第11話 【幕間】颯太、驚愕の里帰り。
「お覚悟!」
「ぬおおお!」
「てやー!」
「あら、お覚悟しないわよ?」
山間の木々の中を。
トッ、と避けて。
ぐい、と相手を掴み。
ひょい、と捌いては。
どん!と相手を打ち倒す奏女。
紺の道着を着た様々な年代の男女が次から次へと、ニコニコと笑みを浮かべる
「ご、ごめんなさい!」
ささっ、と相手を躱し。
きゅ!と相手の道着を掴み。
きゅるり、と相手を巻き込んで。
すてーん!と、颯太も奏女同様に相手を倒していく。
かれこれ五分近く、このような動きを繰り返す二人の親子に打ち倒された人間達は、驚きや口惜しさ、満足など様々な表情を浮かべながら去っていく。
颯太は奏女に盛大に異議を申し立てた。
「お母さん!『今年の夏は、お母さんと実家でのんびり過ごしましょうね』ってあれ、何だったの?!僕のワクワクを返して!」
「何でかしらね?私か颯太から一本取れ、まあ無理ね!って言っただけよ?」
「だけ、じゃないよ!クリティカルヒットだよ!それに何で武術の『ぶ』も知らない僕まで!」
会話の最中にも、二人の立ち合いが続く。
「お覚悟しないわよー」
トッ。
ぐい。
ひょい。
どん。
「ごめんなさい!」
ささっ。
きゅ!
きゅるり。
すてーん!
「……ちょっと、お母さん聞いてよ!」
「もうお母さん、お兄ちゃんやお姉ちゃんの学校行事で毎回飛行機乗るの疲れちゃったし、毎年誘われてた世界一周旅行、今年は断れなくて。困ったわねー」
「顔、めちゃめちゃ嬉しそう?!それに僕の都合が、いっこも入ってない!」
奏女は、懸命に動き回っては文句を言う息子を見て。
(それに、颯太。貴方は青空の武術の枠に収まれないの。小さい頃に連れ出しておいてよかった。
颯太に青空流を学ばせたい、とは絶対に考えない。
奏女は、そう確信していた。
奏女は、颯太に青空流の手ほどきをしたことがない。
颯太は、幼い頃に見た奏女の体捌きや技から、自分だけの技を身につけた。
自然の中で、昇華させていった。
奏女には、そうとしか思えなかった。
●
事の発端は、奏女が7年振りに颯太を連れて実家に帰った事による。
颯太が6歳の時、奏女は颯太を連れて家を出た。
奏女の父で青空流の当主である弥一が、颯太の兄や姉と同じように颯太を手ほどきしようとした際に、奏女が猛反対し弥一と大喧嘩になり、颯太を連れて実家を飛び出したのだ。
その後、家を出た二人の行き先を弥一はツテを頼り探させた。
が、二人の行方はいくら探しても杳として知れない。
奏女の夫で師範代である晃一が、二人の居場所を知りつつも沈黙を守っていた。
一度決めたらテコでも意思を曲げない娘夫婦の性格を知る弥一は、泊りがけで出かけては颯太の様子を嬉しそうに語る孫達を見つつ、捜索を諦めたのだった。
そして、7年が経ち。
颯太を連れて戻ってきた奏女が、弥一や家族とともに道場にズラリと居並ぶ門下生達に、私達から一本取れ、と宣言したのだ。
その結果。
青空で先祖代々所有している山は、この状況になった。
●
「どーん!
「……おねえちゃん!」
そこに。
颯太の姉の蒼花が参戦した。
立ち合いの順番が回ってきた蒼花が、ひゅばんっ!と構えをとった。
「さあ、じんじょーに!でね!でね!いっぱい汗かいたらあとでお風呂だよ!」
「お風呂……?」
蒼花の不可解な言葉に、こてり、と首を傾げる颯太。
「うん。お風呂は入ると思うけど……」
「身体洗いっこしようよ!蒼花がゴシゴシもゆもゆしゅこしゅこしてあげる!」
「一緒に入るつもりなの?!僕中学生だよ?!それに、しゅこしゅこって何なの?!」
「蒼花も高校生だよ?どしたの?それに颯太から一本取ったら、夏休みの間、颯太を好きにしていいわよ?ってお母さんも言ってたもん」
颯太は、ばっ!と母を見た。
「お母さん!どういうことなの?!」
「あらあらー、颯太も本気出さなきゃねー」
「はめられたっ…………」
「あら、はめられちゃうなんて、颯太もお盛ん、あら?」
きゃ!
