打って、夜の道を歩く帰路。
すっかり冬の季節になったみたいで、一歩進むたびに冷たい風が頬をなでていく。澄んだ夜の空気は好きだけれど、今は一刻も早く家に帰りたい。
わたし、ゼトーはこの町の領主様であるダダル侯爵様のお屋敷にてメイドの仕事をさせていただいている。メイドの仕事なのか首を捻りたくなることも多いが一応メイドとして雇われている……はず。
ダダル・グローン侯爵様は、それはそれは美しく強い女侯爵様で、夫であるグモン様を尻に敷いてグイグイブンブン領地経営をなされている。まさに女傑と言うにふさわしい。ダダル様は燃えるような赤い長髪をいつもポニーテールにしている。もともと凛とした眉に大きな赤い瞳と、はっきりしたお顔立ちだが、そこにもしっかりとメイクを施しているため派手な美人といった印象を与える。そしていつも白と黒を基調としたドレス、または動きやすいようあえて男性物の紳士服を着ている変わり者だ。それでも背の高いダダルさまには似合ってしまう。美しくかっこいいダダル様に憧れて田舎から出てきて就職したのはいいけれど……あの人は人使いが荒すぎる!
自分が超人並に仕事ができるから、それが当たり前だと思っておられるのだ。なんせダダル様は、とんでもなく仕事ができる、できてしまう。本当は使用人なんか一人もいらないんじゃないか、全部自分でできてしまうんじゃないかと思う。一度、お客として訪れていた隣町の伯爵様が呟いていたが……どうやらダダル様は人間が一週間で終わらせる仕事を1日で終わらせてしまうらしい。女傑、とんでもない。怪物だと言っているのを聞いてしまって、思わず陰に隠れて「そうですね!」と小さな声で言ってしまった。
そんなダダル様に「ゼトー」と話しかけられたのが今日の朝。夜勤務のメイドからの引き続きを聞いて、お仕着せを着て、さあ今から洗濯業務だと袖まくりをした時だった。振り返ると、圧が強めの美人が腕組をして立っていた。
今日も美しくあらせられるダダル様は、男性物の黒い衣装を着られていて、まるでこうして見ると舞台に出てくる男役の役者のようだと、いらんことを思ってしまう。
顔を見て黙っているわたしに、ダダル様は低く迫力のある声で「そんなに緊張するな、私に話しかけられただけで……」と苦笑する。
「お前に仕事を頼みたいんだけれど」
「絶対そうだと思いました!」
「断るつもり?」
「断れるなら断りたいです!」
「貴方の素直なところは買ってるのよ、これでも。でも主人の頼みを断るようなメイドはどうなる?」
「クビです!」
「よろしい、わかってるわね」
ダダル様は薄い唇の端を持ち上げてニヤリと笑った。
格好こそ男装の麗人だけれど、話し言葉は貴族の女性らしい言葉遣いだ。それもそれで良いとメイド間では評判である。
さて、どんな仕事がとんでくるやらと思案していると、わたしが不安にでも見えたのだろうか。ダダル様は凛々しい眉を下げて微笑する。
「ゼトーはメイドの中でも若いし、覚えも良いのだから色々と仕事を覚えて手伝ってほしいのよ。何ならリーダーにでも育ってほしいくらいなんだけれど……出世欲がないのが残念だわ」
「はい!」
「良い返事をするんじゃない」
扇子で頭を叩かれてしまった。
ダダル様には何故か気に入られていて、こうして少し軽口を叩いても案外怒らないどころか、もしかしたら嬉しそうにも見えるのでついついやってしまう。その代わり、大量の仕事も押し付け……ごほんごほん、任されてしまうのだけれど。
「じゃあ早速だけど、ゼトー。この書類をまとめるのを手伝って。大事な仕事よ」
はい、大事な仕事らしいので最初から断ることは許されてないのでした。引きずられるようにダダル様の執務室に連れて行かれ、そして大量の書類があるデスクに座らされた。
「なぜ私に」
「言ったでしょう。仕事を覚えてほしいって」
「せ、洗濯業務は」
「他のメイドに任せてある。大丈夫、ゼトーを借りることは言ってあるわ」
「そもそもこういう書類仕事はメイドの仕事なのでしょうか!」
「メイドの仕事は主人の身の回りの手伝いでしょう。ならこれもそう」
