まだ貴様の英雄譚は――
そこで意識が戻る。
「今、何時だ?」
僕はパンを食べた後、自室で眠っていたようだ。
「チョージ」
「やあパスタちゃん。来ていたのかい」
椅子の上にパスタちゃんが座っていた。病院から戻ったということは、異常はなかったのだろう。よかった。嬉しいな、嬉しいな。
「貴様は、大丈夫なのか」
「笑っているんだから大丈夫に決まっているでしょ」
「チョージ」
「どうしたのさ、そんな顔して」
「今だけは、その
「何、言っているのさ」
「脱がないなら、私が脱がしてやる」
「破廉恥だなぁ、もう――」
言い終わる前にパスタちゃんが僕の頬を思い切り、殴ってきた。
「痛いよ」
ベッドの端まで吹き飛ばされ、壁にぶつかった僕の身体はそこで止まった。
「何? パスタちゃん。まだ結婚していないのに、ドメスティックバイオレンスはどうかと思うよ。そんなんじゃ僕、戸惑いを隠せないよ」
パスタちゃんは間髪を入れずに、僕の上に馬乗りになった。
「そういう体位が好きなの、パスタちゃんは」
「チョージ」
パスタちゃんはさらに僕に追撃をしかける。頬を何回も殴られ、正直痛い。
「僕、そういうプレイは好きじゃないな。初めてはもっと優しく――」
「チョージ」
だんだんパスタちゃんの平手が、弱まっていく。どうしたのだろう。
「パスタちゃん?」
彼女は震え、泣いている。
「何で……何で貴様は笑っているのだ!」
「あははは。どうしてだろう」
「泣いてくれよ! 頼むから!」
「もう、無理なんだ」
「貴様のそんな顔、リールは見たくない!」
「リール? ああ、あの機械人形か」
リール・アンサンブル。ガーデルピア王国がロストテクノロジを解析して製造した《
「泣く、はずが――」
おかしいな、おかしいな。
「泣くはず、なんか――」
おかしいな、おかしいな。何で僕の目はこんなに熱いのだろう。
「もう無理に笑わなくていい! 泣いたっていい!」
「あ――」
「もう
「あ、あああ」
「泣いて、泣いて泣いて。最後にまた
「ああああ、ああああ、あ、あ!」
「お前の本当の笑劇が、始まるのだ」
もう、無理だった。
「リール! ああっ!」
彼女の腕に抱かれながら僕は泣いた。その瞬間――僕の
「よしよし」
泣いたのはいつ以来だろうか。
「僕はリールを二回も助けられなかった!」
あれは確かジーガルが僕を助けてくれて、この街に住み始めた頃の話だ。
「リール! 僕は君を!」
僕はガーデルピア王国民ではない。極東人だ。商人の両親と共にエルレシアン大陸を旅していた時に戦争に巻き込まれた。両親とはその時に死別した。
「大丈夫だ。まだ私やアコ達、ジーガルさんやゼルネスさんもいる」
その後、僕は敵国に捕まり、ロストテクノロジの実験体にされるという日々を過ごしていた。そんな生活から僕を救ってくれたのが王国軍の大将だったジーガルだ。
「シェルルは僕の傍から離れない?」
「もちろんだ」
ジーガルに引き取られた僕はこの街で生活することになったが、極東人ということで近所の子供達からいじめを受けていた。それでパン屋から出ない日々が続いたのだ。
そんな時だ。彼女と、シェルルと出会ったのは。
「シェルル!」
「大丈夫だから、大丈夫だから」
スパーダ家はジーガルと交流があり、その縁でシェルルは僕を守ってくれた。
「僕は結局、誰の事も!」
だから僕はそんな彼女にふさわしい男に、ジーガルのような立派な男になるために、好きだった音楽の学校をやめて王国軍の兵士となった。
「貴様はそれでもいい。誰かを救うために、貴様が苦しむ必要はない」
でも結局僕は周りの人達に守られてばかりで、大切な人を誰一人守れなくて。
「そんな貴様でも守れているものがある」
「そんなわけないよ! 僕は何も守れない!」
それなのに皆の英雄になると、自惚れていた愚かな男だ。
「だからって、諦めるのか?」
「どういう、ことさ」
「まだ貴様の英雄譚は――本当の笑劇はまだ始まっていない」
シェルルの視線の先を追う。そこにはかつてリールと契約した証であるマスターバトンが置いてあった。
「それを振ってみろ」
シェルルの言う通り、マスターバトンの傍まで行って、それを振った。
「な――」
マスターバトンが輝き始める。光の粒子が、少女の形となっていく。
「チョージ」
「リール! どうして?」
そこに現れた少女はリール・アンサンブル。
世界でたった一人の、僕の相棒だった。
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