蒼花の後ろ、順番待ちの列から悲鳴が上がった。
皆の眼が一斉にそちらを向いた。
●
順番待ちをしていた蒼花の女性の付き人を、割り込んだ男が押しのけたのだ。
認識外からとはいえ、自らの不覚悟に歯ぎしりをした付き人が構えをとった。
「貴様!!」
「ちんたら待ってらんねえよ。
「あら、あなた見ない顔ね。どちら様かしら?」
「あ?何だか腕自慢の奴が集まるって聞いてな。あんたらのどっちか倒せりゃ、青空流は負けなんだろ?ま、こんなとこか」
奏女のそんな問いかけに、奏女より年嵩に見えるその男は、にやにやと笑いながら手頃な木を拾って、ぶん!ぶん!とその感触を確かめている。
「ま、本赤樫なんか使ったらすぐ終わっちまうからな、ハンデやるよ。何にせよ、俺の『岩斬慈現流』には手も足も出ないだろうが、な」
男の不敵な物言いと態度に、周りの人間達がいきり立った。
そこに。
「モブはさっさとあっち行って。今、蒼花の大イベント中なんだから」
蒼花が両手を広げて立ちはだかった。
「蒼花様!お気をつけ下さい!恐らく、そ奴は近隣に無差別に道場破りを仕掛けている、示現流気取りの輩!いくつかの他流派が既に……!」
「あ~?おめえ、相手の実力も図れねえのか?ま、俺がお前に勝ったら、しゅこしゅこしてやってもいいぜ~?」
蒼花は、ぶるり、と嫌悪感に身を震わせつつ、それでもその場を動かない。
「蒼花が守る!颯太には触らせないっ!」
「お母さんも、守ってほしいわよー?」
「お母さんの、ばかっ!……おねえちゃん……!」
「馬鹿って言われた!ご、ごめんなさい……」
しょんぼりした奏女をよそに、男と蒼花は間合いの外で対峙している。
男は下卑た表情を浮かべ、べろり、と唇を舐めた。
蒼花は、冷や汗をつう、と掻きながらも必死に考える。
(野太刀自顕とは少し違う構え、示現とも違う。でも
男が、一歩ずつ自分の間合いへと詰めていく。
軽口の割には遊びがない。
蒼花は姿勢をどんどんと低くしていく。
と、そこに。
蒼花の後方から見守る奏女と颯太の傍へと、弥一が歩み寄った。
「
「あれ、お父さん。さあ?ま、お馬鹿さんなのは確かね」
そして、男が一刀一足の間合いを超える直前。
「……!!小賢しい!蒼花!」
一閃のごとく、弥一の声が場に響いた。
くるくる、くるくる。
(え?)
蒼花の意識は男の後方からくるくると自分に飛ぶ、木の棒に向いてしまった。
次の瞬間。
風が、巻いた。
がががが!
ずどんっ!
飛んでくる木に意識を向けていた門弟達。
蒼花を庇おうと前に出た弥一。
あらあら、と変わらずニコニコ見ている奏女。
ぱちくり、と目を点にした蒼花。
既に木は、颯太の礫によって撃ち落されている。
「おねえちゃんは、あなたには負けません。でも、卑怯な手を使うのなら、僕が……おねえちゃんの壁になります。盾になります」
蒼花の後ろにいた筈の颯太が、弥一と蒼花の数メートル前方で腰を落とし、伸ばした右腕を残心している。
語りかけに反応しない男に、颯太の声が更に低くなる。
「……気を失ったフリですか?早く起きてください」
弥一と奏女の頬で汗が、つう、と流れていく。
男は大の字になり、白目を向いていた。
その道着の股間で、濃い染みが広がっていく。
場は、静寂に包まれていた。
(どうしようかしら……とにかく颯太を落ち着かせないとお母さんもチビッちゃう……む、あれでいいか)
「はいはーい。木を投げたお仲間さんはあそこよー?」
奏女が、手をパンパン!と叩いてから、指をさした。
周りの人間達と同じく、茫然としていた男はその声で我に返った。
が。
「捕らえろ!この卑怯者どもを絶対に逃がすな!」
弥一の怒鳴り声に、男はへなへなと崩れ落ちた。
●
「捻る、うねる……それにあれは青空の技ではない。青空の先祖返りとまで言われた、そんなお前が颯太に何を、何の為に教えた!」
「あらお父さん、私は教えてないし誰の手ほどきも受けさせてないわよ?私の動きを見た颯太が、その身体能力で生み出したもの。実家を出る前に片鱗は見せてたわ」
奏女の言葉に、瞠目した弥一。
「だからお前はあれ程に……。確かにあれは人が修められるものではない」