そう言われてしまうとなにも言えぬ。
仕事ができる女侯爵様は(勝ったな)と言わんばかりにニカッと白い歯を見せて笑った。
「やるしかない……」
「そういうこと。任せたわよ」
ダダル様はウインクをして執務室を出られた。他にも仕事を抱えているから、こんなところに構っている暇はないのだろう。しかもちゃっかりしたことに、この書類仕事は一度したことがある。
きっと前回やったことを覚えているかチェックする意味もあるに違いない、おそろしい。
紫がかった黒の長い髪を、頭の上で結び直した。やるしかない。
書類は、この町の商店等の売り上げを記録したものだ。毎月どのお店も出すことが決まっていて、それによってかかる税や、また売り上げが苦しいお店には補助をどのくらい出すか、などが決められるのだ。
その元の書類に記載された数字をまとめていく、とんでもなく面倒かつ、大事な仕事だ。数字一つ一つ、間違いがないか確認しながらデータにしていく。こんな大事な仕事を、私なんかに任せていいのだろうかと余計なことを考えつつ……。数字を睨み、文字を睨み、紙に書いて、見直して、また書く……。
結局全部をまとめるのに1日かかってしまった。朝から始めて、昼もたまごサンドを噛りながら仕事をして、日が暮れて夜になって寒くなっていた。やっと最後の書類が終わって「うああ終わった」と背伸びをしたら、見計らったかのようにダダル様が戻ってきた。
「お、終わったようね。ありがとうゼトー」
「しぬかとおもいました」
「自信を持ちなさい。仕事ができない人間なら3日はかかるわ。それを1日で終わらせたのだから大したものよ。ここまでしてくれていたら、あとはグモンが計算して申請書をつくって国に提出するのみ。助かったわ」
「おほめいただき……こうえいです……」
多分ダダル様が自分でやれば、データまとめから計算まであっという間に終わるのに……。ダダル様なりに人を育てようとしてるのか……。それとも、もっと難しい仕事をされてるからこんな簡単なものに時間をとられたくないだけなのか……。いや、もう疲れて頭が回らない。
机に突っ伏して動けないわたしを見てダダル様は笑った。
「ふふ、余程疲れたようね。前回より書類が増えたからかしら」
「……やっぱりですか! 通りで終わらないわけだ」
「ゼトー、働きを評価して今月の給金は上げてあげる。期待していいわよ。あと、良かったら食事も取っていきなさい。他のメイドに作らせるわ」
「すみません……がくっ」
頭がクラクラして目もぐるぐるしている。ダダル様は「少し無理させすぎたわね」と肩をすくめて、部屋を出られた。疲労で現実と非現実の間を脳みそが彷徨い、ああなんだか世界が回ってる……なんて独り言を呟いて、しばらく経ったころ。ダダル様がメイドの一人であるモラを引き連れて戻ってきたようだ。カラカラとワゴンを押す音と二人の話し声が聞こえてくる。近づくたびに、肉肉しい匂いが鼻に届いてくる。いやな予感がする。恐る恐る身体を起こしてワゴンを見て、予感が的中した。
でっかい肉の塊だ。
でっかい肉の塊が、焼きたての湯気をホカホカさせながらワゴンに乗っている。
「……」
「ダダル様は本当に肉がお好きですね」
モラが困ったように笑う。
うん、肉。私も好きですよ、肉。でもこの、疲労限界突き抜けた時は肉じゃなくてもっとこう、胃に優しい、身体を労るようなご飯が食べたい。というのはわたしのワガママでしょうか。
ダダル様は執務室の中央にあるテーブルに肉を置かせて、ドカッと豪快にソファに座られた。そして平然と、豪快にナイフで肉をさばく。部屋いっぱいに広がるスパイスの薫りも、ぱりっと焼けた皮も、じゅわっと肉からしたたる肉汁も、どれも素敵すぎる。素敵すぎるんだけど今じゃないっ……。
「さあ、疲れたときは肉よ、ゼトー。食べなさい」
しかしこの女傑様は、良かれと思って、使用人である私の為にこのお肉を用意してくださったのだ。悪意の欠片もなく、きらきらとした大きな瞳で「どうぞ」なんて、主人直々に切って渡されたお肉をどうして食べないでいられるか……!
「ワァーいただきまーす!」
「遠慮しないで食べるのよ! ほらここに座りなさい。ああ、モラも良かったら食べなさい」
「いえ、私はダイエット中ですので。ダダル様とゼトーでどうぞ。あ、ワインもお持ちしますね」
「気が利くわね! お願い!」
「アァ……」
上手く逃げやがった同僚を恨みがましく見ると、口パクで「ゴメン☆」と言われてしまった。わたしは疲れた胃に、肉をひたすら機械のように咀嚼して入れながら「ありがとうございます」と泣くしかなかった。
「泣くほど美味しかったのね! また用意するわ!」
ワインで酔ってご機嫌な主人はそう言って快活に笑ったが「いえっ、ダダル様のお手を煩わせるわけには」と訳のわからないことを言って回避しといた。回避できたのかなこれ。ただ謙虚に遠慮しただけだと思われてないか。
そんな尊敬しつつも恐ろしいダダル様に1日振り回され、ヘトヘトな帰り道。身体も重いし、胃も重い。ダダル様の底なしの体力は、あの肉塊を食らうからこそ出ているのかもしれない。それなら、ダダル様より10個は下なのに既に胃が限界になっているわたしは、一生ダダル様にはなれないだろう。いや……なりたくないけど別に。
「ううっぷ、く、くるしい……」
ダダル様のことは好きだ。一生かけてお使えしたいと思っているけれど、ついていけるのか時々不安になる。わかっているのだ、自分が情けないだけ……。
「うう、下を向いたら吐きそう、上を向こう……ああ、星がきれい……あ、だめだ上向いても気持ち悪い……」
早く借家に帰って寝たい。幸い明日は休みだ……。休みで良かった。よろよろと歩いて、借家近くの通りまで辿り着いた。すっかり町は寝静まっていて、しんとしている。この深夜の空気、嫌いじゃないんだけど今はそれどころではない。路地に差し掛かったとき「うう……」と自分と似たようなうめき声が聞こえた。
「胃腸爆発系の同類……? いや、酔っぱらいね……」
路地の裏に入ったところに人が倒れている。人が倒れているのを見つけてしまった。
「どうしよう」
正直、わたしもそれどころではない。鬼主人にこき使われ、でかい肉を(善意で)食わされ、満身創痍。でも、この寒空の下で寝てるとこの人多分死ぬ……。
おそるおそる近づいてみると、立派な騎士服を着た金髪の青年が、壁に持たれてうめいているのだった。顔が真っ青で、唇は紫色になっている。
なんでこんなところで、騎士が死にかけているんだろうか。仲間はどうした。なんで一人でいる?
回らぬ頭でいらんことを考えたあと
「もしもし……」
声をかけてみた。
騎士は長いまつげの下、翠の瞳をこちらに向けた。普段は使命に燃えて爛々としているであろうその瞳は、今や濁りきって半分も開かない。じっとわたしを見たあと
「気持ち悪い……ううっ」とうわ言をいう。
「見たらわかります。死にますよ……」
「うう……」
なんと会話も難しそうだ。わたしは両手で騎士の手を引っ張り、何とか立たせた。
仕方ない。放っておいて、この知らん騎士に死なれても困る。
「肩支えるから、歩けます? うちでよかったら、暖とって」
「すまない……」
騎士の肩を支え……って、めっちゃ重! 嘘でしょ! 重! と多分声に出しながら家を目指した。騎士は体重をわたしに預けることでなんとか自分の足で歩くことができていた。
成人男性の体重を支えながらの帰路は、いつもの倍の時間がかかった。やっと借家に着いて、ドアを開ける。狭い部屋は冬の寒さですっかり冷えているけれど、外よりはマシなはず。ドアを開けて騎士を中に入れてやると、もう限界だったようでまた玄関の壁にもたれて座り込んでしまった。
「ちょっと、せめて中で休め……」
両手でずるずる騎士を引っ張って、なんとか部屋の中へ。簡素なキッチン、必要最低限の家具しかない面白味のない家だけれど、物が少ないおかげか成人男性一人床に転がらせても余裕ありそうだ。助かった。
「水飲みなさいとりあえず」
ぐったりと座り込んだ騎士に、水道水で申し訳ないけれど、コップにいれて渡してやる。騎士はぐびぐびと音をたてて飲み干した。もう一杯いれて持ってきてやると、またしてもすぐに飲み干す。仕方ないのでケトルごと渡してやると、それもすぐに飲んでしまった。