「そして、血の繋がりのないあの子の天賦は争いの元になる。だからあの子は自由に生きさせてあげたかったのよ」
弥一は、ううむと唸る。
木を複数の礫で撃ち落し。
その腕の振りさえ利用して、全身に捻りを回す。
相手の踏み込む気配を捉えて、その力で飛び出す。
自らのうねりを途切れさせることなく、動きを力として更に蓄えながら突進。
相手の踏み込み足を自らの足で抑え、重心が崩れた身体に溜め込んだ螺旋の拳を打ち込む。
そして、手ごたえがなければ、うねり続けていたであろう颯太。
弥一は、溜め息をついてから奏女に言った。
「……好きにせい。何にせよ颯太は大事な孫だ。必要な事は全て言え」
「じゃあ早速、全寮制の学校でも探してそろそろ自然メインじゃなく人の意志の中で成長してもらいましょうか。あとはそうね……旅行のお小遣いたぁーい?!」
弥一は奏女の頬をむにー!と引っ張った。
「お前はワシの可愛い孫達の爪の垢でも煎じて飲め!颯太達の方が余程頼もしいわ」
「
●
そんな事を弥一と奏女が話している中。
(何であの人、あれだけで倒れちゃったんだろ……あれなら、山の
そう考えていた颯太に、蒼花が抱きついてきた。
「わー?!」
「颯太!つよーい!すごい、カッコイイ!さすが颯太!」
そう目をキラキラさせる蒼花に、颯太は礼を言った。
「おねえちゃんの方があの人より絶対強かったよ。あと……僕を守ってくれて、ありがとう。おねえちゃんが僕のせいでケガしたらって怖くなっちゃって」
颯太は、身を挺した蒼花にうるうると目を潤ませる。
そんな颯太の可愛さに、蒼花はもうたまらなく止まらなくなり。
暴走が、加速した。
「ね、ねえ……蒼花ね?子供は私たちみたいに三人は欲しい、かな」
そんな事を言い出した蒼花に、ぐしぐしと涙を拭いた颯太はきょとん、とする。
「や!や!でもでも!さっきみたいな顔で、『もう一回……ダメ?』とか言われたらもっとしちゃうかも!もちろんおっけー!でもそしたら、三人どこじゃないよね!!それにそれに、ガマンはダメだよ颯太ぁ!いっぱいいっぱい……きゃー!きゃー!」
「あ、はい」
両手を前に出して首をイヤイヤイヤ!と振っている蒼花の顔は真っ赤である。
そこでふと、颯太は蒼花の言っていることに、もしかして、と焦り始めた。
「おねえちゃん、誰と結婚するの?いつ?!お祝いしないと……!」
「すぐにでもっていうなら明日でもいいよ?結婚式」
「えー?!大変!今から街に行ってお祝い買ってくる!」
「え?颯太はこれから私と一緒にお風呂だよ?」
「……?!僕、おねえちゃんに負けてないのに何でさ!」
弥一は、呆れ顔で蒼花を指さし、奏女を見た。
奏女は、かみ合ってない会話に肩を震わせている。
「え?だって颯太の身体洗ってあげたいし、蒼花、今いっぱいしゅこしゅこあむあむどっぱんどっぱんしてみたい気分なの。今日一人目の赤ちゃんできちゃう?きゃー!」
「……なんかゴシゴシがなくなってるし、意味がわから…………あああ?!」
そこでやっと、颯太は恐ろしい可能性に気が付いた。
「結婚ってまさか!僕とおねえちゃん?!」
「他に誰がいるの?だいじょーぶ!マンガでいっぱい勉強したから、蒼花に任せて!」
「任せないよ!姉弟で結婚しません!そもそも中学生は結婚できないよ!それに……!えっち!ばかー!」
顔を真っ赤にして叫ぶ颯太。
しかし、蒼花にはもう通じない。
「うん、うん!わかった!とりあえずお風呂場だね!」
「スルーされた!お母さーん!おじいちゃーん?!」
颯太が、ズルズルと蒼花に引きずられていくのを見た弥一と奏女は。
「うーむ。ありといえば、ありか?」
「今はやりたいようにさせておけば?颯太も、蒼花を傷つけない位には何とか頑張るでしょうし、まだ子供だし。いつかお互いが結婚を望んだら、その時はその時よ」
「さっき、『おねえちゃんの婿になります』って言ってたでしょー!」
「言ってなーい!!」
●
結局。
颯太は逃げ回り、夏休みのほとんどを山で過ごす羽目になった。
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