「水はいっぱい飲んだほうがいいはず……」
何度も持ってきてやるのは面倒だけど、仕方ない。まあ、わたしの方は、この男を運んだのが良い運動にでもなったのか、気分はマシである。疲労は限界越えているけれど、この騎士の世話ができないほどじゃない。
またケトルを渡してやったあと、青い顔をして壁にもたれかかる騎士の顔をじっと見てみた。なかなか整った顔をしている。金色の髪はまるで透き通った光のような美しさだし、睫毛もわたしの2倍はありそうだ。また着ている騎士装束を見るに、獅子の紋章を肩につけていることから、どうやら国直属の騎士で間違いないだろう。
これはもしかしたら、国直属の騎士に恩を売るチャンスでは。うまくいけば、ダダル様の役に立てるかもしれないぞ。何の役に立つかはわからないけれど、ダダル様ならたぶん、いいようになんとかするだろう。しめしめ。いいことしたわ。
しかし、この人こんなに酔っぱらって、この人上司に怒られたりしないだろうかと勝手に心配になってしまった。
「ふああ、さすがに眠い」
騎士がようやく水のがぶ飲みをやめたので、そのまま床に転がして布団をかけてやった。と、ここで急にまぶたに重力がのしかかってきた。
「あ……わたしも限界だ」
シャワーをせめて浴びたかったけれど、無理だ。わたしもそのまま床で気絶するように眠ってしまった。
仕事が休みの日って、なんて最高なのかしら。
だってどれだけ寝ててもいいの、最高すぎる。
いつ起きてもいい、自由最高。
働いた分、きちんと休暇をくれるダダル様万歳……。
「君……」
「うううん」
「あっ、お、起こしてすまな……い、あれまだ寝てる」
「あと、あとちょっと寝かせて……」
あれえ、わたしは誰に言っているんだろう。
ここ実家? あれ?
「……んん」
いやこの声、知らないし。
まて、なんでわたしの部屋に男がいる?
「誰!」
びっくりして飛び起きたら「うわあ!」とびっくりされた。澄んだ青い瞳が、まんまるになってこちらを見ている。
その整った顔を見ていると思い出した。
「……酔いどれ死にかけ騎士! おはよう! 目が覚めたのね!」
「ああ、そうすれば君が介抱してくれたのか、やはり……」
騎士はすっくと立ち上がった。
昨日はちゃんと歩けていなかったから気づかなかったけれど、でかい。
ダダル様よりもでかい。
「昨晩の非礼をお詫びします。……そして貴方の優しさに、心より感謝します。私はトロン王国、王立騎士団第二団の副団長のグリンス・ゾラと申します」
深々と礼をした騎士、グリンスは姿勢を正してにこりと微笑んだ。
「えっと……。ゼトーと言います。この町の領主様であるダダル・グロール様の元で働くメイドです。……あ、本日は休日ですのでお気遣いなく」
「ゼトー……と呼んでも? 本当にありがとう。命の恩人だ……。私のことも、グリンスと呼んでくれていい」
「あっ、はい、グリンス」
あっはいって何、わたし。
イケメン耐性が脆弱すぎて、まともに顔を見てしゃべることができない。
いや、助けたのは良いけどどうしたらいいんだろう。静かにパニックになっているわたしにはさっさと帰ってもらうという選択肢しか思い浮かばなかった。どうしよう、と頭をぐるぐるさせていると、「ぎゅるるる」と音がした。
腹の虫が鳴いている音だ。
まさかあれだけ胃に肉を詰めたというのに、早くないかと思ったけれど、どうやらそうではないらしい。グリンスをぱっと見ると、恥ずかしそうに視線を逸らされる。
「……すまない」
「な、なんか、食べる……?」
「いや、そんなに世話になってしまっていいのかな……」
「大丈夫ですよ……」
そうよね。二日酔いのあとってお腹がすくよね。
一度ダダル様のお酒に付き合わされ……じゃないわ、付き合わせていただいたときのことを思い出した。あの方は、万人のイメージを裏切らぬ酒豪なのだ。ワインを何本も開けて、旦那様や他にお付き合いさせていただいた部下も全員ぶっ倒れたなかで「良い感じに酔ってきたわ」と恐ろしいことを言っていた。のきなみ潰れさせて相手がいなくなったときに、たまたまおつまみを出しに来たのがわたしで、そのまま掴まった。いろいろとダダル様の話を聞くのは楽しかったけど、途中からの記憶がない。次の日気づいたら家に帰っていて、体調とかいろんなものが大変なことになってしまった。うん、それを思い出した。
「グリンス、まだ気持ち悪い?」
「少し……。だいぶゼトーのおかげで楽にはなったけど」
「わかったわ」
あの事件の翌日、ふらふらになりつつも、うるさい腹の虫のために作ったごはんをグリンスに恵んであげよう。ついでに、わたしの胃も疲れているから、きっと良いはず。
「まだ休んでていいよ。用意する」
「何から何まですまない……」
「よかったらシャワー浴びる?」
って言いながらわたしもシャワー浴びてない。しまった。
ばれてないか、くさくないか心配になったけどお互い様ということにしてもらおう。グリンスは「それはさすがに申し訳ない」と笑って断ってくれた。よかった。これでくさいのはお互い様ね。
さて、野菜野菜……おお。棚からキノコとたまねぎを見つけた。こないだ買ったやつね。卵もちょうどある。
あとはチキンスープの素と……お米もある。ばっちり。
大きめの鍋を二つ用意して、ひとつはお米を炊くことに。まあ……分量は適当でいいか、大体一人分よりちょっと多め。膨らむからちょっと少な目に。米と水を鍋にいれて火にかけたら、もうひとつの鍋にたまねぎとキノコをいれて、たっぷり水をいれたらチキンスープの素をいれる。この素ってなんて便利なのかしら。これもダダル様が、発展した隣国から輸入して販売してくれているものだ。ダダル様ばんざい。これからもきっと文句はたくさん言いますが、ついていきます。
ぐつぐつとスープが煮えたら、弱火にして煮込んでいく。野菜の甘い匂いがしてきた。ちょっと塩胡椒もぱらっと。最高。お米の方も適当にした割りには良い感じにできている。
「はあ、良い匂い」
「本当に良い匂いだ」
グリンスの存在をちょっと忘れていた。
ふりかえると、邪念のかけらもない顔でにこにこされている。
育ちのよさが表情にでている。まぶしい。
しばらく煮込むと、お米が良い感じになってきた。つやっとねばっとしていて、かつちょっと固い。このくらいでいい。一度火をとめて、お米の鍋の中にスープを豪快に流し込む。あとはスープとなじむまでよーく煮れば、最後に卵を落として、完成!
「はいどうぞ」
木の皿に盛ってだしてやると、グリンスは目をまたもやまんまるにしていた。
「これは……」
「チキンスープの……粥?」
「いただきます」
スプーンで一口掬って食べたグリンスは「美味しい」と呟く。
「身体に染み渡る……」
「はあ、ほんとにそうね」
まさに胃をいたわる味!
昨日、ダダル様に(わざとじゃないけど)いじめられた胃が泣いて喜んでいる。
チキンスープと野菜の甘味がお米をとろとろに包み込んでいて、そこにたまごの優しい旨味がプラスされてる。ああ、ほっとする……。
「ありがとう、とても美味しかった」
グリンスはいつの間にか完食したようだ。整った顔で優しく微笑んだ。
「ゼトー。本当にありがとう」
昨夜の死にそうな青い顔とは別人のように、顔に赤みが戻って健康そうな表情になっている。よかった。
「どういたしまして。ところでだけど、なんでそんなに酔いつぶれてたの? 他に人はいなかったの?」
「いや……それがあんまり覚えてなくってだな」
情けなく眉を下げ、ぼそぼそと語る。
「私たちは、近辺で強盗騒ぎがあったというので、強盗捕縛のために派遣されて来ていたんだ。第二騎士団は、民の治安維持部隊だからね。それで来てみたら、赤い髪で背の高い女性が「遅かったわね。こいつらが強盗犯よ」って、強盗を突き出してきたんだ」
グリンスは苦笑いでわたしを見た。そして「ふふっ……」と吹き出した。わたしが余程変な顔をしていたからだろう。
「ダダル様っ……!」
「びっくりしたよ。君のご主人、ダダル・グローン侯爵は何者なのだろうか……」
「ひえっ……まさか」
グリンスは仲間たちと共に、ダダル様に話を聞いたらしい。強盗騒ぎがあったので、ダダル様は町の衛兵に、すぐに強盗犯を捕まえるように伝えたと。衛兵たちも、メイド同様スパルタ教育をされていて、ダダル様直々に稽古をつけてもらっているのでかなり腕がたつとか。衛兵たちはあっという間に強盗を捕まえてダダル様に捕縛して見せたのだと。
「私が捕まえた方が早いけどなと、侯爵は笑っていたよ。たぶん本当なんだろうね」
「間違いない」
「それで、侯爵から強盗犯の身柄を譲り受けてあとは帰るだけだったんだけれど、侯爵から「こいつは牢に入れておくから、騎士さんたちこの町でゆっくりして帰りな」と言われたんだ。元々一泊するつもりだったのでありがたくお言葉に甘え、紹介してもらった酒屋で飲んでいたら」
「ダダル様が現れたんですね」
あの肉を食べる前に、まさか王立騎士団の人と飲んでいたとは。
それで、まさかまた全員つぶしたんじゃ。
「恐ろしい人だったよ。あとはもう記憶がない。他の皆はなんとか宿まで帰れたのだろうけど……。僕は駄目だったようだ」
グリンスは「情けない」と呟いた。
「ダダル様ですが、そのあと屋敷に早々に戻って、肉とワインを召し上がっていましたよ」
「……」
美男子が口をへの字にして黙りこんでしまった。そのあと、わざと咳払いをして続ける。
「でも……あの有名なダダル・グローン侯爵と知り合えたのはよかった。それに、ゼトーにも出会えたし、きっと何かの縁だろう」
「ダダル様のおかげですね……?」
「ああ、本当に感謝してもしきれない」
こんなおもしろいことがあるんだなあ、と感心していると、グリンスに手をとられた。はっ? なに? と思う間もなく、手の甲に優しくキスがおとされた。
「………えっ」
「ゼトー。また会いにきてもいい?」
「えっ、ダダル様に?」
「君に」
「えっ」
なぜ、と顔を見ると、少し頬を赤くしたグリンスが華やかに笑いかけてきた。
「……えっ」
「じゃあ、また来るね、ゼトー。本当にありがとう」
立ち上がったグリンスは、自然にわたしをぎゅっと抱き締めたあと、頭にキスをした。わけがわからないまま
「うん……? またね?」
それだけ聞いたグリンスは満足そうにして帰っていった。
「えっ……?」
わたし、ただの仕事に追われる社畜メイドなんだけど、なんか、あの貧乏飯で騎士に惚れられた……?
いや、まさか……。
次の日、出勤すると主人に開口一番「あの騎士様とはうまくいきそう?」とニヤニヤしながら聞かれた。なんで知ってるのか! と言うと、わたしがグリンスを引きずっているところを見ていた人がいたらしく、そこからあっという間に噂になったらしい。なんて小さい町なのか! なにその情報網!
「ゼトー、嫁に行っても仕事は続けるのよ。主人命令だからね」
「ちょ……なに言ってるんですか、気が早すぎるし。たぶん助けてくれたからっていう一時の迷いですって。そろそろ目が覚めたころでは」
「ねえ、モラ。新しく騎士団から衛兵が派遣されてくるそうね?」
「はい、先日の強盗騒ぎもあったので、しばらく見張りを強化するそうです~」
モラもニヤニヤしながら見てくる。
「第二騎士団の副団長さま、直々だそうです。ね~ダダル様」
「ね~、モラ。ふふっ、愉しくなるわね~!」
きゃっきゃと楽しそうにしている同僚と主人を見て、恥ずかしくて死にそう。でもなんだろ、またグリンスに会えるのかと思うと悪い気もしない……けど!
「さ、恋のパワーで仕事仕事! 今日はモラにも新しい仕事を覚えてもらうわよ。あ、ゼトーは執務室の書類を種類ごとに分ける作業からお願いね、あとは……」
楽しそうにはしゃいでいたモラがぴしいっと石にされたように固まっていた。ふっふっふ、良い気味。とか思っていたら、ダダル様からのお申し付けが止めどなく耳に入ってくる。
「書式の見直しもお願いしたいのと、あ、あとは調べものと……」
「待ってください、それは本当にメイドの仕事ですか!?」
「……うるさいやつね。もうそれならいっそ、侯爵家の会社として運営するか……」
わたし、もしかしていらんこと言ったかしら。
社畜メイド、今日もがんばらせていただきます。ああ、まだ朝なのに白目剥きそう。
こちら社畜メイドですが知らん騎士の胃袋を掴んでしまったようです カラフルロック @tebasaking-puru30
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